第二章 太陽は僕らの敵 - The Sun is Our Enemy. - 1
せまーるー、初夏ー 地獄の季節ぅー
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
アンビエントっぽい、ぷぁーんって曖昧電子音、脳内を埋め尽くす。
気持ち悪い。最低のアレンジ。不規則に揺らぐシンセの波長変化が鬱陶しくてたまらない。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
思う存分、陽の熱を浴びた太平洋高気圧。
頼んでもないのに出張ってくる奴らのせいだ、この不快な季節。
血清アルブミンの熱変性開始が四十二度付近だとして、それ以前に脳の何か、思考を司る回路が阻害されるのは三十度付近じゃないかな?
多分そうだ。あたしには確信がある。
だってその辺で脳が動きを止めるから。茹だり始めた脳は保全タスクが再優先。だから何も浮かばないんだ。気の利いた一言とか。世を穏便に済ませる言い回しも、思慮の行き届いた行動選択も。
「あちぃ……」
身体中の汗腺が開ききっても熱は下がらず。
このまま服を脱いでアスファルトに寝転がれば、少しは下がるだろうか?
無理。灼熱アスファルトから立ち上る熱気が風景を歪ます。地面はフライパンだ。
ファッキンホット。トゥーファッキンホット。
あと何歩、あたしは歩けるだろう?
もしここが格闘ゲームの世界ならば、あたしのHPバーは真っ赤っ赤。
「はぁ……はぁ……」
夢遊病者みたいな足取りで歩を進めれば、
「あ?」
街のビジョンに映る、少しだけ懐かしいミュージックビデオ。
『 身 体 が 夏 に な る 』
「ならねぇーよ!!!!」
ガシャーン!
ピーポーピーポーピーポーピーポー……
「ロマンティックラブイデオロギーを殺せ! じゃなかったんですか?」
汗ダラダラで部室へ転がり込んできた悠弐子さん、タオル巻きの保冷剤を額に乗せてグッタリ。
フルマラソン全力疾走してきたみたいな汗を浮かべてる。
「もちろんよ」
刀折れ矢も尽きた籠城兵が白旗を振る体で、ピラピラ振りかざす――――婚姻届。
「ま、マジすか!?」
確かに、ロマンティック・ラブをスッ飛ばしてますね!
というか遺書を書き残して離陸する特攻隊みたいな覚悟です。恋愛特攻隊とでも言わんばかりの。有言実行、女に二言なしの悠弐子さん。
「あぢぃぃ……」
悠弐子さん(この子)は本気で十代のウエディングロードを邁進しようとしてる。全女子必修の恋愛実践課程に見向きもしないで一直線に。
いや、でも、にしたってですね、
「十代で結婚とか、色々と犠牲が大きすぎませんか?」
「言っとくけど桜里子」
「はい?」
「残り物に福なんてないわよ」
「……そんなもんですか?」
「『残り物には福がある』って言葉、正しく解釈しないと、とんでもない目に遭うわよ?」
「そうなんです?」
「きったぁー! 釈迦本ホームラァーン!」
東京バニーボーイズの熱狂的ファンであるB子ちゃん、釈迦本選手の逆転ホームランに絶叫!
「たまーはとぶーとぶぅー! ばーんなっぷすくらんぶるぅー!」
吊り下げ式のテレビでは悠々とダイヤモンドを回る釈迦本選手。スタンドのレプリカユニフォームを着た釈迦本女子も破顔一笑で声援を送ってます。さすが独身プロ野球選手最後の大物と言われるだけありますね、応援してる女子率高っ!
「あれあれ」
「あれって釈迦本選手ですか?」
「釈迦本颯人の入団経緯を思い出してみて、桜里子」
「ドラフト一位入団のエリート選手ですよね?」
「ちっがーぅ」
「違うんですか?」
「釈迦本颯人は外れ一位、名古屋シクススプリンスオブダークネスへ行った土嚢上の外れ一位」
「そうなんですか?」
そんなところまで知りませんよ、普通の女子高生は。野球選手について女子高生の知るところは、顔の好みと年俸くらいですよ?
