恋バナ、修学旅行、戦争 その②
はあ……どうしてこうなった。
「朱莉ちゃん、あなたはまったく分かってない。いい? 男っていうのはね、隙を見せればすぐに他の女に手を出して浮気するものなの、分かった?」
目を見開いて朱莉は言う。
「それは違う。男の人が他の女に手を出すのはね、つまりそれだけ魅力がないってことなのよ。彼氏がいるという状況に安心し切って、自分磨きを怠り、その結果愛想を尽かされ、浮気されてしまうってことでしょ?」
「おい……」
「失礼なこと聞くけど、朱莉ちゃんって今までに彼氏いたの?」
「おーい、二人とも」
「い、いなかったけど? それがどうかした?」
「聞いてんのか、おい」
「ほら! しょせん、彼氏がいない人の言葉なんて、説得力に欠けるよね」
「ねえ……頼むから返事して……」
ことごとく僕の言葉は無視されていく。
「じゃ、じゃあ! ユリちゃんにはいたの? 当然、そういうこと言ってくるってことは、いたんだよね? そうだよね?」
ユリは下手くそな口笛を吹きながら誤魔化す。
「さ、さあ……どうだろう? いた、かもしれないし……いなかったかもしれない……」
しびれを切らした僕は、大きな声で言った。
「おい、いい加減にしろ! いつまで言い争ってるつもりだよ⁉ セレスさんは呆れて帰っちゃうし、もうかれこれ三時間近くずっとこんな感じじゃないか⁉」
二人は仲好く声を揃えて言った。
「アキラには関係ないでしょ!」「アキラさんには関係ない!」
「はい……すいません」
女の子に本気で怒られたことなど無かったので、僕はしょげた、すごくしょげた。
これ以上の僕の介入は、返って事態を悪化させてしまうような気がする。とりあえず、部屋の片隅で待機することに。すると間もなく、僕の携帯が鳴った。
「ちょっとアキラ、携帯の電源ぐらい切っておいてよね」
「はい、すいません」
もはや謝ることしか出来ない僕。
なになに、男として情けない? まったく、分かっていないな。いいか、耳の穴をかっぽじってよく聞いておけ。素直にごめんなさいと言えるやつのほうが、ムキになって言い返す愚か者より何倍も凄いんだ。
謝るってことはつまり、自分の非を認めること。
それがどんなに難しいか、まだよく分かってないから、僕を情けないだなんて言えるんだ。
そうだな……これは戦で言うところの撤退なんかじゃない。未来への進軍だ。
「僕だ、用件を言え」
カッコいい決め台詞を心の中で呟き、調子に乗った僕は、思わず電話の対応でもカッコつけてしまった。いきなり用件を言えなどと命令されれば、当然の結果として相手は怒るはず。
気の知れた仲の友人を怒らせるならまだしも、まったくそういう人ではないのであれば、かなりまずい。
「ああん? アキラ……てめえ何様のつもりだ」
うん、緊急事態。まさかこのタイミングで、この人から電話がくるとは。
「すいませんが、僕はアキラじゃありません。人違いですね、それじゃ」
これでよし。っと、また電話だ。
「もしもし、アキラです。お久しぶりですね、ボス」
電話越しでも分かるこの凄み。恐らく、ブチ切れているのだろう。いや、絶対に。
「もしもし、じゃねえよ……。お前、俺のことバカにしてるのか? 何だよ人違いって。やっぱお前はアキラじゃねえか、ああん?」
もうこの際、精一杯ふざけ切って、怒りを鎮めるしかない。無謀にも僕は、ボスの最近の口癖である、「ああん?」という言葉を声真似することにした。
「あ、ああん……?」
だがまあ、僕の思惑通りにはいかず。
「表に出ろ……」
ますます火に油を注いでしまったみたいだ。
「僕はまだ仕事中なんで、無理です。ていうか嫌です」
