第1話
それからというもの、学園ではわたしはほとんどの時間をセシリアとオスカーと過ごすようになっていた。セシリアがオスカーの求婚を受け入れている様子はないが、どうやら言葉の辛辣さほどには彼の存在を嫌がってはいないようだ。
実際、オスカーは紳士で、話しやすい相手だった。王太子派閥へのよい牽制にもなってくれている。彼がいてくれるおかげで、王太子に絡まれることはぐっと減ったのだ。セシリアもそこは大きく評価しているらしい。
すっかりわたしたちの定位置となった食堂の一番西側のテーブルで、今日も三人で昼食をとる。メニューは軽いコース仕立てになっているので、いつも小一時間はここで語りあうのだ。ほとんどが他愛もない話ばかりだが、友人というものが今までいなかったわたしにとってはいまだに新鮮な時間だった。
「そういえば、このあいだ王国魔術師団が王都周辺に出た魔獣討伐に行きましたね。大公が自分の何倍もある魔獣の頭を手土産に報告に来てくれましたよ」
食後の紅茶が注がれるのを眺めながら、オスカーが何気なく切り出す。三人でいるとき、彼はいつも、わたしとセシリアふたりともが興味を持つような話題しかしない。口説きたいのはセシリアひとりだろうに、わたしがのけものにならないように気を配ってくれているところは紳士としか言いようがなかった。
「血まみれの外套で城内を彷徨いていた日ですね。わたくしには魔獣の爪をくれましたが、用途がまるでわかりません」
優雅にティーカップを口に運びながら、セシリアはため息をつく。本当に困惑している顔だ。たしかに、令嬢がそんな生々しいものを直接渡されても使い道に困るかもしれない。
「うまく加工すれば装飾品になるかもしれないわ。あるいは、お守りのような意味があるのかも」
それに、ものによっては魔術薬の原料になるかもしれない。後で調べさせてもらおう。
「それなら加工して渡してほしいものです。兄さまの気遣いはレアにしか向けられないようで困ります」
セシリアは悩ましげなため息をついて、再びティーカップに口をつける。こういう表情も怖いくらいに絵になるひとだ。
「レアさんは? 何をもらったんですか」
近ごろセシリアのことだけでなくわたしのことも名前で呼ぶようになったオスカーは、何気なくわたしに話題を振ってきた。
「わたしは、特に何も」
アルバートとは毎日顔を合わせているが、そもそも魔獣討伐に出かけたことも今知ったばかりだ。もちろん何かをもらった記憶もない。
「大公がレアさんになにも用意しないことがあるでしょうか?」
首を傾げるオスカーが、言ったそばからぎくりとしたように表情を歪める。セシリアが、初対面のころを思い出すほど鋭いまなざしでオスカーを睨みつけていたのだ。
「オスカー殿下は、気が利くと思っていたのに案外鈍いひとですね。……この話題はおしまいです」
すました顔で紅茶を飲み干すセシリアに倣って、わたしもティーカップに口をつける。別にわたしにだけ贈り物がないからといって拗ねたりしないのに、セシリアは優しいひとだ。
食堂の置き時計が、昼過ぎを指して鐘を鳴らした。まもなく午後の講義が始まる時間だ。わたしたちの学年はたしか、魔術の実技訓練の時間だ。つまりわたしには無縁の講義だった。
「そろそろ移動しましょうか。レアさんは、魔術薬作りですか?」
実技の時間はわたしが講義をさぼって薬草小屋に籠っていることはセシリアもオスカーも知っている。
「ええ、薬草も持ってきているの」
とはいえ、ついこの間店に魔術薬を納品したばかりなので、今日はアルバートとセシリアに贈る香り袋を作ろうと思っていた。ついでにオスカーにもあげてもいいかもしれない。
「レア、終わったらすぐに合流しましょう。いつもの場所で待っていますから」
いつもの場所とは、実技訓練場から程近い、薔薇のアーチがある場所だ。わたしたち三人の集合場所だった。
「ええ、ふたりとも頑張ってね」
ふたりと先に送り出し、わたしはまだ残っている紅茶を最後まで楽しんでからいくことにした。ふたりと違って時間の制限がないぶん、気楽なものだ。
すっかり人気がなくなったころ、ようやく紅茶を飲み終えたわたしは魔術薬の本と薬草が詰まった鞄を片手に食堂をでた。いつもは小瓶が入っている場所には、今日は香り袋を作るための布と紐が入っている。刺繍は得意だから、袋には大公家の家紋をあしらうつもりでいた。オスカーには王家の紋章のほうがいいだろうか。
