出会いは別れ、別れは出会い その①
今日は少し、身体が重い。ここ最近は、やたらと仕事が多かったからな。
ベッドから起き上がり、ボンヤリと思い出す。
アイドルプロデューサーに、不幸な男の竹中、それから笑顔が良く似合っていた朱莉。
もう、今はいない。
みんな、あの世では、今度こそちゃんとした人生を過ごせているのだろうか。
まあでも、あの世があるのかどうか分からないから、何とも言えないけれど。
でも、それでも、大丈夫だ。きっとあいつらは、大丈夫だ。
「さてと、今日はせっかく仕事もないことだし、ゆっくりするかな」
いや、待て。この発言はフラグじゃね? こう言った矢先に、よくないことが起こる。
ありがちというか、必然というか、とにかく……。
「前言撤回。今日も一日、忙しくなりそうだ」
うん。これでもうフラグは消滅した。よし、これでよし。
ちらりと置時計を確認すると、時刻は午前六時半過ぎ。一度、大きく背伸びをしてから、僕は二度寝を開始するのであった。
「アキラ! 大変だよ!」
二度寝を開始できませんでした。
僕は布団を頭までかぶり、ユリの声を遮断。ほかほかと温かい。
季節は秋。もう、長袖一枚では外出できないほどだ。
「ねえアキラ、アキラってば! 大変なんだってば!」
聞こえない聞こえない。
「アキラ! 本当に大変なんだよ? 嘘じゃないよ? ねえ!」
ユリが嘘をつくようなやつじゃないことは知っている。
だからきっと、大変なことが起きているのは事実なんだろう。
でも、だからこそ、聞きたくない。
厄介事だと分かっていながら、首をつっこむほど僕はバカじゃない。
寝ている僕の上で、ユリはじたばたと暴れる。ゴキブリみたいに暴れる。
ベッドがぎしり、ぎしりと変てこな音を奏で、揺れる。
なんだかイケないことをしているような気分だ。
と、血気盛んな男子高校生みたく妄想していると、布団を一気に剥がされた。
「無視しないでよぉ……やばいんだってばぁ……」
涙目で見つめるユリを一瞥し、僕は考える。
困っている女の子が目の前にいて、いま、その女の子は僕に助けを求めている。
はい、ここで選択肢。
一、助ける。二、そのまま無視。三、寝たふりを続ける。
さあ、どれを選ぼうか。
しばらく考えた末に、僕は行動に移す。
「ふあ~あ……」
正解は四の、とりあえずあくびをするでした。
なになに、そんなものは選択肢になかったって?
ふん、そう簡単に人を信用するのが間違いだ。
人を見たら泥棒と思え、ならぬ、人を見たら嘘つきだと思え。
だってそうだろ? 人間なんて、自分にすら嘘をつく生き物だ。
だったら、他人が嘘をつかないはずがない。
「アキラ……? あたしの話、聞いてた……?」
けれど、さすがに、情けない顔をするユリを前に、僕は同情した。
「お前ってほんと……可哀想なやつだな……」
「どう意味よそれ⁉ ほっんと、アキラって無神経。人間とは思えない」
「そうだな、僕よりよっぽど、ユリの方が人間らしいよ」
まあ、死んでるけど。
「って、こんな下らないやり取りしてる場合じゃないよ!」
下らない、のか。地味に精神攻撃をしてきたユリから目を逸らし、僕はムッとする。
「あのね、それでね、驚かないで聞いてよ……?」
「どうぞ」
「あたしね、朝起きたら、なんかいつもと違うなぁ……って思ったの」
「ふむふむ」
「それで、この違和感はなんだろうって、ずっと考えてたの」
「ほう……」
「家の中を徘徊して、しばらくしてからようやく気がついた」
話が長い。もっと要約して欲しいものだ。
蒸し暑い夏の夜に友達と集まって、つまらない怪談を披露し合うように、ユリはおどろおどろしい顔つきで言い放つ。
「なんと……セレスちゃんが起きてたの! あの寝坊助のセレスちゃんが、朝六時からちゃんと起きてたんだよ⁉」
「な、なんだと……?」
この話がいかに重要で奇妙なものか、みんなには分からないだろう。
セレスさんが早起きをするということは、それはもう、北海道が丸々姿を消してしまうほど、大変な話なのだ。ごめんなさい北海道民のみなさん。悪意はないからね?
話を戻して。僕がセレスさんと共同生活を始めてから、一度だってセレスさんが早起きをしたことはない。雨の日も晴れの日も台風の日も、決まってセレスさんはお昼頃に起きる。
「おはよう」
「別に早くない、もうお昼だぞ?」
「いいのよ。起きたらおはようと挨拶するのは、基本でしょう?」
ああ、このいつものやり取りが今日はできないのか。普段はキリッとした顔立ちで、僕のことを散々罵ってくるが、寝起きの瞬間だけは、セレスさんが可愛く思えてしまう。
重い瞼を擦りながら、小さなお口を全開にしてあくびをしたり。
幽霊の癖にベッドで眠るものだから、乱れた髪の毛を一生懸命、手櫛で整えたり。
僕のスーツについたホコリを、さりげなく取ってくれたり。
あれ、こう考えると、セレスさんって、目茶苦茶可愛く思えてくる。
少し口が悪いところはあるけれど、それは実は、照れ隠しみたいな?