「最後の方に本音が混じってたけど、まあいい。それで、お前はどれだけ今回の案件に時間をかけるつもりなんだ」
「いや……その……今回ばかりは、どうしようもなくて」
しばらくの間をおき、ボスは言った。
「やっぱりお前は何も分かってねえ。今からそっちに向かう。それじゃあ」
「え? え? ちょ――」
一方的に電話を切られ、僕はしばらく呆然とした。
「まずい……まずいぞお前ら」
猿みたく騒ぐ二人を背にして、僕は独り言のように呟く。
「ボスが……来る」
「「ボス?」」と、二人は訝しげな表情で僕を見つめる。
「ああボスだよボス! お前たちは何も分かっちゃいない! 恐ろしいやつなんだぞ!」
「え、えっと……でもアキラ、そのボスって人とは会ったことあるの?」
会ったことは、ない。
でも、それでも、電話越しに伝わるあの凄みは、会わなくてもいかにボスが恐ろしいか分かる。こいつらは電話したことないから、そんな呑気な顔をしていられるんだ。
「と、とにかく! ボスが来る前になんとかするぞ!」
「なんとかするって……どうやって?」
「知るか! やるったらやるんだよ!」
なんだか玩具を買ってもらいたくて、駄々をこねる子供のようだ。
と、それはさておき。
どうしようか。
朱莉の怨念は分からない以上、どうすることもできないんだが……。
「あの、アキラさん」
「どうした?」
「すいません……私のわがままに付き合わせてしまって……」
「いや、そんなことない。言ってしまえば、これは僕の仕事だからな。朱莉のわがままを聞くのも仕事のうちさ」
「はい……」
さっきまでの喧騒は嘘みたいに思える。すっかりユリも朱莉も黙りこみ、心配そうに僕を見つめるのみ。
部屋の中をあっちへこっちへと歩きまわり、僕は足りない頭で懸命に考える。
すると突然、闖入者があらわれた。
玄関の扉が勢いよく開かれ、僕らは全員そちらに視線を送る。
「お、お前は……⁉」
「ようアキラ」
こいつは……こいつは……誰だ?
ごめん。思わせぶりな発言をしておいてなんだけど、まじでこいつ誰?
いまどき珍しいツインなテールを引っ提げて、ゴスロリっぽい服装がよりいっそう、幼い顔つきに拍車をかける。
見た感じ……十三歳か十四歳くらいか。
生憎、僕にはロリコン趣味もないし、こんなロリっ娘な知り合いもいない。
「なに見てんだよ? 喧嘩売ってんのか?」
うん、こういう場合は、どんな言葉をかけてあげるべきなんだろう。
そうだな、とりあえず一言。
「どうしたんだい? 迷子?」
「違うわアホっ!」
さっきから言葉遣いが悪いな。親の顔を見てみたいものだ。
「それじゃあ……家を間違えたのかな? お隣さん?」
ロリっ娘は奥歯をギリギリと噛み締めながら、親の仇を見るような目で僕を睨む。
「ねえアキラ、ちょっといい?」
隣でふわふわと浮かんでいるユリに視線を移す。
「なんだよ」
「どうしてあの子、アキラの名前知ってるの?」
「あっ」
アキラという名前は本名じゃなく、偽名だ。だから当然、そんな僕の偽名を知ってる人間はごく僅かである。
いや、まさかね。そんなはずがない。
「あのさ……もしかして――」
「ないない。それはない。あり得ない。万が一にもない」
「うわ、全否定されちゃった……」
否定に否定を重ね、僕は現実逃避を開始。考えれば考えるほど、恐ろしい事実が頭を過る。
ロリっ娘は唇の端を釣り上げ、不気味な笑顔で言った。
「てめえ、いい根性してるじゃねえか。俺を迷子扱いするとはねえ……、ハッ! 笑えない。全然笑えない。そうだろ……? アキラ」
土足でつかつかとこちらに歩みを進め、徐々に僕との距離が縮まっていく。
足音が一つ、二つと近寄るたびに、僕の鼓動は速まって、まったく生きた心地がしなかった。
