第1話
わたしがつくった魔術薬を飲んでから一月後の医師の診察で、セシリアの病は完治したと判断された。あとは、どれだけ体力が戻るか次第で、普通の生活を送れるようになるかが決まるとも言っていた。
それを聞いたセシリアは努力を惜しまなかった。三食しっかりと栄養のある食事を摂り、部屋の周りを歩き回ることから初めて今では城の庭を散歩することを日課にしていた。
その努力の甲斐あってセシリアは以前より肉付きがよくなり、いっそう美しくなった。指先や頬の赤みも増して、手もずいぶん温かくなった。
近ごろでは、令嬢としてのレッスンも再開しているが、一回分の授業に休憩なしで取り組めるほどの体力があるし、ダンスレッスンも始めたのだという。日を追うごとに、セシリアの体力は回復していた。
「ここまでよくなるなんて……夢のようだ。両親にも見せてやりたかった」
マダム・レアとジゼルたちとともに庭を駆け回るセシリアを眺めながら、アルバートは静かに微笑んだ。もう会うことのできない家族を、懐かしんでいるのだろう。
「ご両親も、治癒魔術は効かなかったの? 嫁いでいたお母さまだけは、効果があったんじゃない?」
「残念ながら母も分家の出でね。ふたりとも治癒魔術は効かない体質だった。……大公家の始祖から続く、呪いのようなものだよ。代わりに、ぼくらは人より強い魔力を持って生まれてくることが多いんだけどね」
大公家の強さの裏にそんな秘密があるとは思ってもみなかった。あまり聞いたことがない話だから、公にはしていないのだろう。当然だ、自ら弱みを曝け出す必要はない。
「この先もわたし、あなたたちに治癒魔術が効かないことは内緒にしておくから安心してね」
アルバートからは、じゅうぶんすぎるほどの薬代を受け取っている。それは口止め料も入っていると考えるべきだ。セシリアもよくなってきたことだし、そろそろわたしがこの城に立ち入る理由もなくなってしまう。
「まるでお別れのようなことをいうんだね」
「わたしのような人間が、いつまでもこの城に出入りしているわけにはいかないもの」
セシリアはおそらく、これから社交界に復帰するだろう。そのときに、ヴェルローズの毒魔女と呼ばれるわたしがそばにいたら、彼女の華々しい復帰に傷をつけてしまうかもしれない。彼女の交友関係や縁談の邪魔はしたくなかった。
「それにわたし……王太子の婚約者だし……」
一応は王族と婚約している人間が、アルバートのような未婚の若い青年がいる家に意味もなく出入りしていいはずがない。今までだってぎりぎりだったのだ。魔術薬をセシリアに渡すという大義名分がなくなったいま、彼らとこうして会うのは控えるべきだろう。
別に王太子の婚約を守りたいと思っているわけではないが、わたしが他家に入り浸っていることで、父にわたしを監視する理由を与えたくないだけだ。侯爵家に幽閉でもされたら、いよいよ自死を考えてしまうかもしれない。
「まあ、それについてはそろそろ解決するんじゃないかな」
庭の中から大きく手を振るセシリアに、アルバートはゆるゆると手を振り返していた。わたしもそれに倣ってセシリアに手を振る。
「解決って、どういうこと?」
「噂をすれば、ほら」
城のほうを見やるアルバートに続いて、わたしも視線を動かす。見れば、お仕着せ姿のメイドが駆け足でこちらに向かっているところだった。何やら急ぎの知らせらしい。
「旦那さま、ヴェルローズ侯爵令嬢。王城より急ぎの知らせです。ヴェルローズ侯爵令嬢に至急登城するように、と」
「わたしに……?」
嫌な予感しかしない。
思えば学園に入学した初夏に、王太子との結婚式の日取りが具体的に動き出したような気がする。四年後のわたしの学園卒業を待って、盛大に行おうという王妃さまの意向だったのだ。
……まずいわ、逃げるべき?
幸い、アルバートからもらった薬代でしばらくは暮らしていけそうだ。予定よりかなり早いが、自由を得るためにはいま決断するべきなのかもしれない。
だが、アルバートは隣でなんてことないように微笑んだ。
「じゃあ、王城まで送るよ。……大丈夫。きみが心配しているようなことにはならない」
アルバートは、何を知っているのだろう。不安は拭いきれなかったが、彼がそこまで言うのなら信じてみることにした。いざとなったら姿をくらませばいい。逃げるのは、いつでもできるのだ。
◇
「急に呼び出したのは、王太子とヴェルローズ侯爵令嬢の婚約の件で話があったのだ」
大公家のメイドたちに支度を整えてもらい、アルバートの転移魔術で王城に移動すると、すぐに謁見の間に通された。謁見の間にはすでに父とアデルが待機しており、まもなく国王陛下と王太子も姿を現したのだ。アルバートは、別の部屋でわたしを待ってくれている。
国王が切り出したのは案の定、わたしの婚約にまつわる話題だ。嫌な予感で心臓がきりきりと痛む。王の隣に立つ王太子の姿を目にするだけでも嫌だった。
どくどくと、耳の奥で心臓が暴れる音を聞きながら、王の次の言葉を待つ。背中にじわりと冷や汗をかいていた。
「先日、ヴェルローズ侯爵からレア、そなたと王太子の婚約を白紙に戻したいという訴えがあった。本来なら到底受け入れられぬことであるが――わたしはその要求を受け入れたいと思う」
……いま、なんて?