「つまり、結果的に釈迦本颯人は残り物の福であったけど……根本的な素材の差は、十一番目と十二番目くらいの違いでしかないの」
「ああ、なーるほど」
『ハズレ一位』という言葉に騙されてはいけない。素質的には本一位指名の選手と大差はない、と悠弐子さんは言いたいんですね?
「それが『残り物には福がある』の正しい理解よ。一巡目指名段階での当たり外れは、そこまで気にしなくともいい。指名候補に好素材が揃っている時期なら、『残り物には福がある』は真(True)よ」
「ふむふむ」
「でも会議が進めば事情は違ってくる。各球団の指名で次々に有望株がリストから除かれ……残り候補に福が残っている確率は指数関数的に低下していくの」
ごくり……
「つまり時期を逃せば! 適齢期を過ぎたらロクなのが残ってないの!」
「ドラフト会議も恋愛市場も一緒!」
「粗方の球団が選択終了する頃には、残っているのは育成枠レベルのみ!」
「しかも育成している時間も残されてないぞな!」
「うへぁぁ……」
「キリギリスライフは地獄への誘い道!」
「命短し恋せよ乙女!」
前途有望夢いっぱいの女子高生とは思えない悲観論で事実を突きつけてくる美少女AとB! 『残り物には福はない=命短し恋せよ乙女』理論とでも名づけましょうか?
「婚活にはフライングもスピード違反もない、って『今でしょ』の人も言ってたでしょ?」
いや、それは「受験」だったと思います、確か。仲人ではなく予備校講師ですし、その人って。
「兵は拙速を尊ぶ。ペアリングも同じよ、それが現実なの!」
「うぎゃあああああああ!」
現実は過酷。それを身を以て受け止めている美少女が一人。
折角の釈迦本選手のホームランも、リリーフが打ち込まれて逆転されちゃったようです。
「ざーわーぶーらー!」
ああもう美少女が台無しですよ! 号泣するB子ちゃんの涙と鼻水をティッシュで拭ってあげる。
「でも悠弐子さん」
「なに?」
「婚活のドラフト一位ってナニで判定するんですか? やっぱり生涯年収見込みですか?」
「んなさもしい基準で比べてどーすんのよ?」
「売り豚脳。桜里子は売り豚。ブヒブヒ」
贔屓が負けてると普段以上に辛辣なB子ちゃん。これだから熱狂的野球ファンは扱いづらい。
「そりゃ悠弐子さんやB子さんに比べたら私は子豚ちゃんです。言われなくたって分かってます」
自分で言ってて情けなくなるけれど、これも現実だから仕方がない。
彩波悠弐子――――霞城中央高校へ舞い降りたフォールンエンジェル。
掛け値なしでフォールンなエンジェルです。
なにせ自ら名乗ってますから、少子化克服エンジェルって。
いやシニカルな言い方は止めましょう。仲間ですしね。私も頭数に入ってるみたいですし、その怪しげ結社の一員として。
取り敢えず悠弐子さんは本気で少子化克服の使徒として貢献したいと思っているらしい。
らしい。
分かりません。分からないけど彼女の行動指針は一貫している。少子化を妨げる存在は排除執行、そして自らが母胎として問題解決の魁たろうとまでする。
魁! 女塾です、ゆにばぁさりぃとは。霞城中央高校贅理部とは。
まぁ、その活動方針は置いといてでもですね、
(綺麗……)
グッタリ状態から復活の悠弐子さん、野球中継のチャンステーマに乗って踊り始めた。アカデミックなバレエステップから次にミュージカル風、そしてシームレスに前衛っぽく。目まぐるしくスタイルを変えても汎ゆる仕草が美しい。
だって悠弐子さん、常人とは一線を画した世界の住人ですから。
フォールンエンジェルなので。微に入り細に入り、趣向凝らされた絶妙のアーティファクト。それも定規で引いたような無味乾燥の線じゃなくて……僅かだけ完璧からズレたアシンメトリー、その対称性の破れが彼女(悠弐子さん)を唯一無二にする。微粒子レベルで調整された破綻の美。
「おー! おぉー!」
対してこっち。声を枯らしながらブンブンと応援旗を振っている子。
バースデイブラックチャイルド。
日本人離れした伸びやかな骨格と金の髪。翠とも碧とも断言しかねる不思議な色の瞳。
彼女もまた、フォールンエンジェル。その箱へ入れていい系。
外人さんでも親近感を得やすい顔がありまして、それは瞳の焦点を合わせ易い人。彼我の距離感を掴めれば安心感も湧こうってもの。ですがB子ちゃんは正反対。どこで焦点を合わせていいのか探しても見当たらず、瞳の深さに意識を吸い込まれる。
「おーおーおー! ふれっふれっふれぇぇぇー!」
応援旗を振り回せば、揺れる金髪。プリンの気配とは無縁のピュアジェニュインな繊維。
生物の神秘を感じずにはおれませんよ。同じ化学式のアミノ酸から、こんなにも神々しい部位を生み出せるなんて……神秘以外のどんな言葉で表現すればいいんですか?