わけも分からず呆然としている朱莉、恐らく事態を把握したユリ、そして、全てを諦め、目を瞑った僕。万事休す。
蹴りの一発でも喰らわせられると覚悟していた僕であったが、なにも起こらない。
恐る恐る薄目で確認すれば――
「って近い近い! 近いよ!」
僕の眼前まで、ロリっ娘は顔を近づけていた。
「なにを慌てる必要がある」
「ちょちょちょちょっと! まじ生きてる女とか怖い! 怖いから近寄らないで!」
「幽霊は何とも思わない癖に、生身の女が怖いだと? ああ……そうか」
ゆっくりと僕から離れ、ロリっ娘はぐるりと部屋の中を見回す。
「そういえば、お前はそういうやつだったな、アキラ」
額の脂汗を拭い、僕は呼吸を整える。
「どういうこと? アキラって、女の人が苦手だったの?」
僕の顔を覗き込むようにして、ユリはそう言った。
「まあ、な……僕にも色々事情ってもんがあんだよ」
「事情……ねえ……?」
「なんだよ……?」
「だってこの前、竹中さんの娘さんと、普通に話したりしてたじゃん」
「バカ野郎! 本当に足がびくびく震えて、話すのもやっとだったんだぞ?」
「そうは見えなかったけど……」
「あの時の僕は、それはもう生まれたての小鹿そのものだったね! 足は震えるし、声も震えるし、そういうの全部我慢して竹中の手伝いしてやったんだよ!」
実際、女より怖いボスに、さっさと仕事を終わらせろと言われていたからな。
二つを天秤にかけて、その結果、我慢をする選択をとったわけだ。
「いい加減にしろ」
ユリと僕のやり取りに痺れを切らしたのか、ロリっ娘、いや、もう正体は分かっているようなものだ。僕はユリの疑問の眼差しを潜り抜け、言った。
「それで、ボス……どうしてここに?」
「お前の仕事を手伝いに来たんだよ。俺が、わざわざ、この脚で、な」
やけに嫌味ったらしい口調だ。
それにしても、こうボスと初対面をした感想だけど、驚愕である。
こんなロリロリしてる女の子が、あの僕のイメージしたボス?
何一つ想像と違う。いや、予想を裏切られたのは良いんだ。むしろ嬉しい誤算とでも言っておこう。
「ご足労おかけして、すいませんね」
「まあ、こうなることは分かっていたが」
腕組しながら朱莉を見据えるボス。なにか、ただならぬ者を見ているようで、僕は形容し難い恐怖を感じた。
「そ、それにしても」
空気が凍りついたのを嫌い、僕はそれとなく話をもちかける。
「電話があってから、まったく時間が経ってないんですけど、もしかしてスタンバイしてました?」
「その敬語、不愉快だ。やめろ」
「え……でも」
「さっきお前、俺に対してため口だっただろ? だからもういい。気にするな」
「は、はあ……それじゃあ、そうします。じゃなくて! そうする……」
意外と気さくな人、なのかもしれない。
なぜ一人称が俺なのか、そして、一体何歳なのか。色々と聞きたいことは多いけど、いまは質問することをやめておこう。
「それで、お前の質問に答えるとするならこうだ。さっきも言ったが、お前が今回の件で手古摺るのはもう自明の理だったからな」
つまり、スタンバイをしていたという解釈で問題ないのか。
ていうか、それなら、僕に任せたりせず、自分でやればいい話だ。
「どうして、こうなることが分かった上で、僕に任せたりしたんですか、じゃなくてしたんだよ」
慣れない。ボスにため口とか、内心びくびくしている。
不愉快そうに眉毛を釣り上げながら、ボスは僕を見た。
「教えて欲しいか?」
「そりゃまあ」
「自分で考えろ、アホ」
あはは……こんなロリロリしてるやつに、アホとか言われちまったよ。笑えない。
「それにしても、ボスって何歳なんですか?」
おお、いいぞユリ! 男の僕じゃ聞けない質問だ!
