あなたは英雄で最強の師匠なんだから病んでないでお仕事しましょうよ!
『ポールさんの弟子にしてください!』
『……やだよ』
『私っ、ロディティって言います!竜殺しの竜人・ポールさんのお噂、聞いてます!尊敬してます!冒険者になったばかりの新人で、元気が取り柄です!なんでもします!宜しくお願いします!』
『やだって……』
『弟子にしてくれるまでここを動きません!』
絶対退きません、打たれ強いのも取り柄です!
ロディティはどかっと酒場の(汚い)床に座り込む。
宿の一階が酒場で、二階から上に冒険者の部屋がある。一仕事終えて宿に戻ったポールは少し遅い晩餐を1人、酒と飲み込んでいる時にロディティは勢いよくドアを開け、ポールのところへまっすぐ飛んで来た。
ドアが壊れるでしょうが。
『ピポが育って一段落したとこだったんだかな』
『なんでもします!』
『あ、そ。えぇっと……諦めなさそうだね、お前。
うーん……じゃあ、テストする、かな』
『なんでもします!』
『合格なら弟子にしてやるよ』
『なんでもします!』
こいつ、無邪気に鬱陶しいな。
『落ちたら素質なし、だ。諦めろ』
『はいッ!!!!』
『明日、朝イチの依頼で好きなのを選べ。一緒に行ってやる』
『はいッ!!!!』
『もうちょい、声のボリューム落とせ』
『はい』
出来んのかよ。
もう寝る。と、ポールは晩餐もそこそこに部屋へ戻ろうと階段を上がる。またあしたぁああ!迎えにきますからああぁあ!と聞こえる気がした。
無視しよう。早く帰れ。うるさい。
*****
ポールという男は。
ポールは『破れ絹の贅沢亭』というケチな宿を根城にひっそりと生きる冒険者だ。三年前から冒険者として仰々しい大きな依頼を受けるのは止めた。今は近隣で簡単な依頼ばかりを冒険者になりたての連中とつるんで受けている。
ポールにも大きな依頼を受けたことはある。最後の依頼。
英雄の代名詞【竜殺し】
ポールは仲間三人と引き換えにその名誉を得た。
竜との激闘にパーティーはリーダーとポール以外一人ずつ欠けていき、先に待ってると死亡した。リーダーだった魔法戦士が竜と相討ちで倒れるのを、虫の息だったポールは動けぬまま霞む眼で見ていた。
(笑えない)
(お前は依頼が終わったらパーッと酒を飲む約束をしたのに)
(もう動かない)
(お前は故郷に顔を見せて、また帰るよって話してきたって言ってたのに)
(もう動かない)
(お前は瞼が溶けるくらい寝るんだって笑ってたのに)
(もう動かない)
(お前は)(お前達は)
(こんなところで死んで良いやつじゃないのに)
(そうか、もう、動かないのか)
リーダーの愛斧で裂かれた傷から吹き出た竜の血潮が回復薬となって降りかかり、身体を作り替えたお陰で傷が癒え、ポールだけ生き延びた。置いていかれたのだ。
名誉ある【竜殺し】を成し遂げ、貴族お抱えになることも夢ではなかったにも関わらず、ポールはその後冒険者として依頼を一切受けることなく、指導者に転身した。早すぎる引退ではあったが、引き留めれる人間はこの世にもういない。
指導者に転身するまで半年。ポールには地獄の日々だった。その間のポールは見ていられない落ち込みだった。
最初はそんなポールを宿の亭主も冒険者達も励まし、慰めた。だが、皆の内心はこうだ。
『冒険者のリスクはわかってたろう。
わかってて竜討伐なんて依頼を受けたんだろう。
なら。
自業自得だろう』
『ああ、そうさ。そうだな。
わかってる。
わかってるよ。
ただ今は1人にしてくれ。
何も言わないでくれ』
透ける心がまたポールの傷を深くする。邪険にするポールを誰が責められただろうか。そうして酒場のカウンターで思い出に浸るポールに誰も話しかけなくなった。
(俺も死ねばよかったのに)
