1-3-1.取り戻した日常
結婚式場の営業って本当に難しい。
新規接客も、打ち合わせの接客もね。
身内に式場関係者がいたら…社割を使うのが1番お得なのは間違いない。
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調光が抑えめで薄暗いながらも大人な雰囲気を演出するフレンチレストラン。
そこで食事を楽しむのは1組のカップルだ。大きな窓から見えるのは東京の夜景。
前菜からポタージュ、そしてポワソン(魚料理)にヴィアンド(肉料理)をワインと共に楽しんでいく。
マリアージュ。そんな言葉が一般的になってから庶民のワインに対するイメージも少しは変わったのではないだろうか。
幸せそうな笑顔で会話に華を咲かせる男と女。今日は記念日だ。幸せな時間を最高の場所で2人で過ごす幸せに、女性からは満面の笑みが溢れる。
ふと、女性が視線を窓の外に広がる夜景に移した時に男の表情に緊張が走った。
そう。今日は…もっともっと大切な日になるのだ。
「お客様。デザートはテラスでいかがでしょうか?夜景と共にお楽しみください。」
「…あぁ。」
サービスマンに案内されてテラス席へ移動する男女。途中、サービスマンの意味ありげな笑みに対して女性に気づかれないように頷く男。
…テラス席には薔薇の花束が置いてあった。
男は照れ臭そうに笑いながら花束を取り、女性へと手渡す。
そして、彼がポケットから取り出したのは…一生を添い遂げたいという想いを形にした指輪。
男の口が開かれる。愛の告白をする為に。
ここで画面がゆっくりと切り替わり、テロップが表示された。
『夫婦として歩む結婚式…ハピネスドリーム』
このCMを自宅のテレビで肘をつきながら見ていたんだけど…溜息が出ちゃったね。
だってさ、このCM…コンセプトとかは良い気がするんだけど、どうもダサいんだ。なんか昭和の香りがするっていうかさ。センスが無いんだよね。
じゃぁ僕にこれ以上のCMが作れるのかって言われたら、なんとも微妙な気がするけど…。絶対このCMは会長とか社長の趣味で作ってる。会社名の認知には繋がるかも知れないけど、会場の認知には全く繋がらない。
このCMにどれだけの広告費を充ててるのか分からないけど、その分を大手雑誌の出稿ページを増やすとか、WEBの掲載プランをグレードアップさせるとかした方が集客に繋がると思うんだよね。
今の世の中SNSが流行ってるんだから、CMを使わない広告費を抑えた手段は幾らでもあると思う。
…しまった。朝から愚痴っぽくなってしまった。
そもそも、僕が朝から機嫌が悪いのには理由がある。それは…想像の通りノルンだ。起きたら僕が大好きなポテトチップスを全部食べてるんだよ?
朝からポテチも信じられないし、3袋全部食べる容赦の無さが許せない。
もう朝ごはんを作る気も起きないよ。
「龍紅〜!朝ごはんはどうするの〜?」
「…無し。」
「そんな!虐待なんだよ!」
「…いやいや、勝手に居候してるんでしょ?」
「じゃぁ…私の体をあげるから…ね?」
しゅっ!スコン!…と丸めた広告がノルンの額にクリーンヒットする。
全く…どこでそんなセリフを覚えるんだか。
額を押さえてひっくり返ったノルンを見ながら僕はテレビに視線を戻す。
…本当に朝ごはん抜きでいいかも。
「え〜速報です。速報です。只今緊急のニュースが入りました。昨日の夜に表参道ビルズ入り口のガラスが割れた事件に続いて、新宿でも複数店舗のガラスが破れるという事件が起きた模様です。現場に繋ぎます。」
「はいっえ〜こちら新宿の現場です。ここ路面店が数多く並ぶ通りで10店舗以上のガラスが同時に割れるという事件が発生した模様です。幸いなことに表参道のようにガラスに巻き込まれた死者は出ていませんが、複数人の負傷者が出ています。え〜、目撃者の話を伺ったところ、何の前兆もなくいきなりガラスが割れたとの事です。現在警察はテロの可能性も視野に入れつつ原因究明に当たっています。」
「はい、ありがとうございました。え〜最近原因不明の建物損壊や、身元不明の遺体という事件が増えている気がしますね。」
「そうですなぁ。これは私たちが気づかない内に何かしらが仕掛けられているのかも知れません。先ほどの中継でもあったテロという可能性も十分に考えられ…そもそも欧米では…。」
…マジか。今までこういう原因不明の事件とかは殆ど気にしていなかったから何とも言えないけど…最近頻発してない?