ぼんやりとそんなことを考えながら食堂を出て連絡通路を歩いていると、早速実技訓練を始める同級生たちの姿が見えた。学園に合格しただけあって、皆安定して強力な魔力を放っている。今日は遠くにある魔獣型の的をひとりずつ倒していく訓練のようだ。
偶然にもちょうどアデルの番のようで、彼女が生徒たちの最前列に立っている。アデルは的に向かって手を翳したかと思うと、白く輝く光を放った。
あれは治癒魔術を応用したヴェルローズ侯爵家お得意の攻撃魔術だ。対象に過度な治癒を施し、強力な治癒魔術に耐えられなくなった細胞が破壊されるという、ある意味では治癒魔術師らしい攻撃魔術だ。あれをひとにかけると肉が溶けるらしいが、木製の的は粉々に飛び散るだけで済んでいた。基本的にあれは生きているものにかける攻撃魔術だから、このくらいの威力に留まったのだろう。だが、目的はじゅうぶんに達成されている。
アデルは、生徒たちからの賞賛を一身に受けていた。王太子は上級生だからこの場にいないが、もしここにいればきっとアデルは彼に満面の笑みで駆け寄っていただろう。
悔しいが、魔術という領域においてアデルは光り輝いていた。半分とはいえ同じ血を持つ相手だというのに、わたしとはまるで比べ物にならないほど立派な魔術師だ。
すぐに的が立て替えられ。次の生徒の番が来る。どうやら次はセシリアのようだ。
窓越しにも、生徒たちの空気が張り詰める様子がわかった。すでにセシリアは実技訓練に何度か参加しているから、実力は十分に知れ渡っているはずだ。
アルバートの魔術は何度か見かけたことがあるが、セシリアの魔術はまだ見たことがない。思わず窓を開け、わたしも訓練場の生徒たちと同じ思いでセシリアの魔術を見守った。
その瞬間、ぱっと薄紫の光が走ったかと思うと、次の瞬間には的が跡形もなく消え去っていた。いや、よく見れば的があった場所には、砂の山のようなものができている。あれが、的の残骸なのだろう。
もしもあれが人間相手だったら、ひとたまりもない。貧弱ながらも魔力を持っている人間としては、本能的な恐怖を感じた。
……素晴らしい魔術だわ。
セシリアはきっと、アルバートに次ぐ有名な魔術師になるのだろう。表情ひとつ変えずに涼しげな顔でやりとげたセシリアは、才能に光り輝いていた。
友人のそんな姿を誇らしく思うと同時に、心の奥底にどろりと黒いものが流れていくのが感じる。以前ほどではないけれど、それはまるで溶岩のような熱を帯びて胸の奥を焼きながら流れていくような気がした。
彼女たちを見ていると、やはりわたしは魔術師の端くれとも呼べないような存在なのだと思い知らされる。もう気にしていないつもりでいたが、一度目の人生で刷り込まれた劣等感はなかなか消えてくれなかった。
醜い感情の揺らぎに耐えていると、ふと、セシリアがこちらに向かって手を振っているのがわかった。ここから訓練場まではずいぶんな距離があるのに、驚いた。アルバートもわたしの気配に敏感だが、セシリアも同様らしい。
晴れやかとは言い難い気持ちのまま、弱々しく手を振りかえす。久しぶりに、惨めさを味わっていた。
「みんな得意げに魔術ぶっ放しちゃって、嫌になるね」
隣から低く気だるげな声が聞こえて、はっとする。いつの間にかわたしのそばには、見慣れぬ男性の姿があった。歳は三十代前半くらいだろうか。黒髪には、髪質だけでは説明できないような寝癖がついている。下顎には無精髭が生えていた。貴族の子女が通う学園にふさわしくないなりをしているが、彼が羽織っている外套は教員たちが纏っているものと同じ深緑だ。
……でも、こんな先生見たことがないわ。
一度目の人生の記憶を合わせても、心当たりがない。警戒心を強めながら男の次の行動を見守っていると、彼は拍子抜けするほど呑気にあくびをした。
「きみだよね、大公さまのお気に入り」
「え?」
「学園長から言われちゃったんだ。魔術実技の時間は、きみに魔術薬学を教えろって。もう廃止されたも同然の講義なのにさあ……断ったら解雇だっていうんだよ。さすがにそれはさあ……」
はあ、と大きなため息をついて、男はわたしを横目で見つめた。わたしと似た、緑色の瞳をしている。
「どうして、学園長がそんなことを……」
一度目の人生ではこんなことはなかった。学園長もわたしが魔術を使いこなせず、実技の時間は見学していることを知っていたはずだが、特に代替の講義などは提案されたことがない。
「決まってるだろ、理事の……ティアベル大公の圧力だよ」
……アルバートが?
