私たちのフィールド・オブ・ドリームス - 5
自由の女神は化粧が下手。厚く塗りたくったファンデーション――パリパリとヒビ割れてニューヨーク湾へ削げ落ちる。
「えっ?」
厚化粧の下から現れたのは日本人の肌でも白人の肌でもない、銀。コンクリの乳白とも違う、メタルグレー。
鉄? 鉄の巨人?
顔のみならず全身が「脱皮」していく女神のサーフェスは、銀一色ではなかった。
むしろ体は赤ベース、爪の先までボディペイントしたみたいな朱で染め抜かれていて……そのボディスーツにはメタリックな銀のモールドが施され、緑青の面影は消え失せてた。
胸に埋め込まれた青とも緑とも言えない宝石色の球体、それ以外は総じて色味に乏しい。
その「朱と銀の巨人」は松明も銘板も湾へ放り捨て、台座からジャンプ!
1886年以来、立ち続けてきた馴染みの席を放棄し――――猛然と襲い掛かってきた!
さながら獲物目掛けて急降下する猛禽の勢い!
いや! もうこれは生物に喩えられるべきものじゃない!
女神が伸ばしてくる右手は隕石の質量感! 遠きカイパーベルトから飛来したメテオアタック!
ブワァッ!
ヘリの真横を掠めていく巨人の右手!
すんでの所で直撃を避けても、尋常ならざる風圧がヘリを狂わせる!
「きゃあああ!」
二度三度と暴風が掠めれば、操縦士もお手上げ、
「エマージェンシーエスケー…………ウワァァァァァァァァ!」
パラシュートを背負え! とジェスチャーしてきたパイロットは、次の瞬間姿を消していた。
掠めた巨人の掌で、操縦席ごともっていかれてしまったのだ。
ダメだ、もうパラシュートとか探している暇もない!
即座の脱出を!
幸い、眼下に広がるはニューヨーク湾。最深部なら空母でも入港できる湾のはず!
着水後のマージンも充分のはず、だが……
ゴクリ。
――いくら海上とて、この高さは。
もしも腹から行ったら内臓破裂は免れない。コンクリートとなんら変わらぬ結果が待っている。
海面への進入角度を間違えたら即死決定。赤潮よりも鮮烈な赤で海面を彩ることになる。
かといって!
操縦席を失ったヘリなど!
ローター音も聞こえなくなってしまったヘリなど!
墜落は火を見るより明らか。既に機体は鉄の棺桶と成り果てている!
どんだけ分が悪くとも、僅かな可能性に賭けるしかない!
と分かっている。理性では理解しているのに――目も眩む高さが、果てしない水面までの距離が足を竦ませる。
自殺行為なんてもんじゃない!
自殺そのもの! 命を投げ出す人の視界じゃないか!
私は死にたくない! この若さで死ぬことなど一度も考えたこともないのに!
――グワシャァァァァーッッ!
「きゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
不時着よりも随分と速い衝撃のタイミング!
しかも巨大な圧力は下から、ではなく上下左右、機体全体を押し潰さんばかりに掛かってくる!
つまりはどういうことだ?
そういうことだ。
削げ落ちたコクピットを塞ぐ「赤の壁」。見慣れたモールドは、掌の相。
「!!!!」
巨人に掴まれてるんだ!
文字通り、私の生殺与奪は巨人の【掌中】にある。拉げた窓の外には赤い丸太が、丸太にしか見えない赤い指がヘリを拘束している。曲がってはいけない方向へ折れ曲がったメインローターブレードごと掌握されて。
これは棺桶ではない。むしろ監獄、空飛ぶアルカトラス。
そしてその難攻不落を監視するのは、銀の肌。鋼鉄色のサーフェスを輝かす有機体。
生命体のラインが浮き出る巨人が看守として私を拘束する!
「キャアアアアアアァッ!」
決して逃すまいとの束縛の念が勝れば、機体の破断音が絶望のオーケストラを奏で出す!
遂にヘリは乗員を拘束する鉄の編み細工と成り果てた!
殺される!
無邪気な子供が虫を嬲る、あんなにも素っ気ない死が訪れる!
スケールが異なれば次元の概念が異なると理論物理学者は言うが、スケールは倫理観や生命観も異なるものにするのだ。踏み潰した蟻に対して罪悪感を抱く人など存在しない。
そんな真理を自らの死を以て知ることになるなど! 虫の立場で知るなんて!
なんだ? なんだなんなんだ? そんな人生選択した覚えなどないぞ!
「それは私の台詞です!」
壁越しに声が、外から私を詰る声がする。
「あなたの嘘が他人の人生を狂わせた!」
「知らないわ!」
人は常に何割かの嘘を混ぜて喋ってる、完全無垢な正直者など存在しないのに。
「騙される方が悪いんでしょ!」
騙し騙され生きている、誰もが嘘の当事者であるなら良心の呵責を感じる必要などない。
それが人の世の常だもの! これが【世界の大原則】よ!
「泥沼へ進路を採る他者を正そうともせず、背中を押す! ――いけしゃあしゃあと嘘をつく!」
ギリギリ軋む骨格! スチールやカーボンの破砕音が狂おしく連弾する!
