はじめましてに潜むNGワード①
その年最初に見る満開の桜吹雪は、新しい出会いに浮かれた陽気な春の歌。
白桃色の花びらは幾重にも重なり合い、優しげにも道端を彩っていくが、私にはそれが花々の祝福というには少し違う気がした。
今はきっと花びら達は休憩中なんだ。春風の心地よいエスコートさえあれば再び私達の目の前をくるりと回って、その華やかさを見せつけにくるんだろう。
自然のダンスをこうして毎年間近に観覧できるというのも、元気に生活している私達の特権なんだ。
そう考えてみると、私の豆粒にも劣るようなメンタルであっても感謝すべきなんじゃないかと思えてきてしまう。
「んんー……ふぅ。」
大して眠くはないけれど、私はこの光景に感化されて、思わず身体を真っ直ぐに天へと伸ばしていく。
私にぶつかる風の感覚もその一瞬だけは薄れて、周囲の音も掠れて、勝手に1人の感覚を思い出したみたいでスッキリできた。これはもう、今日という日をシンプルに一言で言い表すなら気持ちのいい日というやつだ。
時間をかけ、通学路を急遽変更して桜並木をのんびりてくてくと歩いていくというのも入学式という始まりの日にこそ最大限に楽しめる、1番価値ある時間なのだろう。
あんな学校に進学する羽目になり、私はめちゃくちゃ落ち込んでいた。そりゃもうすごく。休日無駄に早起きし、そのまま食事もおざなりにしながら深夜までフルスロットルで没頭するゲームと、ふわふわもふもふでちょっと正直じゃないけどそんなところがまたたまらないツンデレにゃんこ達を愛でることの両方を死ぬまで禁止されるのと同レベルとまで言える程だ。
勿論私にはこの学校に進学する他なかったのだから、将来の事を思えば耐え凌ぐ他ないのだが、そうはいっても苦手なものは苦手なのだから仕方がないというものだ。私は自ら試練を与えたという事でまずは学校に着く前に決心だけでも新たにしておくんだ。
「何があっても私は私だ……うん。どうせ私の事だし、流石に周りに流されてどうのこうのという事態にはならないとは思うけど……。」
学校が近付いてきた関係か、同じ制服を着た二人組とか、所謂グループとかいう集団とか、そういう人達が視界の端にチラついてくるがそんなもの気にしてなるものか! とまあこのように精神統一のあまり口に出ていた自覚はあるけど、棒読みと早口の合わせ技でしかも小声でブツブツ呟いていただけなのだからきっと問題はない……とは思っている。
そんな同じ内容の繰り返しのような自問自答を繰り返しながら到着したのが、私立実花咲高校。
私がこれから3年をかけて通い詰める必要のある学校。……そしてもし許されるのであれば、私はここを地獄だと呼びたくもなるのだけれど。
……などと考えているうちに校舎入口に辿り着き、そこで新入生の証として小さな白いスイートピーのコサージュを受け取って、まずは式の前に教室へと向かうのだけど。
大丈夫?
流石にまだ大丈夫だよね?
もう私の頭の中ではこればっかり渦巻いて嵐を引き起こしているのだから悲しいにもほどがある。
通学中に固まりきらなかった決心は、固まり始めていた一部の決心をも巻き込み、ほぐし直してしまうのだから厄介極まりない。
……ああもう! いい加減に前進みたいんですけど!?
なんていうツッコミを内心やや強めに入れつつ、とにかく外面だけでも平静は装ってやろうと意地を張り続ける。
そして私は今まさに、教室の扉を開けようとした……
のだけど。
「あ、あの……!!!」
「ひぎゃっ!!!!!」
急に後ろから呼び止められてしまったのだから驚いた……。品のない声を上げてしまって恥ずかしくも申し訳なくもあるのだけど……。
「ご、ごめんなさい。ちょっと緊張していたものだから、驚いちゃって……。」
「い、いいんです……!! 私が恐れ多くも急にお声をかけてしまったものですから……。」
改めて声をかけてくれた子を見た。
すごく……綺麗だった。
大和撫子を思わせるような長くて艶やかな黒髪。けれど毛先は丁寧に梳かれて、内側に緩くカーブを描いており、西洋の何処かのご令嬢のようでもあった。
薄く涙の膜を張られた瞳はうるうると揺れて、窓から差し込む朝日を受けて少し輝いている。
触らなくても感触がわかってしまいそうになる白くて柔らかそうな頬は心なしか赤く染まって見えた。
……ん? ちょっと待った。赤く……??
クールで大人しそうな印象を受けた私を他所に、目の前の彼女は自身の手を合わせ、互い違いに組んだ左右の指を時折動かしている。よく見てみれば、指だけでなく全身がそわそわしていて、落ち着きがない。
「あの、もし本日お時間よろしければ……なのですが。」
「へ? ……なに?」
恥じる余裕もなく思いっきり間抜けな面構えの私に、彼女は一枚の小さな白い紙を渡してきた。
丁寧に二つ折りにされた白い紙。少し透けて見えた内側の文字には数字らしきものが見える。
本人の前で開く事がどこか申し訳なく感じて、私は対して見もせずに時間なのかなと思ったのだけど。
「あの、これは?」
……って!! 時間なのかなって自分で思ったばっかでしょおおお!?
我ながら自分のアホさ加減に呆れてしまう。
私はどれだけ醜態を晒せば気がするのだろうか。事もあろうか、今日は入学式。周りには私を知らない人達が沢山集まっているというのに、早速馬鹿野郎のレッテルを瞬間接着剤でがっちりくっ付けるとは何事か。
「私、待っております。大してお時間は頂きませんので、ご迷惑でなければ出来るだけお越し頂けますと……嬉しい……です。」
私が脳内1人劇場で悶々と唸り続ける中、彼女はそんな私などどこの風とでもいうかのごとく、自らの用件だけを片付けていく。
「え?? あの、ちょっとまっっ……て……。」
私がその言葉を言い切る前に、彼女は元来たであろう道を戻っていく。
なびく黒髪を視線で追いかけながら、私はまたしても間抜けに「あっ」と気付く。
……名前、聞きそびれました。
同然ながら私の頭の中では、何人もの私が円卓を囲んで大討論の真っ最中だ。
自分の脳内とはいえ耳障りな事この上ないのだから厄介極まりない。
「そもそもこれ……」
先程黒髪の彼女から受け取ったメモには、"13時、中庭にてお待ちしております。"と。心底ご丁寧に簡単な手描きの地図まで添えてあった。
けれどやはりこのメモの中にも彼女の名前はなく正体不明のまま。私はやっぱり間抜けに呆然と立ち尽くしてしまったのだ。
「ねえ、ちょっとそこ通してくれる?」
「あ、うん。邪魔してごめん。」
同じクラスメイトとなる誰かに指摘されるまですっかり忘れていたのだけど、そういえば私はまだ自分の教室に入っておらず、それどころか出入り口の前を塞いで立ち尽くしていたのだ。
あー……。ダメだ。入学早々失敗した自覚がある。
私は声をかけてきた男子生徒につられるように、そのまま1-Cの教室の中へ吸い込まれるように入っていく。
式もまだだというにもかかわらず、私は目をしょぼしょぼしながらのったりと自分の席へと向かっていった。