ラストはいつも、悲しみを伴う その②
「ちょ、ちょっとあなた、大丈夫なの……?」
どうやら憑依の反動で、あたしは床に倒れてしまったらしい。
使い慣れていない身体を持ち上げ、ゆっくりと立ち上がる。
「久しぶり……だね、香苗」
姿形はアキラのまま。けれど、あたしの雰囲気でも察知したのか、香苗はか顔をひきつらせた。
「あ、アキラさん、なのよね……?」
両手を開いたり閉じたりして、アキラの身体を確かめる。
「そうだよ。これはアキラの身体。でも、中身は違う。あたしは――」
アキラの声であたし、なんて言うと、ものすごく違和感を覚える。
「あたしは、ユリ。あなたが忌み嫌っていた、あのユリ、なんだよ」
細い眉を顰めて、香苗は黙る。
「直江君の告白を断った、だからあたしのことをいじめた、そういうわけじゃなかったんだね、香苗」
「何故あなたがその名前を……いえ、もうこの際、そんなことはどうでもいいわ――」
まるで親の仇でも見るかのような目で、あたしを見据える。
「あなたは、ユリ。そうなのね?」
「うん、そう」
「ふん……死んでも死にきれなかったのかしら? 私にいじめられていたことが、そんなに恨めしかったのかしら?」
香苗は盛大な舌うちをかます。
「まったく。良い迷惑よ。ようやく邪魔者が死んだと思ったら、こうして、幽霊なんていう意味分からない存在となって、私の前にあらわれたのだから。何が目的なの? 私を殺したいの? 私に復讐したいの? 言ってみなさい」
違う……あたしはそんなことをしたくて、ここに来たわけじゃない。
「勘違いしないで。あたしはあなたのことが大嫌いだし、今でも恨んでるのは確かだよ。でもね、それ以上に、言いたいことがある」
「言いたいこと、ねえ」
拳を力いっぱい握りしめ、あたしは言った。
「あたしのこと、甘く見ないで」
「はあ?」
首を斜めに傾け、香苗は、あたしを目で威嚇する。同じだ。あの時、あたしをいじめてた時と、同じ顔をしている。自分の行いを正当化するような、あたかも自分が神にでもなったかのような、そんな顔だ。
「あたしは香苗が思ってるほど、弱くない。あなたにいじめられてたことなんて、これっぽっちも気にしてない。だから――」
あたしも負けじと啖呵を切る。
「甘く見ないで。バカにしないで。あなたのことなんて、どうでもいい」
「なっ……――」
よほど意外だったのだろう。意表を突かれたのだろう。そして、ムカついたのだろう。香苗はプルプルと身体を震わせて、阿修羅のごとき顔つきになる。
「ふざけるんじゃないわよ! なに、なんなの⁉ 私のことを愚弄するつもり⁉ はっ! 甘く見るな? バカにするな? 下らないわね。それは弱者が吐き捨てるセリフよ、負け惜しみよ! いいわ……いいでしょう……」
怒りの表情から一転、余裕の表情に切り替え、香苗はゆっくりと歩き出す。
「あなたは私のことをどうでもいい、そう言ったわね。でも、それは私だって同じよ! あなたみたいな人間、死のうが生きようが、幽霊になろうが悪霊になろうが、知ったこっちゃないのよ! あなたのことなんて、どうでもいいのよ!」
「どうでもいい癖に、あたしのことをいじめてたんだ? そっか。矛盾してるね。どうでもいいなら、あたしになんて、かまうことないのに」
「かまう? 違うわ。私はただ、あなたのことを小馬鹿にしていただけよ。なんとなく……そう、なんとなく、痛めつけてやろうと思ったのよ。別にあなたじゃなくてもよかったのよ。他の誰かに代役を務めさせるのでもよかった。だから、たまたま、あなたをいじめていただけ」
昔は、もう少し賢い人間だった気がするけれど。でも、あたしと香苗には複雑な事情があって、だから、こうも取り乱してしまい、適当な理由をこじつけているのだろう。
その気持ちは、分からなくもない。
あたしだって、いまだに、自分がお母さんとお父さんの本当の子供じゃないと分かって、混乱しているのだから。
「もう、言い訳するのは苦しくない? あなたは、私怨であたしをいじめていた。もし、あたしたちに複雑な事情がなかったら、きっと――」
きっと。いや、どうだろう。どうなっていたのだろう。釈然としないまま、あたしは言う。
「香苗があたしをいじめることはなかっただろうし、もしかしたら、仲良くなれたかもしれないね。分からないけど」
醜い獣が咆哮するように、香苗は汚い言葉を撒き散らす。
「やめろ! お前と私が仲良くなんてするはずがない! やめろ……やめろやめろやめろ! お前と私を一緒にするな! 私はお前みたいな人間が大嫌いだ! 死ねよ……もうさっさと死ねよ! さっさとあの世に行っちまえよ!」