「お前は……ふん。アキラにしつこく纏わりついてる、あの女か。少なくとも、お前よりは上だ」
そういえば僕は、ボスにユリとセレスさんの詳しい説明をしていないっけ。
ただ漠然と、怨念を晴らしてやったのに、いつまでも成仏しない厄介者だって説明しただけだからな。あまり良い印象を持っていないのだろう。
少しムスッとした表情になるユリ。
「別に纏わりついてなんかいません。じゃあ、三十歳ぐらいですか?」
三十歳って、おいおい……。それ絶対、意趣返しのつもりだろ。どう見ても三十歳には見えない。
「おお、凄いな。正解だ」
「嘘だろ⁉」
「大声を出すな。耳障りだ」
「だ、だって……さ、三十歳……? それはいくらなんでも……」
まさかのロリババアかよ。見た目と年齢が一致していない。
「ユリ、よく分かったな……」
「アキラが鈍いだけだよ。女ってね、年齢を見極めるのが上手なんだよ」
そんな特殊能力いらないです。どうせなら、相手の寿命が分かる能力とか欲しい。
あ、そういえば。
「あのさ、ボス」
「ああん?」
だからなんだよその、ああん? って。怖いよ。
「えっと、僕がボスに電話をかけたら、いつも男の声がするんだけど、あれは……?」
「変声器だ」
「あ、そうなんだ」
なんでそんなもの使ってるんだ。そう質問したらきっと、嫌な顔をされるんだろうな。
「あ、あのー……」
しばらく放置されていた朱莉は、なんだか申し訳なさそうに会話に割り込んだ。
「あ、ああ悪い。それで……話を戻そうか」
「はい……」
ちょうど円陣を組むような形で、僕らは立っている。
僕の正面には朱莉、そして両隣にはユリとボス。両手に花どころか、全身に花である。ちょっと自分でも何言ってるのか分からない。
とにかく、ボスはロリ属性を持ち合わせているが、顔立ちは整っているし、ユリや朱莉に関しては言わずもがな。
緩みかけた頬をどうにか堪え、僕は話を始めた。
「朱莉の成仏について。僕らはあれこれと憶測をたて、試してみたな」
「うん」「はい」と、不揃いな返事。
「それでも、結局、今もこうして朱莉は存在している。つまり、見当違いってわけだ。僕らの考えは」
と、状況報告と状況整理をかねて、話をまとめてみたはいいが。
ここから先に前進できない。
かれこれ四時間ほど、膠着状態が続いている。
助けを求めるように、ボスに視線を送ると、ボスは大きいため息をついた。
「分かってないな。アキラ……お前はまだ、未熟だ」
「どういうことだ?」
「お前は、霊と関わるということを、どう考えている」
霊と関わる、それはつまり、幽霊のことをどう思っているのか、ということだ。
「特に意識したことはない。ただたんに、いる、としか思わないけど」
「そういうことが聞きたいんじゃねえ」
底知れぬ怒り、もしくは呆れをこめた声。高い声を恐ろしいと感じたのは、これが初めて。
「考えてもみろ……幽霊ってのはつまり、どういう存在だ?」
「僕ら生きてる存在とは相容れない、既に死んだ存在?」
「そうだよ、そこまで分かってるなら、どうして気づかない」
しばらく意味が分からず黙考するも、やっぱり分からなかった。
「分からない」
ボスはこめかみを押さえる。それと同時に、ツインテールがわずかに揺れた。
「つまり、霊に関われば関わるほど、アキラ……お前は死に近づくということだ」
「え?」
反応したのは、僕じゃなく、ユリだった。
開いた口を両手で隠し、視線がきょろきょろと定まっていない。
「そ、そんな、それって……それじゃあ――」
決勝でサヨナラホームランを打たれたピッチャーのように。
両親を目の前で殺された子供のように。心臓に杭を刺された吸血鬼のように。
そんな絶望を抱えたユリに、止めをさす。
「ああ、寿命が縮まってるんだよ。霊に関わる時間が長ければ長いほどな」
「そ、そんな! それじゃあ……あたしは、アキラの……?」
「遅すぎる理解だ。かくいう俺も、三十まで生きてこれたが、もって後数年ってところだろうな」
そうか、そうなのか。
僕は単純に、幽霊が見える、特別な人間だと思っていた。
けど、その代償はきっかりしっかり、払わされていたのか。
もはや涙を流すことも忘れ、ユリは呆然と、僕を見つめる。
「あ、アキラ……あたし――」
まったく。情けない顔している。そんな顔されたら、な。
僕はできる限りの優しさと愛情をこめて、ユリに言った。
「そんな顔をするな。せっかくの美人が、台無しだじぇ」
「「だじぇ?」」
あれ? いま、超カッコいい決め台詞を言うシーンだったよね?
