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どうせ今世も嫌われ悪女なので  作者: 染井由乃
第六章 慈雨と赦し

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第5話

 ◇


 ふわり、と柑橘系の紅茶の香りがして、はっと我に帰る。気づけば目の前に紅茶と焼き菓子が用意されていた。いつの間にか、わたしはシェレル城の私室に帰ってきていたらしい。隣にはアルバートの姿があり、ふたりで並んでソファーに座るようなかたちだ。


 はっとしてアルバートを見上げると、彼は柔らかく微笑んだ。いつも通りの、アルバートの表情だ。


「よかった、ようやく目が合った。何を聞いても『ええ』しか言わないから、うっかりぼくに都合のいい約束をしちゃうところだったよ」


 冗談めかしてアルバートは笑う。たしかにアルバートに連れられ、部屋に帰ってきたことは何となく覚えているが、何を話していたかは思い出せない。それだけ、過去の記憶に囚われていたと言うことなのだろう。


「紅茶とクッキーを用意したよ。甘いものを食べて落ち着くといい」


 そう言いながらアルバートは、わたしの目の前に置かれているティーカップに、はちみつをたっぷりと注いだ。かなり甘そうだ。


 どこかぼんやりとした心地のままティーカップに手を伸ばしそうになって、すぐに引っ込める。


 こうしてはいられない。アルバートには、わたしの過去の悪行を知られてしまったのだ。これ以上ここにはいられない。


 咄嗟にその場に立ち上がって、彼と目を合わせられないままぽつりと告げる。


「あの……わたし、やっぱりここを出ていくわ。今までありがとう。魔術薬が必要なときはお店に連絡して」


 用件だけ手短に伝えその場を離れようとするも、アルバートに手首を掴まれて引き止められてしまった。いつもはくすぐったい彼の温もりが、今は熱を持った手枷のようだ。


「そんなこと言われて、はいどうぞって見送るとでも?」


 そのまま腕を引かれ、ソファーに引き戻される。バランスを崩してしまい、彼がわたしに覆い被さるような体勢になってしまった。


「どうして急に出ていくなんて言うんだ?」


 思いのほか真剣な眼差しに捉えられ、息が詰まる。これから標本にされる蝶のような気分だった。


「アデルから聞いたでしょう……わたしが犯した罪を。わたしは本当に毒魔女と呼ばれるべき人間なの。罪人が大公家と関わり続けるわけにはいかないわ」


 知られなければ、そばにいてもいいと思っていたわたしはなんて狡かったのだろう。そんなふうに考えてしまうくらい、この城は居心地がよかった。初めて見つけたわたしの居場所だった。


「どうせあの女がまたきみを貶めるために大袈裟に言っているんだろう。この城の誰も気にしていない」


 そういうことにすれば、言い逃れは可能なのかもしれない。実際、あの件は母が遺書を残したために、母の自殺ということで片がついている。それはきっと間違いではないのだろうが、わたしの気持ちとしては納得はいっていなかった。むしろ母を殺した罪を有耶無耶にされ、秘めることを強要されたまま生きるのは、血を流し続ける生傷を抱え続けているのと同様だった。


 だからこそ、一度目の人生でアルバートがわたしを断罪してくれたときに、なおさら救われたような気持ちになったのだ。


 ……彼には、しっかり伝えなくちゃ。


 彼はずっとわたしに誠実に向き合ってくれたのだ。わたしも、これ以上彼に誤魔化したくない。

 

 いちどだけ深呼吸をして、アルバートを見上げる。静謐な薄紫の瞳が、じっとわたしを見つめていた。


「アデルの言ったことは、本当よ。わたしは……お母さまを殺したの」


 ずっと彼の瞳を見続けるのは耐えられなくて、わずかに視線を逸らしながら続ける。


「わたしが魔術を使えない落ちこぼれであるせいで、お母さまはお父さまに散々責められて心を病んでいったの。あるときお母さまは、わたしに『いちばん強い薬を作ってみせて』と願ったわ」


