さらば、僕の淡い恋心 その②
肌寒い外気に身を縮め、眉を顰め、目を細め、僕は群衆に揉みくちゃにされる。
どうして平日だというのに、こんなに人が多いのだろう。
はい、分かってます。
理由なんて分かっていますとも。
今日は祝日。
だから人が多いのは当たり前。しかも場所が場所である。
ちらりと横目でユリを見れば、通りに乱立している屋台に目を奪われている。
はあ……しかも、よりにもよって、お祭りとはね。
昼間からお祭りですよ、まったく。
普通、夕方からやるのが常ってものだろう。それにこの時期に祭りなんて、季節外れもいいところだ。
「うわぁ……あのリンゴ飴美味しそう……」
ガキだな。リンゴ飴なんてのは子供が食するものだ。
大人なら黙ってチョコバナナである。
いや、別に、下ネタじゃないからね?
やめろやめてくれ、僕はそこまで低レベルな下ネタを披露するような男じゃあない。
どんな下ネタが高レベルなのかは知らないけれど、とにかく、僕はそこまでバカじゃないことは確かである。
誰が何と言おうと、それは事実。
もう一度言わせてもらおう。
僕はバカじゃない。
オッケー。これでもう、誤解は解けたはずだ。
「見て見て! あそこにドジョウすくいがあるよ!」
え、金魚すくいじゃなくて?
ユリが指さす方を見れば、考えられない光景がそこにはあった。
「わしが生まれは浜佐陀生まれ~朝まとうからどじょやどじょ~」
ドジョウすくいお決まりのビージーエムが流れており、そのリズムに合わせて客はドジョウをすくう。
形から入るということなのか、客はひょっとこのお面をつけている。
そしてもちろん、手には大きな籠。
「あー、お客さんおしかったね! もう一回やる?」
「いや、もういいっす。これ絶対に、どじょうすくえないし」
そこは普通、金魚すくいじゃね? というツッコミはしないとして。
まあ、もうしちゃったけど、とにかく。
あれは意外と難しいようだ。
金魚をすくうあれ、なんだっけ。名前が出てこないあれだよ。
水につけるとふやけちゃうあれ。
人を小馬鹿にしたように、それで金魚をすくうと簡単に破けちゃうあれだよ。
「ポイじゃなくて、籠ですくうんだねえ……。すごい、なんか面白そう!」
そうだよ! ポイだよポイ!
あれってポイって言うんだぜ? どうもポイ捨てのポイからきてるらしい。
と、嘘くさい豆知識を披露したところで、ユリは僕に言った。
「アキラ! あれやって!」
無理に決まってるだろ。
首を軽く、横に振る。
「なんでよー。アキラなら絶対、あのお面似合うって!」
嬉しくねえ……。
ひょっとこのお面が似合うとか、それもう自分の顔面を全否定されたようなもんじゃん。
そのまま素通りしようとしたが、ユリはどうしても僕にやって欲しいようで。
「アキラ、あれやってくれないと、さっきの話の続き、絶対しないから」
「ふざけんな!」
やばっ! 思わず大きな声で言ってしまった。
ユリは他の人間には見えない。
つまり、僕は一人でいきなり叫んだ変な人である。いわゆる変人というやつだ。
「なにあの人ぉ……まじキモいんですけどぉ……」
「ていうか、最近頭おかしい人多過ぎじゃない?」
「だよねだよねー。まじ迷惑。まじうざい」
女子高生と思しき集団が、僕の悪口をコソコソと話している。まあ、僕に聞こえてる時点で、コソコソじゃないけれど。なんだかこのまま、頭のおかしいやつだと勘違いされるのは癪だったので、僕は女子高生の集団に向け、軽く会釈してみた。すると――
「きゃあー! まじあの人イケメン! 超絶必殺、殺人スマイル!」
とはいかず。
「え……やだ……なんかこっち見て笑ってるんですけど……」
「やばいって。あれ絶対やばいって。早く離れよ」
