ラストはいつも、悲しみを伴う その①
「――っと、アキラ、聞いているの?」
「ん? ああ、悪い。ボーっとしてた」
呆れた顔をするセレスさん。
「まったく……もっとシャキッとしなさい」
視界をセレスさんからユリへと移す。
「もう、さっきからずっとボーっとしてるけど、大丈夫?」
ユリ。
生きているユリではなく、死んでいるユリ。
「お医者さんは尽力してくれたんだけど、もう……手遅れで……」
あの時の、ユリのお母さんの言葉を思い出す。病院まで連れ添いたい気持ちで山々だったが、関係者以外は同伴不可と言われ、僕はあの場に、あの事故現場に、置き去りにされた。
そうして、為す術もなく、数日が経った頃。ユリのお母さんから、一報が入ったのだ。
それが、先ほどの言葉だ。
要するに、ユリが死亡したという旨を、伝えられた。
ぶんぶんと被りを振って、僕はそんな過去の思い出を振り払う。
「ああ、平気だ。何ともない」
心配そうに見つめるユリとセレスさんに微笑み返し、僕は立ちあがる。
「さてと。それじゃあ、本当の本当に、お前を成仏させるとするか、ユリ」
おおよその策は練ってある。
ユリの怨念は、つまり、自分をいじめていた連中に、正面からぶつかり、打ち勝つことだ。復讐ではない。たんなる、けじめだ。
「あなたはそれでいいの、アキラ?」
「いいもなにも、幽霊は本来、この世界にいるべきじゃあない」
「それはそうだけれど……」
言いたいことは分かる。僕だって、辛い。できれば一生、一緒にいたいとすら思える。でも、それじゃあだめだ。そうだな……言ってしまえば、これもまた、けじめなのだろう。
「あれから一年以上経ってるけど、ユリをいじめていたやつらは、きっと、そんなことも忘れて、のうのうと生活してるんだろうな」
「仕方ないよ。世の中なんて、そんなものだよ」
あの日から、ユリの時間は止まり。けれど、ユリ以外の人間の時間は止まることなく、動いている。なんだか奇妙な感覚だ。
それはまるで、人間一人の命なんて、どうでもよくて、無意味なものであると、そう言われているような気分だ。
横目でユリとセレスさんを見れば、二人は顔を合わせて、会話をしている。
「ユリ、私からは何も言えないけれど、でも、一言ぐらい、言わせてちょうだい」
「いいよ。一言といわずに、二言でも三言でも言って!」
「ふふ……じゃあ、お言葉に甘えて。あなたと過ごした日々は、楽しかったわ。今までも、これからも、私はあなたを忘れない。約束するわ」
ユリはセレスさんに抱きついて、頬をすりすりとさせる。
「うん! あたしも楽しかったよ! セレスちゃん、元気でね!」
「おい。まだ成仏できると決まったわけじゃない。そういう積もる話は、後回しだ」
少し、空気の読めない発言だったが、まあ、それはいいとして。
「じゃあ、今から、順序立てて話をする――」
大まかな流れを説明すると、二人はうんうんと頷く。
ちゃんと理解できているのか不安だが、いずれにせよ、やることは一つだ。
ざっと説明すると。
まず、ユリを僕の身体に憑依させる。そして、僕の身体を借りたユリは、けりをつけるべく、いじめてきた連中と話合いをするというわけだ。
問題点はたくさんある。
そもそも、ユリではなくて、僕の身体を使って行動するわけだから、いじめの張本人たちは、「だれだこいつ?」となってしまう。
加えて。
憑依できる時間には限界がある。正確な時間は分からないけれど、でも、十二時間ぐらいが限界だろうと、ボスは言っていた。
だから、それまでに決着をつけなければいけないのだ。
最後に。
どういう形でこの問題を終わらせれば、ユリの怨念が晴れるのか分からない。もしかしたら、もっと別の何かなのかもしれないしな。
と、まあ、こんな感じで、問題というか疑問点みたいなものはたくさんある。
けれどユリは、それでもやると言い張るので、僕らは黙って従うしかない。