(みっともなく生き残って。なのに、俺は後を追う勇気もない。夢にみるよ、あいつらを。もういないのに、笑ってあいつらがいた時を。それからあいつらが血だらけで俺にすがる。どうして一緒に来てくれない、どうしてお前だけ、って恨めしそうに。俺はクズだ。裏切り者だ。止めてくれ、許してくれ。)
悪夢も見ずに眠るため、ポールは酒に頼った。こんな毎日、嫌だった。でも、夢でも会いたいかつて命を預けあった仲間が、夢で何度も苦しむのを見たくなかった。
何より、彼等はきっとそんなこと言って罵ったりしない。罪悪感で彼等に夢で罵らせて、自分が少しでも楽になる。そんな自分が、ポールは死にたくなるほど嫌だった。
『今日からお世話になります!お願いします!』
……煩い。
新しく宿に新人の冒険者が入居してきても、ポールの手がわずかに止まるだけだった。その煩い声は毎日、元気に挨拶していた。声がうるさいから少しだけ酒を飲む手が止まる。
一カ月ほど経った頃だろうか(よく覚えてない)挨拶が聞こえない。遠くの依頼を受けたんだろうか。だとしたら、成長の証だ。
ポールは気まぐれを起こした。
誰かが頑張って結果を出した。彼は頑張ってる。魂の腐った自身に爽やかな話を聞かせてくれ。そんな話を聞きたかった。
『なぁマスター、あの新人 どう?』
『死んだよ』
『……は?』
『焦って、ゴブリンに返り討ちだ』
駆け出しの冒険者が功を焦って死ぬのはよくある話。吟遊詩人も歌わない。
冒険者ならリスクはわかってたろうって耳にタコの常套句だ、しょうがねぇよ。誰か一緒に行って教えてやる冒険者でも、他人ばっかりの宿とはいえ頼っても良い冒険者がいれば違うんだろうけどな。ルールに縛られたくないやつや、はみ出しもんが冒険者になるんだ。誰が他人の命を好き好んで背負う?さーて、部屋を片してさっさと新しいの見つけて来んとな。古道具屋に買い取りに来てもらうかな。
聞き手が出来て饒舌になった亭主が、夕食用の魚を焼きながらぼやく。機嫌がすこぶる良い。新入りが死んで入った小遣いで、メインが少しだけ豪華になった。
冒険者は荒くれ者の集まりだ。天涯孤独や出身すらわからないなんてザラだ。腕っぷししか頼るものがない奴ばかり。そういう虫けらと同等の冒険者が死亡した場合、引き取り手のない荷物や家財は宿が好きにして良いと入居の際に契約書を書かされる。竜殺しが愛用していた武具や装備は大層、高く売れただろう。ポールは死んだ仲間の形見すら、バレないように隠して持たなければならなかった。絹のハンカチ、これは神官だった彼女から。影の加護がある首飾り、これは黒賢者だった彼から。心臓に宿る命、これはリーダーのあいつから。
ポールは胸に手を当てる。リーダーのあいつから貰った命が宿る心臓がどくんと跳ねた。
そうだ、俺が。
俺、なら。
救えたんじゃないのか。
ポールは込み上げた言葉を酒と飲み込む。
かもしれない、仮定の話だ。
(ひよっこと心中だったかもしれない)
もう三人背負ってる。
失敗して一人、増えても。
(最低だ、冒険者は物じゃない)
俺となら。
(自惚れだ)
心が二つに割ける。
死ぬ冒険者なんてそこまでのやつだ。なんとしても生き残ろうとするやつが生き残るんだ。
(俺の仲間が死にたがってたっていうのか)
違う。
ポールは迷った。
迷ってるうちにあと二人の名も知らない新人を見送った。
ポールは数えて四人目の新人が依頼を受けている場に居合わせた。
なあ、リーダー。もういいよな。もう嫌になったんだ。あいつも放っておくと遅かれ早かれ死んでしまう。俺は『新しいの探さなきゃな』って片付けられる部屋をもう見たくない。アンタが、アンタ達がいなくなった時間を何回も思い出す。
もういやなんだ。もう置いてきぼりはいやなんだよ。
『おい、新人。
