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 ラーシュは庭園のベンチに腰かけて、ぼんやりと景色を眺めていた。薔薇が見事に咲き誇り、甘い香りが漂っていた。

 薔薇園の奥から、真珠が零れ落ちたかのような白銀の煌めきがゆっくりとこちらに近付いてくる。その正体は陽光を受けてきらきらと輝くウルリーケの髪だ。白いドレスを纏っているので余計に眩い。

 ウルリーケの肉体が時を刻み始めて、五年。すらりと伸びた身体は華奢ながらも娘らしい丸みを帯び、あたかも開き始める直前の蕾のように瑞々しく、可憐だった。

「…ーシュ。ラーシュ?」

 何度か名を呼ばれて、ラーシュははっと我に返る。慌てて立ち上がって、ベンチにハンカチを敷いてウルリーケを座らせる。

「ウルリーケ。見惚れていた。君はどんどん綺麗になるね」

 直球で賛美されて、ウルリーケの頬に朱が上る。恥ずかしい。でも嬉しいので素直に礼を言う。

「…ありがと、ラーシュ」

 照れくさそうにはにかむウルリーケは最高に可愛かった。ラーシュはウルリーケの前に跪くと、彼女の手を取り指先にそっと口付けた。

「ウルリーケ。…愛している。君が居てくれればそれだけでいい。大切にするから。ずっと側に居て欲しい。…結婚してください」

 ウルリーケは艶やかに微笑んだ。大輪の花が開いたようだった。

「…はい」

 その瞬間、ラーシュは思い切りウルリーケを抱きしめていた。



***



 結界を解いた日から三日間、ウルリーケは眠り続けた。

 ウルリーケが眠る聖堂内には、城門の前に民が捧げた花が敷き詰められ、ラウラが献身的にウルリーケの世話をした。ラーシュとエリアスを筆頭に、神殿の子供たちや白銀の騎士たち、城の侍女たちまでもがひっきりなしに訪れ、巫女姫の目覚めを待った。


 ローグヴェーデン王国とロヴィニア皇国は休戦条約を結び、事実上それは終戦を意味した。

 ローグヴェーデンは勝利に貢献してくれたカヴァサディア王国に感謝し、より強い同盟を結ぶことになった。

 その一環として、マデリエネ・ロヴネルがカヴァサディア王国の王太子・ディートフリートに嫁ぐことが決まった。

 二人の結婚は、同盟会議のためにローグヴェーデンを訪れた王太子とマデリエネが偶然出会い、愛が生まれた末の幸せな結婚として、両国の民に熱狂的に受け入れられた。



 ウルリーケが目を覚ました時、エリアスは泣いた。

 彼はウルリーケが虹色の繭に包まれた時、結界の側に待機していたので、ウルリーケが眠りにつく前の一瞬を知らない。

 だから成長したウルリーケが目を開けて笑ったり喋ったりするのを見たのは、これが初めてだった。

 エリアスはもういいと思った。望みが叶った。これ以上は何も要らない。

 彼の望みは、ウルリーケの時が進むことだったから。とても大切な少女が幸せになることだったから。

 その夜、彼は生まれて初めて神に感謝を捧げた。

 そして潔くあっさりと、これまで頑なに拒んで来た縁談を受けた。相手は十貴族の上位の令嬢だ。彼はラーシュの王政をしっかりと支えるためにも、国内の貴族をまとめていくことを己の役割だと認識していた。

 


 結界が消えてから三年後、ラウラが二十歳になった年に、ロニーはラウラにプロポーズした。ラウラは驚いていたが、周りは誰も驚かなかった。

 二人の間には三つ子が生まれ、ラウラは名実ともに肝っ玉母さんとなった。



ウルリーケが目覚めてから二か月後、色々なことが落ち着いてから、ウルリーケはラウラとレオンと共に研究塔にクリストフェルを訪った。

「今頃来たのか」

 クリストフェルは何故か不機嫌そうに言った。

 ウルリーケは結界を飲み込む前、サシャから伝えられた母・アウロラの情報について、ずっと心の奥底で燻っていたのだが、すべてが終わるまでは考えないようにしていたのだ。

 それがクリストフェルには気に入らなかったらしい。何故もっと早く来ないのだ、とでも言いたげに、彼は尊大に眉を跳ね上げた。

「で?何を聞きたい」

 ウルリーケはどう聞けばいいのか躊躇った。するとクリストフェルはつんと横を向いた。

「…もう分かっているのだろう。つまりはそういうことだ」

 何がそういうことなのか。ウルリーケはポカンとした。

「ええと、…つまり?」

「私とアウロラは、そういう関係だということだ」

「ええ!?」

 声を上げたのはラウラだった。

「つ、つまり、クリストフェルさまは、お姉さまの……。……」

 ラウラがわなわなと震えながら交互に二人を指さす。

「な、なんで今まで黙っていたんですか!?」

 ラウラの質問に、クリストフェルは横を向いたまま髪をかき上げながら言う。

「…私も、初めてウルリーケに会うまで、知らなかった。…その後は、そういうことを言える雰囲気でもなかったから、そのままにしてた。それだけだ」

 ウルリーケはぼんやりと二人のやり取りを聞いていた。何かよく理解できない。つまり、そういうこととは、一体。

「……つまり、クリストフェルは、………私の、……おとうさん、…なの?」

 おとうさん、と言った瞬間、かぁっとクリストフェルの顔が真っ赤に染まった。

(え?)