リスクはない。が、リターンもない。
僕からすれば、実に時間の浪費ではあるけれど、ユリのためなら仕方あるまい。
だってさ、僕の本来の仕事は事故物件の処理なわけで、幽霊を成仏させることなんて、そのおまけみたいなものだ。
よっこらしょ、と、おじさん臭いセリフを吐きながら、僕は立ちあがる。
「行くか、ユリ」
どこか物憂げな様子のユリの背中を軽く叩いて、僕は外へと歩き出す。
「私はいちおう、ユリのサポートをするために、ついていくわね」
「ああ、頼む」
人間一人に、幽霊二人、いまだに幽霊はどう数えればいいのか分からないが、とりあえずいまは、幽霊二人とカウントしておこう。
勢いよく扉を開き、僕らは動き出す。
時刻は朝の八時ぐらい。
天気は良好。吐く息は白いが、そんなに寒くは感じない。
もう、しばらく足を運んでいなかったあの場所に向け、僕は歩みを進めていった。
「何も変わってないな、この場所は」
「そうだね……不気味なくらい、変わってない……」
閑散とした土手で、寒空を眺める。越冬をするべく、どこか遠くの地を目指すのだろうか、数羽の鳥たちが意気揚々と空を飛行する。
自由の翼なんてたとえがあるけれど、実際、翼があっても自由は手に入らない。それがあるだけでは意味がないのだ。
翼を使い、何かを為さんとしなければ、翼がないのと等しい。
つまるところ。
誰にだって翼は生えているとも言えるわけだ。目には見えない。けれど、確かに僕らはそれを持っている。
それならば。今こそ僕は、僕らは、羽ばたくべきなのではないか。
「よし、感傷に浸るのはやめだ。行こう」
一枚の紙切れを広げ、ユリとセレスさんに見せる。
「これは何かしら?」
「ボスからもらった。ユリの因縁とも言える、いじめてたやつらの住所だ。入手ルートは、まあ不動産関係との繋がりが深いボスであるが故に、ってやつだな」
深くは追求しないで。あまりペラペラと話せることじゃないから。
そうボスは言って、僕にこの住所がリストアップされた紙を渡してきた。当然、協力してきたということは、ユリを成仏させるべく僕が行動しているのは理解している。
まあ、ボスからすれば、幽霊はいるべき存在じゃない、と口を酸っぱくさせて言ってきたのだから、ユリの成仏は願ってもない絶好期なのだろうけれど。
それでも、やはり、さみしそうな顔をしていたから、何か思う節でもあるのだろう。
「あたしが話をするべき相手は、一人」
すっと指で、一つの住所を指し示す。
大和田香苗という名前だ。
「そいつが、お前をいじめていた張本人なんだな?」
ユリはゆっくりと、力強く頷く。
「うん……」
「分かった。行ってみよう」
こんな時だからなのか。
セレスさんはいつもみたいに、退屈そうな表情をすることなく、真っ直ぐな瞳で、前だけを見据えていた。
あちこちと迷いながらも、どうにか目的地にして決戦の地に辿り着いた。人間と幽霊の集団は、その大和田香苗の住まう家を目前にして、立ち止まる。
いや、立ち止まるというより、怖気づいたと言った感じである。
「な、なんだこれ……」
「お金持ちだってことは知ってたけど、まさかここまでとは……」
「これじゃあアキラの家が、ゴミくず同然に思えてしまうわね」
もはや否定できない。
ゴミくずどころか、ミジンコぐらいに、自分の家がしょうもないものに思えてしまう。
「い、行こう……」
「え、正気かしら?」
「仕方ないだろ。行かなきゃ始まらないし」
「でも、私たちみたいな、一般庶民が足を踏み入れて良い場所ではないわよ、きっと」
ひくひく額を痙攣させながら、セレスさんはその場から動こうとしない。
ていうか、これじゃあ、大和田香苗とやらを呼び出す前に、門前払いをされてしまいそうだ。
敷居が高いとはこういうことを言うんだな。
僕もセレスさんと同様に、ビビりまくっていたが、ユリは既に踏ん切りがついたようで。
「大丈夫。ちゃんと理由を話せば、会わせてくれるはずだよ」