サササッと、蜘蛛の子を散らしたように、女子高生たちは消えていった。
これだから若いやつらも女も嫌いなんだ。笑顔から一気に真顔に戻す。
「アキラ……その……ごめん」
やめろ。そうやって謝られると、居た堪れない気分になるから。申し訳なさそうな顔をするユリをしり目に、僕は再び歩みを進める。どういうわけか、僕が歩くところには人が寄ってこないというか、避けられているというか。
まあ、なんだ。
要するに、気持ち悪がられているわけだ。
やっぱり、ユリとこんなところに来るんじゃなかった。
いつもの癖で、ユリに話しかけられれば反応してしまうのだから、こういう人の多い場所はやめておくべきだったのに。
「ごめんね。あたしが我儘言ったせいで……アキラに嫌な思いをさせちゃって……」
我儘……ねえ。
そんなことはないと思うが。
子供が祭りに行きたいと思うのは当然だしな。成人してる僕だって、そうなのだから。
力なく浮かんでいるユリに、小声で話しかける。
「別にお前のせいじゃない。気にするな」
あくまでも冷静に、あくまでもカッコよく。
僕はそう言った。
少しだけ微笑んでから、ユリは背筋をしゃんとさせる。
「やっぱり、アキラって優しいよね。あたしはアキラのそういうところ、好き……かな」
「へくしゅ!」
「このタイミングでくしゃみ⁉」
鼻をさすりながら僕は、聞こえなかったからもう一回言ってくれと目で合図。
しかし、どういうわけか、機嫌を損ねてしまったようで。
「ふん……! アキラのバカ!」
と、いうわけだ。
今までに何回、バカと罵られただろう。
数えきれない。数えたくもないが。
僕からどんどん遠ざかっていくユリの背中を、慌てて追いかける。人がいない方いない方へと歩くユリに、違和感を感じる。まるで僕を誘導しているかのようだ。
屋台が並ぶ通りからは完全に外れ、細い小道を突き進むこと約十分。
まわりに誰もいないことを見計らって、僕はユリに言った。
「おいおい、どこ行くんだよ」
ぴたりと動きを止め、ユリは振り返る。
そして、そのユリの表情を目にした瞬間、僕の脳内は疑問で埋め尽くされた。
怒っているわけじゃない。
喜んでいるわけでもない。
ただひたすら、ユリは悲しそうな顔をしていた。
それはまるで、僕が今までに何度も見てきたような、自殺したことを後悔している幽霊みたく、酷い顔であった。
全てに絶望し、けれど希望を捨て切れず、でもやっぱり死ぬことを選んだ自殺者。
今のユリは、そういうやつらと同じ表情だ。
「どうした……?」
僕の問いかけには答えない。
仕方がないのでしばらく待つ。けれど待てども待てども、ユリは口を固く閉ざしたままだ。
痺れを切らそうにも切れないこの状況に、僕はなにをすればいいか分からず、やはり無言を貫くしかなかった。
四六時中、ユリやセレスさんを筆頭に、幽霊とともに過ごしてきた僕には、完全なる沈黙は、かなりきつかった。
変な人間だな、僕は。
子供のころから、人間と馴染むのが下手くそで、そうした結果、幽霊と話すのが習慣となった。
僕の愚痴や秘密を口にしたところで、誰かに口外されることはない。
そんな環境に甘んじて、自分の能力に酔いしれて。
結果。
孤独を愛し、孤独を嫌うようになってしまった。
人間との関わりは持たずに、幽霊との関わりを望む。そういうことだ。
ああ、そうか……やっぱり僕も、ボスと同じだ。
自分だけは特別だと思い込んでいたボスと等しく、僕も自分を過大評価していた。
幽霊と話せるから偉い。
それはとんだお笑いである。寒くてつまらない親父ギャグである。
なんだよそれ。
なんだよ……それ……。
幽霊なんて存在しないようなものだ。
いくら助けても、いくら仲良くなっても、何も残らないじゃないか。
ノーベル平和賞だってもらえないんだぜ?
