第3話
「ヴェルローズ、次はこの七番の薬草をひとつまみ入れるんだ」
「はい」
それから数日、わたしはヒース先生のもとで魔術薬学を学んでいた。授業の場はもっぱら私が作業場にしていた薬草小屋で、常に実験と魔術薬作りを伴う実践的なものだった。今は、睡眠薬として使われる魔術薬作りに勤しんでいた。
「こうすることで、より少ない材料で睡眠薬を作ることができる。きみのやり方も間違いではないが……まあ、言い方はあれだけど古いな」
確かに私が愛用しているこの魔術書は古い。百年も前に書かれたものだ。だが、魔術の天才、魔術師アルシュの登場以降、魔術薬学はほぼ進歩していないため、この本も魔術薬学の中では新しい部類に入ると思っていたが、違ったらしい。
「勉強になります。新しい知識が記載されている本があるなら、ぜひ紹介してください」
「え……いや、本にはしてない。だって面倒じゃん……」
先生は気だるげにあくびをしながら、ぐつぐつと煮える薬草を眺めていた。さらりと告げたが、この新しい魔術薬の作り方は先生が開発したということなのだろうか。
「……睡眠薬以外にも、効率的な作り方を開発しているんですか?」
「まあ……一通りは……」
……王立魔術学園の教師でありながら、新しい発見を報告もせずにいるなんて。
面倒くさがりもここまでくると重症だ。わたしが先生の立場なら喜んで本にまとめるように思うが、ずいぶん違う価値観で生きているようだ。
先生はちらりとわたしと横目で見ると、慌てたように弁明を始めた。
「いや、だって、魔術薬学なんて流行らないし、そんな本出してもきみくらいしか喜ばないだろ。きみには全部教えてあげるからさあ……。むしろこのほうがかっこよくない? 師匠から弟子への口伝、みたいな! 特別感があるし」
「新たな発見の公表を怠っていること、兄に報告しておきましょうか、ヒース先生」
ふと、薬草棚のほうから可憐な声が聞こえてくる。セシリアだ。隣にはオスカーの姿もあった。
「ちょっと、大公家の令嬢さん、それはないんじゃないか? 大公を出してくるのは卑怯だって。ヴェルローズを見習えよ。大公のお気に入りだってのに、脅迫まがいな真似はせずに素直に教えられてるぞ?」
先生はわたしの肩を叩きながら、必死に抵抗していた。この中の誰より年上なのに、いちばん情けない。
「それに、だいたいなんできみたちがここにいるんだよ。今は魔術実技の時間だろ? 攻撃魔術でもなんでも外でぶっ放してこいよ」
「ぼくたちが実技の時間に学ぶことはなさそうでしたから、学園長に志願して実技の代わりに魔術薬学を聴講することにしたのです」
オスカーが丁寧に説明してくれる。彼の魔術はまだ直接見たことはないが、王族なだけあって相当な実力者なのだろう。
セシリアに至ってはいうまでもない。的を砂のように粉々にしていた様子からして、たしかにあの授業はセシリアにとっては退屈なものになりそうだ。
「魔術が使えないおれたちに向かって嫌味な奴らだな。薬草の見分けもつかないくせに」
「仕分けをしているうちにすこしずつわかるようになりました。先生のご指導は的確でたすかります」
セシリアは涼しげな笑みを見せて、先生の悪態を受け流していた。オスカーも同様だ。常に丁寧な言葉を使い、涼やかな空気を纏っていて、表情ひとつ崩さずにどんな場面も潜り抜ける。ふたりをよく知らないひとからすれば、何を考えているのかわからなくて不気味に見えるかもしれないが、それを含めて社交術に長けていると言っていいだろう。
そしてそんなふたりは、どうやら先生の苦手な類の人間のようだった。出世も名声も眼中にない薬草を煮ているだけの引きこもりとは確かに真逆の人間だろう。
「ふん、いつまで続くか見ものだな。いつでも実技に戻ってくれていいぜ」
捨て台詞のような言葉を吐いて、先生は再び薬草を煮る窯の液面を見つめた。そんな先生の様子をセシリアとオスカーは微笑ましく見つめている。
