第4話
それから数日後、わたしはシェレル城の中庭で一通の手紙に目を通していた。これはわたしが魔術薬を納品している魔術具店の老夫婦からの手紙だ。
『レアさんの希望通り、魔術薬の転売を禁止、新たな顧客へは紹介制で販売することにしました。その直後に、身なりのいい男が魔術薬を売るように店へやってきましたが、紹介制で販売していることを伝えるとあっさり引き下がっていきました』
……やっぱり、来たわね。
そっと手紙をたたみ、制服のポケットにしまう。アデルの動きを阻止できたことをほくそ笑む気持ちと、手を打っておいてよかったという安心感が入り混じった不思議な心地だった。
アデルの性格の悪さからして、わたしが魔術薬に生きがいを見出していることを彼女は面白く思っていないはずだ。わたしがアデルの立場なら、魔術薬に何か細工をして死者を出す。それが一番手っ取り早くわたしを絶望させる方法であり、さらにうまくいけば魔術薬の製作者であるわたしを投獄できるかもしれない旨みのある策だ。
だから、アデルや彼女の息がかかった者にわたしの魔術薬を手に入れられないようにした。わたしの魔術薬を手に入れられるとすれば街にある魔術具店からだから、紹介制にして購入者の足跡を辿りやすくしたのだ。
いずれ王太子妃となるアデルは、わずかでも足が残りそうなことは厭うはずだ。自分の利益に直結しない嫌がらせはしても、自分が脅かされるような危険を犯してまでわたしを貶めようとはしない。アデルはそういう子だった。
しばらく店の魔術薬の販売は紹介制を続けるとして、アデルが次に仕掛けてくることはなんだろう。わたしがアデルの立場だったら、と中庭の花々を眺めながら考えを巡らせた。
そのときふと足もとに何かが擦り寄ってくるのを感じて、視線を伏せる。いつの間にかベンチに座るわたしの足もとにジゼルがいた。餌をたっぷり与えられているせいか、日に日に大きく丸くなっている気がする。そのうちマダム・レアと見分けがつかなくなってしまいそうだ。
ジゼルをそっと両手で抱き上げて、膝の上に下ろした。人懐っこいジゼルはおとなしくわたしの膝の上で丸くなり、ごろごろと喉を鳴らした。ジゼルのふわふわの毛並みを撫でていると、アデルのことを考えて荒んでいた気持ちがすこしだけ鎮まるようだ。
「レア、こんなところにいたのですね」
制服から身軽なワンピース姿に着替えたらしいセシリアが、背後からわたしの顔を覗き込んでくる。白銀の髪が、陽光に透けてきらきらと輝いていた。
「セシリア」
「ジゼルはすっかりレアに懐いていますね。妬けてしまうくらいです」
セシリアはわたしの隣に座りながら、そっとジゼルのふわふわの毛並みを撫でた。穏やかな時間だ。
セシリアとオスカーは結局、あれ以降も「ヴェルローズの毒魔女」について深掘りすることはなかった。ひょっとすると個人的に調べているかもしれないが、すくなくともわたしの前で話題に出すことはなく、今まで通り接してくれている。そんなふたりが、大好きだった。
「あのね……セシリア、相談があるの」
花の甘い香りが混じった柔らかな風を受けながら、セシリアのほうは見ずに告げる。直接見ていなくても、彼女が身を乗り出すようにしてわたしの話に耳を傾けてくれているのがわかった。
「なんでしょう?」
「やっぱり……学園ではわたしたち、距離を置きましょう。魔術薬学の授業も、実技に戻してもらったほうがいいわ」
一瞬の沈黙を埋めるように、ジゼルがにゃあと鳴いた。彼女の反応を待つ時間は妙に緊張してしまった、つい、ジゼルを撫でる手が早くなる。
「理由を伺ってもいいですか?」
セシリアは、声色ひとつ変えずに至って冷静に問い返してきた。おずおずと彼女の表情を伺うと、やはりいつも通りの涼しげな微笑みを浮かべている。
「わたしと……妹が仲良くないのはこの間のことで察したでしょう。妹は、わたしを不幸にするためならなんだってするの。ひょっとすると、わたしを傷つけるためだけに、あなたやオスカーに何かをするかもしれない」
昔からアデルはわたしのお気に入りの人形を壊したり、お母さまの形見の手鏡をわたしの目の前で割ってみせたりしていたのだ。その対象が、セシリアやオスカーになってもおかしくない。流石のアデルも大公家の息女と第二王子を相手に滅多なことはしないだろうが、嫌がらせ程度のことなら画策するかもしれない。大事な友人たちには、嫌な思いをしてほしくなかった。
「それで、わたくしたちを守るために距離を取ろうということですか?」
さすがセシリアは話が早い。改めて口にされるとなんとも情けないが、魔術もろくに使えないわたしが張れる予防線はこのくらいしか思いつかなかった。
「愚かなことを、って思うわよね。……この城では、今まで通り仲良くしてほしいわ。あくまで学園でだけの話よ」
弁解を交えて誤魔化すように微笑むと、ふいにセシリアの細い両手がわたしの頬を挟んだ。いつか、アルバートにされたのとよく似た仕草だ。頬を挟まれているせいで、唇が飛び出してうまく話せない。
「はい、愚かだと思いました。わたくしたちを守るためにわたくしたちを遠ざけていては……それこそ、あの女の思うつぼではありませんか」