僕はいま……なんて言った?
やけに冷静になりつつあった頭で、記憶を手繰り寄せる。
そんな顔をするな。うん、ここまでは良かった。問題は次。
せっかくの美人が、台無しだじぇ。うん……。
「台無しだぜ?」
「もう手遅れだよ! せっかくシリアスな場面だったのに、台無しだよ!」
仕切り直したものの、雰囲気までは仕切り直せなかったみたいだ。
ついさきほどまで酷い顔をしていたユリも、今はツッコミを入れることに集中している。
「もう! もう! なんなのだじぇって! 意味分かんない! 意味分かんないよ!」
「とりあえず、落ち着け。な?」
「本っ当に、アキラってバカだよね! もう信じらんない! バカ!」
まあ、バカだなんだと言われるのは不本意だが、こうし嫌な空気を変えられたのはよかった。
あんまり、ああいう雰囲気好きじゃないんだよね、僕。
「とにかくさ、僕の寿命が削られてるみたいだけど、もう今さらどうしようもないじゃん」
「そ、そうだけど……」
ユリは再び暗い表情に戻す。
「だいたい、ある程度の覚悟はしてた。幽霊と向き合うってことは、成仏させるってことは、そいつの悲しみや絶望を、一手に引き受けることになるんだから。僕だって生半可な気持ちで、この仕事をやってるわけじゃないんだよ」
ボスは僕の言葉を聞くと、わずかに笑う。
「さすがだ。さすがは、アキラだ」
「そりゃどうも」
「けど、なにも、悲しみや絶望だけじゃない。アキラ……お前は、死んで逝く者たちの死も、同時に背負いこむんだからな、よく覚えておけ」
僕とボスは無言で頷き合い、何かを理解した。
「さあてと、本題から脱線し過ぎた。アキラてめえ、今回の報酬はなしだからな」
「え、ええ⁉ それは酷い! 酷過ぎる! このロリババア!」
「ロリババア……?」と、ボスは血管をひくつかせ、僕を可愛らしい瞳で睨みつけた。まあでも、可愛いけど怖い。
「ああん? 俺のどこがババアだってえ……? 言ってみろ」
「いや……年齢的に……?」
「ああん⁉」
「なんでも……ないです……」
僕はシュンと身体を小さくして、うつむく。
「それで、なんだ、朱莉とか言ったか?」
「は、はい!」
これまたしばらく空気になっていた朱莉は、ビクんと身体を跳ねつかせ、ボスの目をじっと見る。
「お前の怨念はなんだ?」
「え、えっと……分からない、です」
「嘘をつくな」
「え?」
僕とユリは顔を見合わせ、首を傾げる。
「わ、私、嘘なんてついてません!」
「だろうな。悪い、言い方を変えよう――」
不敵な笑みを浮かべながら、ボスは言う。
「いつまでこの世に留まるつもりだ? もうとっくに、怨念は晴らされているはずなのに、な」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
僕は慌てて言う。
「怨念はなくなれば、幽霊はこの世からいなくなるんじゃなかったのかよ……?」
「自分の周りをよく見ろ」
顎をクイとさせ、ユリを見ろという合図を僕に送る。
「ユリ……? あっ」
