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巫女姫に捧げる銀の花  作者: 桐島ヒスイ
3章 侍従からの刺客
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 翌朝、ウルリーケはレオンを伴って、王宮の中庭に面した回廊を急ぎ足で歩いていた。白銀の騎士たちが国外から買い集めてきてくれた魔術書を調べるため、王専用の図書室へ向かっているのだ。壁一面の書架にぎっしりと詰め込まれた書物、壁から天井へと描かれた緑豊かな巨木、緑と青と黄のステンドグラス。荘厳な雰囲気の図書室が、ウルリーケは好きだった。

「姫」

 不意にレオンがウルリーケの前に出た。無口なレオンは必要最小限しか言葉を発さないが、長い付き合いなのでウルリーケは声の感じでレオンの言いたいことがわかる。通常この区画は王族専用のため、滅多に人に行き会わないのだが、予期せぬ闖入者に遭遇したらしい。

レオンが前方を鋭く睨んで誰何する。

「出てこい」

 白い柱の陰からすっと出てきたのは、ふんわりとした金髪に紫色の瞳、薄水色のドレスを纏った華奢で小柄な可愛らしい印象の少女だった。十四、五歳ほどだろうか。

「ウルリーケさま」

 にこりと笑ってドレスの端をつまむと軽く膝を折って会釈する。

「お初にお目にかかります。マデリエネ・ロヴネルと申します」

 可愛らしい闖入者に、ウルリーケは瞬いた。ロヴネル家といえば、王家に近い家柄の十貴族に次ぐ、格式ある貴族だ。とはいえ。

「ここは一般人の立ち入り禁止だ」

 レオンの警告に、マデリエネは怯むどころか得意げに言い返した。

「存じてますわ。ですが、わたくしは侍従長さまから王族居住区への立ち入り許可を頂いてますの」

「侍従長の?」

 ウルリーケがその意味を正確に理解するのとほぼ同時に、後方から慌てたような声が響いた。

「ぼくは許可してない!」

 ラーシュだ。その後ろにはエリアスもいる。

「まあ、陛下。まさかこんなに早く陛下にお会いできるなんて…」

 ウルリーケが前に向き直ると、マデリエネは胸の前で両手を組み、目を輝かせてラーシュを見つめていた。

「嬉しいですわ。陛下はとてもご多忙のご様子、今日もお会いするのは難しいかと思っておりました。昨日はまっったくお会いできませんでしたから…」

 ラーシュはごほんと咳払いして、公用の言葉遣いに改めた。

「マデリエネ嬢、すまぬが余は今日も忙しい。そなたの相手をする暇はない」

「かまいませんわ。わたくしは陛下のお姿を拝見できるだけで幸せですから」

「…………」

 ラーシュが押されている。呆然と二人のやり取りを見守っていたウルリーケはふと視線を感じて顔を上げた。エリアスが心配そうにウルリーケを見つめていた。ウルリーケは心配させたくなくて、咄嗟に笑顔を浮かべようとしたが、うまくできたかよくわからなかった。

「彼女は…」

「…侍従たちが送り込んできた刺客…いえ、ラーシュの妃候補と言いますか」

 エリアスが顔を顰めながらも小声で教えてくれた。ウルリーケは小さく頷いた。知りたかった答。でも怖くて聞けなかった答。

(やっぱり、そうか…。昨日ラーシュがおかしかったのはこのせいだったんだ)

「ウルリーケさま」

 エリアスが表情を曇らせたので、ウルリーケは自分が笑顔を浮かべることに失敗したことを悟った。

(分かっていたこと…。近々ラーシュにお嫁さんができることは)

 だが、実際にその候補者を目の前に突きつけられた痛みは想像以上だった。

修行が足りないなと、ウルリーケは自嘲した。一度ぎゅっと目を瞑り、感情を押し殺すようにして口を開く。

「可愛らしい人だね」

 そう言うと、エリアスは微妙な顔をした。

「侍従たちがラーシュを幼女趣味と勘違いしているせいで、彼女が選ばれたようです。あれでも十八歳とのことですよ」

「!」

(十八歳?)

