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どうせ今世も嫌われ悪女なので  作者: 染井由乃
第一部 第一章 悪女の処刑人

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第1話

 王国ラティアの貴族は、魔力の大きさに差はあれどほとんどの人間が魔術を操ることができる。現在の貴族家の始祖は皆、王国建国期に魔術師として活躍した人々であるため、血と共にその才能を受け継いでいるのだ。一般的には王家に近い家ほど魔力が強い。まれに平民でも魔力を持つひとがいるというが、数十年にひとり生まれるかどうかというほどにまれな事例だった。


 わたしが生まれたヴェルローズ侯爵家は、貴族家の中でも治癒魔術で有名な魔術の名家だった。伝説では、ヴェルローズの始祖は死んだ人間をも蘇らせるほどの力を持っていたという。さすがにそれは家門の権威を高めるために脚色された話だろうが、治癒魔術に長けているのは確かだった。そのため、ヴェルローズ侯爵家の当主は、代々王立医術院の長を務めているのだ。


 そのヴェルローズ家の長女として生まれながら、わたしは魔術の才に恵まれなかった。かろうじて魔力自体はあるけれど、魔術の発動すらもできないほどの貧弱な力で、母はわたしのような出来損ないを産み落としたばかりに不貞を疑われた。


 不貞を疑われ、出来損ないを産んだことを罵られ、父からも使用人たちからも冷遇された母は徐々に心を病んでいった。もともと公爵家のお嬢さまとして蝶よ花よと育てられた母にとって、その境遇は耐え難いものだったのだろう。母はみるみるうちにやつれ、翳っていった。


 そんな母の力になりたくて、わたしは母に与えられた魔術薬の本を読み込み、薬作りに没頭した。いちばん初めに着手したのは、気分の落ち込みを抑える作用のある魔術薬だった。それを飲んだ母は笑顔を取り戻し、わたしの頭を撫でてくれた。


 けれどそれもほんの一時的なことで、母はまたすぐに苦しみはじめた。わたしは次々に本に書かれていた魔術薬を作り出し、母に届けた。睡眠薬、鎮痛薬、よい夢を見られる薬……やがて一通りの魔術薬の作り方を学んだわたしは、本に書かれていない魔術薬も作れるようになったのだ。容量によっては、毒となるような強い魔術薬すらも生み出してしまった。


 結論からいえば、わたしはわたしが生み出した薬で母を殺した。母の自死として処理されたため、詳細が明るみになることもわたしが罪に問われることもなかったけれど、人の口に戸は立てられず、以来わたしは母殺しを揶揄して「ヴェルローズの毒魔女」と呼ばれるようになった。


 ……王太子からしてみれば、そんな女を妃に迎えるのはさぞ不満だったでしょうね。


 その点は、十分に理解できる。一度目の人生のわたしは「お母さまを死なせてしまったことには理由があるの」と王太子に縋りついて弁明していたけれど、彼の心にはまるで響いていなかっただろう。


 自分が生み出した薬で母を殺したのは事実なのに、どうにか言い訳しようとするほど、わたしは王太子に依存していたのだ。それもこれもわたしと結婚してくれる相手なんて、彼しかいないと思い込んでいたせいだった。


 だが、あの最悪な結婚生活を思い返してみれば、そんなみっともない真似をする必要はなかったのだ。彼と結ばれるくらいなら、ひとりで生きていったほうがよほどいい。いつまでも独身の侯爵令嬢なんて「ヴェルローズの毒魔女」の悪名に拍車をかけるであろうことは想像にたやすいが、王太子から受けた仕打ちを考えればその程度の悪評は可愛いものだった。


「――ア、レア! 聞いておるのか!」


 語尾が震えるような怒鳴り声に、ふと我に帰る。目の前ではぶくぶくと太った中年の男が椅子に座ってわたしに怒鳴り声をあげていた。数ヶ月ぶりにお目にかかる我が父、ヴェルローズ侯爵だ。若いころは社交界を賑わせる美男子だったらしいが、アデルの母親であるカミラと結婚してからは太っていく一方で、今はかつての美しさは見る影もない。母はこんな男に愛想を尽かされて病んでしまったのかと思うと、無性に怒りを覚えるほどに醜い姿だった。