俺も一緒に受けてやる。報酬は成功額の二割よこせ』
酒臭い、しかも依頼を受けた様子を見たことない冒険者に絡まれたと思った新人も【竜殺し】を名乗るとすぐに頷いた。半信半疑、といった表情にポールは嗤った。笑って閉じられた右手を差し出す。開くと、新人の装備であったろう杖がにゅにゅと飛び出してきた。前のパーティで担当していたポールの役割は盗賊の上位職である『詐欺師』だった。交渉や罠の解除に解錠、特に窃盗は得意だった。手際に杖を大事に抱き締めて、非礼を詫びながら頭を深く下げた。
上げても凝視する新人に名を訊ねると、おずおずと口を開いた。会話は得意ではないらしい。
『僕、ルーチェ……です。あの、……ポールさん?どうして……、その』
『急に働く気になったか聞きたい?』
『いえっ!!あの、なんで……僕、なのかな……って』
竜殺しに見込まれる程、魔法使いとしてのセンスや才能が自身にあるわけでは断じてない、とルーチェはわかっていた。実際、その通りだった。それに他にもそのうち多くはないが少なくはない新人がやってくる。
なんでルーチェに声をかけたか。
なんで(こいつは死ぬ)って思ったか。
『決まってんだろ』
『え?』
『俺は人を見る目があるんだ』
ルーチェは頭は悪そうで優柔不断っぽい。魔法使いよりさっさと別の役割にチェンジした方がいい。たぶん要領は悪くて、さらに言えば、へらへらした面構えだ。
でも。
『たぶん、お前は良いやつだからな』
俺の仲間も(仲間になったかもしれないあいつらも)
良いやつだったんだよ。
それからポールは指導者としての才能を発揮する。
ポールはまずルーチェに【生きて帰ること】を叩き込んだ。洞窟や森の歩き方、モンスターの習性、固定のパーティーを組むことは二の次。
敵わないと思ったら逃げろ。ヤバイと思ったら逃げろ。退路は絶対どんなときも確保しろ。とにかく、逃げるときは逃げろ。逃げることは恥ずかしくない。
いくら英雄になっても、国中に名を轟かせても、墓の中まで持って行けない。帰る場所がここに、この宿にある。生きてたら、どんな悔しくて辛くてもそれ吹き飛ばす(俺がお前に会えたみたいな)一瞬があるから。
ルーチェはポールと簡単な依頼を広く浅く経験していく。
慣れてきたらその簡単な依頼を、ポール抜きでパーティーを組み、不得手をフォローしあいながらこなす。ゆっくりと徐々に依頼の難易度を上げていく。勿論、相談にポールはいつでものった。
そうしてルーチェは駆け出しに、駆け出しからそこそこ名が売れる冒険者になっていく。その頃には役割を適正に合わせてチェンジしたルーチェはほったらかしで好きにレベルを上げさせ、別の新人でパーティーを組んで狼退治依頼を受けることが増えた。
経験はバカでも賢くする教科書だ。生きてさえいれば自身で冒険者を辞める選択をするまで色んなことを経験出来る。
ポールはルーチェが一人前になって巣立っても、他の新人冒険者を教え続け、今では教え子の中には別の宿に移って、英雄として名を馳せている連中もいる。
宿の亭主は臨時収入が減っているせいか、良い顔をしなくなった。割の悪い依頼を回し始めた噂を聞いて、こっちの宿を移らないかと声をかけてくれる教え子もいた。けれどもポールはいない仲間と過ごした思い入れがあるからと断る。
それに少しずつではあるが優しく逞しく育った教え子が誇らしくないわけはない。立派になればなるほど別れを思って寂しくなる癖に、自分から宿を移して疎遠になってしまいそうで嫌だったと言うのもある。
酒場で古い付き合いの冒険者にほろ酔いでこぼしたことがある。
俺はいつまで出来るかな。
眼を丸くしてそいつは『お前は良くやってるよ、やりすぎてるくらいだ』なんて言う。
意味がわからない。