「それは罪です! 紛うことなき悪の所業です!」
やめて! それ以上ぺしゃんこなら私は機械のサンドイッチ!
「福永先生、あなたは教師になってはいけない人! そしてテレビに出てもいけない人です!」
行き場を失ったオイルが吹き出し、電気系統はバチバチ火花を散らす!
「自分ファーストのために他人を陥れても構わない人!」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「そんな人は許しません!」
メイメリメリメリメリメリメリメリメリ……バリィィィィィン!
拉げたドアが無理矢理剥がされれば――巨人の顔! 黄金の瞳が私を睨んでくる!
だめだ殺される! どう足掻いてもこのままじゃ嬲り殺しにされる!
――――今しかない!
万に一つのチャンスがあるとしたら今を置いて他には!
巨人の手で開かれた監獄の扉、私の目の前で口を開けている!
「南無三!」
数秒後の私は意識を保っていられてる?
意識もないままの飛び込みなど、土左衛門エンドへの直行便じゃないか?
いや、むしろ意識などない方がいいのかも? なまじ意識があったばかりに生きてるのが嫌になるほどの激痛に苛まれたり?
考えるのは止そう。
考えるだけ無駄。だって私は宙を舞う――自由落下の虜なのだから。
「えっ?」
突然光が――強烈な発光に身を包まれる。
まさか大気圏突入の断熱圧縮でもあるまいし、この程度のスカイダイブで発生してしまったら、遊園地のアトラクションなど危なくてやってらんない。
じゃあなに? なんなのこの光?
まるでSFのワープホール、時空を超越するショートカット……流れ行く摩天楼は消え失せ、亜空間トンネルにでも迷い込んだかの如き、不可思議な「トンネル」を滑り落ちていく!
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
眩さを増すトンネルは――――やがて超新星爆発!
爆発の拍子に瞑ってしまった瞼をユックリと開けば……
「え?」
倒錯する。目の前に現れた光景と足裏の感触に現実感を喪失する。
「これは?」
撮影スタジオに設置したジオラマ、現実をギュッと凝縮したミニチュアの眺め。
……に思える。
私という観測者にはそう見える。ミニスケールで組まれた現実の模式版。その只中に私は立つ。
なんだこの景色は?
私はニューヨーク湾上数十メートルの上空から海面へ向かって真っ逆さま……だったはず。
何をどう端折ればこんな状況に繋がるというのか?
繋がらないのならば、どちらかが嘘だ。
可能性としたら、これが夢なのではないか?
数十メートルの紐なしバンジーという恐怖を紛らわせるために、脳が見せたお節介映像。
いや?
――――そうは思えない。
だって全然夢っぽくない。
足裏に触れてくる泥の感触も、足首を濡らす水の感触も、頬をそよぐ風も照りつける太陽も、瑞々しいライブ感で私の感覚器を刺激してくる。
これが現実ではないのか?
今までが白昼夢か幻覚、この世界こそが正しい現実なのでは?
とはいえ……
なんだろうこの微妙な違和感は?
どれだけ細密な3DCGであっても「違う」と脳は現実としての認識を拒否する。それは作り物であって「現実」ではないからだ。
そういう認識の「False」が残存する、この世界には。
「…………そうか」
セットのディティールが精緻すぎるからだ。ジオラマに点在する人や車は、それぞれ意思を持っているかの如く振る舞い、コンピューターシミュレーションには出せないカオスを感じさせる。
更には、果ての掴めないこと。どこまでがミニチュアでどこからが書割背景か、境界線が分からないのだ。どんだけ広いオープンワールドなのかと?
「いや待って?」
私は根本的な勘違いをしてないか?
だってスタジオセットならばカメラがあって、照明があって、見守るスタッフがいる。
いるはずなのに――どこにも存在していないではないか?
三百六十度を見渡しても「写してはいけない角度」がない。
なんだ? なんだ? どういうことだ?
「…………!」
認識の齟齬はどこから生まれているのか?
何を正せば辻褄が合う?
「あ」
見覚えがある。よく見たらこの景色、記憶に新しい!
この角度はヘリからのカット、湾の上空からマンハッタンを眺める絵面だ!
「…………まさか!」
湾のニュージャージー側に立つ! あの像の島は?
「ない!」
台座ばかりが寂しく残る!
雄々しく移民を迎えたスタチューオブリバティが消えているではないか!
「つまり、つまりこれは……」
私はシーンチェンジなど【 し て い な い 】。
さっきと同じ場所にいるのだ。
ビッグアップルを望むノースリバーの河口から「一歩たりとも動いていない」!
違うのはスケール。
無謀な海面ダイブの惨事を回避できたのは私が、私自身が足を着けたから。
地上数十メートルの視点からでも足を大地に着けるスケールを手に入れたからだ。
「は????」
信じられない。だけどそれでしか整合性を導けない。
「……………………嘘でしょ?」
あの自由の女神女と同じ大きさ(スケール)になってしまった? どういう理屈でよ?
「――――正々堂々と戦うためです!」