「お父さま、ええ、聞いておりますわ。わたしが殿下に婚約破棄を宣言したことを怒っておられるのですよね?」


 入学式で王太子に婚約破棄を宣言したせいで、久しぶりに父に呼び出されたのだ。王家とのつながりをなんとしてでも持ちたい父の怒りは相当なものだった。


「そうだ! 侯爵家から王家に離縁を申し出るなんて、何を考えておる!」


 普通ならまず考えられない行動だろう。そのまま家を断絶されてもおかしくない。


「けれど、わたしと殿下の婚約には誓約書がありますでしょう? あの誓約書によれば、離縁の際にはわたしから申し出ねばなりません。わたしはそれに従ったまでです」


 その誓約書を抜きにしたって、この家が取り潰されようが、わたしが追放されようがどうでもよかった。最悪の場合、処刑されたって構わないと思う。自由に生きられないのならば、二度目の人生を生きる必要なんてない。


「それに、王家と縁を結びたいのであればアデルを差し出せばよいでしょう。殿下もアデルのほうをお気に召しているようですし」


 まさにすべてが丸く収まる道だ。一度目の人生でも早くこの決断に至っていればよかったのだ。


 ふいに父は、怪訝そうに眉を寄せた。太っているせいで顔の皺は目立たないが、こうして無理にしわを作るとずいぶんな老人になったものだと思う。


「お前、まさか、つまらぬ嫉妬でこのような騒動を引き起こしたのではあるまいな」


「ご冗談を。魔術は使えずともそこまで愚かではありません」


 制服のスカートをつまみ、わざと恭しく礼をする。


「お話は以上でしょうか。それでは失礼いたします」


 さぞかし生意気な娘に見えていることだろう。怒りに任せて、わたしをこの家から追放してくれたら最高だ。


 くるりと踵を返して、廊下へつながる扉を目指す。背後で父が何か喚いていたが、聞こえないふりをして足を進めた。


 廊下に出てしばらく歩くと、壁にもたれかかるようにして体勢を崩すアデルと彼女を取り巻く数人のメイドたちの姿が見えた。メイドが口々にアデルを気遣うような言葉をかけている。


 できれば近寄りたくないが、わたしの部屋へ行くには彼女たちとすれ違わなければならない。それを計算した上で、アデルはあの場所にいるのだろう。


 無駄な試みとは思いつつも、アデルの存在をなるべく意識しないようにして、彼女たちの横を通り過ぎようとする。すかさず、アデルの悲痛な声が響いた。


「……っ」


「アデルお嬢さま!?」


「左手が痛むのですか?」


 メイドたちがあたふたとしながらアデルを囲む。アデルは涙目になりながら、健気に首を横に振ってみせた。


「みんな、そんなふうに言っては、お姉さまが気にされてしまうわ。ちょっと、手首がじんとしたように感じただけだから気にしないで」


 帰宅してからそう時間は経っていないはずだが、アデルは入学式でわたしに手を払われたことを自分のメイドたちにすっかり打ち明けたらしい。もちろん手首が痛むほどの強さで振り払ってはいないので、大袈裟に捲し立てているのだろう。愚かな異母妹だが、人を貶めるための行動力と演技力だけは一流だ。


 ……一度目の人生のわたしなら、ここで頭を下げていたわね。


 屋敷中のみんなに好かれているアデルの機嫌を損ねるのが怖くて、わたしはいつも反論せずに彼女に謝っていた。その弱気な態度が使用人たちをどんどんと付け上がらせて、さらなる冷遇につながっていくのだとも知らずに。


 どうせ、今世も嫌われ悪女なのだ。今更これ以上の悪評を恐れる必要はない。誰にどう思われてもいい。わたしにはもう、ひとりで生きる覚悟があるのだから。


 絵の具で塗りたくったような水色の瞳が、こちらの反応をじっと待ちながら愉悦にゆらめいていた。わたしがまた無様に謝ると期待しているのだ。その瞳をわたしもまっすぐに見つめ返し、静かに笑いかける。


「そう、そんなに痛むのなら、あとで薬を送ってあげるわ」


「薬……?」


 微笑みを浮かべ、わざわざ薬を送ろうとするわたしは、一見すればきっと妹想いの優しい姉に見えていることだろう。


「ええ。わたし特製のお薬よ。とてもよく効くの。――お母さまにはいつも喜ばれたわ。あなたもよく知っているでしょう?」


 わかりやすく、場が凍りつくのがわかった。事情を知らない若いメイドだけが、不思議そうにわたしたちの様子を伺っている。その様子を横目に、何ごともなかったかのようにアデルたちのそばを通り過ぎた。


 ……あの顔、傑作だわ。


 明らかな恐怖でひきつれたアデルの顔を見るのは、正直言って爽快だった。「ヴェルローズの毒魔女」の悪名が伊達ではないくらいにはわたしも性格が悪い。誰からの好意も諦めて刺々しく生きる世界が、こんなにも清々しいものだと思わなかった。


