出会いは別れ、別れは出会い その②
「アキラ!」
あたしの頭は混乱していた。どうすればいいのかなんて分からない。
ただ、あたしに唯一できることと言えば、それは、アキラの名前を呼ぶことだった。
言葉を紡ごうとしていたのだろう。
アキラはわずかに口を開いていた。
けれど、一言も、発することはできないでいた。
いや、もしかしたら、何か言っていたのかもしれない。
でも、凄まじい風の波が押し寄せる中に、アキラの言葉は掻き消されてしまったのかもしれない。かもしれないし、そうじゃないかもしれない。
そんなことはどうでもいい。
とにもかくにも、あたしには何一つ、できることなんてなかった。
「アキラ……ねえ、アキラってば!」
人間でありながら人形のように、アキラはその場に崩れ落ちた。
膝を地面につけ、やがて、頭が地面にくっついた。熱心な信者のように、頭を下げる。
四肢が脱力し、アキラの動きは停止した。
顔色は……酷い。ザリガニの血液のように青く、生きているのか分からない。
何が、起きた。何が起こった。
震える自分の手を見つめながら、あたしはあたしを疑った。
まさか、あたしが何かやってしまったのか。
そんなはずがない。だってあたしは何もしていないのだから。
そう言い聞かせても、震えは止まることなく、むしろ増すばかり。
もし、もしもこのままアキラが死んでしまったら、あたしは一体どうすれば。
あたしの秘密、あたしの気持ち、あたしの存在。
その他諸々のあらゆるものを否定された、そんな気分だ。
あれ、なんで自分のことばっかり考えているんだろう。
なんで自分の都合ばかり、考えているんだろう。
こんなんだから、あたしはこんなに身勝手なやつだから、嫌われてたのに。
また同じことを、繰り返してる。
「アキラ! ねえアキラ! どうしたの……ねえ、アキラ……アキラってば……!」
重たいアキラの身体をゆすり、あたしはひたすら呼び掛ける。
届いているのかも分からない声を。
ちゃんと発することができているのか分からない声を。
どこから出しているのかも分からない声を、捻りだす。
そうして、ようやくあたしは自分の愚行に気がついた。
こんなことをしたって、何も変わらないのに。
「アキラ……?」
ぴくりとアキラの身体が動き、徐々に生気を取り戻していく。顔色は元に戻り、倒れこんだ状態のまま、アキラはわずかに口を開いた。
「俺は……」
「俺……?」
「俺は、死んでも死にきれない……」
「ちょ、ちょっと? アキラ? 大丈夫……?」
明らかにおかしい。死んでいないのは確かだけど、普通じゃないのも確かだ。
そっとアキラの顔に手を添えて、あたしは至近距離でアキラを見つめる。
「アキラ……?」
するとアキラは、何故か困ったような顔をして、あたしの手を静かにどける。
「すまない。俺は君が知っている、アキラ、という人ではないんだ」
「え? それ……どういうこと?」
頼りない足取りで立ち上がり、アキラは言った。
「少しだけ……この身体、アキラ君の身体を貸してもらう。本当にすまない。けど、悪さをしようってことじゃない。ただ単純に、想い人のもとへ、会いに行かせて欲しい」
「ちょっと待ってよ! どういうことか分かんない……だってアキラは、アキラでしょ……?」
「もう時間がない。悪いが、行かせてもらうよ」
まるで戦地へ赴くかのように、アキラは怖いぐらい真剣な眼差しで前を見る。
あたしのことなんて眼中にない。
ただ前だけを見て、歩く、歩く。
どうしてだろう……追いかけたくても、身体が言うことを聞かない。
次第にアキラの背中が遠くなり、ちょうど曲がり角を曲がったところで、あたしはようやく動き出した。
アキラを追いかけることはせず、あたしはある人の元へと急いだ。
だって、今のアキラは絶対におかしい。
まるで、何かにとりつかれてしまったような、そんな感じだ。
よく考えてみれば、分かる。
アキラの体質を考えてみれば、分かる。
アキラには幽霊が見える。つまり、それだけ幽霊との関係は、深い。繋がりは、深い。
だとすれば、今回、アキラの身に生じた異変も、幽霊が関与してると思うべきなんだ。
いつもは遅い思考回路も、今日ばかりは、アキラが危険にさらされているかもしれないとなれば、速くなる。
だって、だってあたしは……アキラのことが、好きだから。
好きな人のために、必死になるのは当たり前。
涙を流してる場合じゃない。足を止めている場合じゃない。
動け……動け……あたしの身体……もっともっと、動いて!
「アキラ……すぐ助けるからね……!」
助けられるのだろうか、あたしに。何が起きているのかも分からないのに、何をどう助ければいいのだろうか。
今分かってることと言えば、アキラの一人称が、僕から俺へと変わったこと。
加えて、想い人の元へと向かったということ。
この二つしか手掛かりがない。
どうして一人称が変わったのかも分からないし、想い人は誰なのかも分からない。
あたしは……なんにも分からない。知らない。
「あたしはやっぱり……役立たずなのかな……」
古びた家々をいくつも通り越して、あたしは飛ぶ。幽霊だからこそできる技。
やたらと行き止まりが多いこの辺でも、浮かんで飛ぶことができるあたしなら、すいすい移動することができる。
魚のように空を泳ぎ、鳥のように空を駆ける。
随分と朝早くから、あたしとアキラはセレスさんを探していたけど、もうすっかり学生や社会人が動きだす時間だ。
憂鬱な顔をしていたり、ウキウキと胸を弾ませているような人もいる。
でも、誰もかれもが、幸せそうだ。
どうしてだろう。
どうして幸せそうなんだろう。
あたしだって本当なら、あっち側にいるべきなんだろうけど、だめ。
あたしにはまだ、戻る覚悟なんてない。
あっちの世界は、眩し過ぎる。目を開けているのも辛いし、呼吸をするのさえ苦しい。
だからアキラ……もう少し、もう少しだけでいいから、あたしの我儘を許して。
絶対に、元通りにしてみせる。
元通りのアキラに、あたしは一杯、我儘言って、甘えて、頼らせて。
「アキラ……」
あたしの独り言は、雲ひとつない青空へと静かに消えていった。