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出会いは別れ、別れは出会い その⑤

 海を見渡すことができる、この場所。

 ここには私たちの家があったのだけれど、今はもう、ない。

 寒空に広がる雲はまばらで、怖いほどに青い海は荒れている。

「久しぶりね、この景色も、あなたも。今日、あなたがやって来るような気がしたわ」

 ろくに手入れのされていない雑草を、踏みしめる音。

 ガサり、ガサりと、乾いた悲鳴を草が上げる。

 草の叫びと私の鼓動が一体となり、私はぎゅっと、胸元を握り締める。

 苦しい、いや。辛い、いや。やっぱり、結局、申し訳ない。

「久しぶり、セレス」

 振りかえれば、そこには見慣れたアキラの姿が。

 けれど、これはアキラではない。

 私が人生で一度だけ愛し、愛された男。

「昭一……あなたは再び、この世に戻ってきてしまったのね」

 両手を見ながら、昭一は感慨深そうに言った。

「生きてるってことは、随分と面倒なんだ。俺はあの世で、そう思った」

「そう。でもあなたは、こうしてアキラの身体を借りて、一時的にとは言え、生きているのよ? おかしな話だわ」

 ははっと昭一は笑うと、私から視線を外し、海を見下ろした。

「相変わらず、だな」

「それは褒め言葉として受け取っておくわよ」

「ああ、それでかまわない」

 しばらくお互いに無言が続き、先に口火を切ったのは昭一の方であった。

「さすがに、一度成仏した身だから、幽霊としてこの世に戻ってきたはいいが、姿までを具現化させることができなくて。結局、アキラ君の身体を借りるはめになった」

 なるほど。わざわざ憑依したのには理由があってのことなのね。

 私はてっきり、この世に未練たらたらで、アキラに頼み込んで身体を貸してもらったのかと思ったのだけれど。

 私より少し前に立つ昭一の隣に並び、二人で潮風を感じる。 

「ここはいつから、更地になったんだか。昔はこの辺に、たくさん家があったけど、今ではすっかり荒れ地だな。誰も寄りつこうとしないみたいだな」

 ぽつんと一つだけ設置されたベンチを一瞥し、昭一は私の顔をのぞきこむ。

「でも、やっぱり、君だけは変わらない。俺は安心したよ」

「そういうあなたも変わってないわ。臭いセリフを平気で言ってしまうところ、とか」

 昭一は唇を軽く噛み、決まり悪そうな顔をする。

「まあ、雑談はこの辺にしておいて。そろそろ本題に入ろうか」

「好きにしてちょうだい」

 もう私は予測できている。昭一の次の言葉が、頭に浮かぶ。

 果たして私は、どう答えるのが正解なのかしら。

「なぜ、俺と一緒に成仏しなかった? あの時、確かに俺たちは、もう心残りはない、そう思ったはずだ」

「……」

 今になっても、私には分からない。

 どうしてあの時、昭一と一緒に成仏しなかったのか。

 確かに、もうこれでいい、これで悔いはない。

 そう思えたはずなのだけれど。

 実際は、そうじゃなかった。

 昭一は成仏し、私はこの世に留まった。

「私は……」

 考えが整理できないまま、言葉を紡ぐ。

「私にも、分からない。散々、あれこれと考えてみたのだけれど、やっぱり……分からなかったわ……」

「そうか」

 一言だけで区切り、昭一は目を細める。

「でも、私は決して、あなたを見捨てたわけじゃないわ。だからどうか……勘違いしないで」

「勘違い、か。だけど実際、俺は成仏して、君は残った。言ってしまえば、俺を見捨てたようなものだろう」

「ち、違うわ……」

「じゃあ……それなら……どう違うのかを説明してくれ……」

 悲痛な表情で昭一は私を見つめる。目を逸らすこともできず、息をすることさえできず、私はその場に固まった。