 きっとアデルは父に「お姉さまに殺すと脅された」くらいには話を脚色して言いつけるだろう。彼女の大袈裟な話を信じた父が、わたしを追放する決意を固めてくれればなおすばらしい。


 部屋に帰るなり、さっそく鞄に必要最低限のものを詰めこんだ。貴金属は、母の生家から贈られたものだけを詰めることにした。ヴェルローズ侯爵家のものなど、何ひとつ持ち出したくない。


 ……これでいつでも出ていける。


 追放の知らせを楽しみに待ちながら、魔術薬の本を抱きしめ寝台の上に転がる。この本と母をも殺した魔術薬の知識で、わたしはひとりで生きていくのだ。


「ようやく、自由になれるわ……お母さま」


 寝台の上に投げ出された長い黒髪は、お母さまの髪とよく似た色だった。


 幼いころ、まだわたしが見限られる前はお母さまとこうして横たわって、よく本を読み聞かせてもらっていた。幼いわたしはお姫さまや王子さまの出てくる煌びやかな話が好きで、自分もいつか王子さまと結ばれるのだと喜んでいたけれど、お母さまは違った。お母さまは旅や冒険の話を殊更に好んでいて、少女が長い旅をして成長していく物語を何度もわたしに読んでくれたのだ。


 今にして思えば、あれはお母さまの自由への憧れの現れだったのかもしれない。公爵家の令嬢として生まれ、好きでもない侯爵家の当主にとつがされ、望んでもいない子どもを産んで、挙げ句の果てにはその子どもが出来損ないだったばかりに夫からも使用人からも冷遇されて死んでしまったのだ。考えれば考えるほど、お母さまの人生は救われなかった。


 お母さまは本当はずっと、解き放たれたかったのだろう。空を飛び回る小鳥や虫を、庭から飛んでいく蒲公英の綿毛を、いつも眩しそうに見送っていた。その姿を思い出すたびに、じりじりと胸を焼かれるような気持ちになる。


「お母さまの夢は、わたしが叶えるわ」


 もういちど本を抱きしめて、眼裏に住むお母さまの面影に語りかける。お母さまの笑みも姿も、日に日にぼやけていくけれど、小さなひだまりのようにいつまでも瞼のうらに宿っていた。わたしはこのささやかな温もりだけを抱いて、この先ひとりで生きてくのだ。


 ◇


 そんな大層な決意を固めたのはいいが、そう簡単に事は運ばなかった。


 婚約破棄の意思は王家に速やかに伝えられ、父は代わりにアデルと王太子の婚約を提案したらしいが、返ってきたのは王太子がわたしをぶったことに対する謝罪の品と、王妃からの直筆の手紙だった。


 ――エリクの愚かな行いは許されないことです。わたくしからもよく言って聞かせます。ですからどうかもういちど、エリクとの結婚を前向きに考えてはくれませんか。


 王妃は、わたしを王家に迎えることに固執していた。もともと王妃と母は姉妹のように親しい幼馴染同士であったこともあり、王妃はわたしを実の娘のように可愛がってくれていた。もっともそれは、母ありきの愛情ではあるのだけれども。


 母が亡くなってからというもの、王妃の執着はいっそう強くなった気がする。それもこれも、わたしと母の見た目がよく似ているせいだろう。王妃は、母の忘れ形見であるわたしをそばに置きたくて仕方がないのだ。


 それでも、王妃がいてくれればあの灰色の結婚生活はもう少しましなものになったのかもしれない。残念ながら王妃は、わたしと王太子の結婚式を見届けてまもなく病のために亡くなってしまうのだ。王妃の死をきっかけに、王太子の横暴は爆発するようにひどくなった。


 暗い記憶を思い出しながら、王妃から贈られた謝罪の品々を眺める。華やかな貴金属や、花の刺繍が施された絹の生地、宝石があしらわれた靴――どれも若い娘のためにあつらえた品々だ。お金に物を言わせて、母の忘れ形見であるわたしを引き止めたいのだろう。


「王家からこれだけの気配りをいただいておきながら、突っぱねるわけにいかないことくらい愚かなお前でもわかるだろう。考え直しなさい」


 父の判断は、侯爵としてはまっとうなものかもしれない。結局婚約破棄の話は保留になってしまい、わたしは侯爵家から追い出されることもなく、学園にも通わなければならなくなった。思い描く自由への道のりは、存外遠いようだ。


 ……こうなれば、姿をくらませるしかないわ。


 魔術師に転移魔術をかけてもらうにも、馬車を乗り継いで遠くへ逃げるにも、多額のお金が必要だ。侯爵令嬢として貴金属などの価値のある品物は持っていても、自由になるお金はほとんどなかった。物を売れば足がつく。侯爵家と関わりのない資金源が必要だ。


