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エリアスはいくつかの書類を認めると部下に渡した。それから急いで重臣たちに召集をかける。矢継ぎ早に、何人かの部下に対していくつかの指示を出す。
ラーシュの旅行準備の手配までを終えた時、部下がある情報を持ってきた。エリアスは口の端を面白そうに歪めると、ある人物と会うべく、自身の執務室を後にした。
***
翌日にはラウラの魔力は元通りに戻っていた。そのことにウルリーケは安堵する。ターニャの様子から命に関わるような魔術ではないと推測してはいたものの、やはり気が気ではなかったのだ。
数日のうちに旅支度は着々と整えられていった。
ラーシュも同行すると聞いて、ウルリーケは唖然とした。危険だと訴えても、ラーシュの決意は固く、エリアスも諦めたように首を振る。アーロンまでも承知していると言われ、ウルリーケは途方に暮れた。
赤髪男がどんな人物か分からない以上、まだ銀の花の魔術を信用は出来ない。それに、他の魔術師から魔力を吸い取る術だ。ウルリーケのために他の魔術師を犠牲にすることも出来ない。実際に使用するには問題の多い魔術だと思う。なんの解決にもならないのかもしれない。それでもウルリーケには一筋の希望の光に思えた。それと、赤髪男がローグヴェーデンに対して何か仕掛けるつもりなのか、見極めたかった。けれど、そこにラーシュが加わることには賛成できない。王様がウルリーケのために命を懸けてはいけないのだ。だが、そんな説得に応じるラーシュではなかった。
「ウルリーケに行くなとは言わない。でもウルリーケが行くならぼくも行く。それは譲れない」
「ウルリーケさま、諦めてください。ラーシュが言い出したら聞かないの、ご存じでしょう?」
エリアスに諭され、ウルリーケは頷かざるを得なかった。そもそもエリアスが大反対しなかったはずがないのだ。その彼に諦めろと言われれば、受け入れるしかなかった。
赤髪男には密偵が張り付き、動向は補足している。幸いにも暫くはベルゲンに滞在するようだが、万一ロヴィニア皇国へ渡られてしまえば接触が難しくなる。支度は大急ぎで進められた。
ウルリーケは髪を茶色に染めて三つ編みにし、フードを被った。本当は髪を短く切って、男の子の格好をしようと思っていた。だが、男の子の服の調達と断髪をレオンに頼んだら、一気に蒼褪め、無言でどこぞへ消えると、間もなくラーシュとエリアスとラウラを連れて来て、三人に猛烈に反対されたため、断念したのだった。
髪ならまた伸びる、と言おうとして、ウルリーケはそんな時間は残されていないことに思い至る。
(…なら、惜しむべき、かな)
変装としては別人度が低いが、彼らを泣かせてまで強行する必要はない。
ラーシュも髪を茶色に染めて、いそいそと庶民的な服に袖を通した。庶民的とはいっても、地味だがある程度上等な上着だ。見立てたのはエリアスだ。
「大商人の跡取り息子あたりが妥当だろうな」
こちらも別人度は低いが、茶色に染めた髪を後ろに撫でつけて、上着を羽織り、首元に商人の証である緑色の飾り紐を巻けば、なかなか様になっている。
こういう時、幻影術が使えれば変装に苦労しないのになあ、とウルリーケは小さく溜息を落とす。結局少年は見つからなかった。気がかりを残したままローグヴェーデンを出ることに不安がないといえば嘘になる。だがやれるだけのことはしたのだ。あとのことは残った者に託すしかない。
「そういうわけで、ウルリーケさまは大商人の末娘、ラーシュの妹という設定です」
「え、婚約者じゃないのか!?」
不服を唱えるラーシュをさらりと無視して、エリアスはウルリーケの前に片膝をつくと、ウルリーケの両手をとった。
「ウルリーケさま。くれぐれもお気を付けて……無茶しないでください」
胸が痛くなるほど優しくて、真剣な眼差しは、ウルリーケへの愛情に溢れていた。ウルリーケは胸を衝かれ、言葉を失う。エリアスから目を逸らすこともできず、なんとか小さくこくりと頷くと、エリアスはふわっと微笑んだ。ほんの一瞬、ウルリーケの小さな手をぎゅっと握ると、エリアスは立ち上がった。
「では、留守番はお任せください。…必ず、無事に帰ってきてくださいね」
ウルリーケはまた、こくっと頷いた。
同行するのは、アーロン、レオン、ロニー、白銀の騎士団から五人、黄の騎士団からラーシュのための護衛を精鋭四人、神殿からラウラ、ミカルだ。ミカルは神殿の、ラウラに次ぐ魔力の持ち主で、結界魔術に優れている少年だ。いざというとき、魔力でウルリーケを守る者の同行は絶対だ。本来であれば、ラウラほど高位の魔術師が同行するのならばミカルが同行する必要はない。だが、先日の実験でラウラの魔力はほぼ空っぽの状態になってしまった。翌日には戻ったが、その時点ではまだその保証はなく、ラウラの代わりにミカルが筆頭として同行する手筈となっていたのだ。
例え魔力が戻らなくても、そもそもラウラにはウルリーケが国外へ出るのに、自分が同行しない選択などあり得なかった。
「行きます。魔力がなくても、お姉さまの盾くらいにはなれます」
ラウラの決意も然ることながら、赤髪男に対峙する際、花の魔術を実行されたらお手上げだ。念のために魔術師を二人配備することにしたのだった。
「ウルリーケさまのことは死んでも護れよ、ラーシュ」
「当然だ」
エリアスのとんでもない台詞に、真顔で即答するラーシュ。
(いや、ラーシュが死んじゃダメでしょう―――!)
しかし、ツッコミを入れたのはウルリーケだけだったようだ。ラウラも、レオンも、アーロンでさえ、エリアスの発言に頷いている。
(ダメだこの人たち)
自分がラーシュを守らなくちゃ、と使命感に燃えるウルリーケだった。