 言われると思って、覚悟していたのに。

 いざ言われてしまうと、その言葉が酷く胸に突き刺さり、苦しい。

「ごめんなさい……説明、できないわ……」

 自嘲染みた笑顔を浮かべ、昭一は目がしらをおさえる。

「いや、いいんだ。俺の方こそすまない。君が一番……悩んでいたはずだ。傷口に塩を塗るようなことを言ってしまって、すまない……」

 やけに風がうるさい。

 風が私の耳を掠めるたびに、「お前は最低だ」と、囁かれているようで。

 けれど、確かに、私は最低なのだから……。

 私のせいで昭一は戦争に駆り出され、私のせいで昭一は死んだ。

 何度も何度も、私は後悔をして、周りから責められ、人殺しと罵倒され。

 終いには、私は昭一の母親に殺された。

 いま思い出しても、思わずお腹が痛み出すほど、昭一の母親の一刺しは強烈だった。

「あんたのせいで昭一は死んだのよ! この人殺し! この人でなし!」

 人間の憎悪を全て詰め込んだような、顔だった。

 涙しながらも、憎き私を殺せることに歓喜していて、矛盾した表情。

 たぶん私は、何度生まれ変わっても、忘れることができないだろう。

「ねえ、昭一。あなたは私を、恨んでいるわよね」

「いや、そんなことはない。以前、アキラ君が一役買ってくれた時にも言ったけど、俺は君を恨んだりはしていない」

「それなら……あなたは、自分を恨んでいるの?」

「それは、違う。昔、俺は俺を恨んだ。君を連れてきてしまったこと、君を愛してしまったことを、恨んだ。けど、それはもう昔の話だ」

 淡々と、事実だけを述べるロボットのように、昭一は冷静。

 でも、本当は、心の奥底では、私を恨んでるんじゃないか。

 そんな思いが頭を過り、私は言葉を彷徨わせる。

「セレス……君はきっと、俺が君を恨んでる。そう言って欲しいんだろ?」

「そんなこと……ないわ」

「俺は……少なくとも俺は……君に、恨まれたい、そう思ってる」

「え……?」

「たぶん、そう思っていたからこそ、こうして戻ってきたのかもしれない。君に会いたいとかそんなことよりも、成仏してもなお、俺はそのことをずっと気にしていたのかもしれない。いや……かもしれないじゃなくて、そうだ。そうなんだ」

 プルプルと肩を震わせ、昭一は打ちひしがれたような顔をする。

 しきりに首を横に振り、「情けないな、俺は」と、口にする。

 けれど、本当に昭一は、情けないのだろうか。

 事実と向き合っている昭一は、立派なんじゃないだろうか。

 比べて私は、どうだ。

 もしかしたら、なぜ私がこの世に留まっているのかも、分からないんじゃなく、分からないフリをしているんじゃ。

 そう考えていくと、一筋の光が差し込むように、私はとあることを思った。

 私も昭一と同じだ。

 許して欲しくなんかなくて、君を一生恨み続ける、そう言って欲しくて。

 その言葉をこうしてずっと、待ち続けていた。

 やっぱり私は……最低だ。

「昭一、その……ごめんなさい」

「ごめんなさいって、何を謝っているんだ……?」

「ちゃんと自分と向き合えなくて、あなたのことを苦しめて、ごめんなさい……」

 じっと言葉を押し殺し、昭一は黙る。いつまでも黙る。

 幾度となく、私は沈黙に耐えかねて、喉から言葉が飛び出そうになった。

 けれど、だめ。

 昭一は何かを考えている。

 私に送る言葉を、選んでいる。

 それを邪魔しては、いけない。

 次第に私は、無言の空間に居心地の良さを感じるようになる。 

時は金なり、なんて言葉があるけれど、沈黙は金なり、という言葉があってもいいんじゃないかしら。だって、沈黙は人を冷静にさせ、沈黙は人を思慮深くさせ、沈黙は人の心を癒すのだから。これほどまでに有益なものは、他にはない。