「お、おい……」
颯爽たる足取りで正門まで行くと、微塵もためらいなく、僕を手招きする。
「アキラ、押して」
「はあ……仕方ないか……」
重たい足を引きずって、しぶしぶ、僕はブザーを押す。すると、わずか数秒で反応があった。
「はい。こちら大和田家でございます」
ダンディな男の声だ。執事でも雇っているのだろうか。
「そ、そうでございますか。ええと、こちら、大和田香苗さんに用事があります――」
そこで、僕は本名を言うべきか迷った。
ずっと昔に説明したけれど、幽霊に本名がばれれば、すなわち、身体を乗っ取られてしまう。でも、まあ、それは悪意のある幽霊に限った話ではあるので、ユリやセレスさんにばれてしまっても問題ないのだろうけれど。
なんていうか……今までずっと、二人には隠してきたから、僕はずっとアキラという名前で通したかったのである。
最初の段階では、念には念をいれて、偽名を使わざるを得なかったとは言え。
二人に隠していたのは確かだから、いまさら本名を言うことは後ろめたい。
「アキラ……?」
「悪い。今まで偽名しか教えられなくて」
小声で二人に謝罪をしてから、僕はインターホン越しに、本名を告げる。
「日向彰と申します。大和田香苗さんに用があって、こうして足を運ばせてもらいました」
ハッとしたように、二人は口を開いて驚く。
「ちょ、ちょっと……? あなたの本名をバラしてしまっていいの?」
「ああ」
「そ、そう……それならかまわないのだけれど」
しばらくの間をおいてから、再びインターホン越しに声が届く。
「どういったご用件でしょうか?」
ちらりとユリを見やると、そっと僕の耳元でユリは囁いた。
「紅林由梨、たぶん、あたしの名前を言えば、対応してくれると思う」
「紅林由梨、という、大和田香苗さんの元同級生の件で、お話したいことがあります」
「少々お待ちください。ただいまお嬢様に確認してまいります」
お嬢様って……やっぱり、そういうことか。
「はい、お願いします」
やたらと大きな正門から、その奥に視線を送る。よく手入れされた木々や花々、そんな緑豊かな庭園を抜けると、豪勢な玄関が姿を見せる。
ざっと、白色を基調とした家を見渡してみれば、大きな窓ガラスが点在しており、日当たりが良さそうだ。
屋上もあるようで、春になればあそこで読書しながら、のんびりと穏やかな一日を過ごせそうだ。などと、いかにも一般庶民的な妄想をしていたところで、オートロック式の正門が開かれる。
「お待たせしました。どうぞお入りください」
とても滑らかな動きで門は開け放たれ、僕らは慎重に中へと入っていく。冬だと言うのに、蝶が舞っていそうな感じの、玄関へと続く歩道。
ていうか、家に入るだけなのに、何十歩も歩かなければいけないのは、不便な気がする。
やはり僕は、庶民でいい。こんなものにお金をかけるぐらいなら、喫茶店でも開いて、美味しいコーヒーをお客さんに提供したいものだ。
「あ……」
不意にユリが呟いた。
「どうした……?」
「香苗……」
力んだユリの肩を一瞥してから、視線を前に戻す。
そこには、お嬢様然とした、一人の少女の姿が。風が吹くたびに、ふわりと揺れるスカートが印象的だ。
徐々に距離が縮まって、ようやく顔を確認できた。
細い眉毛、腰のあたりまで伸びる綺麗な髪、そしてなによりも、日本人離れした高い鼻。全体的に、冷血にして、冷静にして、冷淡な顔立ち。
とにもかくにも、冷たい。そんな感じだ。
「初めまして、で、いいんですよね?」
歪な笑顔で僕を見る。
「そうですね、初めまして。僕の名前は日向彰です。あなたは、大和田香苗さんでよろしいですね?」
「ええ、間違いないわ」
なんだろう。少しセレスさんとキャラが被る。ただ、大きく違うところは、一切の優しさを感じさせないところか。セレスさんは、ところどころで、優しい。
「それじゃあ、早速、本題に入らせてもらいますよ――」