そういえば、ユリやセレスさんも、怨念を晴らしたのに、いまだに現世にいる。
「理解したか? つまり、怨念を晴らすことは大前提としてだ、後は本人に、成仏する意思があるかどうか、それが重要になってくるんだよ」
「じゃ、じゃあ! ユリとかセレスさんは、自分の意思で、この世にいるってことか……?」
「正しく。この朱莉とやらも、同じ、だろう」
ユリと朱莉を交互に見るも、互いに目を伏せ、ひたすら黙りこむ。
「分かっているな、アキラ――」
冷酷で、冷淡で、冷徹で、僕の心を凍りつかせる言葉。
「こいつらは、いますぐにでも、成仏させるべきだ」
くらくらと立ちくらみがするように、僕の頭は真っ白。いや、いつかはそうなる時が来ると思っていた。だからこそ、ユリの好意を遠ざけて、きたのに……。
いざ、こう言われてしまうと、辛い。
「俺がここに来た理由、それはだな、お前に現実を教えるためだ。幽霊なんぞと共存することが、良いわけがない。そうだろう、アキラ?」
残酷だ……残酷だけど、正論でもある。
けど、正論ほど、人の心を傷つけるものはない。
「も、もう少し――」
「ふざけるな。俺はなにも、自分のためにこんなこと言ってるんじゃねえ。お前のためだよ。さっき言ったろ? 幽霊に関われば関わるほど、お前は……いや、もう言うまでもないな」
「アキラ……もういいよ」
「うん……これ以上、アキラさんに迷惑をかけるわけにはいかない……」
もういい、か。迷惑をかけるわけにはいかない、か。
ああ、本当に、いつもいつも、幽霊なんか見えちまったばっかりに、ろくでもない目にあってきた。
思えば、僕がこの仕事に就いたのは、わりと最近のことだった。
およそ二年前。僕が高校を卒業するのと同時。自殺サイトを通じて、僕はボスと知り合った。僕は何も、自殺願望があったわけじゃない。
死んで逝ったやつら、主に自殺をしたやつらは、口を揃えてこう言うんだ。
「死ぬぐらいなら、死んだつもりで生きればよかった。だって、自殺できるほどの勇気があれば、なんだってできるじゃないか」
それ以来。僕はそういうサイトを巡っては、話を聞いて、慰めて、いわゆる最後の砦になっていたのだ。
そうして、僕はボスに出会った。
同じようなことをしている、ボスに出会った。
電話やメールをするようになり、僕はとうとう、自分の秘密を暴露した。幽霊が見え、話すことも触れることもできる、と。
それがボスと出会ってから、だいたい二カ月したぐらい。
ああ、今でも覚えている。
「お前もか。実は俺にも、見えるんだよ」
「え……? それじゃあ」
「ああ、見えるし、話せるし、触れる」
「よ、よかったです……! 僕と同じような境遇の人がいて!」
これは確か、電話でのやりとりだったか。
「なあ、アキラ」
いつも真面目な声色だったが、その時はいつにもまして、真面目で、本気だった。
「俺と一緒に、仕事をしないか――」
どうして今になって、こんなことを思い出したりしたのだろう。
あの時のボスは優しくて、今のボスは優しくないから?