「セレス――」

 昭一は静かに私の名前を呼ぶ。

「やっぱり俺は、君を恨んでなんかいない。恨んでないし、恨めない。でも、もし君が、俺に恨まれることで救われるのなら、俺は君を恨んでみせよう」

 似ている。

 昭一はアキラに似ている。

 どこまでもお人好しで、どこまでも純粋で、どこまでもバカで。

 そんなところが、二人は似ている。

 と、そこで、私は気がついた。ようやく、理解した。

 私がどうして、昭一をおいて、この世に留まったのか。

 きっと私は……アキラと昭一の影を、重ねていた。

 どこか昭一と似ているアキラを目にし、そんなアキラに助けてもらい、今度は私が力になってあげたい、そう思った。

 婚約者を差し置いて、一回助けてもらっただけのアキラのために、残った。

 おかしい……わよね。

 自分でもどうかしていると思う。けれど、あの当時の、生きていた時の昭一が、どこまでも愚直で、後先を顧みない人間だったように。

 アキラも、自分の寿命を削ってまで、幽霊に手を差し伸べて、助けてしまう。

 私と昭一を助けてくれた時だって、神父さんから、協会で結婚するための道具一式を盗み出して、そこまでして、私たちに協力をしてくれた。

「こんなもの、後で返しておけば大丈夫だ」

 そう言って、不敵な笑みを浮かべたアキラ。

 まあ、結局、その後に神父さんから激怒され、何度も頭を下げていたのは傑作だったわ。

 ふふ……やっぱり私は、最低ね。

 昭一との思い出よりも、アキラとの思い出ばかり、頭に残っているのだから。

 私がこの世に留まっている理由が、ハッキリとしてきた。

 最初は、恩返しのつもりでアキラに手を貸して。

 次第に、自分の弟のように思えてしまって。

 最終的に、見守ってあげたいと思うようになった。

 一言でいうところの、放っておけない、というやつね。

「昭一……それなら私も、あなたを恨むことにする。あなたがそれで救われるなら、私はあなたをとことん恨むわ」

 昭一は私にそっと手を差し伸べる。

「ありがとう。これで本当に、恨みっこなし、だな」

「それはおかしな話ね。お互いに恨んでいるのだから、恨みっこなしではないでしょうに」

「それもそうか……。じゃあ、こういう時は、なんて言えばいいと思う?」

「そうね――」

 いつもみたいに、私らしく、精一杯の皮肉をこめて、言う。

「恨んでくれて、ありがとう。とでも言っておけばいいんじゃないかしら?」

 訝しげな顔をしてから、昭一は笑う。

「なんだか、これまたおかしな話だな。恨んでるのに、感謝をされるなんて」

「そうかしら。私はとても、素敵だと思うわ」

 これが私たちのあるべき姿。

 もう決して、よりを戻すことのできない、死者同士の戯れ。

「呆気ないな。俺はなにもかもを擲って、あの世からこの世にやってきたのに。もう、こんなにも早く、問題は解決してしまった」

「まだ、解決していない問題もあるんじゃないかしら?」

「え?」

 頭に疑問符を浮かべる昭一に、私は言った。

「どうして私がこの世に留まっているのか、知りたかったんじゃないの?」

「あ、ああ……そのことか。でも、君はさっき、分からないと言っていなかったっけ」

「分かったのよ。どうして私が、あなたを見捨ててまで、この世にいたいと思ったのか」

 見捨てた、というワードを耳にして、一瞬だけ、昭一は顔を顰めた。

 けれど、すぐに真顔に戻して、言葉を待つ。

「私は、アキラとあなたを、似ていると思ったの。どこがどう似てるのかは、あなたに言っても分からないでしょけど、とにかくそう思ったのよ」 

 昭一はポリポリと頭を掻き、「そうか」とだけ言った。

「だからね、守ってあげたい、力になってあげたい、そう……考えた。自分でも馬鹿げてるとは思うけれど、それでも、そう思ってしまったのだから、仕方がないわ」

 曖昧な笑顔をつくる昭一。

「よく分からないけど、まあ、なんだ……そう言われると、なんだか悪い気はしないな」

「それは良かったわ」

「でも、納得いかない面もあるけど」

「それはそうよね。あなたよりアキラを優先したようなものだから」

「まあ、そんな感じ」

「アキラは見ていて、飽きないわよ。あなたと違って」

「それはどういう意味だ?」

「さあ、私にも分からないわ」

「君が言ったんじゃないか」

「私、何か言ったかしら」

「都合のいいやつだよ、本当に」