しかし、そうはさせないとばかりに、大和田香苗は、僕の唇に人差し指を添えて。
「それは、あまりにも早速過ぎますね。もう少し、お話をしませんか?」
「……」
「それから、私のことは、香苗と呼んでください。私もあなたのことを、アキラさんと呼びますから」
慣れ慣れしいやつだ。もし僕が、何の事情も知らずにこいつと話をしていたら、かなりの好印象を抱いただろうけれど。
でも、ユリをいじめていたやつだと知っている以上、プラスになることはない。永遠にマイナスにして最悪の印象しかもてないだろう。
僕は大和田さんの指先をどかし、言った。
「僕を何と呼ぼうとかまわない。けど、僕はあなたのことを、大和田さんと呼ばせてもらいます。それから、あなたとの親睦を深めるために来たわけじゃないですから。さっさと本題を切り出させてもらいますよ」
「つまらない方ですね、あなたって」
「さあ、どうでしょう。まあ、あなた程じゃあないですけど」
ピクリと、頬笑みに亀裂が入る。あくまでも笑顔で対応するつもりなのだろうけど、いつまで保っていられるだろうか。
「それじゃあ、中へご案内します」
くるりと背を向け、大和田さんは、僕らを案内する。
鷲の剥製やら、西洋の鎧やら、熊の毛皮でつくられた絨毯やら、いかにも金持ちが好みそうな代物がずらりと並んでいる。
新書みたいな匂いが漂う廊下を歩かされ、ようやく部屋に案内をされる。
「私の部屋です、どうぞ」
「は、はい……」
まじかよ聞いてねえよ。なんで自分の部屋に案内しちゃうわけ?
僕いちおう男なんですけど。
そんな軽々しく招き入れちゃっていいの? もしかして僕、ナメられてるの?
「どうかしましたか? アキラさん」
「別になんでもないです、ただ、広い部屋だなと思いまして」
そう、冷静を装いつつ言って、部屋の中央に設置されているグランドピアノを指さす。
「ピアノ、お好きなんですか?」
「ええ、まあ。淑女の嗜みですから」
「ほう……それなら、テニスもやるんですか?」
「もちろんですよ、アキラさん」
もちろん、ねえ。これだから金持ちは……。もう少し謙虚にものを言えないのかね。
「失礼します」
扉をノックする音。
「入りなさい」
それに対して、応答する大和田さん。
「お嬢様……」
深くお辞儀をする執事は、サササッと大和田さんに近寄り、耳打ちをする。
あまりよく聞こえなかったが、大和田さんの機嫌が悪くなったのは明らかであった。
「下がりなさい……」
「で、ですが……」
「下がれと言っているの。これは命令よ」
「かしこまりました……」
律儀にも、僕にまでお辞儀をすると、執事は足早に部屋を出て行った。
長いソファーに腰をかけ、大和田さんはそこに座る。
「アキラさんも、どうぞ」
「ええ、失礼します」
「今日も寒いですね」
「寒いですね」
「冬はお好きですか?」
「まあ、嫌いじゃないですけど」
「そうですか」
「ええ」
世間話をことごとく切り捨てて、僕は準備を始める。
ユリの話をするための準備だ。
「紅茶は――」
「大和田さん。もう、頃合いでしょう。いい加減に、本題に入らせてください」
笑っているけれど、苛立たしげに髪の毛をいじり、大和田さんは両手を上にする。
「降参です。あなたのお望み通り、本題に入りましょう」
足を組み直し、一度大きくため息をついてから、話を始めた。
「紅林由梨、でしたっけ? アキラさんは、どうしてあの子のことをご存じなんですか?」
どう説明しよう。しばらく考えた末に、僕は当たり障りのない言葉を選んだ。
「たんなる知人ですよ。まあ、それなりに深い関わりがあった、そう思ってください」
「彼氏では、ないんですね?」
どうしてそうなった。反応に困り、とりあえず真顔のままで。
「違いますけど」
「まあ、それはどうでもいいんです。そんなことより、私が気になったのは、どうして今さら、あの子のことで、私の元を訪れたのか、ということですね」
