第三十五節 負けるわけにはいかないんだ
ソルトたちの逆襲は始まった。ソルトはあらかじめ配置させておいた魔法陣を駆使し、後方に飛びずさりながら魔法で龍をけん制する。
≪小癪な!≫
龍が翼をさらに大きく広げると、魔力が放出され、揚力へと変わり、ソルトへと突進してくる。空中で回避することができなかったソルトは自らに物理結界ではなく干渉結界を張り――物理結界は質量をもつ物に対してのみ防御力を発揮し、干渉結界は質量をもたないエネルギーや魔力などに対してのみ効果がある――近くで爆裂魔法を使うことで無理な体勢からの緊急回避をとりギリギリのところで突進をかわした。
「よし、なんとか…………ッ!?」
いくら干渉結界を張っていたといっても、完璧に防ぐことなどできておらずダメージによる激痛が肉体と精神を焦がす。不運なことに激痛によりできたわずかな隙を龍は見逃さなかった。
再び空に舞い上がった龍が口から雷光球をソルトに向かって放つ。爆裂魔法による緊急回避を試みたものの直撃を避ける程度のことが限界で着弾時の衝撃波による爆風をもろに受けてしまい、岩肌に叩きつけられた。
「………………がぁっ!?」
息がつまり、激痛が全身を支配する。骨が数本折れてしまったようで、絶えず痛みが全身を駆け巡り精神を切り裂く。脳が揺れ、もやがかかった視界が追撃のブレスを放とうとしている龍を茫然と捉えていた。
(こんなところで……………終わりなのかよ)
漠然とした思考が絶望的状況を理解した。たった一瞬の隙が、この結果を呼んだ。絶望と悔しさがブレンドされたやりきれない気持が思考を塗りつぶす中、ブレスが放たれ、それが迫って来るのを視界が捉えていた。スローモーション映像のように緩やかに死が迫ってくる。
ソルトは死を覚悟し、目をつぶった。そこで突然、声が聞こえてくる。
「待たせたの、ソルト殿よ」
通信魔法の交信相手の声が聞こえたと思った刹那、ブレスが干渉結界によって阻まれたのか、凄まじい轟音はするものの衝撃波すらここまで届かない。
さらに、全身から痛みが引きもうろうとしていた意識がハッキリとしてきた。目を開けると、そこには予想通りダルカスの姿があった。
「大丈夫か? ソルト殿」
なぜか初めて面会した時の丁寧な口調に戻っていたが、それは気にしないことにした。辺りを見渡してみると、たたきつけられた崖の上に15人ほどのシルフが魔導弓を構え、火炎魔法の矢を龍に向かって放っていた。
ソルトが状況を把握しようとしていると、ダルカスが重ねて話しかける。
「一応言っておくが、今使ったのは応急処置に使う簡単な回復魔法と痛みを大幅に緩和する魔法
だけ――ダメージを完全に回復する魔法は、複雑な魔法陣を併用しながらかなり長い呪文を唱えなければならないため戦場で使うことはほとんど出来ない――じゃ。傷が癒えたわけでないからの」
「ああ、わかってる、だが何故俺の所に来たんだ? 作戦には無かったはずだが」
「稼げる時間も限られているから手短に話すぞ」
「ああ」
「実は、一つ問題が起きての」
「問題? 魔法陣に不具合でも見つかったのか?」
「そんな所じゃ。魔法陣に内包された魔法が強力すぎて魔力を完全に隠し切れていない。奴が冷静なまま来ても引っかかってはくれんぞ」
「あいつを更に逆上させろということなのか?」
ソルトがそう聞くと、ダルカスがこっくりとうなずく。作戦が成功しなければ勝機はないが、龍を激昂させても全滅の可能性が高いだろう。
無謀なようだが、ソルトには一つだけ策と呼べるほどの物ではないが、考えがあった。
「奴をキレさせるのは俺1人でやるから、あんた等は全員で逃走用の補助魔法を準備していてくれ」
「大丈夫なのか?」
「大丈夫だ。あとなるべく俺から離れていてくれ、巻き込みたくないからな」
ソルトがそう言うと、ダルカスがうなずき一跳びで崖の上に上がり、応援に駆けつけた他の者たちに話しかけていた。俺は、自分の中に眠る獣に話しかける。
(おい、さっきの話を聞いていただろ、お前の力を貸して欲しい)
――ヤット我ノ出番カ、待チワビタゾ。我ニ体ノ支配権ヲ渡セ。
(ああ、頼む)
――ダガ、30秒ガ限界ダ、ソレ以上ハ、貴様ノ体ガ持モタナイ。
(俺の心配をしているのか?)
――ソンナワケガナイダロウ、器ガ壊レテシマッテハ我モ少々困ルカラナ。
その言葉を最後に、体の自由が効かなくなる。自らの内から戦闘の意欲が全身を支配し、思考を『黒』に染める。漆黒の炎の如き魔力が吹き出し彼の周りを漂う。
「オオォォォォォォォ」
人の物とは思えぬ叫びを発し龍に向かって突進する。右手に握られた剣は黒に染まっていた。増援に気を取られていた龍がこちらを向き、ブレスを発する。
が、ソルトはそれを左手を軽く振るだけで吹き飛ばし、龍に肉薄する。
≪なんだと!?≫
龍の驚きの声をBGMとしてソルトは剣を振るう。たったそれだけの動作で幾千もの漆黒の刃が降り注ぎ、龍鱗を切り裂きそぎ落としていく。苦しげな悲鳴とも取れる声が上がった。
ソルトはすべての刃が消えきる前に、大きく後方に跳びずさる。左手を掲げ、高速で複雑な呪文を紡ぐ。
呪文を紡ぎ終わると同時に龍の頭上に巨大な魔法陣が形成され、その中心にまばゆいばかりの閃光を放つ小さな太陽が生まれる。
刹那、すべてを蒸発させる灼熱球が生まれた。
龍は完全に飲み込まれ、凄まじい爆風が辺りの木々を薙ぎ払う。すべてが収まったとき、巨大なクレーターが形成されておりその中心に龍がいた。
覚醒の反動で深刻な魔力の枯渇による疲労が重たい重石のように動きを虫食んでいたが、ソルトは龍を、正確にはその眼を注視した。
龍の眼は、凄まじい怒りに染まっていた。
ソルトは作戦の成功を確信し、不敵な笑みを漏らす。
「あとは、追い込むだけだ……」
最終決戦が始まろうとしていた。




