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巫女姫に捧げる銀の花  作者: 桐島ヒスイ
5章 赤髪の道化師
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 それは十年前のこと。後にローグヴェーデン奇跡の日と呼ばれる日の夜更け。

 大がかりな魔術を発動し、倒れたウルリーケはラーシュの部屋に運び込まれた。それまでウルリーケの存在を知らなかった城の者は突然若き王が連れて来た魔術師の少女に戸惑ったものの、少女がたった一人で侵攻してきたロヴィニア皇国軍を退けたことを知り、手厚く介抱した。ウルリーケは高熱を発していた。侍医に診せ、熱冷ましの薬を飲ませたがまだ効いていないようだった。ラーシュは侍女たちを下がらせ、寝台の横の椅子に座る。ウルリーケの額の布を替えようとした時だった。

 後ろで何かが光ったような気がした。ラーシュが振り返ると、そこには一人の少年がいた。

「…!?」

 ラーシュは驚きに一瞬動きを止めた。焔のような紅い髪に紅い瞳。美しいが、どこか現実離れした、精霊のような容貌。

少年はゆっくりと視線を巡らせて、ウルリーケに目を止めた。

「こんな小さな子が……、可哀想に……」

 言いながらゆっくりとウルリーケの元へと音も立てずに歩く。寝台の、ラーシュとは反対側に立った少年がウルリーケに触れようと手を伸ばしたのを見て、ラーシュはハッとした。

「誰だ!ウルリーケに触るな!!」

 ぱしっと音を立てて少年の手を払うと、少年は今ラーシュに気が付いたように、すっと視線をラーシュに向けた。

「…君は…」

「質問に答えろ」

「……君には魔力はないようだね。…僕はこの子の同族。こんな風に倒れるほど無茶な魔力の使い方なんて、僕らの里にいればさせなかったのに」

「…里?」

「…そういうわけだから、この子は連れていくよ」

「待て!ウルリーケを連れて行くな!」

 唐突にウルリーケを攫おうとする少年から守るように、ラーシュはウルリーケの身体を抱きしめた。少年は温度のない目でラーシュを見つめる。ラーシュの背筋が凍えた。断罪されているような心地がした。