……本当に、誰が年上なのかわからなくなるわ。
先生には悪いが、わたしはこの空間が好きだった。友人と一緒に好きな授業を受けられるなんてこんなに嬉しいことはない。欲を言えば、この空間にアルバートもいてくれれば何も言うことはないのだが。
そこまで考えて、はっとする。わたしは何を考えているのだろう。
……わたし、自分で考えているよりもアルバートのことを好ましく思っているのね。
「ここにいてくれたらいいのに」と思うような相手なんて、今までひとりもいなかった。そういう意味では、アルバートは友だちの中でも特別な存在なのかもしれない。
先生の指導のもと、鎮痛作用のある魔術薬を何本か作り終え、鞄にしまう。これは私の取り分だと言われたので、大公家に納めるつもりだった。
先生に言われた方法でなら、一日に今までの倍は作ることができそうだ。店に納品する魔術薬の価格を下げることもできるかもしれない。
学園に設置された聖堂の鐘が鳴る。正午を知らせる鐘で、午前の授業の終了の合図でもあった。
先生とともに火と水の始末を終え、薬草小屋を出る。セシリアとオスカーは魔術で火と水の始末を手伝おうとしてくれたが、先生は頑なに断った。彼らによほど頼りたくないらしい。ここまでくると頑固な職人みたいだ。
「じゃあな、ヴェルローズ。しっかり復習しとけよ」
「はい、ありがとうございました。先生」
小屋の出口で先生とは別れた。昼食も食べずに部屋に籠るつもりらしい。
「わたくしたちは食堂へ向かいましょうか」
「そうね、そうしましょう」
いつもの三人で食堂へ向かおうとしたそのとき、ふとこちらに近づいてくる影があることに気がついた。ストロベリーブロンドの髪が、ゆらゆらと揺れている。
「ごきげんよう、お姉さま。ずいぶん楽しそうですね」
アデルだ。珍しく今日は王太子も取り巻きの姿も見当たらない。ひとりでここまで来たようだった。
「セシリアさまもオスカー殿下もごきげんいかが? お姉さまと仲良くしてくださって、妹として嬉しく思います」
相変わらずセシリアもオスカーも表情ひとつ変えない。ころころと表情を変えて王太子を揺さぶるアデルとは正反対だ。
「ごきげんよう、ヴェルローズ侯爵令嬢。わたくしはあなたに名前で呼ばれるほど親しくなった記憶はありません」
「あら、つれないんですね」
アデルはくすくすと笑うと、愉悦の混じった視線でわたしたちを見比べた。相変わらず、不気味なほどにべたっとした水色の瞳だ。
「用がなければ失礼するわ。ごきげんよう、アデル」
これ以上この場に止まってもろくなことは起こらないだろう。セシリアとオスカーを急かすようにして歩き出し、アデルの横を通り過ぎる。
「おふたりはご存じなのかしら――?」
アデルの声は、外でも不思議とよく通る。嫌な予感しかしない。耳を塞ぎたくなるような衝動に駆られたが、自分だけ聞こえなくなったところでふたりに聞こえてしまったら意味がない。
アデルは甘くまとわりつくような声で、わたしをいたぶるように続けた。
「――お姉さまが、ヴェルローズの毒魔女だってこと」
どくり、と心臓が大袈裟に揺れ動く。胃の奥が、きりきりと痛んだ。涼しげな笑みを貼り付けていたセシリアとオスカーが、わずかに反応するのがわかる。とっくにこんな悪名は聞き及んでいると思っていたが、初耳だったのかもしれない。
これ以上アデルの言葉を聞かせたくなくて、ふたりの背中を押して急かした。
「行きましょう、ふたりとも」
多少よろけながら、ふたりともわたしに押されるようにして足を進めてくれる。背後から、そんなわたしを嘲るような笑い声が響いた。
「ふふ、セシリアさま! オスカーさま! お姉さまが嫌になったらいつでもわたしたちの仲間に入れて差し上げますからねえ!」
アデルの笑い声は、どれだけ離れても頭の中で響き渡っていた。侯爵家から追い出され、王太子と鉢合わせる機会も減って、彼女からも解放されたと思っていたのに考えが甘かったようだ。
