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巫女姫に捧げる銀の花  作者: 桐島ヒスイ
3章 侍従からの刺客
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「姫。至急お知らせしたいことが」

 アーロンが難しい顔つきで神殿のウルリーケの執務室に現れたのはその日の昼過ぎだった。その後ろにはラウラもいる。

 だが、ウルリーケと目が合うと、アーロンは爽やかに微笑んで一礼した。

「これは、失礼。出直します」

「…アーロン。急ぎの要件なのでしょう?」

「あっ、陛下!なんて楽しそうなことを。私も混ぜてください」

 礼儀正しく扉を閉めようとしたアーロンとは真逆に、室内を一瞥したラウラはがしっと扉を掴むと、アーロンを押しのけるようにして室内に飛び込んで来た。たとえ相手が国王だろうと、自分の欲望を曲げないラウラだった。

 ウルリーケは、ゆったりとしたソファの上に座るラーシュの膝の上に乗せられていた。つまり、ラーシュにお膝抱っこされた状態だ。その上、ラーシュに手ずからチョコレートを食べさせられている。ウルリーケが望んだことではない。ウルリーケを甘やかしたいラーシュが、あまりにも嬉しそうにチョコレートをウルリーケの口に入れてくるので、ついほだされて、されるがままになっていたのだった。

(はっ!むしろこれじゃ、私がラーシュを甘やかしていることに)

 今頃気付くウルリーケだった。

「ラーシュ、もう仕事に戻って。遊びは終わり」

「まだ全然甘やかし足りない…」

 もう一粒、ウルリーケの口元にチョコレートを運ぶラーシュの指に、ウルリーケはチョコごと、ぱくんと噛みつくと、ラーシュの膝から飛び降り、残りのチョコレートを素早く掴んで、ラーシュとラウラ、ついでにレオンの口にそれぞれ放り込んだ。

「これで終わり!ラーシュは退場」

 ビシッと扉を指さすと、ウルリーケに噛まれた指をなんだか幸せそうに見つめていたラーシュが、衝撃を受けた様子で振り向いた。ウルリーケはそんなラーシュをさらりとスルーしてアーロンを見上げると、なぜか一拍の沈黙ののち、にっこりとほほ笑んでアーロンが口を開いた。 

「……。……いえ、陛下にもご報告するつもりでしたので、ご退場いただくには及びません」

「………。…!」

 今の一拍はなんだろう、と考えて、ウルリーケははっと思い当った。

(チョコレートを…アーロンにだけ、あげていない!)

 勝手にアーロンは甘いものが好きではないと思い込んでいたが、仲間外れにされたことを悲しんでいるのかもしれない。しかし手元にチョコはもうない。

(アーロンにはまた今度ね…!今は…ごめんなさい)

 贖罪の気持ちでアーロンの手をぎゅっと握ると、アーロンは驚いたように一瞬目を見開いた。次いで、ふっと優しく微笑む。大丈夫ですよ、というように。

(やっぱりアーロンは大人だ…)

 ウルリーケが密かに感動していると、後ろから抱き上げられた。

「ウルリーケ…!?なんでアーロンの手を握って見つめあっているんだ!?」

 大人気ないラーシュに、ウルリーケは退場を命じた。


 大人しくするからと懇願し、なんとかウルリーケに許してもらい、結局ラーシュも一緒にアーロンの報告を聞くことになった。

その情報は諸国に散らばる白銀の騎士たちから寄せられた。

昨夜、ロヴィニア皇国の上空を大量の黒い蝶が飛んだ。それは真っ直ぐローグヴェーデンに向かい、結界に触れて消滅したという。

「黒い、蝶…」

 ウルリーケははっとした。 

「先日の白い蝶の件と何か関わりがあるのでしょうか」

 ラウラの問いかけにウルリーケは頷く。

「…あると思う。いえむしろ…」

 同じものではないか――。

(白と黒。キルキスの山奥とロヴィニア皇国。一匹と大量。この違いは、おそらく…)

「魔力の色……蝶の色の違いは魔力が関係している…と思う」

「あぁ!確かにターニャは白魔術師でした。魔術師と呼べるほどの魔力はありませんでしたが。ロヴィニアからの大量の黒い蝶は…ロヴィニア皇国軍の黒魔術師たち、ですね」

 合点がいった、とラウラが頷く。だがその直後、不安そうに眉根を寄せる。

「ロヴィニアの黒魔術師たちってことは…ロヴィニアからの攻撃でしょうか…?」

「………」

 わからない。ウルリーケは唇を噛みしめた。可能性は否定できない。

もっと悪い可能性も考えられる。キルキス山脈はローグヴェーデンの西方に位置する。ロヴィニア皇国は北だ。それぞれ異なる位置から、正確にローグヴェーデンへと飛んでくる蝶。蝶を飛ばした何者かは意図的にローグヴェーデンを標的にしているとみて間違いないだろう。

ロヴィニア皇国が黒幕なのか。

それとも、別の組織が絡んでいるのか。

今回は、別々に飛んできた。だが、もしこれが同時多発的に起こった場合、結界は無事で済むのか。

元々、ウルリーケの結界には期限がある。結界が解けるとき、ローグヴェーデンは再び列強諸国の脅威に晒される。だがその時、再びウルリーケを頼ることは出来ない。ローグヴェーデンはウルリーケの魔術以外で国を守る方法を見つけなければならなかった。

