第1話
それから数日。あれ以来アデルと鉢合わせることもなく、わたしは平穏な学園生活を送っていた。魔術具店のほうにも、あれ以来魔術薬の販売を希望する不審な問い合わせはないようだ。
アデルの妃教育も本格的に始まっているようなので、単純にわたしなどに構う時間がなくなったのかもしれないが、警戒するにこしたことはない。今ではオスカーが常に探知魔術を張り巡らせてアデルの位置を確認し、なるべく学園内で鉢合わせないように工夫してくれている。
「レア、次はどのようにすればいいですか?」
こぽこぽと湯が煮える小さな鍋を前にしたセシリアが、薬草を片手に小首をかしげる。その隣では、同じように小さな鍋に向き合ったオスカーが珍しく引き攣った表情を浮かべていた。
「レアさん、なんだか色が……想定していたものとは違う色になっているように思います。みていただけませんか」
薬草を刻んでいた手を止め、慌ててふたりの間に割り込む。
「セシリアはその持っている薬草を人差し指の先くらいだけちぎって入れてくれるかしら。オスカーは……ちょっと、残念だけれど、ここからはどうしようもないわね。でも、ここまでできただけで上出来だと思うわ。この薬草は煮出す際の温度が少しでも変わると変色してしまうの」
本来ならこうしてふたりに指導するのはヒース先生の役割だろうが、残念ながら今は学園長と話し合い中だ。なんでも魔術薬の実験中に、自身に与えられた教員室を半分吹き飛ばしたそうだ。「向こう一年くらい無給かも……」と青ざめた顔で呼び出されて行った。
ヒース先生には「簡単な傷薬の作り方でも教えておけ」と言われたので、こうしてわたしがふたりに指導している次第だった。ふたりとも真面目な性格だからかなりいいところまで魔術薬作りを進められている。最初は完成できないのは、想定内だった。
「魔術書をしっかり読み込んだつもりでいましたが、実際にやってみるとずいぶん複雑で難しいですね……」
結局セシリアの魔術薬も変色してしまい、今日の魔術薬作りはここまでとなった。三人で協力して、水や火の始末をする。
「レアさんの才能がいかに突出しているか、思い知らされましたよ」
「わたしからしてみれば、あんなに華麗に魔術を放てるふたりのほうがよほど才能に恵まれていると思うわ」
鍋を逆さまにして乾かしてから、小屋の中を見回す。三人で協力したおかげで、ずいぶん早く片付いた。
最後にもういちど火や水の始末を確認し、三人で小屋を出る。昼食を終えたあとの午後の授業は魔術史だった。薬師グリシナのことを知ってからはいくらか興味が湧くようになったが、眠くなる授業であることに変わりはない。それでもセシリアやオスカーが居眠りしているところが見たことがないから、ふたりは本当によくできた人間だと思う。
「……今度は睡眠薬じゃなくて、ずっと起きていられる魔術薬を作ってみたいわ」
「なんだか体に負担がかかりそうな魔術薬ですね。できてもレアは飲まないでください。兄さまに飲ませましょう」
セシリアがとんでもない提案をしている横で、不意にオスカーが足を止める。合わせてわたしたちも自然と立ち止まった。
「オスカー? どうしたの?」
「ヴェルローズ侯爵令嬢が食堂にいるようです。珍しいですね。いつもは東屋で過ごしているのに」
オスカーの探知魔術にアデルが引っかかったようだ。確かにアデルが食堂にいることは珍しい。普段は中庭のいちばん見晴らしがいい東屋を王太子とともに占拠して、そこに食事を運ばせているのだから。天気が悪いときはさすがに室内にいるようだが、そのときも王太子の権限に甘えて来客用の応接間を独占しているらしい。
「それなら、ふたりで行ってきて。アデルも、ふたりでいるところに何かしてくるほどの愚か者ではないはずよ」
わたしがいればまず間違いなく絡んでくるだろうが、大公家の令嬢と第二王子を相手に堂々と無礼を働くとは思えない。それに、このところわたしたちの姿はアデルたちに目撃されないようにしていたから、うまくいけばふたりはわたしと行動を別にするようになったのだと思い込ませることができるだろう。
「レア、またそうやってひとりになろうとするのですか? 怒りますよ」
セシリアがわずかに唇を尖らせてわたしの目の前に回り込んだ。怒っていても、セシリアの美しさはすこしも損なわれていない。おそらく彼女が本気で怒ったときはもっと冷ややかな表情をするだろうから、これは可愛いものだった。
「違うのよ、ちょっと図書室で調べたいものがあるの。ついでに、ヒース先生の処遇がどうなったのか聞いてくるわ」
