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巫女姫に捧げる銀の花  作者: 桐島ヒスイ
7章 巫女姫に捧げる銀の花
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 日が昇ると同時に、合図の花火が打ち上げられる。

 民は一斉に、持っていた花を、目には見えないが、神殿から派遣された魔術師たちの指導の下、ほんのりと空間が揺らぐように見える場所へと恐る恐る近づけた。

 次の瞬間、花から蝶が現われた。蝶は虹色だった。

 大量の虹色の蝶が空に舞い上がった。

 民は頭上を振り仰ぎ、その幻想的で美しい光景に歓声をあげる。


 結界は地上から天へと向かって溶けるように解けていく。


 ルジェクとノアは、その光景を少し離れた丘の上から見ていた。

 彼らは数刻前、風の魔術を使って、ロヴィニアの黒魔術師たちの上に大量の銀の花を降らせた。今、黒魔術師たちは無力化されているはずだ。

「すごい質量ですね、ルジェクさま…」

「うん。綺麗だね…」



 エリアスは、万が一カヴァサディアの守備を突破してロヴィニアが攻めて来た場合に備えて、結界のすぐ近くに構えた陣の指揮を任されていた。

 彼と、彼に任された緑の騎士団の騎士たちも、手に持っていた花を結界へと抛った。

「美しいですね…」

 騎士の一人が零した呟きに、エリアスは頷いた。

「あぁ。…これで、ローグヴェーデンは丸裸だけどな。…気を抜くなよ」

 台詞の内容は厳しいものだったが、エリアスは満面の笑顔だった。騎士たちは頷いた。彼らも笑顔だった。彼らはみな、十年前には剣も持てなかった若者たちだ。今なら自分たちがこの国を守れる。

「ウルリーケさまの時が動きますように」

 エリアスの紡いだ祈りの言葉は、風に舞って高く遠くへと運ばれた。


 


 ウルリーケは神殿の奥の聖堂にいた。普段は何も置かれていないその堂の真ん中には寝台が置かれ、ウルリーケはその縁に腰かけていた。高く吹き抜けの天井は丸く、天井から床まで届く窓にはローグヴェーデンの四季を描いた色鮮やかなステンドグラスが嵌めこまれており、外から差し込む日の光が床に美しい色を落としている。

 蝶は壁を通り抜けるため、ウルリーケは屋内で待機することになった。また、結界の吸収にどれだけの時間がかかるか分からないため、寝台が用意されたのだった。

 ラーシュ、アーロンとレオン、ラウラとクリストフェルがすぐ近くで見守っている。


 王国中から飛んでくる蝶がウルリーケの身体に吸い込まれるように溶け込んでゆく。数千、数万の蝶が蜜に群がるように、ウルリーケの元へと舞い集う。

 蝶に囲まれたウルリーケは、虹色の繭に包まれているようだった。



 大量の魔力がウルリーケに注ぎ込まれる。空っぽだった器に、溢れんばかりの水を流し込むように、みるみるうちに魔力が満たされていく。

 止まっていた、時を刻むための歯車がごとりと音を立てて動き出す。

 もしも一般の魔術師にこれほど大量の魔力を一気に注いだら、その魔術師は一瞬で年を取り、老人のようになってしまうだろう。しかしウルリーケの魔力容量は常人の百倍以上だ。そしてウルリーケは未来の分まで魔力を消費してしまっていたため、どれだけ注いでも注ぎすぎるということはなかった。

 ギシギシと骨が軋む。

(うあ…)

 ウルリーケは押し寄せる本流に身体を持っていかれそうな気がした。ばらばらになるような感覚。

(あぁ、でも潤う…)

 水を飲んで、初めて自分の喉がカラカラに乾いていたことを知ったように。ウルリーケは自分の身体が限界だったことを知った。

 いつ、指先からほろほろと砂のように崩れてもおかしくなかった。

(私、よく無事に生きていたな…)

 乾いたウルリーケの身体はごくごくと水分を補給するように、貪欲に魔力を吸収した。



 どの位時間が経ったのだろうか。


 繭が解けた時、現れたのは、ほっそりとした身体に伸びやかな手足、あどけなさを残しながらも瑞々しい、美しい少女。白銀の髪は地面にとぐろを巻くほど伸びている。十一、二歳ほどだろうか。少しだけ大人になったウルリーケが、そこにいた。


「ウル、リーケ…」

 ラーシュの掠れた声に、ウルリーケは伏せていた目を上げた。けぶるような睫毛が震えて、灰銀色の瞳がラーシュを捉える。

「ラーシュ…私、ちょっとだけ、大きくなったみたい…?」

 踝まであったはずの巫女装束の裾は、膝丈になってしまった。腕も肘までむき出しだ。心元なさそうに自分の身体を抱きしめる少女を、ラーシュは胸の中にかき抱いた。その感触は、小さかった少女のそれとは少しだけ異なり、けれどまだまだすっぽりと腕の中に収まる。そのことに、ラーシュはむしろ安堵した。

