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巫女姫に捧げる銀の花  作者: 桐島ヒスイ
1章 幼女趣味の王様
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場所はローグヴェーデン王国王宮。時は緑の美しい季節のある昼下がり、森と湖に囲まれた美しい佇まいの白亜の城は、鳥の囀りと流れる水音、風による葉摺れの涼やかな音色に包まれている――といいたいところだったが、とある一部の不届き者――回廊を爆走する青年とそれを追いかける集団――によって穏やかな静寂は無粋に破られていた。

「陛下―――!お待ちくだされ―――!」

「いやだ―――!」

「陛下!側女でも構いませぬ!せめて一人だけでも――!今なら選りすぐりの美女がより取り見取りですぞ―――」

 追いかけている集団は国王付の侍従たち。たたき売りのごとく美女の肖像画を数十枚も引っ提げている。

逃げている青年はローグヴェーデン王国の若き国王、ラーシュ・エリク・ローグヴェーデン。御年二十二歳の独身。すらりとした長身、均整の取れた引き締まった身体。柔らかく波打つ髪は淡い金色、気品のある瞳は澄んだ碧。秀でた額にすっと通った鼻筋。目を奪われずにはいられない美貌の青年だ。

若いながらもその在位は十年に及び、安定した治世を築いている。十年前に列国の脅威から国を守った英雄として国民の人気も高い、ほぼ完全無欠の王様だ。

 しかし残念なことに彼は―――。

「ぼくにはウルリーケがいればいい―――!」

言いながら国王専用の壮麗な図書室に駆け込むと、奥の席で古びた書物に埋もれていた美しい少女――七、八歳くらい――を胸に掻き抱いた。


侍従たちは頭を抱えこんだ。女官たちも遠い目をした。彼ら彼女らが敬愛する国王陛下の唯一の欠点。彼は―――


……幼女趣味、だったのである。



読んでいた古い医学書から顔を上げ、ウルリーケは必死に自分にしがみつく王様・ラーシュを困ったように見下ろす。腰下まで伸びたさらさらの髪は真珠のような光沢を帯びた神秘的な白銀、幼いながらも整った可愛いらしい顔立ちと相まって、さながら妖精のようだ。けれどそんな愛らしさとは裏腹にラーシュを見つめる灰銀色の瞳は八歳とは思えぬほど理知的で大人びていた。

「…ラーシュ、あまり我儘を言って皆を困らせるの、よくない。王族の結婚は義務。ラーシュはもう二十二歳。いつまでも逃げてはいられない。そろそろ真面目に考えたほうがいい」

「そんな、ウルリーケ…!」

八歳の少女に道理を諭される王様。明らかに理は少女のほうにあるのだが、ラーシュは裏切られたとでもいうように愕然と目を見開き、哀しげに項垂れる。しかしウルリーケの腰に回した腕をほどこうとはしない。

「ラーシュ」

「ウルリーケ、ぼくは」

「はいはい、ラーシュそこまで。ウルリーケさまの邪魔しない~」

 軽い口調でウルリーケからラーシュを引き剥がしたのは、ラーシュの従兄弟で側近のエリアス・レーヴェンフェルトだった。髪と眼は珍しい濃い藍色で、甘く整った容貌はため息が出るほど美しく、宮廷内で貴婦人たちの人気をラーシュと二分している貴公子だ。(ラーシュの性癖は一部の者しか知らないためラーシュも普通に人気がある)

「は、離せエリアス!ぼくは朝から侍従に追いかけられて心が疲れ切っているんだ!ウルリーケを抱きしめないと発狂する!」

「もうすでに狂っているから問題ない。いいからさっさと仕事に戻れ」

笑顔でばっさり切り捨て、ラーシュを追い出そうとするエリアスに、ウルリーケが声をかける。

「エリアス、あなたも戻って」

「はっ!そういえばエリアス、今日は朝から姿を見ないと思ったらまさかずっとウルリーケと一緒だったのか?ずるいぞ!」

 ウルリーケの言葉にラーシュは、エリアスが自分だけこの場に残るつもりであることと、先ほどウルリーケから引き剥がされたタイミングが絶妙すぎたことの意味を瞬時に悟り、憤慨する。それに対してエリアスは「ばれたか」と小さく呟いて、仕方なさそうにラーシュに説明した。

