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どうせ今世も嫌われ悪女なので  作者: 染井由乃
第二章 大公の妹姫

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第1話

「ヴェルローズ侯爵令嬢、こちらのドレスはいかがですか」


「お嬢さまの美しい黒髪には、このような銀色もお似合いになるかと存じます」


 ……どうして、こんなことになっているのかしら。


 思わず溜息をつきたくなったが、メイドたちの手前ぐっと堪えた。わたしはあくまでもお客様なのだ。


「きみに助けてほしいひとがいる」という大公の頼みを断りきれなかったわたしは、あのあと馬車に乗ったまま転移魔術でティアベル大公領にあるシェレル城まで連れてこられてしまった。王都から大公領までは馬車で移動すれば数日かかる距離だが、転移魔術を使用するとほんの一瞬で城まで移動することができる。正門から客間まで移動した時間のほうが長いくらいだ。


 城につくなりわたしは大公の好意で豪華な客間に案内され、雨に濡れた体を湯船で温めるように勧められた。そこまではよかったが、浴室から出てくるなりずらりと並んだ数十着のドレスに出迎えられ、選択を迫られる羽目になってしまった。


 こんなことは、初めてだ。侯爵家にも仕立て屋は来るが、わたしに与えられるのはアデルが選んだ生地の余り布で仕立てられるような簡素なドレスで、しかも色は桃色や赤色で自分でもまるで似合っていないとわかるような代物だった。だからこそなるべく魔術学園の制服で過ごすようにしていた。


 一度目の人生で王室に嫁いでからは王妃さまがわたしのためにドレスをあつらえてくれたが、そのどれもが母の好みのそのものだった。母は緑や淡い水色など、爽やかな色のドレスを好んでいたから、ほとんどがその系統でつくられた。桃色や赤よりはましだったが、わたしが着るとどこかちぐはぐなドレスばかりだった。


 だから、こうしてさまざまな色の中から自由に選んでいいと言われると困ってしまう。自由に衣装を選ぶことに憧れはあったが、いざ選択を迫られるとわたしは自分の好みすらもよくわかっていないのだと思い知らされた。


「……あなたたちに任せるわ。わたし、こういうことには疎いの」


 侯爵令嬢のくせにおしゃれのひとつもしらないのだと笑われるだろうか。それならそれでいい、とメイドたちから顔を背け腕を組んでいると、メイドたちがぐっと距離を詰めてくるのがわかった。


「本当に、わたしたちの采配でよろしいのですか?」


 メイドの気迫に気押され、思わず半歩後ずさる。妙に目をきらきらと輝かせていた。


「え、ええ……」


「承知いたしました! 私たちの手で、完璧にお支度してみせます!」


 さあ、こちらへ、と早速鏡台の前に連れて行かれる。メイドたちは目をきらきらと輝かせながら、ああでもないこうでもないと話し合いを続けながらわたしを飾り立て始めた。


 ……こんな無愛想で痩せぎすの女を飾り立てても面白くないでしょうに。


 今までわたしの支度を手伝ってくれたメイドたちは、皆そうだった。義務的に、表情ひとつ変えずに淡々と作業をして余計なおしゃべりはしない。ある意味使用人らしく仕事を全うしているのかもしれないが、彼女たちはアデルの着付けを手伝うときには華やかにおしゃべりすることを知っていた。


 計算ずくかもしれないが、人と打ち解けるという意味ではアデルは天賦の才があった。正しく使えばそれは、社交界では強い武器になるものだろう。それだけは、羨ましいと思う。


「お嬢さま、こちらを向いてください!」


「なんて綺麗なお髪でしょう。すべてまとめてしまうのはもったいないですね……」


「お嬢さま、この香りは嫌ではありませんか?」


 数人のメイドたちにあれこれといじくりまわされ、目が回りそうだ。彼女たちの気合いが伝わってくる。


「舞踏会へ行くわけでもないのだし、適当でいいのよ」と言い出せるような雰囲気でもなく、わたしはそのまま彼女たちの着せ替え人形のようにじっとしていることしかできなかった。


 ◇


 結局、それから半刻ほど飾り立てられ、支度が終了したときには昼食時になっていた。メイドたちは完成したわたしの姿を見て達成感を味わっているらしい。


 そっと、姿見の前で自分の姿を確認してみる。メイドたちが着付けてくれたのは、上品な濃紺のドレスだ。眩い金糸で刺繍が施されていて、よく見れば小粒の宝石も縫い付けられている。まるで星空を纏っているような美しいドレスだった。


 髪は上側の半分だけを複雑に編み込まれ、下半分は背中に流されていた。花の香りのする香油を塗られたおかげで、いつもよりも艶々と輝いて見える。普段はろくに化粧もしていないが、薄く白粉と頬紅をつけてもらい、落ち着いた赤の口紅を引いただけでずいぶん見違えた。