もともとセシリアたちが編入してくる前は、昼食を取らないことが多かったのだ。空腹には慣れている。
「では、学園を追放されることになるなら王城で雇います、と先生にお伝えください」
オスカーはさらりと告げた。王立魔術学園の教師から王城勤めの魔術薬師になるなんて、栄転といってもいいだろう。
「殿下、下手に雇うと王城を半分吹き飛ばされるかもしれませんよ」
セシリアがまっとうな進言をする。本当にその通りだ。だが、オスカーは穏やかな微笑みを崩さず告げた。
「それでも、薬も毒も作れる人間が身内にいたほうが何かと便利ですから」
さらりと不吉なことを言う王子さまだ。だが、このくらいの腹黒さがなければ王城では到底生き延びられないだろう。
「学園追放になんてなっていないことを祈るけれど、そうね、伝えておくわ」
ヒース先生の性格からして、王城勤めを喜びそうにはとても思えないが、無職になるよりはいいだろう。
セシリアは渋々といった様子でわたしと別れることを了承してくれたようで、それからすぐにわたしはひとりでヒース先生の教員室へ向かった。昼食時は皆食堂や中庭に出るので、校舎内はいくらか空いている。
ヒース先生の教員室は、扉も吹き飛ばされてしまったようで、ノックする場所がなかった。半壊した部屋の中で、しょんぼりしながら何かを拾い集めている先生の姿が見える。
「先生……? ヴェルローズです。入っても?」
「あ? ああ……いいぞ」
瓦礫をなるべく踏まないように足を進める場所を選びながら部屋の中に入る。一見被害がなさそうな場所にも本やら小瓶やらが散乱していて、もともとかなり乱雑な状態でものが置かれていた部屋だったことはすぐに推測できた。
「学園長からの呼び出しはどうでしたか?」
「向こう半年減給だって……。酒屋に行けなくなっちゃうよ……プリムラちゃんに会えない……」
本気で涙目になりながら、先生は体を縮めて瓦礫の中から何かを拾い上げていた。比較的無事な書き付けや、薬草の袋のようだ。
「手伝います」
「いや、いいっていいって。危ないし。あとで他の教師たちが治しにきてくれるから、必要なものを拾ってるだけなんだよ」
はあ、と大袈裟な程深いため息をつく先生は、ひとまわり小さくなったように見える。かなりの打撃を受けているらしい。
「いったいどんな実験をしていたんですか?」
「別に、いつも通りだよ。魔術薬の効率的な作り方を模索していた。危ないことはしていないはずなんだけどなあ……」
拾い上げた書き付けや薬草を無事な机の上に集め、先生は椅子にもたれかかった。放っておくと再び書き付けが飛んでいきそうで、床に落ちていた小瓶を上に乗せて押さえておく。
「でも、学園追放にならずに済んでよかったですね。オスカー殿下が、もしも追放されたら王城で雇うっていっていましたよ」
「え? やだよ、絶対。変な毒とか作らされるだろ」
セシリアたちはまだ魔術薬学の授業に数回しか参加していないはずだが、先生はオスカーの腹黒さに気づいていたらしい。
「否定はしていませんでしたね」
「ほらあ……」
先生は不服そうにぶつぶつと文句を言っていた。こういう姿はいつもどおりで、少し安心する。
「なんにせよ、部屋が半壊するような事故で先生に怪我がなくてよかったです」
一歩間違えれば、吹き飛んでいたのは部屋ではなく先生の腕や体だったかもしれない。そう思えば不幸中の幸だ。
「本当だよな……うっかり薬草をひとつ忘れてその場を離れたから難を逃れただけで、あと一瞬でも止まっていたら危なかった」
そこまで言ってからふと、先生はわたしが書き付けの上に載せた小瓶に目を止め、ふいに手に取った。小瓶を傾けると、とろりとした透明な液体が瓶の中を流れるのがわかる。
「ヴェルローズ、これ……」
「ああ……書き付けが飛びそうだったので、文鎮がわりにしました。大切なものでしたか? 床に落ちてましたよ」
先生は姿勢を正して、まじまじと小瓶の中身を眺めた。興味をそそられているというよりは、どこか怪訝そうな顔だ。
「そうか……ちょっと調べることができたから、外してくれるか。明日からの授業は予定通りするから」
「ええ……わかりました」
先生の眼中には手にしている小瓶しかないようだった。たまに何かを思いついたりするとこんなふうに上の空で語りかけられることがあるから、珍しいことではない。
「では、失礼します」
閉める扉もないので、軽く頭を下げて部屋を後にする。セシリアたちには図書室に行くと言っていたが、目指すのは空いている講義室だ。