 クリストフェルが、照れている?

 衝撃に、ウルリーケは固まった。ラウラも固まっていた。ついでにレオンは幻を見ているのかと、目をパチパチさせていた。

「べ、別に無理にそう呼ぶ必要はない」

 クリストフェルが早口に言う。ウルリーケは言葉通りに受け取った。

「…そう、だね。…私…、今まで、シーグフリードさまを、お父さんのように、思っていた…」

 ウルリーケがそう言うと、クリストフェルがショックを受けた顔をした。

「シーグフリードはお前の父親などではない!」

 勿論それは知っているのだが、父親も母親も知らなかったウルリーケには、ラーシュの父であるシーグフリードだけが親代わりだったのだ。

「あ、でも陛下とご結婚なさるのでしたら、先王陛下はお姉さまのお義父さまになりますものね」

 ラウラが言うと、クリストフェルは不機嫌になった。

「そんなことは認めない!」

 ウルリーケは困惑した。クリストフェルが壊れた。

「今まで、何も言ってくれなかったのに…」

 ウルリーケがポツリと呟くと、クリストフェルは狼狽した。

「名乗り出る必要はないと思ったのだ。…もしも、ウルリーケが、身分のことで悩むようなら、後見として名乗り出ようと思っていた。でも今のお前には、必要ないだろう…?」

 クリストフェルはとんでもなく難しい方程式なら難なく解けるのに、ウルリーケに対しては全くどうしていいかわからないようだった。

 フレイヴァルツ家はエリアスのレーヴェンフェルト家に次ぐくらいの名家だ。その御曹司と、黒魔術師のアウロラとの結婚など、誰にも認められなかっただろう。ましてやアウロラはクリストフェルを誘拐しに来たのだ。

 誘拐犯と恋に落ちるとは一体どんなお坊ちゃんだと思わなくもないが、それがクリストフェルというのはなんだか納得だった。

(でも、お父さんって…)

 ウルリーケはなんだか可笑しくなった。

「時々は、お父さんって、呼んでいい?」

 そう聞くと、クリストフェルは再び真っ赤になって横を向き、くしゃくしゃと髪をかき混ぜながらも、小さくこくんと頷いたのだった。



 サシャはロヴィニア軍から大量の黒魔術師を引き抜いてきた。目覚めたウルリーケに開口一番、刻印の消去を求めた。

「頼むわ、お嬢ちゃん」

 ウルリーケは頷いた。それはウルリーケがこれからやろうと思っていたことでもあったから。

 成長したウルリーケは以前よりも魔力許容量が増えていた。そして結界を吸収した結果、少しずつだが成長出来るようになった。

 魔力は本来水や風、土や木などの自然から、息をするだけで取り込むことが出来る。ウルリーケの場合、たくさん取り込んでも未来の分を使いすぎたために成長へと繋がらなかったのだが、結界の魔力を大量に吸収したお蔭で借金を返すことができたというわけだ。

 ただし、結界がかなり消費されていたため、まだまだ完済には至っていない。そのため成長もゆっくりで、寿命もあと何年残っているかは分からない。それを補うためには他の魔術師の協力が必要だった。輸血のように、魔力を分けて貰うことが。

 ウルリーケは黒魔術師たちの刻印を消す代わりに、魔力を貰うことにした。それは相手にとっても対等な取引で、お互いに気兼ねすることなく持ちつ持たれつでいられる。提案したのはサシャだった。

 サシャはウルリーケが気にするので、口には出さないが密かにウルリーケに忠誠を誓っている。彼はあちこち渡り歩いては黒魔術師を捕まえて来て、ウルリーケの元へと連れて来る。黒魔術師たちはしばらく神殿で保護されると、後にサシャと同じように各地へ渡り、魔術師を連れてくるようになった。そしてやはりサシャと同じように、彼らも密かにウルリーケに忠誠を誓うのだった。