 ……なんでもない日に、ここまで綺麗にしてもらえるなんて。


 自分が自分ではないみたいで、不思議な心地だった。おしゃれをして心が弾んだのは、一度目の人生を合わせてもこれが初めてのことだ。


「ありがとう、みんな。……こんなにすてきに支度してもらったのは初めてよ」


 メイドたちのほうを振り向きながら礼を述べれば、彼女たちは微笑みながら慎ましく頭を下げた。


「もったいないお言葉でございます。私たちも、お嬢さまのお支度をお手伝いできて楽しかったです」


 メイドたちの瞳は柔らかにわたしを見つめてくれていた。彼女たちの好意は十分に感じるが、その視線の先には、わたしではない誰かを見ているような気がする。なんだか切なげな、何かを諦めるようなまなざしだ。


 そのわけを問おうとしたところでふいに、扉がノックされた。メイドのひとりが早速応対してくれる。


「ヴェルローズ侯爵令嬢、当主がお嬢さまをお迎えに上がったようでございます」


「入っていただいてちょうだい」


 ゆっくりと続き部屋につながる扉が開かれる。姿を表したのは、黒の礼服姿の大公だ。魔術師団の制服から着替えたらしい。


「ヴェルローズ侯爵令嬢、着替えたんだね。とても綺麗だ」


 大公はわたしのそばに歩み寄ると、にこにこと柔和な笑みを浮かべながらわたしを見下ろした。いつの間にかメイドたちは空気を読んで部屋の隅に引き下がっている。


「すてきなドレスをお貸しいただいてありがとうございます」


 ドレスをつまんで礼をすると、大公は微笑みを崩さずに告げた。


「本当によく似合っている。気に入ったならぜひもらってほしい」


「でも……」


 気軽に受け取るにはあまりに高級そうなドレスだ。わたしが持っているものを全部合わせても、このドレスは買えない気がする。


「遠慮なんかしないでほしい。そのドレスだってきみに来てもらえれば喜ぶ」


 改めて濃紺のドレスを見下ろしてみる。こんなすてきなものが自分のものになるなんて、夢のようだ。


「……ありがとうございます、大公。大切に使わせていただきます」


 再び礼をすると、大公は満足げに頷いた。


「受け取ってもらえてよかった。……それから、使用人の目は気にせず、さっきみたいに楽に話してほしい。そのほうがぼくも嬉しいよ」


 そのまま彼はわずかに身をかがめ、エスコートするようにわたしの手をとった。今まで見てきたどんな紳士よりも、仕草が優雅なひとだ。


「もしよければ、ぼくのことはアルバートと呼んでほしい。ぼくもきみをレアと呼ばせてもらうから」


 一度目の人生では、彼を名前で呼んだことはなかった。わたしは王妃で、彼は魔術師団の長。それだけの関係だったのだから。


「わかったわ。……アルバート」


 ただ名前を呼んだだけなのに、なんだかくすぐったい気持ちだ。男性の名前を呼び捨てで読んだことなんて、一度目の人生をひっくるめても一度もなかった。夫であったエリクのことでさえ、彼が王太子のときは殿下、国王になったときは陛下と呼ぶだけだったのだから。


「ありがとう、レア。名前を呼んでくれたことも、昨日ぼくの命を救ってくれたこともぜんぶ……言葉では表せないくらい感謝している。ありがとう」


 繰り返し感謝を述べながら、彼はそっとわたしの指先にくちづけを落とした。その仕草からも言葉からも、彼がいかにわたしに恩を感じているか伝わってくる。


「別にどちらも大したことではないわ。忘れてくれて構わないのよ」


「忘れるだなんて、とんでもない。きみは恩人だ。……大公家はこの先何があっても、きみの敵にはならない」


 王太子に嫌われている婚約者であるわたしに告げるには、危険を伴う発言だ。もしも王太子がいつか大公にわたしを殺せと命じても、その命令には従わないと言っているようなものだ。


「ヴェルローズの毒魔女相手に不用意な発言ね。聞かなかったことにしてあげるわ」


「いいや、忘れないでくれ。なんなら誓約書を作ったっていいんだ」


 大公だって自分の発言が何を意味するくらいじゅうぶんわかって言っているのだろう。彼は本気でわたしの敵にならないと宣言しているのだ。


 ……わたしなりの恩返しのつもりだったのに、妙なことになっちゃったわ。


 一度目の人生の終わりに、彼に剣で貫かれた胸にそっと手を当てる。いちどはわたしを殺した相手に「敵にならない」と宣言されるなんて、なんだか妙な感覚だ。


「昼食の支度ができているんだ。よければ一緒にどうだろう、レア」


「ありがとう。お言葉に甘えてご一緒するわ」


 アルバートは嬉しそうに微笑むと、わたしの手を引いたままゆっくりと歩き出した。


「こっちだ。途中で階段があるから気をつけて」


 わたしのすぐ隣を、彼はわたしの手を引いたまま歩いた。


 わたしを食事に誘うために、わざわざ礼服に着替えたのだろうか。こんなふうに誰かに食事に誘われるのも初めてだ。アルバートの行動も言葉も、わたしには紳士的すぎてなんだかくすぐったい。世の中の令嬢はみな、いつもこういう扱いを受けているのだと思うと、今まで知らなかった羨ましさが心の隅に芽生えるような気がした。


