第3話
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シェレル城の北側にある一室で、ぐつぐつと薬草を煮出す。ハーブのすっきりとした香りが、部屋中に満ちていた。
「それで? 食堂ではどうだったの」
作業台の向かい側には、仕事帰りのアルバートの姿があった。格式高い王国魔術師団の外套を羽織ったまま、台に肘をついてくつろぐ姿はなんだかちぐはぐだ。
「案の定、セシリアは目立っていたわ。あの美貌だもの」
あまりの美しさに、気軽に話しかけてくる生徒もおらず、わたしたちのテーブルは遠巻きにされていたような気がする。オスカーだって、王太子よりよほど王子さま然としていて顔立ちが整っているから、あのふたりの組み合わせはさぞ人目を引いただろう。そのテーブルに悪女と蔑まれるわたしが同席しているのは、事情を知らない者からすれば奇妙に思えたに違いない。
「きみのほうが綺麗だ」
アルバートは作業台に肘をついたまま、なんてことないように微笑んだ。思わず、くすくすと笑ってしまう。
「驚いた。そんな見え透いたお世辞も言えるのね」
薬草がいい具合に煮出されたのを見計らって、湯気の中に手をかざし、指先に魔力を込める。ぽうっと淡く薬液が光れば完成だ。煮沸消毒しておいた小瓶に、熱が冷めないうちに詰めていく。
「できたわ。これは以前あなたの目の怪我やセシリアの治療に使ったものよりすこし弱い作用の傷薬よ。ちょっとした怪我ならこれでじゅうぶん治るはずだわ」
五個ほど並べて作業台の上で冷ましておく。アルバートはそれを眺めながらやわらかく微笑んだ。
「ありがとう。いざというときの備えがあると思うだけで、ずいぶん心が軽いよ」
アルバートもセシリアも、治癒魔術が効かない体質のせいでずいぶん苦しんできたのだろう。彼らのためならどんどん在庫を増やすつもりだった。
瓶を冷ましているあいだに、鞄から自分で買った薬草を取り出す。小瓶も取り出し、大鍋で早速煮沸消毒を始めた。
「まだ作るの? 魔力がつきそうだよ」
アルバートが怪訝そうに問いかけてくる。たしかに、そろそろ私の魔力は限界だ。本当に貧弱な魔力で嫌になる。
「ええ、必要なことだから」
アルバートはこの作業場の私的利用も許してくれた。その言葉に甘えて、店に納品するための魔術薬も地道に作り始めているのだ。作業場が学園と城の二箇所に増えたのはありがたかった。
「必要なこと?」
「お店に魔術薬を納品しているの。あなたに出会う前からやっていることよ」
セシリアの治療中はいちど中断してしまったが、そろそろ再開したいという連絡を入れたところ快く受け入れてもらえたのだ。店の在庫がちょうどなくなりそうな頃合いだったそうだ。すこしずつだが、わたしの魔術薬は売れているらしい。
「きみも強情だな。お金のことなら本当に気にすることないのに」
アルバートはいつのまにか席を立ってぐるりと作業台を周り、わたしの目の前にやってきた。ハーブの香りのする空気が、ゆらりと揺れ動く。
「違うわ。お金のことだけじゃなくて……」
自分の考えを、アルバートに打ち明けるべきか迷う。もちろんアルバートの言う通り、自分でお金を稼ぎ続けていたいというのはもちろんだが、本当の理由はいまではそれだけではないのだ。
「わたしの魔術薬で、命を長らえたひとを何人か見てきたから……治癒魔術や他の魔術薬に手が届かないひとたちの助けになれたらいいと思っただけ」
あの店の老婦人も、風邪を拗らせて高熱を出していた子どもも、斧で怪我をして指を失いかけていた男性も、わたしの魔術薬がなければ回復は見込めなかったはずだ。もちろん治癒魔術にかかれば一瞬で治るような病気や怪我ばかりだが、彼らは治癒魔術師と連絡する術すら持たない平民なのだ。そういう人たちの助けになっているのなら、わたしの魔術薬も浮かばれるというものだ。
「きみは、本当に……」