「特に、時期に意味はありません。ただ、なんとなく、今日になっただけです。もしかしたら、明日だったかもしれないし――」
探りを入れるように、僕は相手の顔色をうかがって。
「ユリがあなたにいじめられるようになった、いまからおよそ、一年ほど前だったかもしれませんね。ああ、別に、気を悪くしないでください。深い意味はありませんから」
それは、ほんの些細な変化だった。気を張っていなければ、思わず見逃してしまうような、一瞬の仕草。唇をわずかに噛み締めたのだ。
「何を言おうがあなたの勝手よ。けど、そのいじめとやらの根拠はあるのかしら?」
「そんなに過剰に反応するってことは、やっぱり、当たってるんですね? まあいいでしょう。証拠はあるっちゃあります。けど、今すぐに提示するのは難しいですね」
ふふ、と、勝ち誇り顔で、僕を見下す。
「あら、困りました。要するにそれは、証拠がない、ということですよね? だって、今すぐに提示できない証拠なんて、証拠とは言えないでしょう?」
「まあ、そう急かさないで下さい。ちゃんと証拠は、この場であなたに見せますから。でもその前に、いくつか質問をさせてください」
どうぞという意味をこめ、大和田さんは片手をさっと前に出す。
「まず、あなたの両親について――」
怪訝そうな表情で、けれど、どこか怯えたような表情でもあり、大和田さんは身構える。
「母親は確か、大学教授でしたね。あの有名私大に勤務しているんですから、それはもう頭が上がりません」
なるべく丁寧に慎重に言葉を紡ぐ。
「それで、父親は政治家。もう、言うことないです。大学教授の母親と、政治家の父親から生まれた娘さんですからね、あなたもさぞ、優秀なんでしょう」
「何が言いたいのかしら」
「もう少し待ってください。そうですね……あなた、大和田香苗さんは、確か幼稚園から中学まで、エスカレーター式で私立に通っていましたよね?」
「ええ、まあ」
「けれど、高校は何故か、公立に通ってますね。どうしてでしょうか?」
とんとんと、膝を指で叩く。イライラしているのか、それとも、何かそれらしい言い訳でも考えているのか。いずれにせよ、すぐに分かることだ。
「どうしても何も、そうしたいと思ったからよ。悪いかしら?」
まただ。敬語が少しずつ、乱れてきた。
「別に悪くはないです。何をしようが、あなたの勝手ですから。それじゃあ最後に――」
僕の中では、とっくに答えは出ている。どうして大和田さんがユリをいじめていたのか。ボスと一緒にあちこちを歩き回り、情報収集した結果、ある一つの結論を導き出せた。
こういうときは、本当に、ボスの顔の広さには驚かせられるし、役に立つ度合いも半端じゃない。そして、いま僕が、何故こんな回りくどい形で、大和田さんに質問をしているのかは、もう間もなく分かるだろう。
僕はソファーから立ちあがり、今度は大和田さんを見下ろす形で言葉を吐き捨てた。
「大和田さん、いえ、紅林さん……あなたの本当の両親は、ユリの両親、なんですよね?」
「「え?」」
しばらく黙っていたユリと、大和田さんは、口を揃えて驚愕した。
まあ、ざっと説明しようか。
いま現在、戸籍上は大和田家の子供となっている、大和田香苗は実のところ、大和田家の本当の子供ではない。
大和田香苗は、本来、紅林香苗であるはずだった。いや、べきだった。
逆に、紅林由梨は、本来、大和田由梨であるべきだったのだ。
まとめると。
赤子の取り違えが生じてしまったのだ。
同じ病院で、同じ時期に生まれたユリと大和田さん。
しかし、病院側のミスで、大和田家と紅林家の子供がすり替わってしまった。
ということで。
大和田香苗は紅林香苗で、紅林由梨は大和田由梨である。
頭が混乱してしまいそうなので、ここからは大和田さんのことを、香苗さんと呼ぶことにしよう。そしてこの話が、ユリをいじめることにどう関係してくるのか。
