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巫女姫に捧げる銀の花  作者: 桐島ヒスイ
5章 赤髪の道化師
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「ルジェク…さんのこと、知ってたの、ラーシュ…?」

 呆然と自分を見上げているウルリーケに、ラーシュはゆっくりと目を合わせると、頷いた。

「…うん。…ローグヴェーデンの奇蹟の日と言われた、ウルリーケが倒れたあの日の夜に…一度だけ、現れた。報告を聞いてそうじゃないかと思っていた」

 部屋に沈黙が落ちる。ウルリーケはラーシュの碧の瞳をじっと見つめた。ラーシュは目を逸らさなかった。

(…じゃあ、この旅に一緒に行くと言ったのは…)

 どくりと心臓が不穏な音を立てる。

 ウルリーケがルジェクに視線を滑らせるとルジェクは微笑んだ。懐かしむように、嬉しそうに。

「僕はずっと君のことを想っていたよ」

 ルジェクのルビーの瞳がウルリーケの視線を絡めとる。

「迎えに行くつもりだったのに…先に君に見つけられてしまったね。十年かかってしまったけど…やっと君を救う手だてが見つかったんだ」

 ウルリーケは息を飲んだ。ではやはり、この銀の花はウルリーケのための魔術なのだ。

「どうして…。同族だからって、そこまで」

 ウルリーケの零した疑問に、ルジェクは笑みを深めた。

「…同族は家族のようなものなんだよ。この世界は魔術師に優しくない。数も減って、我らが生きるのは酷く難しい。ロヴィニアや、他の国に利用されずに、自分たちの好きに生きるには協力し合って隠れて過ごすしかない。そうして細々と、僕たちは小さな集落を作って隠れ住んでいるんだ。僕らは古い時代の生き残りだ。いずれ滅びる種族だろう。現に年々生まれてくる子供も減っている。だからこそ、今この時代に生まれて来た仲間が幸せに生きていられるように願わずにはいられないんだよ」

 温かい眼差しは、ウルリーケの知らない「家族」を思わせた。胸の奥がじんわりと温まる。「兄」がいたらこんな感じだろうか。

 ルジェクが花を差し出した。

「これを君に」

「お待ち下さい、姫」

 受け取ろうとしたウルリーケを、アーロンが遮った。アーロンは冷静な眼差しでルジェクを見つめていた。

「お気を悪くしないでいただきたい。…貴方がロヴィニアの魔術師でないという証拠は?」

 アーロンの鋭い眼差しに、緩んでいた空気が緊張を孕む。ルジェクはパチパチと瞬いた。

「証拠…?うーん……。敵意はないと分かって貰えればいいのかな?」

 ルジェクは手に持っていた花をくるりと返して反対側の手で花びらに触れた。魔力に反応して、蝶が浮かび上がる。花は直後に青い焔に包まれて消えた。実験と同じ過程を辿っている。蝶はひらりと舞って、ウルリーケの身体に吸い込まれた

「…!」

 かなりの量の魔力が注ぎ込まれた。ラウラの蝶の十倍くらいの濃度だ。

(これがこの人の魔力?)

 それを惜しげもなく、ウルリーケに差し出した。今日一日、魔力が使えなくなるはずなのに。

「安心していいよ。この魔術は例え黒魔術師の黒い魔力でも、身体に影響はない。君の魔力が黒くなることもない。僕も自分で試してみたんだ」

 ウルリーケは目を見開いた。

(そっか…。この魔術を完成させるためには相当な試行錯誤があったんだ)

 当然といえば当然だが、改めて、ルジェクへの感謝の気持ちが湧いてくる。

銀のクロッカスには吸い取った魔力をウルリーケへ導く魔術が込められている。これをロヴィニアが創らせたとは思えない。もしそうだとしても、使用するのはウルリーケを捕まえて、黒魔術師にしてからだろう。旅籠のなんの警備もない部屋に無造作に大量に置いておくはずがない。

アーロンは潔く謝罪した。

「ご無礼をお赦しください」

「いいよ、当然のことだ。でもこれで、心置きなく受け取って貰えるかな?」

 改めて差し出された花を、ウルリーケははにかんで受け取った。

「…ありがとう」

 ルジェクの表情はどこまでも優しい。その光景は、病の妹のために自分のすべてを捧げる兄のように、見返りを求めない、純粋で気高い行為に見えた。ラーシュは視線を伏せた。対して自分はどうだろう。この十年、何も出来なかった。小鳥を鳥籠に閉じ込めただけ。ウルリーケの側にいる資格が自分にあるとは思えなかった。

