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翌日。空は曇り、どことなく薄暗い。
まるでウルリーケの不安な心を表しているかのよう。赤髪男のこともだが、ラーシュにどんな顔をして接すればいいのかわからない。昨夜は大きな寝台の端と端で離れて眠った。ぎこちなく顔を逸らすウルリーケに、ラーシュが捨てられた仔犬みたいな顔で近付いてくる。
「ごめん、ウルリーケ。怒ってる?」
怒っているわけではない。だが、恥ずかしすぎて、まともに顔を見られない。そのためぷいっと顔を逸らしてしまうのだが、そうするとラーシュが傷付いた表情をするので、ウルリーケは内心罪悪感を覚えた。
(ど、どうしよう…)
ちらりと盗み見ると、ラーシュは心底参ったような、哀しそうな顔をしていて、ウルリーケの胸がざわざわと騒ぐ。眠れなかったのか、顔色も悪いようだ。
「ね、眠れなかったの?」
数歩離れた場所から、ちらりと後ろを振り返って、でも顔は横を向いたまま問うウルリーケに、ラーシュは遣る瀬無さそうに苦笑いを浮かべた。
「ああ、うん…。ウルリーケを抱きしめないと、眠れない…」
その抱き枕発言はなんなのか。別に王宮でいつも一緒に寝ているわけではない。だが確かに、目の前にいるのに背中を向けられて拒絶されていては、心安らかに眠ることなどできないだろう。ウルリーケの罪悪感が頂点に達する。
(~~~~~!!)
ウルリーケはつかつかと早足でラーシュに向かって行くと、がばりと腰に抱き付いた。羞恥心と葛藤している場合ではない。ラーシュが驚いたようにウルリーケを見下ろす。
「お、怒ってない!…でも顔、見れない…それはラーシュが悪いんだからね!」
言いながら顔を真っ赤にしてちらりとラーシュを仰ぎ見ると、蕩けそうな笑顔を向けられた。心底幸せそうだ。ぎゅうっと抱きしめられる。
「…うん、わかった。ごめん。でももうしない、とは言わない」
「!?」
「だから、慣れて、ウルリーケ」
「………」
にこりと笑うラーシュの顔は美しいのに、何故か悪魔に見える。ウルリーケは仏心を出した自分を説教してやりたいと思った。
**
午後になり、雲間から日光が差し込むようになった。
約束の時間が近付いた。
ラーシュのおかげ(?)で、午前中があっという間に過ぎてしまったため、ウルリーケは変に緊張することなく、時間をやり過ごすことが出来た。
白銀の騎士と黄の騎士、それぞれ二名ずつは先に出発して目立たぬように旅籠の周囲の警備につく。
旅籠は町の中心部に位置し、どっしりとした石造りの、老舗の風格のある建物だった。
ウルリーケとラウラ、ラーシュとアーロンは旅行客を装って旅籠に入ると、予約しておいた赤髪男の隣の部屋に入った。レオンは荷物持ちとして同行する。
時間を置いて、ミカルとロニーが旅籠に入り、別の階の部屋に入る。それからこっそりとウルリーケたちのいる部屋へと移動した。
隣の部屋に待機していた密偵から、赤髪男の様子に変化はないことを確認すると、一同は顔を見合わせ、頷いた。
扉をノックすると、中からどうぞと艶やかな声が聞こえた。レオンが警戒するように扉を開く。
部屋は二間続きで、扉から入ってすぐに居間があり、奥が寝室になっていた。
レオン、ラーシュ、ウルリーケ、ラウラ、アーロンの順に室内に足を踏み入れる。あとの者はいざという時、退路を確保するための要員として隣室で待機である。
居間に入った途端、一同は唖然とした。部屋の中央に置かれたふかふかの長椅子に座って何やら作業をしていたらしい赤髪男は、長い髪をかき上げながら振り返ると、ふんわりと微笑んだ。
「ようこそ。散らかっていて申し訳ないね」
部屋には溢れんばかりに銀色のクロッカスの造花が積み上げられていた。
