出会いは別れ、別れは出会い その④
女の子らしい、ピンクを基調とした部屋の中で、あたしはとある人と向かいあう。
綺麗に整えられたツインテール。とても三十代とは思えないほど、きめ細かい透明な肌。
小柄な体型とは裏腹に、態度だけはやたら大きい、この人。
「えーっと、なんだっけ? アキラがいきなり倒れて、それで様子がおかしい、だったよね?」
小さなテーブルの上に、淹れたての紅茶が入ったティーカップ。
ふわふわと浮かぶ湯気を見ながらあたしは、「はい」と肯定する。
「まあ、その話を聞いた限りでは、アキラは幽霊に憑依された、そう考えるのが妥当」
「憑依、ですか……」
「そう、憑依。だから、そんなに慌てる必要はないよ」
ボスはあくまでも冷静で、あっけらかんと言った。
「どうしてそんなに……落ち着いていられるんですか⁉ いきなり倒れて、いきなり人格が変わって……それでも、それでもまだ! 大丈夫だって本当に言えるんですか……?」
思わず声を荒げてしまい、ボスは一瞬、面食らったような顔をした。
しかし、すぐにいつもの調子に戻して、ボスはニタリと笑う。
「そんなに心配? アキラのこと」
「し、心配に決まってます!」
「そっか。そっかそっか。ふーん、そうなんだ」
嫌な感じだ。
心の奥底をすべて見透かされ、あたしの気持ちを見抜いているかのよう。
ボスはズズッと紅茶を啜り、一間をおく。
「憑依っていうのは、そんな大事じゃない。というのも、幽霊が人間に憑依するためには、人間の許可が必要だから」
「許可……? それはつまり、アキラは憑依されることを受け入れたってことですか?」
「そういうこと。さすがに、何も考えなしに、幽霊に身体を貸してやるほど、アキラはバカじゃない。だからユリ、そう慌てないで、帰ってくるのをゆっくり待ちなよ」
幽霊に精通しているボスの言葉だ。たぶん、いや、絶対に、アキラは大丈夫なんだとは思う。
でも、もしそうじゃなかったら、もし大丈夫じゃなかったら、あたしはその時、何を思うだろう。
「あたしは――」
頬杖をついているボスに向け、あたしは言う。
「あたしは! アキラを助けにいきます。何ができるのかなんて分からないけど……もし何かあったら、絶対に後悔しちゃうから……だからあたしは、アキラのもとに行きます」
「あっそう。好きにすればいい」
「はい。好きにします」
まるで我儘な子供をあやすような目で、ボスはあたしを見る。
「若いっていいなぁ……」
やっぱり、そういう目であたしのことを見てたんだ。
「もう若くないですよ、あたしもアキラも」
「あはは、そうか――」
時計の秒針のリズム。
暖房から送りだされる風の音。
外で談笑する老人の笑い声。
そして……目を細めてあたしを見据えるボス。
「ユリ、君は一体、いつになったら元に戻るつもり?」
「え……?」
「言い方を変えれば、いつまで現実から目を背けているつもり?」
まさか。まさかまさか……。
「ボス……あなたは、あたしの秘密、気づいてたの……?」
うちを誰だと思ってる。そう言ってボスは、高らかに笑った。今まで誰にも話すことなく、ずっとあたしの心の奥底にしまっていたのに。
それなのに、いとも容易くばれてしまった。
一体いつから気付いていたのだろう。
もしかしたら、とっくの昔に、理解していたのかもしれない。
「どうして……どうして知っているのに、あたしのことを放っておいたんですか?」
「だって、うちらが何か言ったところで、その言葉はユリに届かないよ。酷く傷つけられたんでしょ? この世界に。もう二度と戻りたくない、そう思ってしまっても、無理ないよ」
「アキラには――」
ボスはあたしの言葉を遮る。
「教えてない。教えてないし、アキラは気づいてない。鋭いようで鈍感だよね、アキラって」
あたしはホッと胸を撫で下ろし、一息をつく。
「あたし、いつかはちゃんと、話さなきゃって思ってるんです。でも、そのいつかが、なかなか訪れなくて……」
「まあ、あまり思い詰めない方がいいよ。悩んだところで、何かが変わるわけじゃない」
「そう……ですよね」
今まで不愉快に感じたボスの頬笑みも、すっかり印象が変わってしまった。
アキラが照れ隠しで、あたしに酷いこと言ってくるのと同じように。
ボスの笑いからは、あたしが生きてる時には向けられることのなかった、優しさがある。
「あのさ、ユリ。亀の甲より年の功ってあるでしょ?」
突然の話題転換に、あたしはとりあえず「は、はい」と、頷いてみる。
するとボスは、孫と会話をするおばあちゃんのように、目尻にしわを寄せる。
「それじゃあ、これはうちからのアドバイス。女の人は、黙って男の人の帰りを待つべき、なんだと思うよ。アキラのことが好きなら、なおさらね。信用してあげな」
今日は本当に不思議だ。
いつもならあたしは、アキラへの好意をひたむきに隠し、全否定するはずなのに。
それなのに、今日は違う。
「はい……そうですよね。アキラは自分で、どうにかできますもんね。それじゃあ……あたしはアキラの家で、お帰りって言えるように、一番に言えるように、待ってます」
紅茶を一気に飲み干して、ボスは上手なウインクを決める。
「ユリはいい奥さんになれるよ、きっと」
「なれますかね……?」
「なれる。少なくとも、うちよりはね」
あたしは苦笑い。
たぶん、自虐ネタなんだろうけど、笑ってもいいのか判断に困る。
「そこ、笑うところ」
「あ、あは、あはは……」
「声が小さい。ほら、もっとお腹から声を出す」
「あはは……! ってやってられませんよ! こんなこと!」
両手をじたばたとさせ、猛抗議。
ボスは少しだけ頬をゆるめ、言った。
「ようやく元通りになったね。さっきまでユリ、酷い顔してたよ?」
自分の顔をペタペタと触り、ジト目でボスを見る。
「そう、ですか?」
「そうそう。笑顔がよく似合うんだから、笑わなきゃだめだよ」
さてと、と、ボスはおばさん臭い声を出し、立ち上がる。
「そろそろ帰りなよ。もしかしたら、アキラはとっくに帰ってきてるかもしれないよ?」
「そうですね。分かりました。じゃあ、失礼します」
片手をふらふらと揺らすボスに一礼してから、あたしはアキラの家へと帰っていった。