 そんなラーシュの様子を、ルジェクはちらりと見やった。口の端に皮肉気な笑みが浮かぶ。

「何をそんなに落ち込んでいるのかな、王様」

 ルジェクの言葉に、ウルリーケは驚いて隣を仰いだ。ラーシュの顔は蒼褪め、碧の瞳は昏く陰り絶望を浮かべている。

「…ラーシュ?」

 ウルリーケを救う手だてが見つかったというのに、喜んでくれないのだろうか。ウルリーケの声に、ラーシュの肩がびくりと揺れた。ラーシュは恐る恐るといった感じに、ゆっくりとウルリーケに顔を向けた。その目は泣きそうに歪んでいた。

 ウルリーケは目を見開いた。

(どうして)

 ぎゅっと心臓が縮む感覚がした。

 ラーシュは目を伏せると、両手を膝の上で合わせ、ぐっと握り込んだ。金の髪がさらりと零れて、ラーシュの目元を隠し、表情が見えなくなった。

「…ずっと、ルジェク殿のことを言えなくて、ごめん…。ウルリーケの命を救う最大の手掛かりを知っていたのに。…ウルリーケが知ったら、結界を出て、ルジェク殿の元へ行ってしまうと思った。…そのくらいなら、閉じ込めてしまおうと思った…」

 ラーシュの告白に、ウルリーケは胸を押さえた。瞬きもせず、じっとラーシュを見つめる。視線を逸らせなかった。ウルリーケの視線に気付いたのか、ラーシュが伏せていた目を上げる。碧の瞳が灰銀色の瞳を捉える。いつもは明るく綺麗に輝いている碧がウルリーケの拒絶を恐れるように、苦痛を堪えるように歪む。

「…ぼくは最後まで、今も、君を奪われまいと、みっともなく、こんなところまで付いてきた…」

 ウルリーケは言葉に詰まった。

 胸にこみ上げるこの気持ちを、どう伝えればいいのだろう。

 閉じ込められていたとは思っていない。実際、彼女は檻を出た。あっさりと。願っただけでそれは叶った。

本当は、いつでも出られる檻だった。そんなものを檻とは呼ばない。それに――。

さまざまな想いが渦巻いて、上手く言葉が出てこない。室内に沈黙が満ちる。


 くすりと笑声が零れた。それはとても小さな音だったのに、しんと静まり返った室内には大きく響いた。全員の視線が音の元に集中する。

 ルジェクは面白そうに笑っていた。からかうような笑みを浮かべてウルリーケを見つめる。

「…君は、この十年、幸せだった?」

 ウルリーケは瞬いた。その質問なら、するりと答えが出る。

「…とても」

 考えるまでもなく。答と共に、自然に笑みが浮かぶ。その場にいた全員が見惚れた。

 …束縛は、必ずしも枷ではなかった。

「私が、生きたいと願ったのは、ラーシュやラウラ、エリアスや白銀のみんながいてくれたから。だから私が帰る場所は、一つしかない」

 ウルリーケはラーシュの両手をとった。ウルリーケはにっこりと笑った。ラーシュは陶然とウルリーケを見つめていた。

「…本当はね、ラーシュの側を離れるのが…怖かった。ほんの少しの間でも、離れたら…もう側には近寄れなくなるかもしれないって。でも、それじゃあとはただ死を待つだけ…。可能性もなくなる。だから、ルジェクさんに会おうと思った。未来を掴むために。少しでも可能性を広げるために。…この先もずっと…ラーシュの側に居られるように」

 それだけじゃなく、ウルリーケを狙ってローグヴェーデンに攻撃を仕掛けてくるつもりなら、会いに行ってやろうと思った。反撃してやろうと思った。そのためなら、最後の力を振り絞って、魔力を使い切ってもいいと思っていた。

「…ラーシュが付いてくるってきいて、…本当は、嬉しかった。…危険だと、分かっていたけど、でも。…やっぱり、一人で死ぬのは怖かったから…。みっともなくなんか、ない。閉じ込められたなんて、思ってない。ラーシュは私に居場所をくれた」