食堂のそばまで来てようやく、セシリアとオスカーは歩く速度を緩め、わたしを振り返った。いつもは嬉しいふたりの視線が、肌に突き刺さるような気がした。ふたりがどんな顔をしているのか、まっすぐに見られない。
「あの……今のは……」
なんか言い訳をしようにも、言葉が出てこなかった。失うものなんてないと思っていたときはどんな言葉も滑らかに出てきたのに、大切なひとたちとの出会いがわたしを臆病にさせている。
「レア、今日の昼食は何にいたします? 今日はスープの種類を選べるようですよ」
「時間があるし、いつもよりデザートを多めにしてもいいかもしれませんね」
セシリアもオスカーも、まるで何ごともなかったかのように昼食の話題を振ってくれた。アデルの言葉が聞こえていないはずもないのに、ふたりは触れないでいてくれることにしたらしい。
けれど、いつまでもつだろう。いつかは必ず彼らもわたしが毒魔女と呼ばれるようになった所以を耳にするはずだ。
「ごめんなさい……今日はわたし、昼食は遠慮するわ。ふたりで食べてきて」
ふたりの気遣いをふいにする行いだとわかっていても、何も喉を通りそうになかった。昼食どきの人混みに紛れるようにして、ふたりから距離を取る。
わたしが通るだけで、生徒たちは次々に道を開けていった。この黒髪は、みんなの中には溶け込めない。友だちができて、わたしと同じ境遇の先生に出会えても、わたしは何も変わっていなかった。
人気のない廊下までどうにか逃げ出して、壁に背をつける。こんなことで泣きたくはない。泣けば、アデルの思うつぼだ。彼女はきっと、わたしの不幸を願っているのだから。
二度目の人生が始まったばかりのころは、こんなときにわたしが作った毒で死んだアデルの顔を思い出せばいくらか胸が空いたものだが、今は余計に気分が重くなるばかりだ。
お母さまのこと、毒で満ちた城のこと、王太子とアデルの死に顔、わたしの心の中には、いつでもわたしをどろどろとした澱の奥深くまで沈めようとする鎖が張り巡らされている。己の醜さを思い知らされているようだ。
……アルバート。
一度目の人生の終わりぎわに見た、アルバートの剣の銀の光が蘇る。鮮烈な痛みとともにわたしを解き放ってくれたあの輝きだけが、わたしの一度目の人生で見つけた清廉なものだった。
あの鋭い輝きを必死に思い出していると、ほんのすこしだけ心の翳りが打ち払われるような気がする。もやもやとした霧がわずかに晴れた場所には、アルバートやセシリアへの愛しさが静かに脈打っていた。まだ見つけたばかりで心に刻み込まれてはいないけれど、これだってわたしが自分で手に入れた大切なものだ。
落ち込んでいる暇があったら、この愛しさを堂々と心に住まわせておけるように努力すべきだ。アデルになど、壊されてたまるものか。
……わたしがアデルの立場だったら、どうするかしら。
アデルは確実にわたしが不幸になることを望んでいる。たとえ己の利益に直結しなくても、彼女はわたしが苦しんでいるのを見られればそれでいいのだ。我が異母妹ながら本当にいい性格をしている。
今日わざわざ学園の隅の薬草小屋まで足を運んだのも、王太子との婚約で浮かれていた気持ちが一段落して、退屈してきたからなのだろう。そこでわたしを思い出して、追い詰めて遊んでやろうと思ったに違いない。
……まあ、手っ取り早いのはこれよね。
先ほど作ったばかりの魔術薬を、鞄越しにそっと撫でる。殺したぶんは救いたい、という密かな願望を遅らせることになってしまうが、仕方がない。アデルの性格上、思いついたらすぐに実行したがるだろうから、それほど長期戦にはならないはずだ。
早速今日の夕方にでも、店に顔を出そう。打てる手は早めに打っておいたほうがいい。二度目の人生を歩むわたしはもう、アデルのいいように踊らされる愚かな姉ではないのだと思い知らせてやらなければ。