「桜里子?」
「……あ」
また見惚れていてしまった……分かってるのに反応がワンテンポツーテンポ、遅れてしまう。
美人は三日で飽きるなんて嘘です。本物の美人ならば、ふと目を離しただけで感覚がリフレッシュされる。新しい美の感動で、心が揺り動かされます。
「桜里子?」
加えて声が。エッジの立った声は格別の響き。抜群の美女なのに声はガラガラ、あるいは滑舌がショボショボなんて残念さ、悠弐子さんには無縁の話です。彼女が呼んでくれる「桜里子」の響きは、まるで自分の名前じゃないみたいな、そこだけ延々リピートしてたいくらい甘く耳に残存する。
彼女はローレライ、聴く者を溺れさす声の持ち主。
「なんでしょう悠弐子さん?」
だから私は必至に櫓を漕ぐ。意識の船を立て直しながら彼女に縋る。
「――資質とは!」
資質? …………ええと何の話でしたっけ? ああ、恋愛ドラフト会議の評価基準ですか? 何を尺度にしてパートナーの価値を判断するか?
「ペアリングで最も大事なものは――好奇心よ!」
好奇心? 日本人なんか見たこともない未開の部族とでも結婚しろってんですか?
「結婚したら同衾するでしょ? 耳元でクソつまんない話しかできない男とかどうなの?」
「どうって言われても……そんな経験したことないんで分かりませんよ……」
「同じ物を見て同じ好奇心を共有できる人。そういう人なら一生ずっと遠足や運動会、修学旅行前日のワクワク感ですごせるのよ。素敵じゃない?」
「なるほど……」
「逆の伴侶では知の孤独に飢えたままの後半生を送る羽目になる! ずーっと!」
「……なんか怖くなってきました」
「そういう意味では大学受験っていい制度よ。知的レベルの均された相手を見つけやすいわ」
「比較的、外れは少ないぞな。正規の受験を迂回した奴以外は」
「じゃあ大学へ進学しない子はどうしたらいいんですか?」
まだ私は進路が決まってないんですが。
「他にも方法はあるわ」
「と言いますと?」
「動物園とか水族館へ行くとよいぞな」
悠弐子先生に先んじて答えてくれるB子先生。
「好奇心を測る尺度としては結構いいかもね。動物を観ないで女の身体ばっかり視てくる奴はダメ。牡としての活性度は高いにしても、知性や感性に欠けるからパートナーとして不適格」
なるほどなるほどメモメモ。
「こういうのもあるぞな」
英語……の論文ですか?
