表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/18

不幸な男 その②

 さてと、懐から資料を取り出して、竹中の娘の住所を見る。ここから歩いて三十分ほどのところに住んでいるようで、電車を使わずに徒歩でその場所へ向かうことに。

 時刻は午前十時ちょっと過ぎ。古めかしい家々が立ち並ぶ、口が裂けても高級住宅街とは言えない地域に、竹中の娘の家はあった。

 もう一度資料に目を通して、竹中の娘の名前を確認する。

竹中悠里ゆうり……十六歳、か」

 資料と同時に送られてきた写真。なかなかに整った顔立ちだ。とても竹中の娘だとは思えないほど凛々しく、太い眉毛が印象的だ。

 竹中のあのアパートほどではないが、外観があまりよろしくないアパートの一室に、この悠里ちゃんとやらが住んでいる。

 少しだけインターホンを押すことに躊躇うも、それもわずかの時間。

 僕は人差し指で強く押した。

 時間にして十秒ほど待っていると、ガチャリと扉が開いて中から人が出てきた。

「初めまして。君のお父さんのことで、少し聞きたいことがあるんだけど」

「私の……お父さん、ですか?」

 眉の上で綺麗に切り揃えられた前髪をいじりながら、悠里ちゃんは不思議そうな顔をしてこちらを見ていた。

「そう。あ、僕の名前はアキラ。君の名前は?」

「知らない人に名前を教えるわけにはいきません。怪しいです……」

 目尻をきつく吊り上げて、僕を完全に不審者扱いしてくる。

 そうだな、ここは無駄話をすることは避け、本題を切り出した方がよさそうだ。

「もし、死んでしまった君のお父さんと、僕がお話できるとしたら、君は信じる?」

「信じません。宗教の勧誘なら帰ってください。」

「……やっぱり?」

「それじゃ、そういうことで」

 扉を閉められそうになったところで、僕は咄嗟に足を突き出し、どうにか食い止めた。

「待って……! お願いだから僕の話を聞いてくれ……!」

「嫌です……! あなたみたいに怪しい人が来たら……絶対に相手をしないようお父さんから言われてるんです……!」

 女性とは思えないほどの力で、扉を閉めようと必死になっている少女。そして、一生懸命それをさせまいとしている男。はたから見たら、確実に僕は犯罪者だ。

 少女の家に押し入ろうとしている、変態。

 やばい、このままじゃ通報されかねない。焦る思いをどうにか落ち着かせて、思考をこれでもかと巡らせた。

「聞いてくれ! ていうか聞け! 僕は君のお父さんから伝言を預かってる!」

 ほんとは伝言なんてものは預かってはいない。けれど、僕が本当にあの竹中と会ったのだという証拠を提示しなければ、少女には信じてもらえず、ここまでやってきた意味がない。

 嘘でも何でもいい。とにかく信憑性がある話なら。

「君のお父さんは、死んでもなお君を愛し続けている! 竹中のやつ言ってたよ……君に散々酷いことを言われてきたって!」

 少しだけ力が弱まって、悠里ちゃんは言った。

「そんなのは嘘……やめて……やめて! 適当なこと言わないで!」

「嘘じゃない! キモイだのうざいだの、君は散々罵倒してきたんだろ!?」

「そ、そんなの女子高生なら誰だって言う言葉でしょ!? だいたい、あなたには関係のないことなんだから!」

「ああ、そうだよ。きっと君だけじゃなく、日本中の女子高生が一度は口にする言葉だろうよ!」

「もう帰って! あなたの顔なんて二度と見たくない! 早く帰って!」

 あなたの顔なんて二度とみたくない、か。そんな酷い言葉を言われたのは初めてだ。やっぱり、子供なんてろくなもんじゃないな。

 けど、ろくなもんじゃないけれど、ここで引き下がるわけにはいかない。

「君は後悔しているんじゃないか!? 本当は、お父さんにありがとうって、言いたかったんじゃないのか!?」

 閑散とした外の空気に、僕の言葉は呑みこまれていく。響くのかも分からない、届くのかも分からない言葉が、悠里ちゃんに伝わることを信じて。僕はじっとその場で待つ。

 すると、細切れに、小さな口から言葉が紡がれた。

「もう……やめて……これ以上私の心の中に入ってこないで……」

 ペタンとその場に座り込み、悠里ちゃんは悔しそうに歯を食いしばっている。一筋の涙が頬を伝い、そして静かに地面に落ちた。

 良かった。どうやら、ちゃんと、伝わったようだ。

「君は、お父さんに毎日、お弁当を作ってもらっていたんだろう?」

「どうして……そのことを……?」

 驚きと悲しみが混じり合った、複雑な表情で僕を見る。

「だから言っただろう。僕はついさっき、君のお父さんと話をしていたんだ。ヨレヨレのセーターにサイズの合っていないズボン、何とも小汚い恰好をした君のお父さんにね」

「それ……!? お父さんが死んだ時に来てた服装……なんで……?」

「僕を信じてはくれないか? もう、君がお父さんの姿を見ることはできない。けど、お父さんは君の姿を、声を、ちゃんと感じることができる。ずっと言えずに後悔していたことを、今度はちゃんと伝えたらどうだ?」