(その時に備えてラーシュもエリアスも、宮廷の貴族たちもみんな、頑張っている。でもまだ万全じゃない。今結界を壊されるわけにはいかない)

焦燥感が募る。

結局のところ、ウルリーケの結界が永久に続くものでない以上、列強諸国からの脅威は消えないのだ。

それまで静かに話を聞いていたラーシュが立ち上がった。

「ウルリーケ。そんな顔しないで」

 ラーシュはウルリーケの正面に片膝をつき、俯いていたウルリーケの肩にそっと手を置き、下から見上げるようにしてウルリーケの顔をのぞき込む。

「ウルリーケのくれたこの十年を、無駄にはしない。たとえ結界が壊されても、ローグヴェーデンに手出しはさせない。…誓うよ」

 ラーシュの真っ直ぐな眼差しに、ウルリーケは目を見開いた。いつもは優しく細められる碧の瞳は、力強く揺るぎない決意に満ちていた。ウルリーケが、縋るようにこくりと小さく頷くと、ラーシュは微笑んだ。鮮やかで、綺麗な笑みだった。思わず見惚れずにはいられないほど。

 

ロヴィニア皇国が攻撃を仕掛けてきたのか。その対策のため、ラーシュはアーロンに重臣たちを直ちに招集するよう命じ、王宮へと戻って行った。


「神殿の報告によると結界に触れて消滅したことから、なんらかの魔術であることは間違いないそうです。ただし魔術の種類は不明とのことですが」

「結界にはなんの影響もなかったようですね。未知の魔術に対しても有効とは心強い」

「とはいえ、どのような魔術かわからないというのは気味が悪いですな」

「結界の有効期限も迫っているとの話ですし」

「ロヴィニアの動きは?」

「軍が動いた形跡はないと」

 だが、いかんせん情報が少なすぎる。更なる情報収集のため、緑、青の騎士団からも数名がロヴィニア皇国に派遣されることになった。

鍵を握るのは行方不明の、長い赤髪の男だ。そして銀色の造花。派遣された騎士たちには銀色の造花を探すことも重要任務として命じられた。


***


 ラーシュが王宮へ戻ったため、解放されたウルリーケは、もう一度図書室へ向かうことにした。

 図書室へと続く回廊の途中で、再びマデリエネがウルリーケの前に現れた。可憐な顔は緊張しているのか、幾分蒼褪めている。けれど、何かを決意したかのようにその瞳は真っ直ぐウルリーケを見つめた。

ウルリーケは逃げ出したい衝動に駆られた。けれど、足が地面に縫い付けられたように動かない。ドクンと心臓が嫌な音を立てた。

(待って、お願い――)

 しかしウルリーケが口を開くより先にマデリエネが話しかけてきた。

「陛下はウルリーケさまに操を立てて、わたくしには会って下さいません…。ですからウルリーケさまにお願いに参りました」

「…お願い?」

 乾いた声がウルリーケの小さな唇から零れ落ちる。鸚鵡返しの問いかけは、無意識に発せられていた。

 マデリエネは、言おうか言うまいか、迷うように目を泳がせていたが、意を決したのか、ウルリーケを見つめると、口を開いた。

「…ええと、その前に、確認したいのですが…ウルリーケさまの結界はもうそれほど長く保たないと伺いました。それは本当ですの?」

 マデリエネの言葉に、レオンが殺気立つのがわかった。ウルリーケはそっと目配せし、レオンを宥めた。

「…うん。その通りだよ」

 苦しそうに俯くウルリーケに、マデリエネははっとした。

 レオンが射殺さんかという形相で睨み付けている。マデリエネは慌てて首を振る。

「も、勿論、ウルリーケさまの功績は揺るぎませんわ。陛下がウルリーケさまを大切にされるのは当然のことです。…ですが、結界がなくなってしまえばその後の対策は陛下と大臣たち、魔力を持たない者たちでなんとかするしかありません。その時役に立つのは人を動かすことが出来る身分や地位、財力ですわ。僭越ながら我が家の財力は十貴族に次ぐかと。わたくしなら、この先陛下のお力になることが出来ます」

 真摯な眼差しだった。その眼差しがウルリーケを貫いた。

「どうか、陛下にお取次ぎを。わたくしは陛下のお役に立ちたいのです」

 ウルリーケは呆然とマデリエネの言葉を聞いていた。

いつまで経っても言葉を返さないウルリーケに、訝しんだマデリエネが話しかけようとした瞬間、ウルリーケの背後に立つレオンからの無言の殺気に、どっと脂汗が噴き出た。

「そ、それでは、わたくしはこれで」

 逃げろと告げる本能に忠実に、踵を返すと脱兎のごとく駆け出す。

 そのことにも気付いていないのか、ウルリーケはぼんやりと前方を見つめたまま、立ち尽くしていた。


『わたくしなら、この先陛下のお力になることが出来ます』


(そんなの、わかってる……)

ウルリーケに未来がないこと。

小さな手をぎゅっと拳に握る。

 ラーシュとともに歩む未来を語れるマデリエネが、ウルリーケには眩しく、妬ましかった。


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