「ここだよ。さあ、どうぞ」


 案内されたのは、大きな窓のある広間だった。中央に長いテーブルが置かれており、しみひとつないテーブルクロスがぴんと張られている。


 アルバート自ら椅子を引いてくれたので、戸惑いながらもおとなしく座った。お互い長テーブルの端と端に座るかたちになるのかと思ったが、アルバートはわたしのすぐそばの椅子に腰を下ろして、どこか照れたように笑った。


「本当は向こうに座るべきなのかもしれないけど、話しづらそうだからこっちにきてもいいだろうか」


「ええ、もちろん。わたしも、席が空いているのにわざわざ遠くに座ることないっていつも思っているのよ」


 一度目の人生では、王太子との食事の席で距離があることを寂しく思っていたものだ。今ではそんな気持ちはまるでないが、アルバート相手なら楽しく会話をしながら食事ができるだろう。そのためには席が近いに越したことはない。


「ぼくたち気が合いそうだ」


 アルバートはいたずらっぽくわらいながら、わたしのそばの椅子に腰掛けた。


 運ばれてきた料理は、どれもが細やかで丁寧に味付けされた一級品だった。一度目の人生で王宮で食べていたものより、ずっとおいしい。


 とくにメインで出てきた魚料理は絶品だった。お魚とは思えないほどふっくらとしていて、添えられたクリームソースが濃厚ながらしつこすぎず、許されるならおかわりをしたいくらいだった。


 そのときふと、アルバートと目が合ってしまう、どうやら一足先に食べ終えた彼は、わたしが食べている姿をじっと見つめていたようだ。


 ……何か、言われるかしら。


 一度目の人生の嫌な思い出が蘇る。王太子は、義務的にわたしと食事をしながら、いつもわたしに言っていた。


 ――お前はまずそうに食事をするから見ていてうんざりする。アデルを見習ってほしいくらいだ。


 わたしなりにおいしいと思って食べていたが、そう言われてしまうくらいには無愛想に見えるのだろう。自分が食事しているときの表情なんて見たことがないからはっきりしたことはわからないが、たしかにアデルのように食事をして笑みを見せることはないような気がする。


 ……アルバートにも、同じように思われたかしら。


 自分が表情豊かでないのは確かだ。王太子相手にならどう思われていても構わないが、せっかく食事を用意してくれたアルバートに誤解されるのは嫌だった。


「アルバート、あの――」


「――口にあったようでよかった。よければもう一皿持って来させようか?」


 アルバートは、静かに微笑んでいた。そのまなざしの中にまるで慈しむような柔らかさを感じて、なんだか落ち着かない気持ちになる。幼いころ、母が食事をするわたしを見ていた目にもよく似ている気がした。


「ありがとう。でも、おかわりは大丈夫よ。じゅうぶん味わって食べたから」


 そうか、と彼は静かに微笑んだ。何気ない返しも空気感も、すべてが心地よいひとだ。


「……おいしいって思っているって、よくわかったわね。わたしの表情は、わかりづらいのに」


 下げられていくお皿を眺めながら、何気なく問いかけてみる。どうして、彼はわたしのことをこんなにわかってくれるのだろう。


「ぼくもあんまり人の表情の変化に敏いほうじゃないけど、不思議とレアの表情はわかりやすいよ」


 なんでだろう、と彼は呟きながら笑った。


 そういえば、一度目の人生でも彼だけはわたしを無愛想だなんて言わなかった。わたしがお茶を飲んでいるときに護衛をしてくれたときも、言葉こそ交わさなかったけれど先ほどと同じようなまなざしでわたしを見ていた気がする。


 ……一度目の人生の記憶はなくても、感覚や感情のひとかけらが残っているのかしら。


 紅茶の香りに包まれながら、ほんのりとした懐かしさに包まれる。王城でのいい思い出なんてほとんどないけれど、彼が護衛をしてくれる時間は気に入っていた。彼の不思議な静けさが、わたしはきっと好きだったのだ。


 デザートを食べ終え、紅茶のおかわりが注がれる。食後独特のゆったりとした時間が流れていた。初めてきた場所だというのにこんなに安らいでいるのは、やはりアルバートのおかげなのだろう。


「おいしいお食事をありがとう。久しぶりに楽しかったわ」


「気に入ってくれてよかった。きみさえよければまた誘うよ」


 社交辞令のようなものだろう。わたしは現時点でまだ、王太子の婚約者なのだから、よほどの理由がなければ彼と再び食事をすることはないはずだ。


「……そろそろ本題に入りましょうか。わたしに助けてほしいひとというのは、どこにいるの?」


 もうじゅうぶんにもてなしてもらった。そろそろわたしがここに連れてこられた目的を果たすべきだ。


 アルバートは、ふっとまつ毛を伏せた。滑らかな頬の上で、まつ毛の影が震えるようにゆらめいている。


「助けてほしいのは、ぼくの妹なんだ」


 わずかに瞼が上がり、紫の瞳がわたしを捉える。


「案内するよ。セシリアの寝室へ」

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