でも、僕には新宿のモンスター出現情報は通知されなかったんだよね。
…あ、違うか。そもそも夢幻結晶を付けてないから通知されなくて当たり前だよね。
そんな事を真剣に考えていると、復活したノルンが顔を覗き込んでくる。顔が近い。ちょっと前に出したらキスが出来ちゃうじゃないか。
「龍紅〜?顔が怖いんだよ?」
「ごめんごめん。ちょっとこのニュースが気になってさ。」
「ん〜?このガラスが割れたの?」
「うん。きっとこれもモンスターの仕業なんだろうなって。」
「ん〜……ノルンには分からないんだよ。だって、見てないのにそうだとは言えないんだよっ?」
まぁ確かにノルンが言う通りだね。僕も実際に見たわけじゃ無いし…。そうなのかも知れないって予想してるだけだもんね。
うん。よし。そうだ。
考えるのはやめよう。まずは今日の…仕事をちゃんとやらないと。
僕はスーツに着替え始める。おっと、ポケットに入れっぱなしの夢幻結晶はテレビ台下の引き出しにでもしまっちゃうか。
僕が身支度を始めるのを見たノルンが首を傾げた。
「あれっ?朝ごはん作ってないんだよ?」
「だから今日は無し。」
あっ。ノルンのほっぺたぷぅぅぅぅが発動した…。
その後、僕が朝ごはんを渋々作ったのは言うまでもない。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
式場に到着して事務所に入ると、会長が来ていた時のシーンと静まり返ったのとは正反対にドタバタしていた。
「あら?何かあった?」
ウェディングサロンからトレンチ片手に戻ってきた菊地さんに声をかける。因みにトレンチっていうのはサービスマンがドリンクとかを乗せる丸いお盆だ。
「あ、マネージャー!それが予約漏れがあったみたいで…新規が来館したんです。」
「おっとマジか。ヒアリングシートとドリンクは?」
「はい。私がドリンクを出して、八木さんがヒアリングシートを出しています。」
「オッケー。じゃぁヒアリングシートの情報次第かな。あとは…どんな新郎新婦かだね。ちょっと見てくる。」
僕はカバンをデスクに置くとウェディングサロンの雑誌を直すフリをして、八木さんがヒアリングシートの説明をしている新規の様子を伺う。
…うん。真面目で誠実そうな新婦さんと、ちょっと几帳面そうな新郎さんだ。新婦さんはメモ帳を出してるし、新郎さんは服装もキチッとしてる。式場見学だから綺麗な服装でって気を使ってくれてるタイプだ。
ステキな新郎新婦さんだね。
事務所に戻った僕は、ヒアリングシートの説明をした八木さんに声をかける。
「八木さん。どんな感じだった?」
「あ、マネージャーおはようございます!」
僕の声に振り向いた八木さんはニコッと笑顔を見せて挨拶をしてくれた。
なんてゆーかなー。背がちっちゃくて透明感のある感じで、こう虐めたくなっちゃう可愛らしさがあるんだよね。一度は夜を共に過ごしてみたい。
「えっと、結構しっかりめなお二人ですね。公務員とかのキチッとした仕事をしてそうです。」
「やっぱそんな感じだよね。話の主導は?」
「新婦さんです。新郎さんは時々口を挟んでくる感じです。」
なるほど。式場探しは新婦主導で行ってるけど、新郎が気に入らないと決定しないパターンかな?こーゆー場合は新郎新婦2人のニーズを把握して、どちらも気にいる提案をしないといけないから…難しいんだよね。
「よし。あとは新郎新婦軸なのかゲスト軸なのかをヒアリングするのと、会場、日程、予算の優先順位だね。秋希望の場合は日程を1番に誘導出来たら良いね。」
「はいっ!誰が出ますか?」
「んー。」
少し悩む素振りを見せる。八木さんは年上のお客さんで、八木さんを可愛がってくれそうなお客さんだと成約率が高い。
僕はちょっとお堅い雰囲気か、ちょっとチャラいと成約率が高いんだよね。
このパターンで考えれば、僕が接客に出た方が良いかな。
念の為、本日の来館予定を書いてあるホワイトボードを確認する。
「…あれ?今日…僕の従姉妹が来る日だっけ?」
おかしい。昨日家に帰る時は書いてなかったはずだ。
「あ、実は夜中にメールが入ってて、うちにある演出を片っ端から見にくるみたいなんです。」
申し訳なさそうに答えてくれたのは菊地さんだ。
「うわぁ。つまり…。」
「はい。マネージャーも同席した方が良いと思います…。すいません新規が来てるのに。」
「いや…どっちも飛び込みみたいなものだし、しょうがないよ。じゃあ八木さん、頼んだよ。」
「はい!」
「新婦さんは良いと思うけど、新郎さんのプライドが高くないかは気を付けてね。」
「もちろんです。成約もらえるように楽しんでいきますね。」
「よろしく。」
小さな体でガッツポーズをした八木さんを送り出した僕は、この後…従姉妹の演出打ち合わせで3時間以上もの時間を拘束されることになった。
色々な演出をカタログで紹介したり、実物を見せたりと頑張った挙句…ある演出を見た従姉妹が「これしかない!」…と一目惚れしたのだった。
いやぁ…従姉妹って親族ではあるけど、そこまで深い仲でも無いわけじゃん?だから…こんな人だったのか。っていうのが正直な感想だ。
あ、因みに悪い意味ではなく、結婚式にここまでこだわりがあるタイプだったのか。っていう意味ね。元々こだわるのは知っていたけど、今日の打ち合わせでは僕のイメージを超えるこだわりを見せていたを
ってか、選んだアイテムを見たんだけど…予算大丈夫なのかな?