 口にするだけで、ナイフの先で生傷を抉られるような痛みが走る。現に、深呼吸したにもかかわらず少しずつ呼吸は乱れていた。


「わたしは、そのときの自分に出来うる限りの魔術薬を作ったわ。それは甘い香りがして……痛みと意識を奪う、毒と呼ぶべき代物だった」


 わたしが、一度目の人生の終わりに城中に焚きしめたのも、同じ毒を元にした香だった。あの毒は、わたしのすべての罪の元凶だ。


「それを飲めば人は死ぬのだとわかっていて、わたしはその魔術薬をお母さまに渡したの。そしてそれからまもなく、お母さまはやっぱりその魔術薬を飲んで死んでしまったわ」


 以来、この件を耳にした貴族たちからわたしは「ヴェルローズの毒魔女」と呼ばれるようになる。当然の報いだった。


「わたしは、母殺しの毒魔女よ。それは否定しようのない事実なの。飲めば人が死ぬとわかっていてあの魔術薬を渡したのだから、明確な殺意があるわ」


 アルバートの顔が見られない。できれば起き上がりたかったが、彼の腕に囲われているせいでろくに身じろぎもできなかった。


「……けれどそれは、きみの母上が必要としていると思ったからこそ渡したんだろう?」


「そうね……母を自由にしてあげたいと思ったことは事実だわ。でも殺人は殺人、悪には変わらないでしょう」


 わたしが母の温もりを、もういちど笑えるようになる可能性を、完全に潰したのだ。決して許されることではない。


「そうだね。理由をともあれ人を殺すきっかけを作ったのなら、それはきっと悪と言うべきなんだろう」


 アルバートの手が、ふいにわたしの頬を撫でる。断罪するような言葉とは裏腹に、壊れ物に触れるような優しい手つきで、思わず彼をじっと見上げてしまった。


「けれど……きみが悩んで決めた悪なら、ぼくはそれを肯定したい」


 真剣な声だった。清廉な彼が告げたとは思えないほど、衝撃的な言葉だ。


 どうしてか、目頭が熱くなる。嬉しいわけではない。訳もわからない理不尽な苛立ちが込み上げた。


「わたしは……それが苦しいのよ。罪を犯しておきながら罰も与えられずに生き続けるのが、苦しいの」


「死を選んだのはきみの母君の決断だ。たしかにきみは間接的にかかわっているし、優しい殺意を抱いたのかもしれないけれど……きみは裁かれるべき人間じゃない」


 アルバートの言っていることはわかる。たしかにそうだ。客観的に見ればわたしに罪はないのかもしれない。


「でもね……わたしは悩んだ末に悪を選べてしまう人間なの。たぶん、あなたが思っているよりも残虐なこともできる、そういう人間なの」


 実際、わたしはやり遂げてしまった。一度目の人生の終わりで、怒りと憎悪に踊らされるがまま、城中の人間を殺してみせたのだ。罪のないひとも大勢いたのに、どうにでもなればいいという気だるい残虐さで千人を殺した。


「きみが道を踏み外しそうになったら、必ずぼくが止める」


「どうかしら、あなたが気づいたときには千人殺しているかも。間に合わないかもしれないわ」


 一度目の人生ではまさにそうだった。護衛を務めてくれていた彼の目を掻い潜って、わたしは地道に城中の人間を殺す計画を進めていたのだから。


「たしかに、きみは思い切りがいいところがあるからね」


 彼はくすりと笑うと、そっとわたしの胸に手を置いた。いつか、彼に刺された場所だ。


「――間に合わなかったらそのときは、ぼくがきみを殺してあげる。きみは罪を抱えて生きることを、なにより恐れているようだから。そんな苦しみはすぐに終わらせてあげるよ」


 そう言って静かに微笑む彼は、一度目の人生でわたしを殺したときと同じ表情をしていた。寂しげで、どこか後悔が滲んでいて、そしてあのときは気づけなかったけれど、確かな慈愛が滲んでいる。この言葉は、彼の本心からの誓いだった。


「ぼくが、きみの罪の責任を取るよ。きみはなにも怖がることはない」


 ふいに、吐息が溶けあうような距離まで彼の顔が近づいてくる。気づけばわたしは縋るように、彼の瞳を見つめていた。


「だから、ここにいて、ぼくと一緒に生きてほしい、レア」


 ふいに視界が滲んだかと思うと、ぼろぼろと涙がこぼれ出した。


 どうしてこのひとは、わたしがいちばん欲しい言葉がわかるのだろう。そしてそれを成し遂げる覚悟までできるのだろう。


 彼の切実な誓いには、紛れもなく愛情が溶け込んでいた。愛しているよりも遥かに深く、心に染みついていく。彼が学園で見せてくれたあの優しい雨のような、静かでけれどどんな災いも打ち消すほどに強い感情だ。彼の言葉から伝わる熱で、ずっと心がほてっていた。