そんな話は彼から聞いていない。ひょっとして、わたしを驚かせるために内緒にしていたのだろうか。
どうやら魔術薬学の講師らしい男は、再びため息をついて開け放った窓枠に肘をついた。吹き込んだぬるい風が、男性にしては長めの癖のある髪を揺らす。
「きみ、大公になにか圧力かけたんだろ。魔術薬なんて古臭いもの、大して学びたくないだろうになんでこんなことするかね……。お互いのためにやめにしない? きみからうまく言っといていよ」
じゃあ、おれ言ったからね、と気だるげに告げて男は立ち去ろうとした。とっさに、彼の腕を掴んで引き留める。
「待って」
……こんな好機、逃すわけにはいかないわ。
わたしの魔術薬の師は、今までこの鞄の中に入っている本一冊だけだった。この学園で魔術薬学の講師を任されるほどの相手なら、是非とも講義を受けてみたい。
「わたし、魔術薬をもっと学びたいの。お願い、わたしに教えてください」
「えええ……」
明らかに面倒そうに、男は表情を歪めた。
「そんなこといっても、ろくに魔術薬も作ったことないでしょ? 結構めんどくさいんだ、令嬢がやることじゃない。そんなことしている暇あるなら、大公にもっと愛されるための振る舞いでも研究すれば?」
「わたし、これでも魔術薬づくりには自信があるの。そんなに言うなら今から見てください。ちょうど小屋に行こうとしていたんです」
手を離せば逃げ出しそうな気がして、男の腕を掴んだまま連絡通路を進み始める。
「わかった、わかったついていくから離してくれよ。歩きづらい」
男の訴えに応じて、強く掴んでいた彼の腕を離す。彼は掴まれていた腕をぶらぶらとさせながら、何度目かわからない盛大なため息をついた。
「はあ……じゃあ、きみの自慢の魔術薬とやらを見せてくれる?」
全然期待してないけど、とあくびを噛み殺しながら男は言った。
◇
「驚いた! きみは天才だ!!」
それからほんの半時間後、薬草小屋で男は熱々の小瓶を抱えながら叫んでいた。今日はほかに魔術薬を作る予定もなかったので、一日分の魔力のすべてを使ってアルバートやセシリアの治療に使った最大効力の魔術薬を作り出したのだ。
「これを人に使ったことは? 強すぎて細胞が壊れないか?」
「眼球破裂と、心臓の病に使ったことがあります。人に使えるぎりぎりの強さですけれど……問題ありませんでした」
先ほどまでの気だるげな様子からは想像できないほどの興奮ぶりに、若干気圧されてしまう。だが、気持ちはわからなくもなかった。わたしも初めてこの魔術薬を目にしたら、同じような反応をしていたかもしれない。
……ということは、わたしと同じくらいには魔術薬づくりが好きなのかしら。
そんなひとには、一度目の人生でも一度も出会ったことがない。この時代に魔術薬に関わって生活しようとする人間は、それだけ貴重なのだ。
「連続服用しても問題ないのか?」
「一日一本までです。連日服用するぶんには問題ありませんでした」
「へええ……すごいな、画期的だなあ……」
先ほどまで光なんていっさい映していないような澱んだ瞳だったはずなのに、今はまるで子どものようにきらきらと目を輝やかせている。明確な言葉は口にしていないが、その目は明らかにこの魔術薬を欲していた。
「あの、よければその魔術薬は差し上げます。……もちろん、わたしに授業をしてくれるなら、ですけれど」
取引を持ち掛ければ、男は躊躇いなく頷いて薬を抱きしめた。
「いいのか……? こんな貴重なものを……」
そう言いつつもすでに薬を手放しそうにない持ち方をしている。なんだかその様子がおかしくてくすりと笑ってしまった。
「ええ、どうぞ」
彼は外套から緑色の分厚い布を取り出すと、それで小瓶を包み外套のポケットに仕舞い込んだ。全体的に気だるげな雰囲気は拭えないが、明らかに収穫があって喜んでいる様子だ。
