第2話
アルバートに連れられて、長い階段をゆっくりと上がる。途中何度か使用人とすれ違ったが、広さに反して寒々しさを覚えるほどひとけがない。
聞けば、この城に住まう大公家の人間は、アルバートと彼の妹のセシリアしかいないのだという。ふたりの両親はつい先月、不意の事故で亡くなってしまったそうだ。アルバートが若くして大公位を継がなければならなくなった理由も、そのせいだった。
「おそらくは、大公家の分家の誰かの仕業だろうね。ぼくを襲ったのも、その手の者だろう」
彼は階段を上りながら、なんてことないように告げた。妹の話をしたときはあんなに悲痛そうな表情をしていたというのに、自分のこととなると急に無頓着なひとだ。
「そんな悠長にしていていいの? 次の刺客が来るわよ」
前大公夫妻とアルバートを襲ったのなら、狙いは大公位だろう。アルバートを亡き者にするまで諦めないはずだ。
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫。きみが僕を治療してくれたおかげで迅速に動けたから、もう目星はついてるんだ」
彼は横目でわたしを捉え、小さく笑ってみせた。どこかいたずらっぽい笑みの中に、わずかな翳りを見た気がして息を呑む。何気なく振る舞っているが、両親を殺されたという事実は彼のこころに少なからず影を落としているようだ。
「あ、セシリアには内緒で頼むよ。事故なら仕方がないと、妹はようやく両親の死を受け入れたところなんだ。両親が殺されたなんて事実は知らせたくない」
「わかったわ。……妹さん想いなのね」
「お互いにろくな友人もなく育ってきたから、ふたりで仲良くするしかなかっただけだよ」
「素直じゃないお兄さまだこと」
くすりと微笑めば、彼も同じように頬を緩めてわたしを見た。あれだけ悲痛な顔をしてわたしに助けを求めたくらいなのだ。妹を大事にしているのは確かなのだろう。
城の最上階に上がり、さらに廊下をいくつか進むと、ようやく目的の部屋に辿り着いたようだった。南側の部屋で、両開きの扉からして部屋の大きさは相当なものだろうと伺える。
アルバートが扉を静かに叩くと、まもなくメイドが出てきて彼を出迎えた。
「彼女をセシリアに会わせたいんだ。セシリアの調子はどうだろうか」
「幸い、今は落ち着いておられます。どうぞ中へ」
メイドの案内で、部屋の中へと導かれる。足を踏み入れたとたんに、薬草の匂いに包まれた。それも、かなりの数の薬草の匂いがする。
「こっちだ。セシリアはほとんどベッドから出られないんだ」
アルバートは慣れた様子で続き部屋の扉を開けた。絨毯もカーテンも調度品に埋め込まれる宝石も、大公家の人々の瞳を思わせる柔らかな薄紫色で統一されていて、いかにこの部屋の主人が大切に愛されているかが伺える。
広々とした続き部屋には、天蓋付きの大きなベッドがあった。ベッドにかけられた薄紫の毛布の中央に、小さな膨らみがある。
「セシリア、ぼくだ。お前に会わせたいひとがいて連れてきた」
アルバートの呼びかけに応じるようにして、小さな膨らみが身じろぎをした。やがて毛布の中から、ひとりの少女が顔をだす。
一目見た印象は、雪の妖精だった。アルバートと同じ白銀の髪と、薄紫の瞳。髪は座った状態でもベッドにうち広がるほど長く伸ばされ、雨の日の薄暗さの中でもまるで露を連ねたようにきらきらと輝いていた。手足は折れそうなほどにほっそりとしていて、肌は抜けるように白かった。青白い、と言ってもいいのかもしれない。
王城で暮らしているうちに美しい女性には何度もあったが、彼女ほど綺麗なひとは見たことがない。人の美醜にあまり執着しないつもりのわたしでも、思わず心を動かされるような儚げな美貌だった。
「うれしいです。お客さまなんて初めて」
小鳥が歌うような、澄みきった愛らしい声だった。歌姫が嫉妬しそうなほどの美しい響きだ。
「レア、紹介するよ。ぼくの妹のセシリアだ。今年で十八歳になる。きみと同い年だね」
アルバートの紹介を受け、そっとドレスをつまみ頭を下げる。
「初めまして、セシリアさま。レア・エル・ヴェルローズです」
「ごきげんよう、レアさま。セシリア。エル。ティアベルと申します。お会いできて嬉しいです」
そう言ってセシリアは、静かな微笑みを見せた。同い年とは思えないほど、弱々しく儚げだ。
「セシリア、レアは他にはない質のいい魔術薬を作れるんだ。ぼくも左目を失うほどの怪我を治してもらったんだよ」
「まあ、すごい方なのですね。そんな方に診ていただけるなんて光栄です」
セシリアははしゃぐように声を上げて、それからすぐに咳き込んだ。その姿を見て、アルバートがそっと彼女を寝台に横たわらせる。
「無理をするな。安静にしていなさい」
「せっかくきてくださったのにごめんなさい。兄さま、レアさま……」
