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その夜、サシャはウルリーケに面会を求めた。二人はウルリーケの執務室で向かい合って座っている。側にはラウラとレオンとアーロンがいる。
「刻印を消して貰った礼…には足りないかもしれねぇけど、俺が知るアウロラのことをあんたに伝えておこうと思って」
サシャはどこから話せばいいのか躊躇いながら、ぽつりぽつりと話し出した。
アウロラとは幼馴染だったこと、二人は姉と弟のように育ったこと。
「俺が最後にアウロラを見たのは、彼女が任務でローグヴェーデンへ旅立つ前だった。…とある人物を誘拐するために」
失敗したみたいだけどな、と言ってサシャはウルリーケを見つめた。
ウルリーケはこてりと首を傾げた。
「とある人物?」
サシャは意を決したのか、一息に言った。
「――クリストフェル・フレイヴァルツ」
…ウルリーケは瞠目した。
***
エリアスはロヴネル家を訪れていた。マデリエネの実家だ。
「マデリエネ嬢、貴女にお願いがある」
エリアスの訪問に戦々恐々としていたマデリエネは、瞬いた。
「わたくしに、ですか?」
「貴女にしかできないことです」
(わたくしにも、出来ることがある…)
マデリエネの頬に生気が漲るのを見て、エリアスは微笑んだ。今までマデリエネを見くびっていたことを謝らなければいけないな、と思いながら。
***
ウルリーケは捕えたすべての黒魔術師の刻印を消すことにした。
とはいえ、すぐに全員をというわけにはいかない。ウルリーケの魔力は圧倒的に足りない。毎日少しずつ捕えた黒魔術師から魔力を貰い、ある程度溜まってから一人ずつ刻印を剥がす。
黒魔術師たちは、「花」に魔力を吸われると少し気持ちが穏やかになるようだと言った。黒く染まった魔力は魔術師たちの心まで闇に染めてしまう。刻印はそこに付け込んで、憎悪や負の感情を煽る役割も担っていたようだった。
刻印を消しても全員が心穏やかに、ローグヴェーデンに敵対しなくなるというわけではない。黒魔術師の中にはこの世のすべてを憎み、恨んでいる者も少なくないのだ。だから全員を解放するわけにはいかなかった。
それだけ闇が深いということだろう。
幾人かはそのまま牢に繋いで、「花」で魔力を奪い続ける。
(少しでも、闇が薄まるといい…)
ウルリーケは祈るように花を見つめ、目を閉じた。
***
結界の外には、武装したカヴァサディア王国軍とロヴィニア皇国軍が対峙している。ただし距離はかなり離れており、お互いに睨み合うといったところだ。
ローグヴェーデン中の民が一人残らず花を手にしていた。
民衆は、騎士団の説明にほとんど躊躇うことなく、賛同した。
「聖女さまが助かるかもしれないんだろ?なら迷うことねぇよ」
「どうせいつかは消えてしまうんなら、聖女さまのために消せばいいよ」
だが当然、中には結界を解くことに不安を覚える者もいた。
「本当に結界はあと少しで消えてしまうのか!?もっと長く保つんじゃないのか!?消しちまったら、ロヴィニアに潰されるんじゃないのか」
そういう者の元へは、アーロンが直接赴いた。結界の寿命は限界に近いこと、十年保っただけでも、奇跡だということ。ゆっくりと、丁寧に説明する。
「…もし、貴方の娘さんが、八歳のまま、成長できなかったとしたら、そしてそれが全員の協力で解決できるとしたら。貴方はそれでも娘一人を犠牲にしろと言えますか」
男は押し黙った。ちらりと後ろを振り返る。彼には十歳になる娘がいた。その娘はつかつかと父親の隣へ来ると、アーロンに対して頭を下げた。
「聖女さまのために、花を捧げます」
私が生きてこられたのも、聖女さまのおかげだもの、と少女ははにかんだ。少女の父親は深く頷いた。
「娘の言う通りです、騎士様。戦争にならずに済んだのは、聖女さまのおかげだ。取り乱して悪かった。今こそ俺たちが恩を返すときなんだ」
聖女さまへ花を捧げる――それは、いつの間にか民たちの間で囁かれるようになった、作戦に因んだウルリーケへの感謝を表した言葉だった。
結界を消してしまうのは怖い。それでも、いつかは立ち向かわなければならないのだ。揺り籠のように守られていた世界はもう、長くは保たないのだから。
怯えてその時を待つのではなく、自らの意志で聖女に結界を返す。そうしなければ、ローグヴェーデンはいずれ滅びるだろう。一人の少女にすべてを背負わせたままでは。…それが民の総意だった。