何百、何千、という幽霊を成仏させたとしても、勲章の一つも、もらえない。
それどころか、大勢の人間を殺す軍人なんて、殺せば殺すほど勲章が増える。
矛盾だ。背反だ。不合理だ。
いや……こんなことは、とっくの昔にケリをつけたはずなのに。
誰のためでもなく、自分のために幽霊を救う。そう心に誓い、それに従って今までやってきたじゃないか。
じゃあ、どうして、今さらになって、悩んでいるんだ、僕は。
分かるようで、分からない。
理解できるようで、理解できない。
納得できるようで、納得できない。
混沌とした頭の中を整理する間もなく、僕は結論を出してしまう。
僕が弱いから、こうやって悩むんだ、と。だから、もっと強くならなければ、と。
論点を結び付けることさえできていないのに、結論を出す。つまり、逃げだ。もしかしたら、とんでもなく恐ろしい答えを導き出してしまいそうで、それが怖いんだ。
「さ、さてと。せっかく祭りに来たんだし、もう少し屋台を見て回ろうか」
わざと能天気な発言をして、この場にそぐわない発言をして、僕は誤魔化す。
ぎゅっと拳を握りしめたユリが視界に入り、覚悟をしていたはずの僕の気持ちが、揺らいでしまった。
「あ、あたしね――」
「やめろ……それ以上、言うな……」
「待って! ちゃんと聞いて、アキラ」
「やめろよ……やめてくれよ……頼むから、それ以上は何も、言わないでくれ……」
やってしまった。
嫌な予感はしない、とか言っていた癖に、やってしまった。
予感なんていう曖昧な感情に突き動かされ、僕はユリの発言を遮ってしまった。
けれど、ユリは決して、言葉を紡ぐことを、やめなかった。
「あたし、過去の自分に決着をつける。だからアキラ、あたしに力を貸して。お願い……」
「待て……。過去と決着をつけるって……つまり――」
ジェットコースターのように、ぐるぐると記憶が巡り巡っていく。
ユリと初めて出会った時。
ユリと初めて喧嘩をした時。
ユリと初めて……笑い合った時。
死に逝く者の断末魔に近い声色で、ユリは言った。
「あたし……あたしが! あたしがいるべき世界に戻るために、決着をつけるの!」
いるべき世界。それはつまり、あの世だ。
死んだ人間があの世にいくのは当然のことで、それはユリとて同じこと。
「あたしが本来いるべきところは、ここじゃない」
「知ってるよ……そんなこと……」
「だからあたしは、行かなきゃ」
「分かってるって……そんな簡単なことも分からないほど、僕はバカじゃない」
「それなら、あたしに協力してくれる?」
「協力――」
するのか。本当にするのか。できるのか。
ユリがいなくなっても、いいのか。
いや、よくない。
だめだ、だめだ、だめだ、だめだ。
ユリがいなくなったら、僕は、だめになってしまう。なんだよ情けない。ユリはだめだけど、他のやつらならいいのか?
今まで僕が成仏させてきた幽霊は、どうでもいいのかよ。
違う。そうじゃない。どうでもいいなんて思ったことは、一度もない。
じゃあ何故、ユリはだめなんだ。ユリが僕のことを好きと知っていながら、それでも、ユリが成仏する際の妨げにならないよう、頑なに気づかないフリをしてきたじゃないか。
目茶苦茶だ。僕のやること為すこと、揃いも揃ってあやふやだ。
「協力する……しかないだろ……ここで僕がお前に協力しなければ、今まで成仏させてきたやつらに、顔向けできない……」
そんな理由で協力するなんて、僕はとんだ、愚か者である。
たぶん、いや、きっと、お前が幸せになれるように、僕は手を貸す。こう言うべきだった。
でも、たとえユリが幸せになれたとしても、僕は幸せになんてなれない。寂しいだけだ。それを理解しているからこそ、僕はあんな発言をしてしまった。
逝くな。残れ。僕と一緒にいろ。そう言えないのが、辛いところである。
考えれば考えるほど、悲しみに身体を縛られてしまう。僕は罪人に死刑宣告をするように、冷たく、それでもって重たい声を、喉から引っ張り出す。
「仕事を始めて、最大の修羅場だ。僕がお前を成仏させられるかどうか、腕の見せ所……だな」
この発言をどう捉えたかは分からないが、ユリはにへらと笑うのであった。
「ありがとう。アキラ……本当に、ありがとね……」
「やめろ。感謝の言葉を送るには、まだ早い。事が終わったらにしろ」
「そうだね。うん、そうだよね……」
遠くから聞こえてくるお囃子の音。
昼間の路地裏を照らす、わずかな陽射し。
野良猫どうしがじゃれあう姿。
こんなにも平和な世の中なのに、世界の終わりは、すぐそこにあった。