序
草原の向こうに小高い丘と黒々と広がる森が見える。そこが大国ロヴィニア皇国とローグヴェーデン王国の国境線だ。その国境線沿い、草原側に数万の軍勢が集結していた。
森から一人の少年と、その後ろに付き従うように少女が一人、進み出た。
「余は戦を望まない」
凛とした声が響く。その瞬間、軍勢と少年の間に森全体を包むように透明な壁が出現した。結界だ。絡まり合う蔦のように、複雑に織られた織物のように、その壁は幾種類もの魔法を紡いで、編み込み、結い合わせ、重ねた高度な防御結界だった。
ロヴィニア皇国の将軍は、最強の「武器」である黒魔術師たちに攻撃を命じた。彼らは破滅を貪る狂った獣のように、森を焼き尽くさんばかりの凄まじい火炎魔術を放った。
けれど攻撃は、森の手前で消失した。
彼らはすぐには何が起きたのかわからなかった。
もう一度、攻撃が命じられる。今度は何百本もの尖った氷柱を叩き付ける。…結果は同じだった。森の手前で氷柱は消えた。いや、吸収されたのだ。森を包む結界に、魔力を。
この結界に魔術は通用しない。ならば先に、この魔術を発動した魔術師を殺せば結界は解けるはず。だが、彼らの視界に映る範囲に魔術師の姿はない。いるのは少年と、少女だけ。少女が魔術師であることはおそらく間違いない。だが、結界構築の中枢を担う魔術師は、森の中に軍団で隠れているのだろうと、誰もが思った。その結界は、一人で紡げる規模ではなかったからだ。
森を焼くべく、火矢が放たれた。魔術ではなく、油を染み込ませた布を巻いた矢だ。だが、矢は見えない壁にぶつかると、失速し、墜落してゆく。いつの間にか、火は消えていた。
数十人の兵士が森へと突進した。けれど彼らは、森に届く前に、突然昏倒した。他の兵士たちは、何が起きたのかわからず、漠然とした恐怖に動きを止めた。
「結界に触れれば、気絶する。そなたらはこの国には入れぬ」
少年はそれだけ言うと、少女とともに、軍勢に背を向けて森へと歩み去った。その宣言通り、軍勢は結界を壊すことも、通り抜けることも適わず、たった二人の少年と少女を前に、なすすべもなく撤退を余儀なくされた。
結果的に、たった一言で少年は戦を終結させた。
のちに人々は、この日を「ローグヴェーデンの奇跡の日」と呼ぶ。