 しっかりとラーシュの瞳を見つめて、想いを込めて一言ずつ、ゆっくりと紡ぐ。

 ラーシュの瞳から涙が溢れた。彼は瞬きもせず、ウルリーケを見つめた。ウルリーケは、ラーシュの瞳は綺麗だなと思った。この世に一つしかない煌めく宝玉のよう。

「ぼくの側に、いてくれるの…?」

 こくりとウルリーケが頷くと、ラーシュは一瞬嬉しそうな表情をした。しかし直後に顔を伏せた。

「…ダメだよ、君はルジェク殿のところへ行くべきだ。やっぱり、生きて…欲しい」

 ウルリーケは瞠目した。…ラーシュは、ウルリーケを手放すつもりなのだ。くらりと眩暈がした。

 その時、呆れたような声が響いた。

「莫迦だね、王様は」

 ラーシュがむっとして振り向くと、ルジェクの苦笑が零れた。その顔は馬鹿にしているのではなく、仕方ないなぁというような親しみがこもった表情だった。

「僕が迎えに行くと言ったのは、もしもウルリーケが、用無しの魔術師として蔑ろにされるようなら、という意味だったんだよ。選ぶのはウルリーケだ」

 ラーシュは目を見開いて食い入るようにルジェクを見つめた。ルジェクは微笑んで、ウルリーケを見つめた。

「居場所があるなら、いい。僕たちの里は、世間から隠された…何もない場所だから。ただ、いつでも逃げ込める場所があることだけは覚えておいて。里はいつでも君を受け入れる」

 ウルリーケも、ルジェクの言葉を一言も漏らすまいといった真剣な面持ちで聞いている。ルジェクのことを、本当の家族のように感じた。涙腺が決壊しそうだ。

 ふと、ルジェクの言葉に既視感を覚えた。いつでも逃げ込める場所。

『この国の民がもしウルリーケさまに害をなすようなら、僕はウルリーケさまをこの国から連れ出そうと思ってたんだ』

 そう言ってくれた少年を思い出す。ウルリーケはルジェクに躊躇いがちに訊ねた。

「…ルジェクさん、金色の髪と瞳の少年を、知っている…?」

 その問いに、ルジェクはおや、というように片眉を上げた。

「ノアに会ったの?」

(ノア)

 それがあの少年の名前なのか。

「私を…国外に連れ出してくれると言っていたの」

「…へぇ。ノアが…」

 ルジェクは驚いたように目を見開いていたが、それよりも心臓を貫かれたような衝撃を受けたのはラーシュの方だ。

「ウルリーケ!?国外に連れ出すって何!?ノアって誰!」

 少年のことは秘密にしていたことに、やっと気付いたウルリーケだった。

「あ…、ええと」

 どこから説明すればいいのか。目を泳がせるウルリーケに、ラーシュの不安は煽られる。ウルリーケの両肩をつかんで灰銀色の瞳を覗きこむ。目が怒っている。理不尽だ、とウルリーケは思った。ウルリーケだって、ちょっと怒っているのだ。ウルリーケはふて腐れたように軽く唇を尖らせた。

「ラーシュはさっき、私をルジェクさんに引き渡そうとしたくせに」

「う…」

 痛いところを衝かれて、ラーシュは言葉を飲んだ。

 そこへ地を這う様な低い声が響いた。

「…陛下。お姉さまを手放そうとなさるとはどういうおつもりですか。…少々話し合う必要がありそうですわね…?」

 にっこりと微笑みを浮かべるラウラから、冷気が漂ってくる。

「いや、あれは…」

 ラーシュのこめかみに冷や汗が滲む。

 三人のやり取りには構わず、それまで黙っていたレオンが初めて口を開いた。

「…ルジェク殿。ノアなる少年は密偵のような役割なのか。何のために?銀の花を置いていったのは彼の仕業か」

 凄腕の剣士であるレオンは、端正だが若干目付きが鋭く、強面の部類に入る。そんなレオンが目にギラリと強い光を浮かべて、ルジェクを睨み付けるように眇めているとかなり迫力がある。

 しかしルジェクは特に動じた様子もなく、困ったように肩を竦めた。

「ノアにはウルリーケを見守って貰っていたんだ。密偵というほどのものじゃないよ。花については、おそらく彼の仕業だろうね。詳しい状況は分からないけど」

 花という単語を聞いて、ウルリーケは本題を思い出した。ラーシュも脱線していたことに気付いたようだ。

 ウルリーケは先ほどルジェクから贈られた花を見つめた。

(この花は他の魔術師の魔力を奪う…)

 ウルリーケの表情が翳ったことに気付いたのか、ルジェクは気遣うように微笑んだ。

「…その花について、話をしようか」


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