 ウルリーケとエリアスの会話が聞こえたのか、マデリエネがキッと眦を吊り上げて二人を睨み付けてきた。

「ええ、わたくしはこう見えて、とっくに成人ですわ。ですが殿方は誰もわたくしを淑女として扱ってはくださいません。わたくし、結婚など諦めておりました。ですが、侍従長さまがわたくしを認めてくださったのです。その、陛下がわたくしのような細見で小柄な女性を好まれると。ですからわたくし、なんとしても陛下を振り向かせますわ!でないと、陛下を逃してはこの先一生独身になり兼ねません!」

 拳を握って力強く言い切った。その剣幕に呆気に取られていると、皆の視線に気付いたマデリエネははっと我に返って頬を染めると、慌てて言い足した。

「あっ、あの、陛下のことをお慕いしているからこそですわ、勿論!」

(……。思いっきり取ってつけた……)

 ウルリーケとエリアスの目が呆れたように細められる。だがそれも仕方のないことだろうとウルリーケは思った。マデリエネにとってもラーシュとの縁談は政略的なもので、彼女はラーシュのことを知らないのだから。ウルリーケは視線を下に落とした。

(でも、きっとラーシュを知れば、好きになるよ。ラーシュは優しいから)

「ウルリーケ?具合が悪いの?」

 不意に、俯いていたウルリーケの顎に指がかかり、上向かせられた。

「!?」

 ラーシュの碧の瞳が至近距離でウルリーケを見つめていた。直後、ラーシュの眉根が僅かに顰められ、指がすっとウルリーケの目尻に触れた。そこにほんの少しだけ溜まっていた水が掬い取られる。涙だ、と気付いた瞬間、ウルリーケは真っ赤になった。

(な、泣いたの?私!?というか、ラーシュに見られた!ど、どうしよう)

 動揺のあまり硬直するウルリーケを、ラーシュは素早く抱き上げてエリアスに命じる。

「今日の公務は中止だ。あとのことは任せる」

「ラーシュ!?私、大丈夫だから!」

 我に返ったウルリーケは、慌てて降りようとしたがラーシュは離さなかった。

「ダメ。我慢強いウルリーケが泣くなんてよっぽどだ。今日一日は我慢禁止。我儘しか言っちゃダメだ」

「な!?」

 そうして、ラーシュはウルリーケを攫って行った。


「陛下がウルリーケさまを溺愛されているという噂は本当だったのですね…」

 ラーシュが有無を言わさずウルリーケを連れ去るのを、唖然と見ていたマデリエネがぽつりと零した言葉に、エリアスは苦笑を返す。

「そうですね。陛下はウルリーケさまのためなら、公務を中止にします。ですが、后のためにはしないし、させません」

きっぱりと言い切ったエリアスに、マデリエネは驚いて後ろを振り向いた。こちらへ近付いて来たエリアスと目が合う。その冷たい眼差しに、マデリエネの心臓がぎゅっと縮む。

(な、なんでわたくしを敵視していらっしゃるの?)

「貴女は侍従が選んだ后候補の一人にすぎない。なのに、厚かましくもウルリーケさまの前に姿を晒すなど、無礼にすぎますよ」

「!?わ、わたくしはウルリーケさまにご挨拶をしただけ…」

 マデリエネが反論すると、エリアスはすっとその美しい藍色の瞳を眇めた。

「陛下の后となられる方には、弁えて頂かなくてはなりませんね。いえ、ローグヴェーデンの民ならば、と言うべきか。陛下にとってウルリーケさまは、何にも代えがたい大切なお方であると。今、ローグヴェーデンが平和であるのはウルリーケさまが犠牲を払われたからです。ならば、陛下が后よりもウルリーケさまを重んじるのは当然であると」

 ゆっくりと距離を詰めてくるエリアスに気圧されて、マデリエネは無意識に後ずさりしていた。だが、背中が円柱にぶつかって、息を飲んだ。おそるおそる上を向くと、間近にエリアスの美しい顔があった。

「…平たく言うと、ラーシュの真の正妻であるウルリーケさまの前に、愛人があたかもラーシュの妻のごとく振る舞ってしゃしゃり出ることのないように、ということです」

「なっ…」

 にっこりと綺麗に微笑む、宮廷で女性陣の絶大な人気を誇る貴公子のあまりの発言に、何か言い返そうにも、言葉が出ない。マデリエネが口をぱくぱくさせたまま呆然としていると、エリアスは冷たい微笑を浮かべてくるりと踵を返した。

「では、失礼」

 マデリエネは、エリアスの姿が完全に見えなくなっても、しばらくは金縛りにあったように、その場に立ち尽くしていた。


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