 サシャたちのお蔭で、ウルリーケはすくすくと成長した。

 そして五年が経った。


 ラーシュの前にはモンスターと化したクリストフェルが立ちはだかっていた。

「まだ早い」

「早くない!!僕は十分待った!!」

「ウルリーケは十五歳くらいだ」

「実年齢は二十三歳だ!適齢期だ」

「見た目が犯罪だからダメだ」

「クリストフェル殿だって、十四歳の時にアウロラ殿と結婚したのだろう!」

「私はいいんだ!!」

「狡い!!」

「狡くない」

 この後はもう、子供の喧嘩だった。

 二人の様子を近くのテーブルでお茶をしながら見ていたウルリーケは溜息を吐いた。そこへエリアスがやって来て、ウルリーケをからかうように見つめる。

「おや、麗しい巫女姫が憂い顔ですね。姫にそんな顔をさせる馬鹿どもは、私が成敗してきましょうか」

 ウルリーケは思わずくすりと笑った。エリアスは相変わらず優しい。エリアスはにっこりと微笑んでウルリーケに嬉しい情報をくれた。

「明日、ルジェク殿がノアと一緒にこちらへ遊びに来ますよ。相変わらず、急ですけどね」

 わざと困ったように言って、エリアスは溜息を吐く。

 紅い魔術師は気まぐれで、何の連絡もなく現れることはしょっちゅうだ。前日でも連絡してきたことは大きな進歩だった。

ウルリーケがエリアスと話しながら嬉しそうに微笑んでいるのを見たラーシュとクリストフェルは、焦った様子で二人の座るテーブルへと駆け寄ってきた。

「エリアス、ウルリーケと何を話していたのだ?」

「レーヴェンフェルト卿、貴殿は妻子ある身でウルリーケを誑かすつもりか」

 エリアスは二人を、害虫を見るよりも嫌そうな目で睨め付けた。

「………。くだらない言い争いをするくらいなら、仕事に戻ったらどうです。…では、ウルリーケさま。俺は仕事をしない困った誰かさんたちの代わりに溜まった書類を片付けてきます」

うぐ、と黙る二人に皮肉を言って、ウルリーケに対しては極上の笑みを向けて、エリアスは去った。

 ウルリーケが二人を見やると、気まずそうに目を逸らす。ウルリーケは哀しそうに言う。

「二人には、仲良くしてほしいの」

「…し、仕事に戻る」

「別に仲が悪いわけではない」

 そう言って二人はそれぞれ別々の方向へと行ってしまった。ウルリーケはもう一度溜息を吐いた。



 翌日、予告通りルジェクとノアが王宮に現れた。気持ちのいい季節なので屋外にテーブルをセットしてある。

「ウルリーケ、身体の調子はどう?」

 ルジェクは魔術で作られた銀の花の束をウルリーケに手渡しながら心配そうにウルリーケの瞳を覗き込んだ。

「ありがとう、ルジェク。大丈夫、順調」

 ウルリーケの身体はまだまだ他の魔術師からの魔力供給が必要なので、ルジェクは花を作り続けている。今はラウラも花の魔術を覚え、ルジェクが作らなくても特に問題はないけれど。

 ルジェクはウルリーケが大丈夫と言いながら、どこか浮かない様子であることに気付いて眉根を寄せた。

「何か心配事?」

「…ラーシュとお父さんが、喧嘩ばっかりなの」

「それは…大変だね」

「ルジェクさま、顔が笑ってますよ」

 ノアが呆れたように言う。五年が経ち、今ではノアも立派な青年だ。それもかなりの美青年の部類に入る。

 ウルリーケはほわりと笑う。

「ノア、大きくなったね」

「……。ウルリーケさまも、大きくなりましたね」

「うん。ウルリーケもそろそろ結婚かな」

 ルジェクが嬉しそうに言う。いつの間にかあの小さい子がここまで大きくなるとは、と親戚のおじさんのような目でウルリーケを見つめている。

 ウルリーケは少し目を伏せた。

「それが、二人が喧嘩ばかりだから…」

「あぁ…。こんな可愛い子にそんな顔をさせるなんて、困った二人だね」

「…別にクリストフェルさまのことなんて、気にすることもないのでは?」

 ノアが冷やかに言う。彼は未だにクリストフェルにあまりいい印象を持っていない。

「そういうわけにもいかないよ、ノア。…ウルリーケ、少し気分転換に散歩しない?」

 ルジェクに誘われて、ウルリーケは頷いた。庭を歩くのかなと思ったが、ルジェクはウルリーケの手を取るとノアに目配せした。

「王様に見つかるとうるさいから。ノア、後はお願い」

 ノアは軽く溜息を吐いてさっと手を翳した。幻影魔術だ。ノアはその場に残るようだった。

「困った二人にはお仕置きが必要だよね。ちょっとした隠れんぼをしようよ」

「え!?隠れんぼって、なに」

 ルジェクは転移陣を発動させた。無言でレオンも転移陣に乗る。彼も少し、彼らにはお仕置きが必要だと思っているようだった。



 ラーシュがルジェクの元へ赴くと、そこにはノアが一人、優雅にお茶を楽しんでいた。

「ルジェク殿と、ウルリーケは?」

 ノアはにっこりと微笑んだ。

「ルジェクさまが連れて行きました」

「は…?」

「ルジェクさまはお怒りです。陛下とクリストフェルさまが喧嘩ばかりでウルリーケさまを哀しませていることに。ですからウルリーケさまを幸せに出来ないなら自分が攫うと」

 ラーシュの顔が蒼白になった。



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