第三十三節 大きな誤算
ソルトが見るかぎり、どうやら龍にダメージはないようだった。火球はすべて直撃していたのだが、龍が全身に張り巡らしている干渉結界を破らなければ攻撃は届かないだろう。
ソルトは攻撃した直後回り込むように龍の背後に移動しながらそんなことを考えていた。龍の眼には凄まじい怒りが宿っており、村や生け贄であるシルフィアには全く意識を配っていないようだった。作戦通りに事が進んでいることに、ソルトは内心で細く微笑んだ。
≪ニンゲンが! 無限の劫火で焼け死ね!≫
そんな声とともに龍が首を弓なりに上げる。牙の間から、紅蓮を通り越して純白となっている炎がちらほらと漏れている。ソルトは、腰から精霊召喚用の魔晶石を取り出し掲げた。
「大地の怒りの化身たる焔の精霊よ、我が求めに応じ、敵を焼き尽くす劫火となりて顕現せよ!」
ソルトの前に炎で描かれた魔法陣が現れ、その中心から吹き出した溶岩が2m程の人の形を取るのと同時に、龍の口からまばゆい輝きを放つ焔が放たれる。
「アグニ、俺を守れ!」
ソルトがそう言い放つと精霊が焔と彼の間に立ち、両手を交差させる。純白の焔が精霊に直撃するが、炎の精霊に効くはずもなく耐えきる。
それを見た龍はいらただしげにのどをふるわせると、爪でアグニを切り裂くために突進してくる。ソルトは後退しながら、龍の爪がアグニを捉える寸前に叫んだ。
「アグニ、我が魔力を代償に暴発しろ!!」
刹那、龍は紅蓮の炎に包まれ、苦しげな叫びを上げる。いくら古龍といえど、中位精霊の自爆攻撃を受けきることは出来なかったようだ。
ソルトはそれを好機と見て、更にたたみ掛ける。一陣の風の如く龍に肉薄し、蒼焔の如き輝きを放つ剣を振るう。莫大な魔力を込められ凄まじい切れ味を得た剣は龍の鱗を紙のように断ち切り、肉を切り裂く。眼の能力で敵の行動を先読みすることが出来るため、反撃を見切り後退する。
だが、龍の焼けこげた皮膚や切り傷がふさがっていくのを見て、ソルトはこの戦いが長期戦になることを直感していた。それも、自分が圧倒的に不利なことも。
一見、ソルトが龍を圧倒している用に見えるが、龍の一撃一撃に必殺の威力が秘められているため直撃を受けた時点で戦闘不能になる。また、一撃も食らわず戦うことが出来たとしても龍の絶対的な魔力保有量があれば、一撃で絶命させない限りどんな傷でも数分以内に治ってしまう。
ソルトの魔力と龍の魔力、量を考えれば先にどちらが尽きるかは、火を見るよりも明らかだ。シルフ族の援護を合わせたとしても、勝率は数%と言ったところだろう。ハッキリ言って、ただの自殺と一緒だ。
だが、ソルトには諦めるという選択肢はなかった。ここで死ぬわけにはいかないのだ。仲間の命を守る、それが唯一の信念であり、同時に存在理由だと彼は思っていた。自らの命など最初から計算に入っていない。
ソルトは己の信念を再確認し、絶望しかけていた心を律しようと思考を進めていたときに、自らの異変と言うよりも、状態の差異を感じていた。
(獣がおとなしすぎる……)
彼の中に潜んでいる獣が、戦闘、それも眼の能力を解放して戦っているというのに、意識を乗っ取ろうとするどころか、干渉すらしてこないというのは、あまりにも不自然すぎた。まるで、激戦の前の不気味な静寂のようだった。
ソルトは思考に集中しすぎていたため、龍の変化に気づくことが出来なかった。彼が気づいたときには、すでに龍の変化は止めようのない物へと変わっていた。
黒鱗が青白く発光し、ひび割れるように剥がれ始めている。黒鱗が剥がれた隙間からは、白銀の輝きが漏れていた。龍がソルトに向かって静かに告げる。
≪貴様、ニンゲンではないようだな≫
「いや、ちょっと呪われているだけの人間だぜ」
おどけた調子で言ったが、龍は冷静な、まるでソルトを値踏みしているような目線を向けている。その口から告げられた言葉は死の宣告に値した。
≪遊びは終わりだ、我が力をすべて解放し貴様を叩きつぶしてやるわ!≫
「――――――――――――なっ!?」
黒鱗がすべて剥がれ、ソルトの驚きの声ごとすべてが白銀の輝きに飲まれる。
「なんだよ………………それ…………」
視界が回復したとき、すでに古龍は黒龍ではなかった。天候を統べる白銀の鱗を持った天龍へと変貌していた。