「この子はこの先ずっとこの姿のままだよ。……それでも君は、この子を幸せにできる?」

「!?…どういう意味だ」

 少年は片手をウルリーケの額にかざすと、哀しげに眉根を寄せて呟いた。

「魔力を使い果たしてる。……これでは成長はおろか…もはや長くは生きれまい」

「……!!」

 少年の言葉に、ラーシュは息を飲んだ。

 その時、ウルリーケの瞼が震えるように瞬いた。

「ラー…シュ…」

 小さく零れた声は己の名を呼ぶもので。

「わたし…うまく、できた?」

「っ…ウルリーケ、完璧だった。ロヴィニア軍は帰っていったよ」

 ラーシュが状況を伝えると、ウルリーケは嬉しそうに笑った。

「よ…かった」

 そうしてすっと気を失うように意識を手放した。ラーシュはウルリーケの手を握りしめた。

「ウルリーケ、死んだらだめだっ…」

 涙をだらだらと零しながらウルリーケを揺すり起こそうとするラーシュの後頭部に、少年が手刀を叩き込んだ。

「乱暴にしないで。縁起でもないこと言わないで。彼女は今疲れて眠っているだけだ。起こすな」

 最後は少し厳しく命令口調で言った少年に、ラーシュは目をパチクリさせた。

「で、でもさっきは、長くは生きれないって…」

「言ったけど、今すぐ死ぬってわけじゃないよ。寿命を縮めたってこと。魔術師としてはもう、ダメだけど、普通に生きる分にはあと何年かは…って、ちょっと、聞いてる?」

 ウルリーケが今すぐ死ぬわけではないと知って、ラーシュは嬉し涙を流した。

「よかった…ウルリーケ…」

「…全然、良くはないんだけどね…」

 今すぐ死ぬわけではないが、そう長くはないのだ。そこまで喜ぶほどの朗報ではない。それなのに手放しで喜ぶラーシュに、少年は呆れながらも少し笑った。

「…君はこの子を大切に思っているんだね」

 頷くラーシュに、少年はウルリーケへと視線を落とす。その眼差しは優しく慈愛に満ちていた。

「この子も…君を信頼しているようだった。…だから今は君に預ける。その代わり約束して。この子の幸せを第一に考えるって。それが出来ないなら、今ここで別れた方がいい」

 少年は顔を上げて、紅い瞳をラーシュに向けた。

「僕らの里はこの子を歓迎する。たとえもう魔術が使えなくても、大事にする。この子がいなくなってもあの結界は大丈夫だよ。それは保証する。だから君は王としてこの子を損得で考える必要はない」

 少年がラーシュを王と言ったことに、少し驚いた。だが今はウルリーケのことを守らねばならなかった。

「ウルリーケは僕の妹みたいな子だ。大事に決まっている。魔術が使えなくても関係ない。大切にする」

 ウルリーケを失うことなど考えられなかった。ウルリーケの姿がずっとこのままだと言った少年の言葉の意味も正確には理解できていなかったのかもしれない。ただ、突然現れた精霊めいた謎の少年にウルリーケを渡すことなど出来るはずがなかった。

 少年は吟味するようにじっとラーシュの瞳を見つめた。ラーシュが少年の言葉を完全に信じたわけではないことを恐らく少年は悟っていただろう。けれど少年は長い睫毛を伏せると、頷いた。

「…わかった。この子が白魔術師であることからも、君がこの子を大切にしてくれたことがわかる。今は僕も、この子の状態をどうにもできないから。でも、この子の命を救える手だてが見つかったら、もう一度迎えに来るよ」

少年はウルリーケの額の髪を払うと、少しかがんでそこにそっと口付けを落とした。

「な…」

 ラーシュが気色ばむと、少年はちらりと視線を向けた。

「少しだけ回復させておいた。あとは頼むね」

言い終わると、少年はすうっと消えた。ラーシュは目を瞬いた。そこには始めから誰もいなかったかのように、何の痕跡もなかった。

「…本当に、精霊…だったのかな」

 だが、少年の言葉通り、先ほどよりウルリーケの頬に色が戻っているようだった。寝息も心なしか穏やかだ。

 ラーシュはほっとして、そのまま眠りに落ちた。少年のことは夢の中の出来事のように感じた。


 ラーシュは少年のことを誰にも告げなかった。白昼夢のようでもあったし、特に害もなさそうだったからだ。

 それから一年経って、二年経ってもウルリーケの姿に変化はなかった。そして気付いた。あの時現れた少年の言葉。「ウルリーケの姿はこの先ずっとこのまま」だという、呪いの予言ような言葉が真実だったということに。

 ラーシュは思い出した。少年が、「ウルリーケの命を救う手だてが見つかれば、迎えに来る」と言ったことを。

 ラーシュはまた少年が現われてウルリーケを攫ってしまうことを恐れた。だから少年が来る前に何としても方法を見つけたいと思った。けれどそれと同時に、彼女の命を救う手だてがあるなら早く来てほしいとも思った。相反する気持ち。複雑に乱れる心。

 それでもラーシュは少年のことを誰にも言えなかった。少年の名前も居場所も、少年が良策を見つけられるかも、分からなかったから。ぬか喜びはさせたくない。――それは半分はその通りだったが、もう半分は少年のことを誰にも言いたくないラーシュの言い訳だった。

 ウルリーケを大切に思っている。なのに自分がしていることは彼女を鳥籠に閉じ込めることだ。魔術に関して何も知らない自分より、同族の者がいる里に行った方が、情報を得られる可能性があるだろう。それなのに、その里を探そうともせず、籠から出そうともせず、徒に時が過ぎるのを見送っている。

 このままではウルリーケを失ってしまうのに。それは嫌だった。ウルリーケを幸せにしたいと思っている。けれどそのために彼女を手放すことはどうしても出来なかった。

ラーシュは、ウルリーケが自分の目の届かないところで生き延びるよりも、いっそ彼女の最期を自分の腕の中でと、願ってしまった。

 歪んだ愛情。醜い欲望。それが間違っていることだと、誰より自分が分かっていた。


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