「お姉さま、王妃さまからこんなに素敵なものをいただいたのですか? つけなくちゃもったいないです」


 甘えるようなアデルの声に、そういえば彼女が部屋に押しかけていたことを思い出す。王家から贈り物が届いたことを、アデルが見逃すはずがない。わたしが贈り物を確認するとほとんど同時に、アデルは普段滅多に立ち寄らないわたしの部屋を訪ねてきた。彼女の訪室を断るのも面倒で、招き入れて自由にさせていたのだ。

 

 アデルはわたしを無理やり鏡台の前に座らせると、華やかな首飾りをわたしの首の前に下げた。首飾りには、鮮やかでどこまでも透き通る美しい緑色の宝石が連なっていた。ペリドットとも違う、わたしの知らない貴重な宝石のようだ。おそらく、わたしの瞳の色と――母の瞳の色、と言い換えたほうがいいのかもしれないが――合わせて贈ってくれたのだろう。


「素敵ですけれど……お姉さまには、すこし華やかすぎるようにも思えますわ。お姉さまはもっと小ぶりなものでご自身のお美しさを引き立たせたほうがいいと思いますの」


 要は「お前には似合わないからわたしにちょうだい」という意味なのだろう。彼女と会話するだけで頭が痛くなるようだ。


「好きなものを持っていきなさい。それからもう、わたしにはそうやって取り繕わなくていいわ。お互いに疲れるだけでしょう」


 溜息混じりに告げると、一瞬だけ、アデルの笑みが消えた。


 瞬きの合間に見えた彼女の素顔は、氷のように恐ろしく冷たい印象を受けた。皮肉なことに、素顔のほうがわたしによく似ている。半分だが血が繋がった相手なのだと思い知らされるようだった。


「……では、お姉さまのお言葉に甘えて、宝石はいただいていきますわね」


 アデルは首飾りや指輪を素早く取り上げると、そそくさと部屋を出てった。アデルのことだ。あの小道具を利用して「お姉さまが王妃さまからの贈り物を捨てていたのを見た」とかいう具合にわたしを貶める茶番を始めるのだろう。


 一度目の人生のわたしはそれを恐れてアデルに何かを譲り渡すことを恐れていたが、今では大歓迎だ。ぜひともわたしを貶める茶番を始めてもらいたい。父からも王家からも見放されるのは大歓迎だ。そのぶん憧れの自由がぐっと近くなる。

 

 ……わたしはわたしで、準備を進めないとね。


 魔術薬の本の横に、いくつかの布袋を並べる。袋の中身は屋敷の貯蔵庫から持ってきた薬草類だ。母を死なせてしまってからというもの、魔術薬作りは細々と続ける程度だったが、久しぶりに本腰を入れるときがやってきたようだ。


 幸い、一度目の人生で城中の人間を殺す毒を作った知識を覚えているおかげで、すぐに調子を取り戻せそうだった。ひとまずは自分でつくった魔術薬を売って、逃亡生活の元手を用意しよう。


 ……そういえば、わたしを殺した大公は、今はどうしているのかしら。


 わたしが魔術学園に入学した年に戻ってきていることを考えると、あの破滅の夜から八年前に戻ってきたことになる。確か彼がちょうど、二十二歳という若さで大公の座を引き継ぐ年だ。


 ……顔を合わせることがなければいいけれど。


 彼自身は職責を全うしただけで何も悪くない上に、わたしをいたぶらずに殺してくれた清廉な人間だが、いちど自分の死のきっかけとなった相手だと思うとできれば顔を合わせたくなかった。もっとも、自由を手に入れられれば大公家なんて雲の上の存在になるのだから、余計な心配かもしれないが。


 古びた魔術薬の本をぱらぱらとめくると、幼いころ、お母さまのために魔術薬を作った日々が苦々しい思いと共に蘇った。実の母を死に追いやった原因を作ったと思えば魔術薬作りが嫌いになってもおかしくはないのに、細々とではあるが作り続けていたのは自分でも不思議に思う。


 きっと、単純に好きなのだ。熱中するほどではないが、少しずつでも続けていなければ気が済まない。厄介な趣味ともいうべきものだ。絵で食べていけないと知っても画家が筆を捨てられないように、わたしもまた魔術薬づくりをやめることはできないのだろう。


 ここが時間の巻き戻った世界だと知ってから前向きな衝動で心が躍ることはなかったが、ほんの少しだけ気持ちが弾むような気がした。


 今回の人生では、わたしは不幸な王妃にはならない。名もなき薬師として、自分の力で生きていくのだ。

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