俺の背負った命の分、俺はあいつら教え子を育てなきゃいけないのに。ここがゴールみたいな言い方は止めてくれ。ポールが懇願の声を上げると、そいつは『もういいんじゃないか』なんてまた馬鹿げたことを言う。
何だそれ。
ポールは新人を新しく受け持つ時にテストなんて名目で一緒に依頼を受ける。次第点だなんだとあれこれ理由をつけて、何回か依頼を達成するのだ。時間はかかるが、実践しながら教えた方が記憶に残りやすいし、わかりやすいのだ。逃げるときの判断材料も伝えやすい。ひよこ達を守って受けた傷跡は治癒魔法で消さずに残した。
傷は漢の勲章だ。
そいつは勲章の多いポールの肩をぐっと掴んだ。何かを言いかけたが、宿の亭主が帰って来た鐘の音を聞いて、口を閉じる。続きは結局、発さずにグラスの中身を一気に煽ると『寝るわ、すまん』と部屋に戻っていった。
ポールは新人を育ててライバルを増やすなとそいつは言いかけたんだろうと解釈した。
こうしてポールは道を選んだ。悪夢はまだたまに見る。
*******
ロディティは最初にいなくなったやつに似てる。どこがと聞かれれば……。
『ポール先輩、おっはよーぅございます!!!』
主にでっかい挨拶だ。
『朝からしんどい』
『依頼を選んでおきましたよっ』
『年相応の落ち着きを』
『魔法アイテムの配達にしてみました☆』
『スルースキルがパねえ』
『ポール先輩、低血圧ですね!』
さっ、依頼受託の話はもう宿の亭主には通してますから!と待ちきれないロディティはバンバン机を叩く。他の冒険者は依頼を選別しながら、一瞥して、苦笑している。
ロディティをバカにしているわけではない。懐かしいのだ。昔の自分を見るようで。
『久しぶりにこれなんか良くないか?!』
『狼退治か』
『懐かしいな』
『それなら、この探し物を手伝って欲しいとかも』
『あー、あったなぁ。昔……』
『何スか?』
『コイツ、迷い猫探してさぁ』
昔話を始めた向こうの冒険者の目が輝き始める。
ロディティは今日という日に期待して、目をキラキラさせている。ポールはこの伝染する輝きが好きだ。
ポールは微笑んで、依頼の必要事項が書かれた書類を受けとると目を通す。こんな割の良い依頼、良く取れたな。ポールがロディティを褒めると、えへへと満足げに鼻の下を指で擦った。行き先はそう遠くない。
『ん。行きますか』
『はい!!!
おやじさん、行ってきまーす!』
良い天気だ。暑すぎず、寒すぎない。からりと乾いて、風がそよそよと吹いている。先を進むロディティの背を見て、ポールは絹のハンカチを蝶々にして飛ばした。ひらひら。風にのって高く舞い、日を浴びて煌めく。
いつか終わりを迎える日にはこんな日が良い。
ロディティを庇って死ぬんだったら、なお良い。
(死なない為に同行するのだが)
ポールはそんな妄想に口角を上げ、ロディティの後を追ったのだった。
******
魔法アイテムの配達。
魔法アイテムは万が一の場合、衝撃などで予測していない反応が起こり、処理できない火災や爆発に繋がる可能性が高い為、死んでも差し支えない冒険者へ依頼されることが多い。とはいえ、地点Aから地点Bまで運ぶだけ。遠方なら神経と労力を使うが、今回受けたものは眼と鼻の先だ。これなら、テストに相応しい難易度。チュートリアルだ。
本来ならば。
『ロディ、ティ……?』
届け先の屋敷でポールは襲撃され、捕縛された。
いざ箱に詰められた魔法アイテム(素人目にはただの硝子玉)の渡そうとしたロディティが、受取人である屋敷の主人に暗器で切りつけられるのを直前で転びながらかわす。もう片方の手に握られたナイフで追撃に襲われるロディティを庇ってポールは、主人の攻撃を自分の武器で受けた。咄嗟のことでポールの意識がロディティから、敵と認定された受取人に向く。
と、そこで。
なぜ?