 涙目になった悠里ちゃんは、じっと僕の目を見つめて、そして言った。

「私……あなたを信じてもいいの……? 私の言葉は……お父さんに届くの……?」

 強く頷き、肯定する。

「届くよ、絶対に」

「う……うっ……うう……」

 いよいよ涙腺が崩壊して、その場に崩れ落ちる悠里ちゃんを見て、僕はそっと抱きしめ――たい気持ちで山々だったが、自分の頬を何度もぶって、正気を保つ。

「行こう、君が少し前までお父さんと暮らしていた、あのアパートに」


「じゃあ、娘ってのは、みんなそんなもんなのかね」

「分からないけど、たぶんそうなんだと思う。若い時に一杯……親を傷つけて、それで大人になってから後悔する。たぶん……子供ってそういうものなんじゃないかな?」

 僕が悠里ちゃんを連れて、この汚い部屋へと戻ってくると、難しい顔をした二人の姿がそこにはあった。

「難しい……子育てってのは本当に」

「えへへ」とユリは笑うと、しばらく無言に。やがてこちらに気が付いたのか、二人の視線が僕に降り注がれる。

「アキラ? 娘さんは?」

「連れてきた。おい、竹中……心の準備はいいか?」

 いきなり猫背な背中をピンとさせ、ボサボサな髪の毛を整え出した。

「何してる……?」

「いや、娘が来るなら、ちゃんとしなきゃなって」

「ばか、あんたの姿は悠里ちゃんには見えないよ」

「おいお前! 娘を下の名前で呼ぶな!」

「はいはい。そいつは失礼しましたよっと」

 これだから嫌なんだ、娘を持つ親父というのは。

 やれやれ、こんなおっさんのために頑張ってやったのに、その見返りがこれかよ。

 君に俺の娘をやろう、ぐらい言ってもらわないと、僕としても素直に喜べないね。

「じゃ、呼ぶぞ」

「あ、ああ……」

 扉の前で待たせておいた悠里ちゃんを部屋の中へと呼ぶ。

「お、お邪魔します……」

 ぐるりと中を見回して、裕里ちゃんはホットしたような様子。

「何も変わってませんね、あの時から」

 愛おしそうに壁や窓に触れて、悠里ちゃんはニコッと笑った。僕はひたすら無言でその場に立ち尽くし、竹中を見た。

「おお……こんなにも大きくなって……。ふふ、やはりの俺の娘だ。ますます顔も俺に似てきたな……」

 いや、それは違うだろ。どっからどう見ても、あんたの遺伝子を引き継いでいるようにはみえないほど、悠里ちゃんは可愛いだろうが。

 竹中は立ち上がって、娘を抱きしめようと手を伸ばす。だが、当然身体をすり抜けて、抱きしめることなどできない。

「竹中さん……」

 ユリは表情を暗くして言った。

「あのさ、悠里ちゃん。お父さんに言い残した言葉って何?」

 これ以上仕事に付き合わされるのは勘弁してほしいので、僕はそれとなく促す。

「なんか……たくさんありすぎて、何を言ったらいいのか分かりません」

 僕は竹中に視線を送る。

「悠里……悠里……来てくれてありがとう、悠里……」

 両手を何度もこすり合わせて、竹中は神に拝むように頭を地面につけている。

 もう決して届くことのない、竹中の声。

 何だかいたたまれない気持ちになった僕は、竹中の言葉を代弁することにした。

「来てくれてありがとう、だってさ」

 しんみりとした表情で、悠里ちゃんは言った。

「それなら……ただいま、って伝えてあげて下さい」

「だってさ、竹中。あんたもなんか言いたいことあるんじゃないの?」

「じゃあ俺からは、バカな親父ですまなかった、と」

「バカな親父ですまない、だとさ」

 悠里ちゃんはいきなり声を大にして言う。

「そんなことない! 私は……私は! お父さんにとっても感謝してるんだよ……? いつもお弁当作ってくれてありがとう、美味しかったです。それから、いつもお父さんの悪口ばかり言ってごめんなさい。本当は……お父さんのこと、大好きだったよ……!」

 竹中は鳩みたく目をまん丸にして、ぶつぶつと細切れに言葉を紡ぐ。

「悠里……ありがとう。最期にその言葉を聞けて、嬉しいな……」

 親子そろって啜り泣き、僕としてはとても気まずい。ユリも同じような心境なのか、僕のほうへとやってきて、舌をペロっと出して微笑む。

「お父さん……私頑張る……! 頑張って生きて、お父さんみたいな立派な大人になる……! だから……だからずっと……私のことを見守っていてね……? 約束だよ……」

「ああ、約束する……! 俺はいつまでも悠里のことを見守っているからな……? だから精一杯生きて……いつの日か、お父さんみたいな大人になれよ……?」

 あんたみたいな大人にはなって欲しくないものだ。だって、絵画の価値が分からず、ぱちもんを押し付けられたり、挙句の果てには、奥さんに刺殺されたり。

 そんな散々な人生を送るぐらいなら、もはや死んでしまったほうがましってものだろう。

「行くか、ユリ」

「そう……だね」

 思春期独自の気恥ずかしさ。

 中学生くらいまでは、親に反抗ばかりする。そして高校生になると、次第に親への感謝の気持ちが生じ始める。

 けれど、やはりまだまだ子供というか、どうしても親にお礼を言ったりするのが、恥ずかしく思えてしまうのだろう。

 心にもない言葉を投げつけて、そして後で後悔する。それをしばらく繰り返していくうちに、ようやく理解するのだ。

 自分はなんて情けないやつだ、感謝の一つも言えないで何が大人だ、と。

 まあ、僕にもそういう体験はある。これは誰しもが通る道のりだ。

 もちろん、あそこで泣いている悠里ちゃんも。いや、もう悠里ちゃんに関しては、ちょうど通り過ぎたところなのかな。

 竹中の部屋から出ると、晴れ晴れとした天気が僕らを出迎えてくれた。温かいお日様の陽射しを身体一杯に感じながら、僕は空を見上げてこう呟く。

「竹中……お前の娘さん、良い子じゃないか」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