予想がついた人はいるかもしれない。と、その前に。
何故、香苗さんが、高校からいきなり公立に通うようになったのか。
これは、残酷ではあるけれど、香苗さんの両親は気づいてしまったのだ。自分の娘だと思っていた子供が、ディーエヌエー検査の結果、まったく赤の他人の子供、つまり、紅林家の子供だったことに。
となると。
幼稚園から中学まで私立に通わせていたものの、他人の子供を世話してやるような義理はないということで、香苗さんを学費が安くて済む公立へと通わせることにしたのだ。
聞いた話では、香苗さんの両親は、子供の取り換えを要求するとともに、病院を訴えたそうだ。子供たちには内密にして、大和田家と紅林家は交渉を進め、両者とも合意した。
しかし。病院サイドはあくまでも認めないスタンス。裁判沙汰にもつれ込み、長引くこと約一年ちょっと。もう知っての通り、事件が起きた。
そう……それがユリの死亡だ。
結局、子供の取り違えは認められ、病院側は負けた。けれど、ユリが死んでしまったことで、事情は変わってしまう。大和田家は香苗さんを自分の子供として育てることに決め、紅林家もそれを承認したのである。
ここからが本題にして事の顛末だ。
そんな複雑な事情を、はからずとも知ってしまった香苗さんは、自らの運命を恨み、それと同時に、ユリの存在も憎むようになった。
本来であれば、ユリが大和田家の恩恵を受けるべき。でも実際は、香苗さんがそれを搾取している。プライドの高い香苗さんは、そんな状況に納得できなかった。
納得できなかったから、結果として、ユリのいじめへと発展してしまったのだ。
だから、ユリのことを好きな男子がいて、そいつの告白を断ったから、とかいう話はまったくいじめと関係がなかったわけだ。
さて……もうこれで、話の概要は理解できただろう。ここから先は、ユリと香苗さんにバトンタッチだ。
「ユリ、憑依だ」
呆然としているユリに向け、僕は静かに言い放つ。
事態を呑みこもうと必死になっていたユリであったが、そう簡単にはいかないのだろう。僕の言葉が聞こえているのかも怪しい。
「ユリ、大丈夫か?」
ふるふると頭を揺らし、一歩二歩と退く。
「そんな話……知らない……。あたしはお父さんとお母さんの子供で……そんな、ことって……あり得るの? あり得ない……あり得ないよ……」
僕がいるはずのない人間の名前を呼んだことで、香苗さんは目を丸くさせ、ぎょっとした表情になる。
「ゆ、ユリ……? なぜいまその名前を出すの……?」
「信じるか信じないかは、あなた次第です。でも、いちおう言わせてもらいますけど、僕には死んだ人間、まあ幽霊が見えるし、触れるし、話せるんですよ。だから今ここに、ユリがいます。あなたがいじめた、退けた、虐げたユリが、ここにいるんですよ」
大きな音をたて、香苗さんは立ちあがった。
「適当なことを言わないで! あの子はもう、死んでいます! トラックに轢かれて……死んだんですよ!」
「そうです、ユリは死にました。けれど、ここにいます。だから今から、僕の身体にユリをおろして、あなたと話をさせるんですよ。それが――」
僕は大和田さんに歩み寄って。
「何よりの、証拠です。あなたがユリをいじめていたという、動かぬ証拠になるわけです」
「そ、そんなことができるなら、やってみなさいよ。いますぐ、ユリを出しなさいよ!」
無言で僕らは見つめ合う。
いや、睨みあうと言った方が正しい。
「アキラ……憑依、させて」
ようやく冷静になれたのか、ユリは僕と大和田さんの間に割り込み、そう言った。
「準備は整ったようです。じゃあ、いきますよ」
顎で合図を送る。
「まだ、よく分からない。良く分からないけど、でも、前に進むためには、香苗とぶつからなきゃいけないよね。うん……アキラ、ちょっとの間、身体を借りるね」
「ああ、問題ない」
身体から力を抜いて――僕は瞼を閉じた。