ロディティがモンスターの捕獲にも使われるロープを召喚した。両手足を絡めとられたのは、何故かポールだった。バランスを崩し、無様にうつ向きのまま倒れると同時に、隠れていた屈強な男がもう一人新たに現れる。主人とともにポールを上から取り押さえ、身動きがとれなくなる。
計画的な犯行。慣れた手つき。ニコニコと笑うロディティが窓から差す日光を受けて目映い。ポールがため息をつく。床が白く濁った。
『……説明してくれないか、ロディティ』
『えぇええ?わっかんないですかぁ?』
『嘘を、ついたのか』
『そうですよーっ!ごめんなサイッ☆
どうしてもココに来てほしかったんですっ!』
あなたを殺すために。
粗方、推察するにポールだけを狙って作用するように重力負荷の魔方陣か結界も張ってあるのだろう。ポールはいつもより身体が重く感じた。
届けたブツは本当にただの硝子玉だったらしい。ロディティが床に箱ごと叩きつけ、ぎゃりんっと音を立てた。
『依頼人もグルか』
『そうですよっ、グルでした☆私のお友達でっす』
『そう……、か』
初心者は配達だ探し物だっていう依頼が初心者向けであるにも関わらず、害獣だのモンスターだのの退治系の依頼を受けたがる。戦闘で結果を出すそれらの依頼の方が前者に比べ、いかにも冒険者っぽいからだ。
だというのに、ロディティは配達依頼を選んで来た。
『頭は悪いが慎重派なんだな』と違和感を感じながらも、勘の良い新人が入ってきたと喜ばしかったのに。
なるほど。狙いがポールなら頷ける。
ポールより早く依頼を見たはずなのに、ロディティは狼退治ではなく配達依頼をとってきた。話してた冒険者達に取られなかった所を見るとロディティが依頼を行い、宿の検印を押してもらった後に依頼書は張り出さず、ロディティが持っていたんだろう。
ポールを嵌めるため。
楽しげに、英雄殿も平和ボケが否めませんね!ロディティは砕けた硝子の破片を床に巻くと、破片を一つ一つ、倒れたポールの背中に乗せていく。
『これを今から新種の針ネズミが生まれまーす!』
『なんでこんなことするか聞いて良いか』
『はぁい?人にお願いするときはぁ?』
『………………おねがいします』
『よくできましたぁ☆お答えしましょおう!』
ズタズタになる前にねええええ、とロディティはポールの眼前にしゃがむとキラキラした相貌で見つめた。ホントは気付いてるんでしょおおおおお?
『アナタ、邪魔っ!!!なんですって』
『……』
『偽善者して新人を教えるの楽しかったでしょうねえ。え?そうデショ?』
『……』
『亭主から言われましたよねえ?何回も。ほっとけって。邪魔だって』
『……つまり』
『宿の部屋はある程度、回転率がないとネ!臨時収入も入らなくなって、強くなると別の宿に移られたんじゃあねえ。竜殺しの遺産もそろそろ食い潰したみたいですヨ☆』
頭をガツンっと殴られたようなショックで、全身から力が抜ける。床がよく見える。床しか見たくない。
あの宿に、もう居場所がないのか。
そうか。俺はもう全部、なくしてたのか。
生計を立てれるようになった教え子達が皆、宿を移って行ったのは部屋を空けて新人が入るようにしてたのか?俺が新人を教えることを生き甲斐にしてしまったから?進んで宿から出たのか?追い出されたのか?
そうだ、あいつは?飲んだとき、ホントは。何て言いたかったんだ?