か細い声でそう呟きながら、セシリアは申し訳なさそうに微笑んだ。思うように動かない体をもどかしく思っているようだ。
「……セシリアは、生まれつき心臓が悪いんだ。医師の話では、心臓の中を区切る壁に穴が空いているのではないかという見立てだ」
「心臓に……」
それは厄介だ。治癒魔術にかかれば、診断時点で治療をして何の合併症もなく過ごせるだろうが、アルバートの話では大公家の人々には治癒魔術が効かないということだから、この年齢までなすすべなく放置されてきたのだろう。魔術に頼らない普通の医療で治せたら良かったが、治癒魔術の存在があるせいで医術の進展は二百年前からほとんどない。心臓の穴など到底治せるわけがなかった。
「医師には手の施しようがないと言われた。治癒魔術にも頼れない。……きみの魔術薬で、なにかできることはあるだろうか」
魔術薬にも色々ある。アルバートに使ったような傷薬や、店の老婦人に使ったような感染症を抑え炎症を引かせるような薬、睡眠薬、鎮痛薬、制吐剤……種類を挙げればきりがない。症状に合わせていくつかの魔術薬を組み合わせて使うのが一般的だ。
ちらり、とセシリアを見やる。この繊細そうな令嬢を前に、どこまで話していいのか迷ってしまう。
「レアさま、わたくしは大丈夫ですから、お見立てをすべてお話しください」
セシリアはわたしの心を見透かしたように、穏やかに微笑んだ。その平静さが、彼女が何度も自分の病が不治だと言われてきた証のようで、ぐ、と胸が詰まる。
「……使うとしたら、アルバートに使ったものと同じ魔術薬になると思うわ。心臓の穴を傷に見立てて塞ぐことはもしかしたらできるかもしれない」
「レア……」
アルバートの瞳が、期待にゆらめく。だがとても直視できず、すぐに顔を俯かせた。
「けれど……この年齢まで心臓の穴が空いたままになっていたなら、血管と肺にも負担がかかっていると思ったほうがいいと思うの。もちろん、今までいろんな魔術薬を使ってきたのでしょうから、無治療よりは経過がいいとは思うけれど……残念ながら今の状態を治すのは医術では不可能だし、治癒魔術でも苦労するわ……」
「そうですか……ままならないものですね」
セシリアは静かな諦念を滲ませてゆっくりと瞬きをした。目を離せば消えてしまいそうなほど、彼女の存在は儚げだった。
「……でも、アルバートに使ったような強い作用の魔術薬なら、使ってみる価値はあるかもしれないわ。要は傷薬なの。心臓の穴を傷と見立てたように、負担がかかった肺の傷や血管の傷を直すと考えれば、ある程度の効果が得られると思う」
少なくとも、いくらか病状の進行を遅らせることはできるかもしれない。
「でも、強い魔術薬だから……ひょっとすると却って体の負担になることも考えられるわ。治癒の反応にあなたの体が追いつかなくて、今より弱ってしまうこともあるかもしれない」
アルバートの傷がここまで綺麗に治ったのは、彼自身の体力と魔力のおかげでもある気がしていた。セシリアも大公家の血を引く以上膨大な魔力はあるだろうが、体力面では心配だった。
「セシリア、お前はどうしたい」
「兄さまは? どう思っていらっしゃるのです」
「ぼくは……レアの薬に賭けてみてほしいと思う」
セシリアは何度か瞬きをして、それから虚空を見上げた。
「わたくしも同じ気持ちです。兄さまがそれだけ信頼している方なら、尚更試してみたい」
セシリアはベッドに手をつくと、よろよろと状態を起こした。慌てて彼女のもとへ駆け寄り、手を貸す。アルバートもまったく同じ行動をしていた。
「……レアさま、よければあなたの魔術薬をわたくしに分けていただけませんか」
「あなたの病はアルバートとは違って、一度飲んだから治るようなものじゃないと思うわ。……しばらく飲み続けなければならないし、飲んでいるあいだは苦痛を伴うこともあるかもしれない。それでもいいの?」
「もちろんです。……お医者さまはこのままだとあと二年持たないと言っていました。何もしないよりは、最後に足掻いてみたいのです」
一度目の人生ではアルバートと交流があったにもかかわらず、わたしはセシリアの存在を知らなかった。おそらくアルバートと知り合った時点で、セシリアはもうこの世の人ではなかったのだ。このまま何もしなければ、医師の見立て通りセシリアはそう遠くないうちにこの世を去るのだろう。
そんな残酷な事実を知らされても、セシリアは折れていなかった。穏やかなセシリアの瞳の奥に、静かな炎が宿っている。彼女はまだ、諦めていないのだ。
「わかったわ。わたしも最大の力を尽くす。……一緒に頑張りましょう」
セシリアの瞳が、小さく揺らいだ。そうして、彼女の白くほっそりとした手がわたしの手を取る。
「ありがとう、レアさま。よろしくお願いします」