国王の言葉が、頭の中で何度も響き渡る。聞き間違いでなければ、わたしはいま王太子との婚約破棄を認められたのだろうか。
「っ……!」
歓喜で指先が震えていた。叫び出したいほどの喜びだ。何か言うべきなのかもしれないが、吐息が震えてうまく声にならない。
「王太子とも相談した結果だ。代わりに王太子は、同じヴェルローズ侯爵家からアデルを妃に迎えたいそうだ。ヴェルローズ侯爵、それでかまわないな?」
国王の問いかけに、父は床に頭をつけそうな勢いで感謝を述べた。
「もちろんでございます、陛下。レアなどよりも、アデルのほうがよほど殿下のお役にたちましょう」
実際、それはそうだろう。魔術が使えぬわたしが嫁ぐより、アデルが嫁いだほうが王家にとっても利があるに違いない。王家がわたしにこだわっていたのはすべて、王妃とわたしの母の間に誓約が交わされていたせいだ。
「アデル、来い。これで私たちを阻む障害はなくなった」
王太子は両手を伸ばしてアデルに呼びかけた。跪いていたアデルはよろよろと立ち上がると、きらきらと涙を飛び散らせながら王太子のもとへかけていく。嬉しくて仕方がないと全身で表しているのだ。我が異母妹ながら大したものだ。
「殿下……!」
「名前で呼んでくれ、アデル。……ようやくきみを手に入れた」
きつく抱きしめあうふたりの姿を、じっと見つめる。睦みあうふたりの姿は一度目の人生でも散々見かけてきたから、新鮮味はとうになくなってしまった。だが、わたしが解放された証であることは確かだから、しっかり眺めておきたかったのだ。
「お姉さま……ごめんなさい、お姉さまから愛するひとを奪うかたちになってしまって……。お姉さまはきっと、婚約破棄なんていって殿下の気を引きたいだけだったでしょうに……」
アデルの脳内では、そういう物語になっているらしい。馬鹿らしくて訂正する気にもなれない。普段ならば苛立ちを感じるところだが、王家から解放された喜びでそれすらもどうでもいい気がした。
「いいのよ、アデル。幸せになりなさい」
アデルに心からの笑みを送ったのは、生まれて初めてではなかろうか。アデルの水色の瞳が一瞬不快そうに歪められたが、気づかないふりをした。
「話は以上だ、下がれ」
王の命令で、わたしと父は退室の挨拶をした。アデルはここに残って王太子と愛を語りあうようだ。
……それにしても、どうして急にこんな判断に至ったのかしら?
王妃さまに婚約破棄を保留にされてから、事は動いていないはずだ。王太子がアデルに入れ込んで、陛下に懇願したのだろうか。
「お前はいよいよ役立たずだな。お前とは縁を切る。どこへでもいけ。侯爵家にこれ以上の迷惑をかけるな」
父は吐き捨てるようにそう告げた。思わず、反射的に答えてしまう。
「え……よろしいのですか?」
今日はいいことばかりで怖いくらいだ。きょとんとして父を見つめれば、父は怪訝そうな顔をして大きなため息をついた。
「そのような振る舞いをして私の気を引けると思うな。出来損ないめ」
それだけ告げると、父はわたしを置いて先に歩いていってしまった。父の後ろ姿をまじまじと眺めたことはなかったが、巨大な鞠が転がっているようでなんだかおかしかった。
……学園さえ卒業すれば、わたしは自由になれるの?
とくとく、と心臓が弾むように脈打っている。今すぐ踊り出したいくらいの気持ちだった。
……アルバートに伝えなくちゃ。
真っ先に、この喜びを伝えたいと思った。彼が控えている部屋はどちらだっただろう。使用人に尋ねてみようと、あたりを見渡す。
背後から夢見るような甘い声に話しかけられたのは、そのときだった。
「ご機嫌よう、わたくしの可愛いレア」
顔を見ずとも相手を察することができた。いつまでも少女のような話し方をするこのひとは、間違えようがない。
すぐさま廊下の脇に寄って、頭を深く下げた。伏せた視界の中に、鮮やかな赤いドレスの裾が見える。
「王妃陛下……ご機嫌麗しゅう存じます」
弾むようだった気持ちが再び張り詰めていく。国王から婚約破棄を受理したと宣言された直後に、彼女と会うことになるとは思っていなかった。
「そんな他人行儀な挨拶はしなくていいのよ、レア。……ちょうどお茶をいただこうとしていたところなの、あなたも一緒にいかが? お話ししましょうよ」
王妃にここまで言われて、断れる人間なんているはずがない。引いたはずの冷や汗がこめかみを伝うのを感じながら、ドレスをつまんで礼をした。
「身に余る光栄でございます、陛下」
ふふ、と少女のような可憐な笑い声が降ってくる。首にかけられた鎖を、ぐい、と引っ張られるようなどうしようもない息苦しさを感じた。