 彼女が成長するのは喜ばしいが、一気に数年飛ばしてしまうのは、勿体ないと思ってしまったのだ。できれば、少しずつ成長してゆくウルリーケを見つめていたい。

 そんなことを思う自分に、ラーシュは苦笑した。ほんの数週間前までは想像することさえ躊躇われた、未来。手に入ると思ったら、今が惜しくなるなんて。

「ウルリーケ、…身体の調子はどう…?」

 突然大きくなったことで、苦しくはないだろうか。急激な魔力の供給で、体調を崩しはしないだろうか、まだ心配なことはたくさんある。

 ラーシュは腕をほどくと、そっとウルリーケの顔を見つめた。今までよりも近い距離に、落ち着かない気持ちになる。

 ウルリーケは全身が沈み込むように重く感じられた。急激な魔力供給と成長が、身体に負担をかけたのは間違いない。

「うん…、少し、眠い…かな…」

 言いながら、とろとろと瞼が落ちてゆく。ラーシュはそっとその身体を寝台へ横たえた。

「眠って。…起きるまでずっと、側に居るから」

 そう言うと、ウルリーケは安心したように微笑んで、意識を手放した。



「君の成長した姿を見れるなんて、夢みたいだ」

 寝台の端に腰かけて、眠るウルリーケを見つめるラーシュの瞳は限りなく優しく、幸せそうだった。

 ずっとウルリーケのことだけを考えていたい。けれど、王としてのラーシュがそれを許さなかった。すうっと息を吐いて、目を瞑る。数秒後、瞼を開けた時には、碧の瞳は怜悧な光を浮かべていた。

「アーロン、外の様子は」

 ウルリーケの手を握ったまま、視線も向けずに声だけで問う。

 アーロンが報告をする。

「ロヴィニア軍が進軍を開始したとのことです。けれどカヴァサディアの砲撃を受け、二の足を踏んでいるとのこと。今、ロヴィニアの黒魔術師は全員無力化されていますから、あちらも混乱しているようです。カヴァサディアには大量の治療系魔石も供給してありますが、ロヴィニアにはそれもありませんし」

 実は黒魔術師よりも白魔術師の方が、圧倒的に数が少ない。それはこれまで魔術師を「武器」としか見做さず、見つけるなり虐待して、黒魔術師として扱ってきたからだ。だがローグヴェーデンには白魔術師が三十人はいる。そして魔石は掃いて捨てるほどあった。

 ラーシュはにやりと笑った。

「ルジェク殿とノアがやってくれたようだな」

「はい。それから、これは姫が眠られたから言えることですが…サシャが自分を使っていいと」

 ラーシュは顔を上げた。

 アーロンは頷いた。


 サシャは刻印を消してくれたウルリーケに忠誠を誓った。けれどウルリーケは困ったように微笑んで、恩に着る必要はないと言った。もう黒魔術師として、戦に出る必要はないとも。

 サシャはいきなりもう戦わなくていいと言われても、どうしていいかわからない。彼は黒魔術師として、戦うことしかできない。黒魔術は攻撃にしか使えないからだ。

 今ローグヴェーデンは危機的状況にある。ロヴィニアが攻めてきているのだ。戦わずに勝つことは、もう出来ない。負ければロヴィニアの属国として、民は重税を課せられ、疲弊し、誇りも失い、悲惨なことになるだろう。

 それなら自分が汚れ役を買って出てもいい。綺麗ごとだけでは、ままならないときもある。でもそれをウルリーケが知る必要はないと思った。人知れず、自分のような者が手を下せばいい。そういう者も必要だ。

 それがサシャの出した答えだった。

 ウルリーケに言っても受け入れて貰えないと分かっていたし、言いたくもなかったのでサシャはアーロンに言った。

 アーロンはサシャの申し出を受け入れたのだった。


「今、サシャは幾人かの黒魔術師を引き連れて、ロヴィニア軍の中に潜り込んでいます。混乱に乗じて、黒魔術師を連れて帰る予定です」

 それはこの先の戦いで、ロヴィニア軍から黒魔術師を奪うための作戦だった。

 ルジェクとノアが「花」をばら撒いて黒魔術師の魔力を奪った今なら、刻印が弱まり、軍から離脱しても、刻印に身体を焼かれることはないからだ。

 ラーシュは微笑んだ。

「また、ウルリーケに助けられたんだな…」

 アーロンはくすりと笑った。

「ええ。…全く、我らが姫には敵いませんね」




 黒魔術師の攻撃に頼っていたロヴィニア軍は、突然武器を失い、混乱した隙をカヴァサディア軍に突かれて撤退を余儀なくされた。

 さらに、ローグヴェーデンにはいないはずの黒魔術師の追撃を受け、ロヴィニア軍は大損害を被った。

 黒魔術師の攻撃は苛烈だった。その魔術師を目撃した者は、見ただけで人を石にするという魔物に出会ったような恐怖を覚えたという。魔術師の目は暗い闇を湛え、その目に見据えられたら、生きてはいられないだろうと思わせるほどだったという。

 その上、気付いた時には黒魔術師の大半を失っており、ロヴィニアはこれ以上戦を続けられなくなった。

 暫くはロヴィニアが攻めてくることはないだろう。

 ローグヴェーデンの大勝利だった。



 民は勝利に大興奮した。

「やっぱりローグヴェーデンには聖女さまの加護があるんだな!」

「聖女さまに祝いの花を捧げよう!」

 民は手に花を持ち、王城へと詰めかけた。城門の前には花畑ができたという。


 この日の勝利を記念して、後に人々はこの日を聖女に花を捧げる日とした。

 神殿へ贈る花は生花だが、人々は銀色の造花を作って軒先に吊るした。幸運のお守り、あるいは聖女の守護結界にちなんで、魔除けのお守りとして。





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