第3話
それからは、セシリアのための魔術薬づくりが始まった。
セシリアの治療のためには、アルバートに使った魔術薬と同等の効力を持つものが必要になる。あれを生み出すのはわたしの魔力では一日一本が限界だった。余力で普通の魔術薬を作ることもできないため、店に納品する魔術薬づくりはしばらく休止せざるを得ない。
学園で必要最低限の講義に出て、薬草小屋で薬を作り、夕方にはアルバートに迎えにきてもらってセシリアに薬を届ける毎日だ。
毎日魔力をすべて使い切るせいか、疲労は溜まっていたがセシリアの病気は待ってくれない。それに、あの兄妹の力になりたいという気持ちが、わたしを奮い立たせていた。
……本当は講義も受けずに魔術薬に打ち込みたいところだけれど。
侯爵家の監視がある以上、それは厳しかった。下手をすれば、自由を制限されかねない。
「見て、ヴェルローズの毒魔女よ」
「いつ見てもひとりね。お友だちがいないのかしら」
「あたりまえじゃない、毒魔女に殺されちゃうわよ」
講義室から出るだけでも、これだ。今やわたしは学園内で完全に孤立していた。廊下を歩いていても、軽食をとっていても、いつでもこんな具合の陰口を叩かれる。もう慣れていた。
「アデル、見てみろ。告げ口しか能のない魔女が歩いてくるぞ」
「殿下ったら、ひどいですわ。わたしのお姉さまですのよ」
ふと中庭から、くすくすと嘲笑うような声が聞こえてきた。
見れば、王太子とアデルがまるで恋人同士のように寄り添いあっている。一度目の人生よりあからさまな態度なのは、わたしが婚約破棄を宣言したせいなのだろう。彼らの周りには取り巻きらしき男女が集まっている。皆、王太子とアデルに同調するようにして、わたしに冷ややかな笑みを送っていた。
「おや、聞こえてしまったかな。気分はどうだ、毒魔女殿!」
王太子が、一際大きな声でわたしの蔑称を口にする。彼は、王妃がわたしに執着しているのが気に入らないのだ。この間王妃がわたしに贈りものをした件だって、わたしが告げ口をしたからだと思い込んでいる。
一度目の人生でも、こんなことは日常茶飯事だった。こうやって揶揄われるたび、わたしは王太子の誤解を解こうと必死になっていた。
――違うのです、殿下。わたしは毒魔女なんかじゃありませんし、王妃さまに告げ口もしていません!
――アデル、離れて! そのひとはわたしの婚約者よ! あなたが触れていい人じゃないのよ!
必死になって王太子の心を得ようとするわたしは、彼らから見ればさぞ滑稽だっただろう。王太子に足蹴にされても、地面に転ばされても、わたしは醜く彼に手を伸ばし続けていた。
……思い出したくなかったわ。
今にしてみれば、黒歴史もいいところだ。かつてのわたしは暇だったのだと思う。今は魔術薬作りに忙しくて、このところ王太子の存在もアデルの存在も思い返したことはなかった。
「ごきげんよう、殿下。せっかくですけれど、わたしは用事がありますので失礼いたします」
一応挨拶を返したという事実だけは作っておき、そのまま彼らがいる中庭には立ち寄らずに廊下を進もうとした。だが、王太子の取り巻きのひとりに腕を掴まれる。
「毒魔女殿、殿下が呼び止められたというのにもう行かれるおつもりか?」
「アデルさまもいるんだ。こっちでもっと話せばいいじゃないか」
下卑た笑みを浮かべる青年たちの顔には見覚えがあった。一度目の人生では王太子の側近として王城によく出入りしていた高位貴族の子息だ。城の中でも彼らはわたしを見て冷笑していたものだ。
……彼らもあのとき毒で死んだのでしょうね。
殺したことすら忘れていた。それくらい、わたしにとってはどうでもいい相手だった。
そんな人間に一方的に腕を掴まれているという状況が、忌々しくてならない。毛虫が腕を這っているような嫌悪感を感じて、無理やり腕を振り払おうとする。
「離してちょうだい。わたしは急いでいるの」
「殿下より優先すべき事項なんてないだろ? 毒魔女のくせに生意気な」
ぎりぎりと腕を強く掴まれる。折れはしないだろうが骨まで響くような強さだ。
「やめて、離して!」
無理やり腕を振り払うと、そのはずみで体勢を崩し、廊下に倒れ込んでしまった。教科書や筆記具がつまった鞄の中身がばらばらとこぼれ落ちる。そして鞄からころころと透明な小瓶が飛び出すのを見て、慌てて手に取って庇うように胸もとに引き寄せた。
「なんだ? 何を手に取った? 見せてみろ。殿下に献上しろ」
体を丸めるようにして小瓶を庇うわたしの体を、取り巻きたちは無理やり仰向けようとする。
これだけは奪われるわけにいかない。今日のぶんのセシリアの薬なのだ。これから届けに行こうとしていたところだった。
けれど、わたしがいくらこうして抱きしめていたところで、魔術を使われたらおしまいだ。わたしは魔力がないから、この魔術薬一日一本しか作れない。これを奪われてしまったら、今日はセシリアが薬を飲めなくなる。セシリアのような病態は毎日欠かさず魔術薬を飲むことが重要なのだ。一日薬を休んだら、治療効果を取り戻すのに何日かかるだろう。