その先は言葉にならなかったのか、ふいに口をつぐんだかと思うと、彼はそっとわたしを抱きしめてきた。ふわりと靡いた魔術師団の外套の中に包まれてしまう。外から帰ってきたばかりのせいか、彼からはお日さまの匂いがした。好きな香りだ。
「きみは本当に、素晴らしいひとだ。眩しく思う」
震えるような声は、彼が本音を語っている証なのだろう。
彼からの賞賛はわたしも震えるほどに嬉しかったが、同時に心に影がかかる。
「違うわ……アルバート、わたしはあなたに眩しく思ってもらえるような人間じゃない」
たしかに、言葉だけを聞いたらわたしは善良な薬師に思えるだろう。だが、実際は贖罪の意味も兼ねているのだ。
「……殺してしまったひとのぶんくらいは、助けようと思ったの。それだけよ」
「え?」
聞こえていないはずもないだろうに、アルバートは直ちに聞き返してきた。もちろん、彼が知る由もないことだ。
一度目の人生の罪など今は残っていないのかもしれないが、わたしが毒の香で殺してしまった人のぶんくらいは、誰かを助けてもいいかと思った。ただそれだけだ。一見慈悲深く見える行為も、結局のところ自分本位の贖罪でしかない。
「わたし、あなたが思うほどいいひとじゃないの」
それだけ告げて、彼の胸に手を当てて体を離す。温もりから抜け出す瞬間は、不思議と名残惜しく感じた。慣れてしまってはいけない心地よさだ。
だがすぐに、背後から手首を掴まれる。はっとして振り返ると、いつになく真剣な紫の瞳と目があった。
「……今まできみの周りにいた奴らが憎らしいよ。きみにこんなことを言わせるなんて」
たかだかわたしのために、そんなに真剣になってくれるアルバートが変なのだ。思わずくすりと笑って、そっとアルバートの手を離す。
「あなたって、変わっているわ。……でも、ありがとう」
小瓶がぐつぐつと煮える音が部屋の沈黙に染み渡っていく。アルバートの言葉は到底信じられないものばかりだけれど、不思議と心にかかった翳りを晴らしてくれる。慣れてしまうのが怖いほどに、彼の隣は居心地がよかった。
「これからは、せめて薬草くらいは提供させてほしい。この家の魔術薬を作るときに、一緒に仕入れてくれて構わない」
彼はわたしの隣に並び立って、作業台の上にならんだ薬草たちを眺めた。わたしが市場で厳選したものだが、侯爵家の倉庫から持ってきたものとは違って質が劣ることを悩んでいたところだったのだ。
「いいの……? 助かるわ、おかげで今までと同じ質を保てそう」
思わず彼を見上げてはしゃいだ声をあげれば、慈愛の溶け込んだまなざしに包まれた。彼は、ずっとこちらを見ていたのだ。
「きみは本当に魔術薬が好きなんだね。そんなに喜んでくれるなら、国中の薬草を買い占めたいな」
「いちどにそんなにもらっても、使いきれないわ」
わたしの魔力では一日に作れる量には限界がある。あまりたくさんもらっても、腐らせてしまうだけで無駄になってしまうだろう。
アルバートはくすくすと笑うと、再びわたしと距離を詰めた。
「……薬草が煮えるまで、もういちど抱きしめていてもいい?」
「え? ええ……別にいいけれど」
許可を出すなり、するりと背後から腕が伸びてきて、再び彼の外套に包み込まれる。少し動きづらかったが、薬草を千切るくらいは難なくこなせそうだ。
「レアはあたたかい。いい匂いがする」
抱きしめられたのは先ほどが初めてだが、彼はどうやらこの行為が気に入ったらしい。わたしも、彼に触れられるのは不思議と嫌ではなかった。
「薬草の匂いだと思うわ。これはとくに香りがいいの」
その証拠に、薬草をちぎるたびにふわりと甘い香りが立ち上った。これは痛み止めに使う薬草なのだ。
「そういうことにしておこうかな。遠慮せず堪能できるから」
「気に入ったならあとでわけてあげるわね」
もともと使い切るには若干多い量だったのだ。あとで他の薬草と合わせて香り袋でも作ってわけてあげよう。セシリアにもいい贈り物になるかもしれなかった。
ちぎった薬草が、ふつふつと沸騰した液面に浮かんでいる。彼に抱きしめられながら作った魔術薬は、不思議といつもよりも甘い味がした。