「泣かないで、レア」


 次から次へ流れる涙を、彼の指先がそっと拭ってくれる。その仕草があまりに優しいから、余計に泣きたくなってしまうのだ。


「わたしも……あなたと一緒にいたい。本当は、離れたくなんてないの」


 この答えが何を意味するかわからないほど、わたしも愚かではない。いちど夢見た自由を手放す発言だとわかっていた。


 けれど、たとえ再び貴族社会に縛りつけられることになるとしても、彼と生きる不自由を選びたかった。


「わたしを、そばにいさせてくれる……? アルバート」


「もちろんだよ。――一生手放すものか」


 どこか不敵に彼は笑って見せた。清廉な彼とはまた印象が違う熱を帯びた微笑みに、心臓が跳ね上がる。


 アルバートはそのままただでさえ近かった距離をぐっと縮めてきた。唇に彼の吐息がかかって、ようやく彼の意図を理解する。わたしに、くちづけようとしているのだ。


 慌てて彼の肩に手を当てて、距離を取る。信じられないくらいに顔が熱くなっていた。


「レア?」


「あの……そういうことは、わたしたちにはまだ早いんじゃないかしら」


 彼への愛情を理解したばかりで、くちづけなど受け入れてしまったら心臓が爆発してしまいそうだ。到底耐えられない。


「まだ早いって……ぼくたち、恋人になったんだよね? 明日にでも婚約を手配しようとしているけど、いいんだよね?」


 慌てたように確認を始める彼を前に、視線を伏せながらこくりと頷く。明日にでも婚約を手配しようとしていることには驚きだが、先ほどのわたしの返事が彼の妻になる了承だということくらい、わたしだって自覚して返事している。


「ぼくはたぶんこれからレアに嫌がられるくらいくっつくし、キスもすると思うよ?」


 今までの様子を見ていても、彼はわたしを抱きしめるのが好きなようだからそれは想像に難くないが、とんでもない発言をされたものだ。余計に顔が熱くなる。


「唇以外ならいいわ。お母さまにしてもらったことがあるもの。……でも、唇へのくちづけはしたことがなくて怖いから……今日はだめ」


 一度目の人生を合わせても、唇へのくちづけは経験したことがなかった。いずれは受け入れられるかもしれないが、今日はもういっぱいいっぱいだ。


 彼は悩ましげな溜息をついたかと思うと、ソファーに座り直し、そのままそっとわたしを彼の膝の上に抱き上げた。


「そんなふうに言われたら逆らえないな。きみはぼくに待てをさせるのが上手そうだ」

 

 じゃれつくように、彼はわたしの首筋に頭を擦り寄せた。柔らかな銀の髪が肌に触れてくすぐったい。大公家の家紋に描かれている大きな白い狼をつい連想してしまう。


「お願いを聞いてくれてありがとう、アルバート」


 彼の髪を何度か撫でて、そっと彼の頭にくちづける。同時に彼の耳の端がほんのりと赤く染まるのがわかった。慣れないふれあいに戸惑いながらも喜んでいるのは、お互いさまらしい。彼がわたしのしたことで照れていると思うと、胸の奥をやわらかく引っ掛かれるような、不思議なくすぐったさがあった。


 ……こんな感情は、生まれて初めてだわ。


 彼はきっと、わたしがずっと求めてきた赦しそのものだ。彼に触れていて初めて、息が楽にで切るような気がする。ぬるま湯の中で溶け合うような不思議な幸福感を味わいながら、わたしはそのままいつまでも、アルバートと寄り添いあっていた。


【第一部 完】


ここまで読んでくださってありがとうございます。

作業が立て込んでいるため、第二部の開始まで少々間が開きます。

お待ちいただけましたら幸いです。

よろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
もう言わされた後じゃ…と危惧しておりましたが、 いい感じに収まって、おめでとうございます! 第2部、のんびりお待ちしてます
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