「ウルリーケさまの護衛としてね。レオンがどうしても外せない用があるとかで代わりに。――だから俺は戻りませんよ?」

最後の一言はウルリーケに向けてだ。

ウルリーケには常時護衛が付いている。出歩けるのも、常に衛兵の配置されている王宮内の国王の私的居住区域と、王宮に隣接する神殿のみだ。

(本当はそこまで厳重に護られる必要は、ないのだけど…)

 ウルリーケ専属護衛のレオン・クランツは騎士団から抜擢された凄腕の剣士だ。そんな人に自分のような小娘の護衛をさせるのは申し訳ないと思っているのに、その代役が宮廷の花形貴公子とは明らかに配置を間違えている。そう思ったのが伝わったのか、エリアスが心外そうに片眉を上げる。

「ウルリーケさま、俺はこれでも結構強いですよ?」

(…気にするべきところはそこじゃないと思う)

 だが、エリアスが強いのは事実なのでこくりと頷く。

「知ってる。エリアスが有能なことも。…だから私は、私のことだけを考えていられるの」

 そう言うと、二人ははっとしたように息を飲み、押し黙った。ラーシュを見ると、縋るような目をされた。安心させようと微笑むと、がばっと抱きしめられた。

「ウルリーケ、愛している…!!」

「…うん」

 ぎゅっと抱きしめて、愛していると伝える。二人にとってそれは、一日に一回は行う、挨拶みたいなものだった。いつもなら充電完了と言って、ラーシュは公務へ戻るのだが、この日はなかなかウルリーケを離そうとしなかった。

(ラーシュ…?)

どうしたのだろう。というか、今日のラーシュはいささか情緒不安定だ。本人の言葉通り、侍従に追いかけまわされて、追い詰められて発狂してしまったのだろうか。訝しんでラーシュの顔を見ようと身じろぐと、ラーシュの腕にきゅっと力がこもった。その腕が微かに震えていることに気付く。

「ラーシュ…」

 困惑したウルリーケが助けを求めてラーシュの肩越しにエリアスを見上げると、視線に気付いたエリアスはふっと微笑んだ。なんとなく、直前まで浮かんでいた別の表情を隠されたように感じた。

「…仕方ないですね。ラーシュは俺が連れて行きます」

 言うなり、ぐいっとラーシュの襟首を掴んで立ち上がらせる。

「エ、リアス?ウルリーケの護衛、は…」

 襟首を掴まれて苦しげに喉を詰まらせるラーシュを容赦なく引きずりながらエリアスは答える。

「レオンがじき戻る。…それまでは図書室の中に衛兵を置く。念のため神殿から魔術師も呼んでおく。だから行くぞ、これ以上ウルリーケさまの邪魔をするな、ラーシュ」

 きつく睨まれて、ラーシュは息を飲んだ。

「…わかった」

 エリアスは既に表情を和らげていたが、ラーシュは叱られた子犬のように項垂れたままとぼとぼと図書室の出入り口へ向かう。なんだか可哀想になってウルリーケはラーシュに駆け寄った。

「ラーシュ。…ええと、夜、会いに行く」

 途端にラーシュが元気になった。満面の笑みだ。それを見て、エリアスは溜息をついた。

「…甘やかしすぎです、ウルリーケさま」


 ラーシュとエリアスが退室してのち。

ウルリーケは開いていた本を溜息と共にそっと閉じた。…この本にも欲しい情報は見つからなかった。それ程期待はしていなかったから落胆はしない。ここで落胆するくらいならとっくに諦めている。なぜならウルリーケはこの十年間、国中のありとあらゆる書物や情報屋をあたったが、それを見つけられなかったのだから。

諦めるつもりはないが、溜息を吐いてしまったのは、…もうあまり時間がないからだ。

(…ラーシュ)

 それでもウルリーケが最期まで探そうと決めたのは、ラーシュが待っていてくれるからだ。机に積み上げていた別の古書を開き、難解な古語に眉を顰めながらも読み解いていく。

多分この世のどこにも、ラーシュの求める答えなど存在しないだろうけれど。


ウルリーケの刻は止まっている。十年前のあの時から、八歳の姿のまま。それはウルリーケが支払った代償。ラーシュを、ローグヴェーデンを、守るために。


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