いつでも丁寧な言葉遣いのセシリアから「あの女」なんて言葉が飛び出したことには驚いてしまう。思わず目を見開いていると、セシリアは涼しげな表情のまま続けた。
「レアがそこまで心配することはありません。わたくしもオスカー殿下も、あの女より強いですから。わたくしたちに何かしてこようものなら、返り討ちにして差し上げます」
「返り討ち、って……」
唇をうまく動かせないせいでもごもごと喋っていると、セシリアは小さく吹き出すように笑った。
「ふふ、レア、そのお顔とても可愛らしいですよ」
そう言って笑みを深めるセシリアこそ、直視できないほどの美しさだった。普段から間違いなく美人だが、笑うといっそう魅力的だ。オスカーは、すでにこの笑みを見たのだろうか。
「離して……セシリア」
なんだか照れくさくて、もごもごとしながらセシリアの手から逃れようとするも、思いのほか力が強くてうまくいかない。セシリアは美しく微笑んだまま、涼やかに告げた。
「わたくしたちと距離をとる、という発言を撤回してくださるなら、そういたします」
「わ……わかった、わかったわ」
セシリアにここまで言われてしまえば、わたしが引くほかない。彼女は意外に強情なのだ。
ようやくセシリアの手から解放され、両頬をもみほぐす。痛くはないが、大好きなひとたちに触れられた箇所はいつもくすぐったい。
膝の上ではジゼルが何ごともなかったかのように戯れついていた。そっと毛並みを撫でてやりながら、セシリアの表情を伺う。セシリアは、いつもより柔らかなまなざしでわたしを眺めていた。
「レア、困ったことがあったらひとりで抱え込まないでください。あなたはわたくしのいちばんの友人で……勝手ながら家族のようなものと思っているのですから」
……家族?
セシリアがそこまでわたしを慕わしく思ってくれているだなんて思わなかった。真っ当な家族の形を知らないわたしにとっては、夢のような言葉だ。
「嬉しいわ……あなたと本当に家族だったら、どんなに幸せかしら」
一緒に暮らしているのだから生活自体は変わらないだろうが、アルバートやセシリアのいるこの家を自分の家だと思うだけで心が軽くなる気がする。
「じゃあ、ぼくたちと家族になる? レア」
ふいに大きな影に包まれたかと思うと、マダム・レアを抱き抱えたアルバートがいつの間にかベンチの後ろに立っていた。彼らはわたしの気配に敏感だというのに、わたしはなかなかふたりの登場に気付けないのが悔しい。
アルバートはいつもよりさらに甘い微笑みを浮かべて、じっとわたしを見下ろしていた。
セシリアが、私たちの様子を見比べながらなぜか隣で息を呑む。こんなに緊張しているセシリアは珍しい。
「嬉しいけれど、あなたをお兄さまと呼ぶのは今更恥ずかしいわね」
一度目の人生のわたしの護衛騎士であり、今では大切な友人である彼を、今更そう呼ぶのはなんだか憚られる。
その思いを素直に伝えたのだが、アルバートはわずかに視線を逸らしながら小さく息をついていた。
「そう言うと思った。はっきり言えないぼくが悪い……」
落ち込んだ様子のアルバートは、なんだかひとまわり小さく見える。セシリアが、そんな彼をまるで励ますようにぽんぽんと軽く叩いていた。
「兄さま、わたくしは兄さまの努力を見届けました」
珍しくセシリアがアルバートの肩を持つような発言をしたかと思えば、セシリアはふいにわたしの手を両手で包み込んできた。
「レア、今度の休日には観劇に参りましょう。今は姫と騎士の運命の恋を題材にしたお話を上演しているのです。女性に大人気なのですよ」
「え、ええ……ぜひ観てみたいけれど、急にどうしたの……?」
「あなたには、友人や家族以外の愛のかたちを学んでいただくべきだと思いまして」
つまり、恋慕の情ということだろうか。確かに一度目の人生を通しても無縁な感情だ。
一度目の人生では王太子をアデルに取られまいと必死になっていたけれど、あれはアデルに負けたくない、自分の居場所を奪われたくないという気持ちで王太子に執着していただけで、彼に恋をしていた瞬間は一瞬もなかった。
わたしの身近にある恋慕の情に最も近しいものがあったとすれば、王妃からわたしの母へのあの執着じみた好意だろうか。あれを参考にするのはさすがにまずいだろうことはわたしでもわかる。セシリアの勧めには従うべきだ。
「じゃあ、第二王子も誘って四人で行こうか」
「彼は……別にいてもいなくてもいいのですが」
セシリアは表情ひとつ変えずにさらりとつれないことを言う。オスカーが聞いたら流石に傷つきそうだが、アルバートが「第二王子」というたびに嫌な顔をしていたときを思い出せば、かなりの進歩かもしれない。
「セシリアがいやじゃなければぜひそうしましょう。四人で行けるなんて楽しそうだわ」
アデルの登場で沈んでいた気分が、跳ね上がるのがわかる、流行りの演目ならアデルはすでに観劇しているだろうから、鉢合わせることもないだろう。
「わかりました。明日にでも予定を合わせましょう」
「頼んだよ、セシリア」
ふたりの横顔を眺めながら、そっとジゼルを抱きしめる。温かい。ずっとこうしていられたらいい。この幸福を守り続けることができるのなら、他に何もいらないと思うほどに、わたしは彼らが大好きだった。