「正式に先生になってくださるなら、ちゃんと自己紹介をしないといけませんね。わたしはレア・エル・ヴェルローズです」
学園の制服である黒い外套を摘んで礼をする。わたしとよく似た緑色の瞳が、じっとわたしを見つめていた。
「おれはブラッド・エル・ヒースだ。それにしてもヴェルローズね……つまりきみが噂の毒魔女なわけだ」
「ええ、まあ……」
この学園で過ごしている以上、彼がわたしの悪名を知らないはずがなかった。今までは自称するくらいになんてことないと思っていた悪名なのに、友人ができてしまったいまではなんとなく気が重い。
「確かに、その名に恥じない実力者みたいだな。魔術師しかいないこの時代に魔女呼ばわりなんて、大したもんだ。きみの魔術薬は魔法並みということだろ」
そんなふうには、考えたことがなかった。もちろん初めに言い出したひとはそんな意味をこめていなかっただろうが、ただの蔑称だと思っていた悪名がほんの少しだけ誇らしくなる。
「面白いことおっしゃるんですね、ヒース先生」
くすくすと笑うと、先生はわたしから視線を逸らしながらがしがしと頭を掻きむしった。どうやらこちらから視線を合わせると、すぐにそらされてしまうようだ。面と向かって人と話すのが苦手なのかもしれない。
「そういう先生は、どうして今は流行らない魔術薬の先生になったんですか?」
使わなかった薬草を鞄の中にしまいこみながら、何気なく尋ねてみる。同じ黒髪と緑の瞳である点といい、先生には不思議な親近感を覚えていた。
先生はわたしから視線を逸らしたまま、作業台によりかかって小さく息をついた。
「まあ、魔術薬以外の魔術の才能に恵まれなかったからな。おれは三男だし、これしか食っていく道がなかった」
……魔術薬以外の魔術の才能がない?
それは、まるでわたしと同じだ。そんな人には今まで出会ったことがない。自然と心臓が早鐘を打ち始めるのがわかった。
「何を驚いた顔してるんだ? 黒髪と緑の瞳を持つ人間には、たまにあることらしいぞ。王の薬師グリシナの血を引いているせいだ、とかなんとか言っている奴もいるな」
……王の薬師グリシナ。
一度目の人生で受けた妃教育の中で、確か建国史を学んだ際にそんな名前を目にしたことがあるように思う。教養の一部として覚えるばかりで気に留めたこともなかったが、そんないわれがあったなんて知らなかった。
思わず、頬が勝手に緩む。わたしはひとりではなかったのだ。
わずかな沈黙ののち、先生が軽く咳払いをするのがわかる。顔を挙げてみると、先生は相変わらず気だるげな雰囲気のまま、わたしと視線を合わせずにつぶやいた。
「まあ、その、あれだな……おれはしがない子爵家の三男だからまだよかったが、きみは治癒魔術の名門侯爵家に生まれてさぞ苦労したんだろうな」
先生の不器用な励ましが、不思議なくらいにするりと胸に入り込んでくる。油断すると、泣いてしまいそうだ。
だが、人前で涙を流すのはわたしの矜持にそぐわない。いちどだけぎゅ、と唇を噛み締めたあと、大袈裟に笑ってみせた。もともと悲しい気持ちで泣きたくなったわけではないのだ。頬を緩めると、妙な晴れやかさがあった。
「グリシナのこと、もっと調べてみます。ありがとうございます、先生」
長い人生で、ようやく同族を見つけたような心地だ。アルバートやセシリアと出会えたときとはまた違う柔らかな気持ちが胸の中に広がっていくのがわかった。
「……本格的な授業は明日からにしよう。きみは魔力を使い果たしたみたいだし」
おれもなんだか疲れたし、と言って先生は作業台に寄りかかるような体勢からすっと立ち上がった。
「じゃあな、ヴェルローズ。また明日」
「はい、ありがとうございました」
扉を開けたとたんに、先生の深緑の外套がふわりとなびく。煮込んだ薬草の透き通るような香りが、小屋の中に満ちていた。