 大きなため息が響き渡り、私と昭一は見つめ合う。

「それであなたは、これからどうするつもり?」

 腕を組みながら、考え事をしている。

「どうなるんだろう……俺は。ああ……この後のことを考えると、憂鬱でたまらない」

「考えるから憂鬱になるのよ。そういう時は、何も考えないのが一番だわ」

「いやいや、そういうわけにはいかないから、人は悩むんだ」

「理屈っぽいわね」

「だってこれは事実だから」

 何故か決め顔で言う昭一をしり目に、私は一つ、笑みを零す。

 昔に戻れたみたいで、自分が幽霊であることも忘れ、無邪気にも私は、今を楽しんでいた。

「さあ、昭一。これ以上アキラの身体に負担をかけるわけにはいかないわ。そろそろ、いや、さっさと、あの世に帰りなさいな」

「厳しいなぁ……普通そこは、待って、行かないで! と、言うところじゃないのか?」

「私がそんなことを言う人に見える?」

「いや、見えないな」

「あら、そこは普通、肯定するところじゃないかしら?」

 昭一は遠い目をして、私も同じような目をして、遥か彼方の空を見上げる。

「お互い様だ……」

「そうね……」

 一秒一秒を噛み締めて、私は決して、昭一との記憶を忘れることのないよう、頭の奥にしまいこんだ。

 これで終わり。本当の本当に終わり。

「ねえ、昭一」 

「なんだ」

「あなたは生まれ変わりって、信じる?」

 何がそんなに面白いのか分からないけれど、昭一は楽しそうに声を出して笑う。

「ははっ! 生まれ変わりか! 逆に聞くけど、君は信じている?」

「これっぽっちも信じてないわ」

 たまたま目にとまった小石を指さし、私はそう言う。

「でも、ゼロではないのか。それならいいことを教えてあげよう――」

 私が指さしたのとは別の小石を拾い上げ、昭一は満面の笑みで言うのであった。

「生まれ変わったら、またどこかで会おう! 俺の最愛なるセレス。俺が……愛してやまなかった、セレス――」


「ったく……全身だるい。頭はボーっとするし、足は筋肉痛だし……もうこんな思いは、二度とごめんだ」

 僕は家につくと早々に、愚痴を零した。

 帰宅途中のコンビニで買ったホットコーヒーを両手で持つ。

「あ、お帰り! アキラ!」

「お、おう……ただいま」

 やたらと元気な、ていうか怖いぐらいの笑顔を浮かべるユリを前に、僕は内心びくびくしていた。

 だって、あんなことがあった手前、心配させたのは確かだろうから、文句の一つや二つは言ってくるだろうと踏んでいたんだが……。

「えへへ……」

 これである。

 文句をたれるどころか、新婚生活を満喫している奥さんみたいな顔だ。

 何か裏があるな。

 たとえば、靴の中に画鋲をいれたとか。

 大事な書類をゴミ箱にポイしたとか。

 ベッドの中にタランチュラを仕込んだとか。

 って、それはないか。

「どうした? なんか良いことでもあったのか?」

 くねくねと身体を動かし、ユリはあくまでも笑っている。

「お、おかしわね。明らかに様子がおかしいわね……」

「セレスさんもそう思う?」

 入口から入って、数歩も歩かぬうちに、僕らはその場で立ち止まる。

「嫌な予感は……しないな」

 こそこそとセレスさんと話す。

「私も同感だわ。あの笑顔は、自然体よ」

 何度も首を傾け、僕らは混乱した。

「いつまでそこに立ってるつもり? ほら、早く中に入りなよ」

「お、お邪魔します……」

 自分の家だというのに、妙に居心地が悪い。

忍び足で奥へと進んでいき、とりあえず椅子に腰をかけた。

「アキラ、お疲れ様。今日も色々と、大変だったね」

「まあ、な。どうして僕ばっかり、こういう目に合うんだろう」

「それは……どうしてだろうね?」

 本当に、どうしたもんかね。

 僕は二階へと消えていくセレスさんを一瞥し、ユリに視線を戻す。

 もしユリが、僕の奥さんになったら、なかなかに素敵な夫婦生活を送れそうだ。

 そんな、可能性が皆無な虚しい妄想に歯止めをきかせ、背もたれに背中を預ける。

 そうだな……何かと厄介事が多い毎日だけれど、これはこれで、悪くはない。

 ニヤリと、我ながら気持ちの悪い頬笑みしてから、僕は――

「ふあ~あ……」

 あくびをするのであった。


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