だから昔を懐かしみ……つまり、現実逃避をしているのか。
「――い、おいアキラ。聞いてんのか」
「あ、すいません……」
「ああん? お前また、敬語になってるぞ」
ぼんやりといた思考回路で、僕は考える。
どうするべきか、朱莉やユリやセレスさんをどうするべきか。
「ボス……やっぱり僕は、あなたには敬語を使うのが、しっくりきます」
奇妙なものでも見るかのように、ボスは顔を顰めた。
「僕は弱いです。ボスと違って、弱すぎます……。たかだか幽霊に、感情移入なんかして、ほんとアホらしいですよね……。自分が情けない。あの日、ボスと仕事する決めたあの日、僕は確かに心に誓った。救うことができるのは、生きてるやつだけじゃない。死んでるやつだって助けることができるんだって。だから、僕は、ずっと救い続けていこうと、誓った……誓ったはずなのに」
気づけばユリは、僕の肩にそっと頭を寄せて、「ありがとう」と、頻りに呟いていた。
朱莉は涙ぐみ、腕でゴシゴシと目を擦る。
「知ってる。だから俺は、お前を信用してる。それに……羨ましいとも思う」
「羨ましい……?」
「そうだ。俺はお前が、霊に愛されるお前が、羨ましい。俺はな、今まで救ってきたやつらは、揃いも揃って、俺に毒を吐き捨てるんだよ。自己満足じゃねえか、お前のその偽善に、自分たちを巻き込むな、ってな。そう言われんだよ」
それなら、この僕だって同じようなものじゃないか。僕のこの信念だって、偽善だ。
「ボス、それはボスが気にするようなことじゃないですよ」
「いいや、違う」
自嘲染みた笑みで、ボスは言う。
「俺は結局、特別な力を持っていることに、優越感を感じてたんだよ。俺にしかできないこと、俺以外にはできないこと、それがこの仕事だ」
「だが」と、一切の笑いを遮断し、ボスは真顔になる。
「あいつらの言う通りだ。自分勝手な、言ってしまえば、ヒーローごっこに興じて……俺は幽霊どもを成仏させるんじゃなく、駆逐してきた。ハッ! 笑えるだろ……?」
「笑えませんね」
僕には、笑えない。確かに、自分勝手なのかもしれない。自己満足なのかもしれない。
でも、それでも……。
「目の前に困っている人がいたら、助けてあげましょう。そう、誰しもが、教わってきたはずです。だから、ボスのそれは、間違ってなんかない。正しいです。誰が何と言おうと、正しいですよ」
ハッと、くりくりとした瞳を丸くし、ボスは僕を見つめる。
「結局、正義なんてものは、誰かにとっての悪でもあるんですよ。誰かの味方をすれば、誰かが敵になる」
「そんな……曖昧なものか?」
「曖昧ですよ、何もかも。だいたい、この世で生者と死者が混じり合ってる時点で、もう道理とかルールとか、そんなものはありはしませんよ。だからボスの正義も、曖昧でいいんじゃないですか?」
百人十色ってやつか。正義だって、同じことだ。色々な種類がある。
ボスは自分のこぶしを強く握りしめ、それを見つめる。
「俺は……正しいのか……?」
僕は静かに頷く。
「俺は、正義のヒーローに、なってもいいのか……?」
変な話だ。三十歳の女が、いまさら正義の味方だなんて。
せめて、魔法少女とかにしてくれよな。
……いや、それはないか。無理。きつい。
僕が失礼な妄想をしているのとは裏腹に、ボスは嬉しそうな顔をする。
「そうか……そうなのか……。そいつは、救われた」
クルリと僕に背を向けて、ボスは表情を隠した。
その後ろ姿は、ヒーローみたいで、悪を倒した英雄みたいで、僕は思わず見惚れてしまった。
「俺が、一人称で、なんで俺って使うのか、教えてやるよ」
後ろ向きのままで仁王立ちし、ボスは、この時ばかりは、無邪気な子供に見える。
「俺が、ガキの頃に好きだったヒーローの口調の、真似ごとだ」
やっぱり、僕は、ボスを信じてよかった。
そして、こうして顔を合わせることができて、よかった。
「ボス、お願いがあります」
「いい、もういい。言わなくても分かる」
「それじゃあ――」
ぴょんとぴょんと、水たまりを避けて通る少女のように、小さなステップを踏みながら、ボスはこう言った。
「今日で、うちはヒーローを引退するさ。後は任せたよ、アキラ」
人格が変わった?
