私が母親になる日
私の両親はろくでなしだった。
愛があるのかないのか、家計をうまく回せないくせにヤりまくって子供を作りたい放題作って、我が家は底なしの貧乏だった。それでも子供を作って、結局育てられないからと中絶して、中絶するにもお金が無いときは病院の支払いを踏み倒して、それを繰り返して。
そんな両親だったから当然我が家は周辺の病院ではブラックリスト入り。
ある日弟の咳が止まらなくて、あまりにも辛そうで可哀想に思い付き添って病院に行った。保険証を見せると受付の人は何かを話し合い、
「治療前に支払いの確認をしてもいいですか」
と言った。その時初診料さえ払うお金を持っていなかったので、弟を連れて仕方なく帰った。
「病院? 支払いは自分たちで何とかしなさい」
お金が足りなかったと両親に言えば、咳き込む弟を含め私たち子供全員にはっきり言った。
その意味は『支払いを踏み倒せないなら病院に行くな』。
そんなことができるはずもない私たちは、けがや病気は自力で治すことが常となった。
私はあんな両親みたいにはなりたくないと、バイトをしながら高校を卒業して、早々に家を出て就職した。家を出たあとは、一切両親に連絡をとらないようにした。弟や妹たちには申し訳ないけれど、そうでなければ私の収入は全て両親に毟り取られると知っていたから。当時の私は私を守ることで精一杯だった。
市外の小さな会社の事務員として就職して3年目の春。両親と完全に縁が切れたと喜んでいた私が、クソ両親と同じ道を歩んでいることを思い知らされたその日。
「妊娠?」
「気が付きませんでしたか。そうですね、今日は貧血で来たんでしたね。まあ、あなたは月経が不順だったようですし、見た目にはわからないお腹ではね。見てください。頭がここにあって―――」
先生がモニター画像を指差しながら説明してくれているけれど、頭に入らない。理解したのは私が妊娠していること。妊娠4ヶ月で中絶はできない時期だということ。
「―――で、貧血のお薬を貰ってください。それからこちらに書かれている指定の窓口で母子手帳を貰ってくださいね。定期健診はこちらで?」
「いいえ、実家の、近くの、病院で……」
私は靄がかかったような頭で適当に看護師さんへ返答する。
母子手帳? そんなのいらない。
定期健診? 受けるわけがない。
この子の父親は会社の上司である課長さんだ。既婚者だ。
彼は奥さんといつか別れるから言い、私もその日を待っているからと言い合っていた、秘密で身勝手な関係。この妊娠を誰にも言うことはできない。
私自身が妊娠に今日まで気付かなかった位なのだ。幸い体重の増えがなくてお腹は目立っていないし、誰も妊娠のことを知らない。中絶できないのなら、このまま何もせず過ごすことにしよう。きっと、なんとかなるだろう。
私は現実から目を逸らすことにした。
「なんで放っていたんですかっ!」
お腹を抱えた私は、助産師さんに叱られていた。
外出先でお腹の痛みが急に来て蹲っていたら、通りがかった人が呼んでくれた救急車。運ばれた病院でのお小言だ。
「もう破水してますよ。かかりつけは? 母子手帳は? 定期健診は?」
質問全てに顔を振って答える。
呆れた様子の助産師さんだったけれど、出産に際しては機敏に行動してくれた。
そうこうして生まれた赤ちゃん。
痛い思いをして、必死にいきんで生んだ赤ちゃん。
なのに、触ることができない。目の前で真っ赤になって泣いているのに、この子に触れていいのかがわからない。
私はずっと逸らしていた《現実》を突きつけられた。
「会社を、休みたいんです」
連絡したのは私の不倫相手。普段は連絡するなと言われているけれど、朝一番会社への連絡なので、この電話を不審に思う同僚はいないはず。
小声で今いる場所と子供を産んだことを伝えると、電話向こうで息をのんだことが分かった。
けれど、子供の父親であり上司でもある彼に休む理由を伝えなくては、会社を休むことができない。最低六日は休まなければならないから。
「わかった。六日間だな。不幸があったのでは仕方がない」
彼は大き目の声でそう言って、電話を切った。
母子同室、ということでこの病院の産科は基本個室。出産翌日からは面会時間内は病室で赤ちゃんと過ごすようになった。抱けば手が震えてしまう、触れることさえ躊躇いを持ってしまう赤ちゃんと二人きり。出産したことは誰にも言えないので面会者など来るはずもない。私は寝ている赤ちゃんをじっと見つめて時間を過ごしていた。
彼がやって来たのは出産して三日後だった。そして、彼は一人ではなかった。彼より少し若い年齢の女性の姿が隣にあって……その女性は彼の奥さんだろう。女性と共に病室に入ったけれど、課長さんは赤ちゃんの顔を一瞥してすぐに病室から出て行ってしまった。
残った奥さんは戸惑いなく赤ちゃんを抱いた。赤ちゃんは『うぁ』と嬉しそうに声を上げ手を動かす。
「男の子なのね」
奥さんの呟きに似た問いに、ベッドに座る私は小さく頷いた。
「この子の名前は?」
「……考えていません」
「あなた、この子を育てられるの?」
続いた質問に私は俯いて首を振った。……横に。
私はろくでなしの両親と同じ道を歩んでいる。先を考えず、今だけを見つめていた。その場しのぎで生きている人生。
でも赤ちゃんに必要なのは未来だ。その場しのぎの人生では赤ちゃんの未来を閉ざしてしまう。私では赤ちゃんを不幸にするだけだから育てられない。