部屋には男のほかには誰もおらず、男は来客のためにいそいそと立ち上がると、客室に備え付けられていた茶器を取り出し手ずからお茶の用意を始めた。
「適当に座って。今お茶淹れるから」
何やら楽しげに茶碗を並べている男に、ラウラが緊張しながらも申し出る。
「それなら私が」
「そう?お客さんなのに悪いね」
毒物の混入を警戒しての申し出だったが、男は屈託なくその役をラウラに譲ると、長椅子に戻り、作業の続きに取り掛かった。
一同は戸惑いながらも、男の対面にラーシュとウルリーケが座る。アーロンはその後ろ、レオンは入口横に立つ。
「ごめんね、もうすぐ終わるところだから、これだけやってもいいかな」
くるくると紙テープを巻き付けるかのように、花の茎に魔術を施していく。その手際は熟練の職人のように見事だった。
あっという間に男は銀の花を創り終えると、無造作に積み重なった花の上に乗せた。
全員が「内職職人か」と心の中で突っ込んだ。
「その花は…」
あまりの花の多さに圧倒されて呆然としてしまったが、この男はこれをどうするつもりなのだろうか。ウルリーケの零した呟きに、男は振り返って微笑んだ。
「やっと逢えたね、ウルリーケ」
男の言葉に、ウルリーケ以外の全員に緊張が走った。
親しげに名を呼ばれてウルリーケは戸惑った。気負ってここまで来たのに、なんだか調子が狂う。
男は整った顔立ちの、鮮やかな色彩の持ち主だった。背の中ほどまで伸びた艶やかな紅い髪に、ルビーのような真紅の瞳。服装は着心地の良さそうな柔らかい素材の黒の襟なしのゆったりとした上衣と、色は同じく黒だが、すっきりとしたラインの下衣。特に派手ではない。全員が、「普通だ」と思った。
「僕はね、十年前の君の巨大結界に心底度肝を抜かれたよ。魂を鷲掴みにされたと言ってもいい。あんなに美しい魔術は見たことがなかった。本当に驚いたよ」
賞賛の言葉と心酔の眼差しに、ウルリーケは肩の力が抜けるのを感じた。
(本当に調子が狂う…)
ウルリーケを褒めちぎる男に、ラウラは嬉しそうに同調した。
「まあ、なかなか話の分かる方ですわね」
朗らかに話していた男は、すっとその表情を哀しげに歪めた。
「…でもあんな大規模な魔術は、術者本人の命を奪いかねない。僕はすぐにウルリーケに会いに行ったんだ。あの術を君が本当に自分の意志で発動したのか、確かめるために。誰かに無理矢理強要されたのなら、あまりに非人道的だからね」
男の言葉に、ウルリーケ以外の全員が押し黙る。それはたった一人の少女にすべてを押し付けた自分たちの罪を断罪する言葉だった。
ウルリーケは首を横に振った。
「…強要されたんじゃない。私が勝手にやったの。守りたかったから。…ラーシュを、大事な人を。その人が守りたかったものを」
毅然と言うウルリーケに、男は微笑んだ。その笑みは嬉しそうでもあり、哀しそうでもあった。ウルリーケは不思議な気持ちがした。この人は同じ魔術師として、自分の境遇を憐れんでくれているのだろうか。会ったこともないのに?ふと、先ほどの男の言葉を思い出す。
「…会いに、行った?」
小首を傾げるウルリーケに、男は哀しそうに問うた。
「…覚えてない?」
ウルリーケは戸惑った。自分はこの男に会ったことがあるのだろうか。…思い出せない。
「…無理もないかな。あの時の君は、朦朧としていたし」
「…貴方は、誰?」
淋しそうに言われて、ウルリーケはなんとなく申し訳ない気持ちになった。
「名前はルジェク・ノア・ベルカ。…君は僕を覚えているかな、王様?」
「え?」
ルジェクの言葉に、アーロン以外の全員が驚いたようにラーシュを見つめた。ラーシュはゆっくりと顔を上げた。その眼差しは決然とし、覚悟を決めた者の目だった。
「…ああ。忘れたことはなかった、魔術師殿」