「掻い摘んで言うとアメリカの既婚者七百人を対象とした「正しい結婚相手の選び方」ぞな。そこで提案された方法の一つに、ゲームプレイを用いる判定法があるぞな」
「ゲーム?」
「たとえば負けが込んでしまった時のストレス下でどんな振る舞いをするか、それを観察するぞな」
「なるほどー」
「ストレスなら本当はアレがいいのよ」
チッチッチと話へ割り込んでくる悠弐子さん。
「未開の荒野を何日も掛けて踏破するレース。マッチングテストとして最適よ?」
「チーム戦で参加するとレースの途中で絶対揉めるぞな。百%の確率で」
「極限状態ですもんね」
休息も採らずに過酷な大自然を踏破するクレージーレースなら、精神も追い込まれますし。
「そういう時こそ人間性が出るぞな」
「チェックポイントを見失ったりすると、仲間同士で啀み合いが始まるわけ。お前が悪いアンタの方が悪い、指揮権を渡せ渡さない的な醜い争い」
想像するだけで胃が痛くなる。私なら即リタイアですね、そんな空気の現場には居た堪れない。
「そこでね、怪我したメンバーの分まで荷物を背負ってくれるような男が最高なの!」
確かに! ついていきたいです私も。そういう男子に。
「黙々と弱者を庇い、愚痴も漏らさず道を切り拓いていく」
「男らしい!」「男らしい!」
「そういうのが男子の男子たる矜持を備えた男よ!」
「男子力!」「ビバ男子力!」
「諸君、私は男が好きだ!」
「「好きだ!」」
部室棟の最奥部屋で気勢を上げる私たち。
迂闊に聞かれてしまったら「なにやってんだ?」と訝しげに覗かれてしまいそうですが。
いや。既に私たちは訝しげな存在としてレッテリングされている。でなきゃこの部屋(贅理部室)は今頃男子で溢れかえっているはず。それこそ【サークラの姫】として君臨するに相応しいプリンセスが二人もいるんですから。
そうならないのは【触るな危険】という認識が霞城中央生徒のコモンセンスとして確立しているからに他ならない。
「不自然な男女同権を声高に主張する輩こそ、ああいうのに参加するべきよ」
「同じ役割を分担なんかしてたら非効率すぎて遭難するぞな」
「男女が互いの受け持つべき役割を尊重し合う、そういう精神がなきゃ!」
「「ゴールなど目指せない!」」
普段は隙あらば相手を蹴落としに掛かる二人のくせに、こういうとこは噛み合うんですよね……ほんと仲が良いんだか悪いんだか。
「やはり正しさは自然の中にしかない! 男女の機能最適性も自然が全てを教えてくれる」
「ビバ、ヒューマンネイチャリング!」
お前それサバンナでも同じこと言えんの? とでも言わんばかりの開き直り。ドヤ顔ライオンとドヤ顔タイガーが人工の冷風に吹かれながら道理を語っています。
「となれば――レース!」「レースぞな!」
まーたなんか良からぬことを思いつきましたね?
「ウェーヘッヘッヘ」「ウェーヘッヘッヘ」
昭和の国民的野球選手みたいな笑いを浮かべ、悦に入る悠弐子さんとB子ちゃん。
なのに可愛いってどういうこと?
さながら密林の食虫植物? 美しき花弁の下に地獄の壺を携えて。
「亡国結社を生け捕りにしたら、レースを開催するわよ!」
「歪んだ精神を、極限状態で矯正ぞな!」
「健全なる精神は健全なる身体に宿るって古代地中海の偉い人も言ってたわ!」
ええと? 美しさは健全の範疇外なんでしょうか?
飛び抜けた美を誇る悠弐子さんには健全な精神が見当たりませんが?
「ここは是が非でも生け捕りにしちゃうわよ! 許せぬ悪を一網打尽よ!」
いいですよ、生け捕り結構。殺すよりは随分穏便だと思います。
でも生け捕った人はどうするんですか? この部室の檻にでも閉じ込めとくんですか?
「となれば、早速捕縛ね!」
「逮捕しちゃうぞなフルスロットル!」
「ま、待って下さい悠弐子さん!」
「なによ桜里子?」
「アテがあるんですか? 【亡国結社】の皆さんを探し当てる確実なアテは?」
「む?」「む?」
「闇雲に探したって時間の無駄じゃないですか?」
「うむむ……」「むぅ……」
鉄砲玉の勢いで外へ飛び出そうとした二人、足が止まる。
この二人と過ごすようになってから、しばらく。猛獣並みの二人を手懐けられないにしても、衝動的な即断即決だけは阻止できないかと試行錯誤してきましたが……遂に山田、発見しました。
それは『 理屈 』です。
彼女と彼女が納得するに足る『反論』を示せれば、彼女たちは聞く耳を持ってくれる。
「ところで悠弐子さん? どちらへいらっしゃってたんですか?」
そしてすぐさま別の話を振る。彼女と彼女の知的好奇心へ訴求しそうな話を。
「あ、そうそう! 聞いてよ桜里子!」
すると憑き物が落ちたみたいに綺麗さっぱり前の話題を忘れちゃう。
美少女の脳はワーキングメモリが少ないんでしょうか?