『あれあれー?ポール先輩ぃ?』
『好きにしろ』
『……アンタって、ほんっと つッまんないですねえ』
いいよ。もう、いい。
俺はいつまでどうしようもないんだろう。
いつになったらどうしようもなくなるんだろう。
いいよ。もう、いいよ。
ロディティはつんつんと指で旋毛をつついてくる。意気消沈した獲物を嬲る指だ。
好きにしろ。俺も、好きに“生きる”。
『もっと抵抗してくれないとぉ つッまんないですよ☆せんぱぁ』
――ゴッ――
抵抗?してあげるよ。
竜の尾でロディティがぶん殴られ、台詞途中で横に吹っ飛ばされる。ふぉんふぉんと風を斬る音が響いた。
『なっ……?なっ……!?』
あり得ない展開。殴られた頬を抑えて、衝撃で起き上がれないロディティがワナワナと震えている。現実を受け入れられない人間の目を無防備したまま、狩人の前に立ってしまったのだと本能が告げる。
『ばっ、ばっ、バケモノ!』
『ロディティ、竜の血を浴びたことあるか』
『は?そんっ、な、あるワケ……』
『なら、知らないよな……』
わかんないよな。
知らないならわかるわけないよな。
俺は何を必死に守ってたんだろうね。
あの宿に居たかった。
仲間と過ごした宿に。
あの頃のままで。
戻れる気がしたのに。
でも、もういい。俺を捨てるならいらない。
――ビュウッ――
突風を連れて、ポールの背中から竜の翼が現れる。予期せぬものが予期せぬ場所から登場し、押さえつけていた男達ら瞬きの刹那、左右に別れ、呻きながら壁にのめり込んだ。
ポールの背中には翼が生え、三ツ又の尾がうねうねと蠢いている。両手足を縛られたまま、ポールは宙に浮く。パラパラと落ちる硝子片が瞬く。
『俺は何にすがってたんだろう。ね、ロディティ』
『ひっ!!こ、こっち来るな!』
『もう隠すのは止めだ』
『ははっ、はっ、ば、バケモノバケモノバケモノバケモノバケモノっ!!』
『姿だけでも人間でいてあの頃に戻った気になってたのかなあ』
――パン――
怯えて詠唱すら忘れたまま、懐から魔法でコーティングされた銃を取りだすロディティ。迷い無く引き金をポールに引く。
が。
ポールの眉間を目掛けた銀の玉はカランと落ちる。突如、シールドが出現して、いとも簡単に銃を無効化したのだ。
シールドはポールの技ではない。
ぶるっとポールの影が震える。それを合図にずるずるとシールドを作ったであろう、黒いフードを深く被った男が這い出てきた。ポールはそいつへ見向きもせずに、どこか遠くを見ながら口を開いた。
『ルーチェ、鱗で銃くらい平気だよ』
『知ってますけど……センセーが……撃たれるの、やだ……気持ち悪いし、衝撃で……ちょっとは痛いから……つい』
『あ、そ。違和感を信じて良かった。バレずに合流できたし』
『ハンカチの伝言で……急だったから……こっちは、慌てましたよ』
ポールの影から完全にルーチェが出てくると、影の刃でポールの自由を奪っているロープを取り去る。その間にロディティが代わりに影に沈んでいく。なんだこれっと男達もじたばたとあがきながら己の影に取り込まれていった。
『あのルーチェがこんな便利な影法師になるとはねぇ』
『センセー、……子ども扱いは、止めて下さい……。
ちゃんと手伝ったんです、から……僕と同じ宿を移る……約束。……絶対……忘れないで下さい……』
『……、うん』
こう、なっちゃうのか。
『センセー……、あの宿を……恨んでますか』
『恨みたいよ』
『そう……、ですか』
『ルーチェ。帰ろう』
一度羽を伸ばすと人の形に戻るポール。気が抜けたのか、お腹すいてきたなぁとアクビをする。
仲間を殺した竜の血で得た力。仲間と過ごした宿から殺されかけた自分。
どうしてこんなに上手くいかない。
『悔しいから生きて帰ってやる』
『センセー……』
『そう言えるってことは、あの日の後悔は風化してしまったってことかな(俺は冷たいね)』
『……』
『いつかこの“生きる”って決めた気持ちも風化して薄れてしまうのかな』
『センセー……、僕と。……同じ、パーティーで……あっちこっち、……行きましょうっ』
『は?』
ルーチェは握りこぶしで訴える。知ってますか、南には花の滝があるんです、それから東にはすごく当たる呪い師がいて、西で未開の地図を開拓するのも良いし、北は美味しい象がいるんです。
今の気持ちがどうなるかなんて、そんなのそのうちわかる。
(時間が経たなきゃわからない)
だからそれなら、自分と楽しんで待ってて欲しい。
生きてここまで来れたのは、まず自身の努力だとルーチェは思っている。次にポールという師を得たこと。英雄のくせにうじうじぐずぐず悩みがちな師匠だけど、ルーチェは敬愛している。誰がなんと言おうと。受けた恩は返す。
『僕、は……ずっと!センセーと!いますから!』
『そんな殺し文句ドコで覚えてくんの』
過去に救った君が、知ってか知らずか今日の私を生かす。