「いい加減にして! いい加減に、認めなよ……。なんでそんなに、頑なに、認めないの……? あなたは私を、個人的な理由で恨んでた、妬んでた。それだけの話でしょ……? 謝れとは言わない。思いを改めろとも言わない。だけどせめて――」
そっと華奢な両肩を掴み、あたしは香苗に静かに告げる。
「認めてよ……自分の都合であたしをいじめてたって、ちゃんと言って……。そうじゃないと、あたしは前に進めない。あなたがそれを認めて、あたしが許さないと……いつまで経っても、変わらないんだよ……」
どこから力を振り絞ったのだろう。力任せにあたしの腕を振り払うと、香苗はよろよろと後退する。
「認められるわけが……ないでしょう……? だって、だって――」
初めてみせる、弱り切った表情。目は赤く、頬も赤く、か弱い女の子そのものだった。
「それを認めてしまえば……私は本当に、お父さんとお母さんの子供じゃ、なくなってしまうじゃない……。私怨でいじめていたことを認めれば、それはつまり、自分の存在を否定しているようなものじゃない……拒絶しているようなものじゃない……ねえ、そうでしょう……?」
ああ、そうか。
あたしはようやく、遅すぎる理解をした。どうしてもっと早くに気付けなかったのだろう。あたしは、たんに、香苗を傷つけているだけだった。結局あたしも、自分のことしか考えてなくて、自分の不利益を差し置いて、利益ばかりを追い求めていて。
なんだ。あたしをいじめていたやつらと、変わらないんだ。
「ごめんなさい――」
口から飛び出したのは、謝罪の言葉だった。そうするしかないと思った。これ以上は、香苗のことを、責められないと思った。
「あなただって、こんな悲惨な運命に巻き込まれたあなただって、被害者でしょう……? だから私の気持ちを理解してくれるわよね……? 親に望まれない子供なんていない、そんな綺麗事は、もう……うんざりなんでしょう……?」
うんざり、なのかな。あたしはお父さんとお母さんの子供じゃないけど、血が繋がってないけど、それでもやっぱり、好きなんじゃないかな。
確かに、子供の取り違えなんて、不運そのものだ。もしかしたら、あたしは両親からとってすれば、望まれていなかったのかもしれない。でも――
「ねえ、香苗……そうやって被害者の地位に甘んじているってことは、つまり、それこそあなたが危惧していた、自己否定なんじゃないかな……?」
「え……?」
「自分は両親の本当の子供じゃない。それはもう、どうしようもない事実だと思う。ある種の育児放棄をされた香苗は被害者で、本当に可哀想だとは思う。でも、だからといって、自分のことまで放棄していいの? 見捨てちゃっていいの? だめだよ。自分一人だけでも、自分を愛してあげなきゃ、救われないよ……」
「愛せるわけが、ないでしょう」
冷たい言葉が、あたしの耳の中で振動する。
「誰からも愛されることのない私なんて……愛せるわけがないでしょう! 両親から見放されているのよ……? そんな自分を、愛せるわけがないじゃない!」
「それなら――」
一切の躊躇なしで、あたしは香苗の身体を抱きしめた。
「それなら……あたしが香苗を愛してあげるから……。だから、そんな寂しいことを言わないで? 誰からも愛されない人間なんていない。そうでしょ……?」
「な、何を言っているのあなたは……⁉ 私はあなたをいじめていた張本人なのよ……? あなたは私のことを憎むべきなのよ……? なのに、どうして……⁉」
「分からない。分からないよ……あたしだってよく分からない……。でも、あたしはもう、どうすることもできないところまで、来ちゃってる……だってあたしは――」
少しだけ、ほんの少しだけ言葉を彷徨わせてから、あたしは言う。
「幽霊だから」
「そんな……そんな……だけど……」
「でも、あなたは違う。まだまだ取り返しがつく。だからさ、ここからまた、頑張ればいいんだよ。自分を愛せるように頑張れれば、それでいい……」
ぐっと歯を食いしばり、香苗はあたしに体重をあずける。
「私……頑張れるかな……? こんな最低な私でも……頑張れるのかな、頑張ってもいいのかな……?」
「だめなわけないでしょ? 大丈夫……きっと、どうにかなるよ」
よく手入れされた香苗の髪の毛を、優しく撫でる。
「うっ……うううっ……うあああああん……!」
赤子のように泣きわめき、情けない声をあげる。どうやら、あたしが知っている香苗はもう、ここにはいないようだ。
これで、良かったのかな。思わぬ展開になってしまったけれど、でも、あたしの気持ちはこんなにも晴れ晴れしているのだから、きっと良かったのだろう。
「アキラ……これで全部、終わったよ――」