ああ、そうか。
もうヒーローは、引退したんだっけ。
「あ、アキラ……? これってつまり……?」
「さあな、僕にはよく分からない」
本当は、ちゃんと分かっているけれど。
僕は朱莉とユリに目を合わせ、言った。
「二人とも聞いてくれ。僕は、もう何度も繰り返すが、自分の寿命が縮もうとかまわない。僕はさ、お前たちに、笑ってあの世に逝って欲しいんだ。だから、いますぐにあの世に逝けなんて言いたくないし、お前たちがなんと言おうと、逝かせない。だから約束してくれ、絶対最期は笑顔。いいな?」
ユリと朱莉はしばらく見つめ合い、かなり困った表情をしていた。
きっと、もう成仏する覚悟ができていたのに、こう僕に説得されてしまえば、どうしていいか分からなくなるだろう。
ちょっとだけ、冗談でも言ってみようか。
ほら、僕はさ、どんよりとした雰囲気が嫌いなんだ。
「そんなに成仏したけりゃ、成仏しろよ」
「ちょ、ちょっとアキラ! このタイミングでその発言⁉」
やっぱり、ユリは単純だから、売り言葉に買い言葉ってやつだ。
「知るか。トロトロしてるお前が悪いんだ」
顔を真っ赤に染め上げ、思い切りユリは怒る。
そして朱莉は、そんな僕らの様子を見守る。
「アキラさん、私、私ね……」
騒いでいる僕らとは正反対に、あくまでも冷静な朱莉。
「私、もう大丈夫。もう大丈夫だよ!」
「大丈夫って……それは――」
ユリの発言を遮り、朱莉は言った。
「うん、もう、いっぱい楽しめたから、いいかなって」
予期せぬ一言ではあったが、もしかしたらという思いはあった。しばらく言葉を彷徨わせながら、ようやく出てきた言葉。
「逝ってらっしゃい、朱莉」
さようなら、ではないよな。でも、もう二度と帰ってくるはずがないのに、行ってらっしゃいとも言えない。
だから僕は、逝ってらっしゃい。という言葉を選んだ。
最期は笑顔で……。
残念だけど、僕の負けだ。
こんなにも満面の笑みを浮かべられたら、それはもう、何も言えないさ。
「なるほど。それはいい言葉だね。逝ってらっしゃい、か」
今のは、キャラ変をしたボスの言葉だ。
ていうか、まだいたのか、ボス。
「なんだか、短い間だったのに、すごく長い間友達だったみたいな、そんな感じがするね……」
そりゃそうだ。あんだけ朱莉と口喧嘩をすれば、な。
「ねえ、ユリ?」
「なに? 朱莉」
「もし、またどこかで会えたら、その時は……また喧嘩しようね!」
「分かった。その時こそ、決着をつけよう!」
少年漫画のラストシーンみたいに、ユリと朱莉はがっしりと握手を交わす。
その拍子に、朱莉はユリに耳打ちをした。
「アキラさんと……頑張ってね……!」
かあっと顔を紅潮させ、ユリはパタパタと両手で扇ぐ。
「あ、あっついなぁ……なんか暑くない? ああ、この部屋すごく暑いよねぇ……」
「そうか?」
「そうそう! すごい暑いよね、アキラ?」
視線で僕に圧力をかけ、僕はたまらず頷いた。
「若いね、うちと違ってさ」
ほんとさ、キャラ変したんだから、しばらく話すのを自重して欲しい。疲れるんだよ、いちいち誰が言ったのかを説明するの。しかも、大したこと言ってないし。
「それじゃ」
僕は締めくくるように言う。
「逝ってこい。僕らもそのうち、そっちに行くからさ」
すると、上品な頬笑みを浮かべ、朱莉は消えゆく姿で最期の言葉を贈る。
「アキラさんのこと……好きに、なっちゃいました……えへへ――」
夏が終わる、あの何とも言えない寂しさ。
あれと同じ感覚が、僕の身体を駆け抜ける。
ワクワクして、切なくて、ほんのちょっぴり甘酸っぱい、青春の味だ。
「青春と呼ぶには、少し、遅すぎるかな……」
大人になってからの青春は、どうやら、思春期の時に感じるものと、同じらしい。