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「…用意周到だな、ルジェク殿も」
呆れたように言うラーシュに、ノアは視線を泳がせた。ちゃんと話を聞いてもらえなければ、敵と思われても仕方のないような行為だ。
「いや、いい。あちらでも、似たようなことは聞いていたからな」
納得して貰えて、ノアはほっと息を吐いた。
「それで、ロヴィニアはローグヴェーデンの動向を注視していたというわけか…」
エリアスは眉間に皺を寄せて唸った。
「だが、商隊に擬態して入国してきた他国の馬車は特に襲撃を受けた様子はないぞ」
その疑問に答えたのは、それまで不機嫌に黙っていたクリストフェルだった。
「…恐らく、魔術師が同乗している馬車を狙ったのだろう。それと、ローグヴェーデンから出てくる馬車。入る馬車については特に注意を払っていなかったのだろうな。狙いはウルリーケだっただろうから」
商隊がローグヴェーデンを出る前に、ウルリーケたちの馬車が襲撃を受け、ロヴィニアにとっては当たりだったために、その後出国した商隊については安全だったのだろう。
「何故ウルリーケさまが出てくると?」
「ノア」
またしても説明を丸投げするクリストフェルに、ノアは溜息を吐く。まぁ確かに、この説明はノアの領分なので仕方ないのだが。
「……お、怒らないで下さいよ…?…ロヴィニアの騎士たちは、結界を攻撃すれば崩壊が早まる、という噂に、すぐには飛びつかなかったんです。だからルジェクさまはもっと過激な噂を流すと仰って、それで……近々、ウルリーケさまが…末期症状で本格的に危ないから、ミラルカに行くだろうって……」
言いながらちらりとラーシュの様子を窺ったノアは、話したことを後悔した。ラーシュとエリアスも、悪鬼の形相で自分を睨み付けている。
「怒らないで下さいと言ったじゃないですか…!!」
「言っていいことと悪いことがある」
「そんな噂を流していたのなら、こちらにも情報提供しろ!!」
ラーシュには地の底から這うような低い声で、エリアスには背筋が竦むほどの大音量で怒られて、ノアは理不尽だと思った。とんだ貧乏くじだ。
(やったのはルジェクさまなのに―!!)
ともかく、これでクリストフェルが身代わりという保険をかけた経緯はわかった。なぜ敢えてマデリエネにしたのかは、本人の言う通り単なる悪戯心なのだろう。頭が痛いことに。
エリアスはこめかみを押さえながら、目を瞑った。
(まぁ、意味はあった。…おかげで変態王太子の興味を移せたからな…)
ラーシュはヴィルヘルムに顔を向けた。
「ロヴィニアの魔術師を引きずり出す。結界に魔力をありったけ、叩きつけて貰う。その際、緑と、…カヴァサディアに援軍を頼もうと思う」
緑の騎士団は、元々ローグヴェーデンの国境を守る役目を負う騎士団だから当然だった。結界が創られてからはのんびりとしていたが、訓練は欠かしていない。問題はカヴァサディアの援軍だった。同盟を結んではいるが、大国に一方的に頼るのは危険だ。だが、緑の騎士団だけでは、ロヴィニアの強大な軍に敵わない。例え黒魔術師を全員無効化したとしても。
ヴィルヘルムは何でもないというように頷いた。
「それが妥当でしょうね。あちらとの交渉は私が引き受けましょう」
半ば引退しかけの引きこもり宰相とは言え、ローグヴェーデンの最強かけひき上手だ。ラーシュは心強く思った。
「頼みます、叔父上」
***
それから、全騎士団総出で一軒一軒回って、ウルリーケのこと、結界のことを説明して回った。
その間、ラーシュたちはウルリーケの幻影を乗せた馬車をローグヴェーデンから出国させ、ミラルカ方面やメルク方面へと向かわせる。
ロヴィニアは魔術師を含めた一団を各地に張り巡らせ、ウルリーケを捕獲しようと躍起になった。馬車は敢えて結界の近くを通って、攻撃を避ける振りをして放たれた魔術を結界へと吸収させる。そして逆に黒魔術師たちを捕縛していく。表向きは盗賊を装った集団のため、ロヴィニアも黒魔術師を返せとは言えない。
地道だが、確実に相手の戦力を削っていた。捕えた黒魔術師たちには一日ごとに花を使って魔力を奪い取る。奪い取ることに罪悪感がないわけではない。けれど、ウルリーケはこれは必要なことだと自分に言い聞かせた。ローグヴェーデンの民を守るために、ロヴィニアの戦力を削る。命まで奪うわけではないのだからと。
ローグヴェーデンが黒魔術師を捕縛するのは、やはり結界に魔術攻撃をされたくないからなのでは。ロヴィニアは次第にそう考えるようになった。あの噂はあながち間違ってはいないのではと。
深夜、結界の周辺複数個所で同時に魔術攻撃が行われた。
結界は今まで通り、すうっと攻撃を吸収する。だが、魔術師たちは休むことなく攻撃を続けた。魔力が尽きるまで。
ローグヴェーデンの国境を守護する役目を担う緑の騎士団は、魔力の尽きた魔術師を捕えようと、毎夜哨戒を強めていた。
時折彼らは鉢合わせ、交戦する。
朝には双方姿を消すため、一見何事もなかったかのようだが、水面下での戦いは次第に激しくなっていった。
アーロンは連日、結界への魔術攻撃の報告を受けて、大丈夫だとは思いつつも、内心はひやひやしていた。
結界に魔術攻撃をすればするほど結界の崩壊が早まる、というのはある意味真理なのではないかと思う。結界が攻撃エネルギーを吸収するとはいえ、結界に組み込まれた魔術回路に想定以上の負荷をかければ、壊れる時期が早まるのは当然の帰結ではないかと。
今は元々、結界の寿命があと残り僅かと知っているから壊されたとしてもそれ程ダメージは受けないが、結界が創られたばかりのころに総攻撃を受けていたらと思うとぞっとする。十年とは保たず、数年で破壊されていたのではないか。
だが、そんな心配を吹き飛ばしたのはラウラだった。
「アーロンさまは魔術師ではないから、ご理解出来ないのですね。お姉さまの創った結界は、例えロヴィニアの黒魔術師が全員で最大級の攻撃を十年続けても、壊れるようなものではないのですよ。負荷にもならないレベルです。それだけ、お姉さまの魔力は稀有だったのです」
ラウラは結界が攻撃で壊されるなど、微塵も思っていない様子だった。
「それならロヴィニアの黒魔術師たちも、いくら攻撃しても無意味だと分かっていながら攻撃をしているのか…?」
アーロンの問いに、ラウラは眉根を寄せた。
「…クリストフェルさまから伺ったのですが…、ロヴィニアの黒魔術師たちは、幼い頃から調教され、命令に絶対服従を強いられているのだとか。魔術師としての意見など聞いてもらえないのではないでしょうか」
アーロンは頷いた。捕えた黒魔術師たちの様子を見ると、それが真実味を帯びていると認めざるを得ない。
彼らは全世界を憎んでいるかのような、昏く荒んだ眼でこちらを睨み付けてくる。
生まれながらの黒魔術師はいない。彼らは虐待され、命を削られるような過酷な状況下を生き延びることで生まれるのだ。




