死体配達員と汚れた天使が見せる夜
倉若肇の人生は一つの無機質な箱で変わった。
本来の倉若肇は真面目な配達員だった。たとえ汗を流すような夏でも、冷たい風に凍える冬でも辛い顔をせず荷物を届けていた。
しかしある日。倉若肇はいつも通り荷物を届けるためにインターホンを押したところ、「鍵開けてるから適当に入れとけ」と言われた。このとき既に倉若肇は苛立っていたのだが──彼でも不満がないわけではない──倉若肇は自らの配達員マナーでやはり嫌な顔もせずドアを開けた。
するとどうしたことか、今度は「配達員ごときが勝手にドアを開けてんじゃねえよ!」と怒鳴られたのである。後々この部屋には二人が住んでいて食い違いが発生していたことが判明するが、もちろんこのときの倉若肇は知らない。
その日が真夏の炎天下で暑苦しかったことも含めて、倉若肇は気づいた頃には箱を投げつけていた。住人はまさか投げられるとは思ってなかったようで一瞬の間呆然としていたが、すぐに意識を取り戻して怒鳴りつけた。そこから倉若肇と住人は口論に発展するが、その内容はあまり意味がないのでここでは省く(口論があったという事実だけ記憶してもらえれば良い)。
そこでの一部始終は監視カメラで記録され、たちまち世に公開された。世間の反応は二極化していた。「配達員と住人のどっちも悪い」と「配達員は仕方なく、住人だけが悪い」である。住人はネットのユーザーによって特定された。一方で、配達員も悪いという意見があっただけあり、配達員が倉若肇であることも特定された。それ故に倉若肇は会社をクビにされた。こうして倉若肇の配達員人生は終わったのである。
だが、読者諸君はもう分かっているだろうが、倉若肇の配達員人生は終わらなかった。倉若肇は職を失いフラフラと彷徨っていたところ、一本の電話がかかってきた。
「死体を運ぶ気はねえか?一回20万円だぜ」
倉若肇は怪しさよりも先に「一回20万円」の輝かしさを感じていた。職もなく職を得られる未来も見えない倉若肇にとって20万円というのはまるで突然降ってきた幸運であった。倉若肇は迷うことなく了承した。
* * *
翌日の夜。倉若肇は指定の時間に古びた倉庫へ着いた。車の中で待機していると、窓をコンコンと叩かれた。
「おい、俺だ。西島だ」
西島というのは昨日、電話を寄越してきた男の名前だった。読者諸君含め、倉若肇は西島という名字が偽名だろうということは分かっている。まさか犯罪に関わっているような男が堂々と本当の名前を使うわけがない。月明かりもないほぼ真っ暗な夜の下、倉若肇は初めて西島の顔を知る。
「これが例のブツだ」
そう言って渡してきたのは至って普通の小さなダンボール箱であった。倉若肇は驚く。死体ならもっと大きな箱だと予想していたからだ。
「この中身、本当に死体ですか?」
倉若肇は不思議そうに訊くと、西島は微笑する。
「死体といっても丸ごと買うやつはなかなかいねえ。まず運ぶのがムズいってのと、値段が高えからな。この中身は左手だけだ。手首より下はない」
倉若肇はなぜ左手なのかは訊かなかった。箱の中身を知るのは問題ないが、「なぜ買ったのか」はお客様のプライバシーに踏み込むからである。
「まず俺から10万だ。残りの10万は客からもらえるから安心しろ」
倉若肇は十人の渋沢栄一を受け取る。この時点で倉若肇は飛び跳ねそうなほどの嬉しさだったが、これが更に倍になると考えたらすぐにでも出発したくなった。
「まあ、お前自身が一番分かってるだろうが、安全運転で行けよ。荷物が壊れちゃ意味がねえ」
西島は言い残してその場を去った。倉若肇は事前に言われていた住所をカーナビで検索し、法定速度を超えない範囲で車を飛ばした。
* * *
倉若肇はエレベーターに乗りながら、荷物を渡すときのシミュレーションをしていた。今回のお客様は左手を買うような人である。そのため倉若肇はあらゆるお客様像を造って荷物を渡す状況を想像していたのである。
しかし、しっくりくるパターンは見つからない。そうしているうちに目的の階へ辿り着いた。
そこから部屋はすぐそこにあった。倉若肇は今までにない種類の緊張をしながらインターホンを押す。
「四葉急便です」
表の世界で四葉急便は存在しない。だが裏社会では倉若肇のように死体を運ぶ人間を「四葉急便」という隠語を使って称している。倉若肇は西島から「四葉急便だと言え」と言われたのでその指示に従ったのだが、正直なところ伝わるかどうかは分からなかった。
と、思っていれば、ドアは開かれる。お客様は意外にも女であった。倉若肇は絶対に男であると思っていたため、相手が女のパターンのシミュレーションはしていなかった。とはいえ倉若肇は元は真面目な配達員である。持ち前の臨機応変に対応する力を使うことにした。
「こちらがお荷物です」
倉若肇は笑顔で荷物を渡す。
「あ、どうも...」
いけ好かない女だった。しかしこれはたった四文字の返答から得たこの女に対する一般的な印象に過ぎない。倉若肇は突然襲いかかってくるパターンも考えていたため、倉若肇にとってこの女はかなりの好印象だった。
「これ、10万円です...」
倉若肇は震える手で受け取った。無論、恐ろしいわけではない。あまりの興奮によって手が震えているのである。遂に20万円。これで一体どんなことができるのだろうか!
女はそっとドアを閉めた。閉まり切る直前、「これであの女を...」と倉若肇の耳に届いたが、もはや倉若肇はそんなこと気にもせずただポッケにある20万円を強く握りしめていた。
倉若肇はエレベーターで一階まで降りる。
地上に降り立った頃、倉若肇は鼻歌さえ歌いながら車に乗り込んだ。
倉若肇は死体配達員という天職を手に入れ、希望と共に人々に見えざる闇の世界へ深く深く潜り込み始めた。倉若肇にとって西島とは感謝してもしきれない汚れた天使だった。