「私たち話し合ってね。あなたには申し訳ないけれど別れないことになったの。それで、この子を引き取りたいのだけど」
迷いを感じさせない奥さんの言葉に驚いて、思わず顔を上げた。
「私のこと、この子のこと、憎くないんですか?」
「この子があの人の子供なら、私はこの子を愛せるわ」
子供を何故憎む必要があるのだと逆に問われた。
「その代り、貴女にはこの子の前に顔を出さないでほしいの。私たちの子として大事に育てるから」
真っ直ぐ私を見る奥さん。赤ちゃんは奥さんの腕の中で甲高く笑っている。私の腕の中では決して見せることのない笑顔で。
私には赤ちゃんを愛を持って抱けない。育てられない。それならば。
奥さんの言葉に、私は頭を下げた。
「よろしく、お願いします」
退院の日、私は奥さんに赤ちゃんを託した。私のアパートに連れて帰ろうにも、服もミルクも、何も準備しておらず、まして赤ちゃんを育てる術を知らない。仕事中に預ける先もない。
相反して時間がさほどなかったろうに、奥さんは赤ちゃんのためにいろいろなものを準備してくれていた。退院用の小さな服も、靴下も、帽子も、おくるみも。
「近いうちに弁護士から連絡が行くと思うわ。この子のことは任せて」
そう言った奥さんは私に連絡先が書かれた名刺を渡し、赤ちゃんを抱いてタクシーに乗った。ドアを閉めたタクシーは静かに動き出し、私は小さくなっていく車をぼんやりと眺めていた。
退院してすぐに私は会社を辞めた。出産による体調の変化は、何事もなかったように仕事をするには無理があったのだ。長期休暇を取るにもその理由を説明することができなかったから、仕方のないことだった。退職が決まった日、彼から慰謝料が送られてきた。私はありがたく貰うことにした。仕事を無くし、体調が整わない私にはそのお金は必要なものだとわかっていたからだ。
アパートで休養していると、養子縁組のために弁護士さんからの連絡が来て、その人と何回か条件を話し合いをした。
「書面ができましたので、説明したいと思います。署名もありますので事務所に来て下さい」
ある日、弁護士さんから呼び出された私は、事務所へと向かった。そこには奥さんの姿もあった。
「話に聞いていたよりも元気そうね」
挨拶なく笑顔を見せないまま奥さんがそう言った。私は無言で頷いて、奥さんの対面に座って弁護士さんからの話を聞くことにした。
説明を受けながら、弁護士さんが作成した書類に目を通す。その中にあった
『子供が望むならいつでも会って構わない』
という一文。以前この女性は『この子の前に顔を出さないでほしい』と言った。それなのに、どうして。
「子供が生みの親に会いたいと思うのは当然でしょう」
その文面に目を留め、驚いている私に奥さんはそう言った。
育ての親と生みの親。どちらが大事になるのかはその子が決めることだと。
今どき養子縁組なんて戸籍を見ればすぐに分かってしまうのだからと。
「そうそう。あの子の名前は―――と決めたの。元気よ。体重も増えたわ」
教える必要のないあの子の名前を、情報を奥さんが教えてくれた。もちろん奥さんに笑顔なんてない。
私が会いたいと思っても子供の前に顔は出せない。でも、あの子が望むなら会ってもいいと言ってくれている。あの子の望むことを、この女性はしようとしてくれている。奥さんはあの子を間違いなく大事に育ててくれる。成長していくあの子も奥さんのことを大事に思うはず。
なによりこの女性なら、あの子が私と同じ道を歩まないようにしてくれる。未来ある道を歩んでいけるようにしてくれる。
この養子縁組に、あの子の未来に不安はない。
そう思った私は迷うことなく書面にサインした。
それからしばらくして、弁護士さんが遠く離れた場所の仕事を紹介してくれた。賃金や就労条件がそこそこ良かったので、私はその仕事を引き受けてその土地に移り住んだ。
そして十年。その間も奥さんは定期的にあの子の成長を教えてくれている。居場所は必ず伝える、という文面も入っていた書類だったから、奥さんは連絡してある私の住所宛に写真を一年に一回送ってくれているのだ。
飾ったその写真に囲まれながら思う。
今ならあの子のことを抱けるような気がする。けれど、私から会いに行くことはできない。あくまであの子が私に会いたいときに会うという文書だったから。
だから、遠くから祈る。
あの子が幸せであるように。
笑顔でいられるように。
教えてもらったあの子の名前を呟き、ただそれだけを毎日祈った。
それからさらに十年が過ぎた。相変わらず奥さんは私にあの子の写真を送ってくれている。写真を撮る機会が減ったようで、送られてくる枚数は減ってしまったけれど。
飾っている写真を見てぼんやりとしてしまい、我に返って時計を見ればあと五分でセールが始まる時間だった。一人で細々と暮らしている私は、元々の習慣もあって買い物は近所のスーパーのタイムセールを利用しているのだ。慌てて靴を履き、アパートの玄関に鍵をかける。
「おかあさん?」
知らない声が、私を呼んだ。
私は「お母さん」と呼ばれるような女ではない。
変なことを言うのは一体誰なのだと声のした方向を見れば、私を見つめる若い夫婦が立っていた。小柄な女性の腕には生まれて数か月の赤ちゃんがいた。男性の方は、課長さんの面影のある、成人式の写真で見たあの子と同じ、幸せそうな笑顔―――
「はじめまして、お母さん」
私は、奥さんに聞いていた名前で初めて彼を呼んだ。
私は、ようやく『母親』になれた。
お読みいただき、ありがとうございました。