第三十九節 出会いの追憶2
迷宮から出たユリナは、後ろに続いていた少年を見た。改めてその顔を凝視してみる。前髪は全部上げていて、髪も眼も漆黒に染まっていた。黒の短いコートに腰巻きのバトルローブ、そして手にすら黒い指ぬきの手袋をはめており、全身黒づくめだった。
ユリナの視線に気づいたのか疲れた表情でこちらを一瞥したあと、すぐに視線を戻し近くの木陰へと歩いていく。
何をするのかと見守っていると、少年は木陰に腰を下ろし目を閉じた。近づいてみると、早くも穏やかな寝息を立て始めている。
しばらく、その顔に魅入っていた。少し大人びている顔は、眠っている今でも濃い疲労の影を残していた。
ユリナはポーチから紙を取り出し簡単な魔法を使って簡素なメモを書く。それをそっと少年の膝の上に載せると立ち上がり、少しだけ笑みを見せた。
「…………また明日」
きびすを返して、街へと歩いていく。すでに、空は暁色に染まっていた。
*-*-*
ユリナは、書き置きで、来るようにと書いていた店の端の席に座っていた。指定した時間はまだだが、きっとあの少年がこの店に来ることはないだろう。明らかに人嫌いと言った様子の彼が、初対面の相手の書き置きに従うとは全く思えなかった。
不意に、店のドアが開く。大してきたいもせずにそちらを見ると、予想外にも昨日の少年がそこにいた。ユリナは完全に不意を突かれたような気持ちになっていたが、平静を装って挨拶をする。
「おはよう、来てくれたんだ」
ユリナが軽く微笑むと、少年は少しだけ目を見張っていた。だがすぐにいつもの表情にも戻った。
「昨日は……その、ありがとう」
「大したことじゃないよ、っと、自己紹介がまだだったね、私はユリナ、よろしく」
そう言ってユリナが手を差し出すと、少年の瞳に一瞬だけ、ほんの一瞬だけ沈痛の光が宿った。それはすぐに消えたが、ユリナの眼はそれをしっかり捉えていた。
「……どうしたの?」
「いや、何でもない。……俺はソルトだ、よろしく」
そう言って少年――ソルトは笑みを浮かべた。ぎこちない笑みだったが、何処か人を引きつけるような魅力的な笑みに目を奪われる。
わずかな沈黙が二人の間に舞い降りたが、その空気をユリナは長く続かせなかった。
「ソルト君は私と会うまで、どれくらい迷宮に潜ってたの?」
「……確か三日か四日、もしかしたらそれより長いかも知れない」
「え……、ウソでしょ?」
思わずユリナはつぶやいていた。わずか半日潜っていただけでも自分はベッドに倒れ込むほど疲労がたまっていたのだ。それを迷宮で寝泊まりするとは、異常な精神力を要求されるはずだ。よく見てみると、まだソルトの顔には疲労の影が残っていた。
「今日も、また迷宮に行くの?」
ユリナが聞くと、ソルトは当たり前だというようにうなずいた。このまま彼を迷宮に行かせたら、また何日も潜り続けそうだ。
「ねぇ、今日は建国記念祭があるんだしゆっくりすれば?」
ユリナのその一言でソルトが苦虫を十匹同時にかみつぶしたようなしかめっ面になる。この少年、相当人嫌いなようだ。だが、そんな彼をほっておくユリナではない。
「さぁ、思いたったが吉日、早く行こうか」
そう言ってソルトの手を取り、無理矢理立たせたあとさらに引っ張っていく。
「ちょっと待て、俺はまだ行くなんて言ってな……」
「昨日、私が助けてあげたんだから1日くらいつきあってくれても罰は当たらないでしょ?」
その言葉で、ソルトはまたうっと言葉に詰まる。諦めが早いのか、しばらく表情を巡るましく変化させたあと諦めたように「わかったよ」と短く一言だけつぶやいた。
「じゃあ、いこっか」
ユリナが歩き出すと、昨日と同じように少し離れた位置をソルトが付いてくる。その表情は、いやそうだったけど、何故か、ユリナには笑っているように見えた。
(……本当に、人嫌いなのかな?)
素朴な疑問だったが、それが彼の本質に近い物のような気がした。ユリナが思考の海に沈んでいると、珍しく(と言っても会ってまだ二日目だが)ソルトから話しかけてきた。
「祭りを回ると言っても、何をするんだ?」
「まぁ、どんな物を見たりするのかは決めてないけど、最初だけは決まってるよ」
ユリナが明るい声で言うとソルトが首をかしげた。まぁ、確かに予定のほとんどが決まっていないのに最初だけハッキリしているのは妙な事とも言えるかも知れない。
「まずは、祭りで使うお金から集めないとね」
瞬間、ソルトの目が点になった。
「……金? そんなの手持ちを使えば……」
「だめだよ、自分のお金を使ってたら、これからの生活に響くかも知れないし、祭りで賭なんかもあるからすぐに貯まるよ」
ソルトは、訳が分からないという顔をしていた。確かに、彼は迷宮に潜ってばっかりで家に帰らないのだからお金が有り余っているかも知れない、だが、折角の祭りだから資金を稼ぐところから楽しんだ方が得だとユリナは考えていた。
「で、どこに行くんだ?」
呆れたような問いに、ユリナは自信満々で答える。
「そんなの、賭博場に決まってるじゃない」
更に呆れた顔をするソルトを引き連れ、ユリナは意気揚々と賭博場へと向かった。