みじめだった。どうしてわたしは魔力がこんなにすくないのだろう、魔術が使えないのだろう。
「強情なやつだな、早く見せろ」
いつの間にか王太子もそばにやってきていたらしく、容赦なく背中を蹴られた。無理やり息が吐き出されていく感覚に震えながら、ぎゅう、と小瓶を抱きしめる。
……だめ、これだけは絶対に守らないと。
わたしの体はどれだけぼろぼろになってもいいが、この小瓶だけは譲れなかった。
薬を運ぶたびに申し訳なさそうに微笑むセシリアの姿が眼裏に浮かぶ。彼女は必死に薬を飲んで、病と戦っているのだ。治癒に伴う痛みにも、健気に耐えていると聞く。わたしが嫌われ者であるばかりに彼女に届ける薬を失ってしまったら申し訳が立たない。
どかどかと蹴られるたびに生理的な涙がにじむ。廊下の真ん中でこんなことが起こっても、誰も助けてくれないことはわかっている。教師ですら、王太子とわたしのことには関わってこないのだから。
背中だけでなく頭も蹴られ、視界がぐらりと揺れた。今日は相当虫の居所が悪いようだ。額がすりむけるのを感じながら、焦点が定まるのを待った。
「何をしている?」
何かを喚いている王太子の声はよく聞こえないのに、その声は不思議なくらいすっと耳に届いた。静寂に溶け込む、柔らかな美しい声だ。
「レア……?」
この学園で、わたしのことをそんなふうに呼ぶ人はいないはずだ。頭を打った拍子に幻覚でも見ているのだろうか。大きな手がそっと肩に触れるのがわかって、びくりと反射的に体を震わせてしまった。
「レア、ぼくだ。アルバートだよ」
柔らかな声に再び話しかけられ、はっとする。恐る恐る顔を上げると、そこにはここにいないはずのアルバートの姿があった。
「ひどい怪我だ……」
悲痛な声とともに、肩に布のようなものを巻きつけられる。ほんのりと温かい。どうやらアルバートが纏っていた魔術師団の外套のようだ。
「運ぶために体に触れるよ。いいかな?」
返事を返す気力もなく、こくりと頷く。すぐに力強い腕に抱き上げられた。初めての感覚なのに、妙に安心する。
「王太子殿下。ヴェルローズ侯爵令嬢はあなたの婚約者では? 人生の伴侶となる相手です。こんな扱いをしていい相手ではありません」
アルバートはあくまでも冷静に王太子に対峙した。明らかに分の悪い状況に、王太子は多少狼狽えているようだった。大公の言葉はさすがに無視できないのだろう。
「躾をしていただけだ。大公の言う通り、いずれは俺の妻となる女だからな」
王太子はにいっと唇を歪めると、アルバートとわずかに距離を詰めた。
「それより意外だな、大公がと毒魔女に交友があっただなんて」
「彼女はぼくと妹の大切な友人ですから」
「友人、ね……」
王太子は下卑た笑みを浮かべると、意味ありげにアルバートを見上げた。
「その女に惚れているなら、時々貸してやろうか? ティアベル大公」
その瞬間、薄紫の光が走ったかと思うと、ばりばりと大きな音が轟いた。
光が収まってみれば、王太子の足もとの床と彼が立つそばの壁に大きな亀裂が走っている。直撃していれば、王太子の体は真っ二つになっていただろう。
「殿下がレアに対してどのような扱いをしようとしているのかはよくわかりました。それなりの対応を取らせていただきましょう。――ぼくは恩人が不幸になるのを黙って見ているほど、愚かではありませんので」
あくまで冷静な態度だったが、言葉の端々からアルバートの怒りが伺えた。彼は、わたしのために怒ってくれているのだ。
そんなひとは、一度目の人生をひっくるめても今までだれひとりだっていなかった。
じん、と目頭が熱くなる。うっかりすると泣いてしまいそうで、思わず大公の胸に顔を埋めるようにして潤んだ目を隠した。
「レア、待たせてごめん。すぐに手当てしよう」
すぐ耳もとで泣き出しそうな声がした。アルバートはどこも怪我していないというのに、痛みを耐えるように震える声だった。
何かを喚く王太子を無視して、アルバートは大きな足取りでどこかへ歩き出した。どうやら学園のそばに馬車を停めていたようだ。
馬車に乗り込むと、彼はわたしの体を横抱きにしたまま座席に座った。アルバートにこうしてだきかかえられるのは初めてなのに、彼がそばにいると言う安心感でなんだか眠ってしまいそうだ。このところ、魔力を使い果たして疲労が溜まっているせいもあるだろう。
「アルバート……これ……」
眠って小瓶を落としたら大変なことになる。胸に抱いていた小瓶をアルバートに差し出した。
「これは……今日のぶんのセシリアの魔術薬か? まさか、これを守るためにあんな目に?」
アルバートは泣き出しそうにくしゃりと表情を歪めた。そのままわたしの手から小瓶を受け取ると、ポケットの中にしまった。
「結果的にそうなっただけ……」
元はと言えばわたしが嫌われているのが悪いのだ。アルバートがそんな顔をする必要はない。
そう言いたかったけれどうまく口が回らない。ひどい眠気に襲われているせいだろう。小瓶をアルバートに手渡せた安心感もあり、気づけばわたしは彼の腕の中で眠りに落ちていた。