「アキラ……? なにそのポーズ?」
両手の皺を合わせて、南無阿弥陀仏。
「いやいや! まだセレスちゃん死んでないから! あ、いや、死んでることは死んでるけど、まだ成仏したわけじゃないから!」
「違う……もう死んだようなものだ。セレスさんが早起きするなんて、成仏する前兆に決まってる」
「そこまで言っちゃう?」
ユリは半笑い。そして僕もまた、同じように微妙な笑顔をつくる。
「まあ、なんだ。おふざけはこの辺にしておいて、セレスさんは下にいるのか?」
「そうだ!」
僕の質問を完全に無視。ようやく落ち着いたと思えば、またもやユリは、あわあわと焦るのであった。
「それがね、セレスちゃんがどっか行っちゃったの! 珍しく早起きだね、って言ったら、今日は特別な用事があるとかなんとか言ってね、そのまま出かけちゃった」
「出かけた、か」
何かがおかしい、というか、違和感があるというか。
なぜ、今日に限ってセレスさんが早起きしたのか。
そしてまた、なぜ今日に限って外出をしたのか。
僕以上にインドア派なセレスさんが、ていうか引きこもりが、出かけたのだ。
特別な用事……これは絶対、怪しい。
少なくとも、普通じゃない。
「そうだな……どんな表情してた? 焦ってたとか、怖い顔してたとか、なんかそういう感じはなかった?」
うーん、と首を捻り、ユリは思い出している。
「いつも通りだったかな。あ、でも、むしろ、冷静を装ってる感じって言えばいいのかな。あくまでも普通な態度だけど、なんていうか、何かを隠してるような、そんな感じ」
「そうか」
感情の動きに人一倍敏感なユリのことだ。恐らく、ユリが感じた違和感には何かが隠されている。
僕にもユリにも言えない秘密。
誰にだって、人に言えないことはあると思う。
けれど、気になる。気になるし、心配だ。
セレスさんの身になにか、悪いことが起こるような気がして、不安なのだ。
「なあ、ユリ」
心に不安を抱えているなら、それを取り除けばいいだけ。既に何かを察したような顔をするユリに向け、僕は言う。
「ちょっくら、セレスさんを探してみよう」
「そう言うと思った!」
グッと親指を突き立て、ユリは元気な笑顔を僕に送る。
都会とは言えない、しかし、田舎とも言えない、そんな中途半端な街並みを眺めつつ、僕は電柱に背中を預ける。
あてもなくセレスさんを探し続け、そろそろ足が棒になってしまいそうだ。
「手掛かりなしか……」
ユリと僕は、二手に分かれてセレスさんを探している。
気温が十五度を下回るこの時期でも、いまだにホットドリンクを売らない自動販売機。
そんな役立たずが三つ立ち並ぶ、この人通りの少ない場所。
昔は賑わっていたのかもしれないが、今となってはシャッター街。
汚い落書きがやたらと目立ち、治安の悪さがうかがえる。
そんな場所に、ぽつりと設置されたベンチ。誰がこんなところで休憩するのだろうか。
寒い風に吹かれ、ふわりふわりと宙を舞うチラシを一瞥し、僕は再び歩みを進める。
「あ、アキラ! こんなところにいたんだ」
すうっと僕の目の前に降り立って、ユリは首を横に振る。
「だめ。全然手掛かりない。ぐるっと街を一周してみたけど、だめだったよ」
「そうか。僕もさっぱりだ。これはたぶん、遠くへ行ってるな」
「ううん……その線が濃厚だけど……用事ってなんだろう」
用事。今日だけの用事。今日じゃなきゃだめな用事。
それほどまでに、セレスさんにとって重要なことって、一体なんだ?
それはもしかしたら、セレスさんが幽霊になる前、つまり人間であった頃から重要な用事だったんじゃないだろうか。つまり、幽霊となった今でも、欠かすことができない。
と、なれば。
僕には一つ、思い当たる節がある。
「なあユリ」
きょとんとした表情をするユリ。
「お前に夫がいたとする。それで、お前もその夫も、とっくの昔に死んでたとするだろ?」
「う、うん……」
何が言いたいのか分からない。そういう表情だ。
「じゃあさ、お前も夫も死んでも死にきれず、幽霊になりました。けど、どうにかこうにか夫は成仏することができて、お前だけは成仏できなかったとする」
そんなに難しい話をしているつもりはないが、ユリはパチクリと瞬きをする。
「ユリ……お前だったら、どうする? その夫のために、なにかしてあげたいと思わないか?」
「なにかって、つまりはどういうこと?」
「つまりだな――」
刹那。
風が吹き荒れた。
新幹線が街中を駆けるような、そういうスピードで、風が走る。
まるで人間のように、まるで獲物を見つけた猛獣のように、一つの意志をもって風は走った。
文字通りの意味で、風は、風が、走ったのだ。
追い風でも向かい風でもなく、ただの風だ。
けれどまた、追い風でもあり向かい風でもあり、それは酷く矛盾していた。
当然。
僕は目を細める。
自然。
僕は目を疑う。
結果。
僕は目を閉じた。