それを菊地さんに聞いてみると…。
「それが…もう予算で100万オーバーしてるんです。」
と返事が…。
「それってさ、社員割引の25%を使わないでだよね?」
「それが…割引後で100万オーバーなんです。この後に値引き交渉をされるんじゃ無いかって心配なんです。マネージャー…その時は宜しくお願いしますぅ…。」
…うん。どうやら菊地さんは結構参っているらしい。
けど、僕は従姉妹に値引交渉をされたとしても、基本的に今以上の値引きをするつもりはない。
だってさ、25%だよ。普通にうちの会場で式を挙げる他のカップルと比べたらどれだけお得なことか。やりたい事をやるのなら、それ相応の金額を支払うのは当然だと思うんだ。
「まぁ…その時に上手く説明して納得してもらうしかないかなぁ。」
ピピピッピピピッ
電子タイマーの音が事務所に鳴り響く。
従姉妹が帰って腹の虫が盛大に暴れまわっているからのカップラーメンタイマーだ。
今日は激辛旨辛ラーメン店とコンビニのコラボ商品だ。
フタを開けると…うん、濃厚で辛い匂いが事務所の中に充満していく。
時々この匂いについてプランナーから「お腹が空くからやめてほしい」といった趣旨の文句を言われるけど、それなら自分も食べればいいのにね。…ま、辛過ぎて全員が食べれる訳ではないんだけどさ。
「決まりましたぁ!」
そんな遅めのお昼ご飯にありつこうとした時に、ウェディングサロンから戻ってきた八木さんがニコニコの笑顔で言う。可愛らしいガッツポーズが…可愛い。
「よしっ!おめでとう!」
「ありがとうございます!今年の秋で決定です!」
「いいねぇ。これで秋の目標達成に結構近づいたんじゃない?」
「はいっ。心配性なお2人なので、成約手続きの後に少しだけ招待状の紹介をしたいと思います。」
「分かった。じゃぁシステムへの登録とかはやるから、規約の読み合わせをよろしくね。」
「ありがとうございますっ!」
ニコニコの笑顔でペコっと頭を下げた八木さんは、規約の紙を持ってウェディングサロンに戻っていった。
うん。いいね。これで今月8組めの成約だ。
僕は辛いラーメンを食べて額から汗を流しながら顧客情報の登録をしていく。
ラーメンじゃなかったらご飯を食べるのを後回しにするんだけどね。まぁ…ご愛嬌って事で。
その日の夜は、八木さんと菊地さんとラーメンを食べに行くことになった。実は八木さんは久々の成約だったんだよね。ここ最近接客が上手くはまらなくて連続で落としてたんだ。上手くいった時は一緒に喜んで、次に繋げてもらわないと。
営業ってメンタルの状態で成績が結構変わるからね。その辺りのメンテナンスをするのもマネージャーの役職をもらっている僕の役割って事かな。
「おつかれー。」
「お疲れ様!」
「お疲れ様です!」
3人で生ビールのジョッキをコンっと合わせて、グイッと飲んでいく。ラーメンにビール…良い組み合わせだと思わない?
因みにラーメン自体は特別美味しいと言うよりも、普通レベル。だけど生ビールが280円という脅威の安さなので、職場の人とラーメンといったらこの店に来るのが定番になっている。
「いやぁ、八木さん復活…ほんと良かった!」
「これもマネージャーとか菊地さんがフォローしてくれるからです!」
ニコニコ笑顔の八木さんが可愛い。隣に座る菊地さんもニコニコしてるけど、どっちかっていうと我が子を見守るお母さんっぽさがある。その年で見守る慈愛を身につけているとは…恐るべし菊地さん。
その後は恋愛話や会社の愚痴を聞きながら楽しい時間を過ごした。
「やべっはねた。」
ラーメンの汁がはねたので、スーツのポケットからハンカチを取り出す。…と、カランという音が足下から聞こえてきた。
「ん?」
「今の音何ですかね?」
上半身を折り曲げてテーブルの下を覗く八木さん。…おっ、首元から胸の谷間がチラ見…ラッキー。
なんて邪な事を考えていると、八木さんが体を戻したのでさり気なく視線をずらす。
………え?
「これが落ちてたんですけど…綺麗ですね。菊地さんのですか?」
いやいや。…え?菊地さんの?…え?
僕の思考は混乱する。だってさ…八木さんが持っていたのは、夢幻結晶だったんだ。
ここから日常編をやや主に置きながら話が進行します。
異世界で戦うって、普通そんなに簡単に覚悟は出来ませんよね。
まぁ異世界転生とか、帰ってこれない異世界転移とはまた状況も違いますが。




