第2話
翌日。
わたしは魔術薬の本と小瓶、薬草がつまった鞄を抱き抱えながら学園の隅を歩いていた。アルバートの計らいで、侯爵家から出された退学届は破棄されたらしく、わたしは何ごともなかったかのように学園に籍を置いている。今まで通り、なるべく王太子やアデルと遭遇しないように気を張り詰めていた。
今日は、セシリアやオスカー殿下たちが編入してくる日でもある。学園では編入生は適宜受け入れていて、今までも新しい顔がぽつぽつと増えることはままあることだった。
だから編入生自体は珍しいことでもないのだが、今回ばかりは違った。ただ歩いているだけで光り輝くようなセシリアの美貌に、学園中が釘付けになっているのだ。療養期間が長かったせいで、皆、彼女が大公家の令嬢だということに気づいていないらしい。謎の美少女の登場に、男女問わず浮き足立っているのがわかった。
……こうしてみると、ずいぶん遠い人みたい。
元々は、そのはずだったのだ。王家と並ぶほどの権威を誇る大公家の息女と、一侯爵家の娘が友人になったなんて、奇跡のようなものなのだ。
セシリアには悪いが、やはりヴェルローズの毒魔女と言われるわたしが彼女のそばについてまわるのは避けるべきだと思う。光り輝くような彼女の学園生活をわたしが邪魔するわけにはいかなかった。
もっとも、アルバートの「友人としてセシリアについていってほしい」という頼みを無視するわけにもいかない。セシリアのことは遠目に見守りながら、機を見て接触するつもりでいた。
……一目のないところでお昼ご飯でも食べられたら嬉しいけれど。
わたしだって、本音を言えばセシリアと一緒にいたいのだ。わたしのたったふたりだけの友だちのうちのひとりなのだから。
だが注意を払うべき対象が増えてしまったせいか、顔も見たくない相手とあっさり鉢合わせてしまった。
「あら? お姉さま、どうしてここにいらっしゃるの? 退学者が何食わぬ顔で学園に滞在しているなんて……」
「言ってやるな、アデル。侯爵家から追い出されたせいで、ここに不法に滞在して雨風を凌いでいるのかも知れないぞ。まるで乞食だな」
「お姉さま……おかわいそう」
べたっとした水色の瞳にいっぱいに涙を溜めて、アデルは王太子にしなだれかかった。わたしに見せつけているつもりなのだろうが、呆れと若干の気色悪さを感じるばかりでまるで心が動かない。昼間から安い恋愛劇のようなやり取りを見せつけないでほしかった。
「……ご用がないのであれば失礼いたします」
異母妹は無視することに決め、王太子に対しては一応の礼をして立ち去ろうとする。
だが、案の定彼らの取り巻きが道を塞ぎ、にやにやと下卑た笑みを浮かべてわたしを見ていた。本当に貴族なのか疑わしいほど品のない連中だ。
「侯爵家から身分も保証されていない娘がずいぶん生意気だな」
王太子が、アデルのそばを離れてわたしの目の前に歩み寄ってくる。念願の婚約破棄も果たされたというのに、どうして解放してくれないのだろう。鬱憤を晴らす道具として、わたしに引き続き嫌がらせをすることで気晴らしをしているのだろうか。
殴られたり蹴られたりするのにはなれているつもりだが、今はごめんだった。優しいわたしの友人たちに心配をかけてしまう。彼らが心配する顔を見たくないから、わたしも傷つくわけにはいかない。
目の前に迫る王太子の顔を、きっと睨みつける。久しぶりに、深い青の瞳とまっすぐに目が合った気がした。
「わたしたちはもう赤の他人です。わたしに構わないで」
深い青の瞳が、一瞬だけ大きく揺らいだ気がした。そのまま不快そうに、わずかに眉が顰められ、王太子の手がわたしのほうへ伸ばされる。思わず、ぎゅ、と目をつぶってしまった。
「お前……誰に向かってそんなことを――」
「――レア、探しましたよ。こんなところにいらしたのですね」
背後から、透き通るように美しい声がする。この兄妹は、ふたりとも心地のよい声をしていた。
はっとして振り返ると、そこにはセシリアの姿があった。癖ひとつない銀の髪を、ふわりとなびかせていて、まるで本物の妖精のようだ。
セシリアはわたしの隣に歩み寄ると、そうするのが当然というようにわたしと腕を組んだ。そのまま、どこか挑戦的なまなざしで王太子に微笑みかける。
「ごきげんよう、王太子殿下。レアに――わたくしの兄の大切なひとに、なんのご用でしょう?」
王太子はセシリアの髪と瞳をさっと確認し、嘲笑にも近い笑みを浮かべてわたしに視線を移した。
「なるほどな、王家から大公家に乗り換えたわけか。あの腹黒魔術師をどうやって籠絡したんだ? 体でか?」
アルバートは腹黒じゃない、と言いかけたところでセシリアの隣に人影が近づいてくる。
「兄上、いくら元婚約者相手とはいえ、あまりに礼を欠いたご発言では? 撤回するべきです」
……オスカー殿下。
驚いた。もうセシリアと接触していたなんて。わたしも遠巻きにセシリアを見守っていたつもりでいたのに、まるで気が付かなかった。
「お前、引きこもりはやめたのか。今更出てきても誰もお前のことなど覚えていないだろうに」
「引きこもってばかりいては、国が傾きそうだと思いましたので」
柔らかな微笑みひとつ崩さずに嫌味を言ってのけるオスカー殿下は、どこかセシリアの振る舞いにも似ていた。
王太子も嫌味が通じないほど馬鹿ではない。ますます不快そうに眉を顰めたかと思うと、代わりにわたしに吐き捨てるように告げた。
「味方が増えてよかったな、毒魔女め。……いつかお前の毒がこいつらを壊してくれるのが楽しみだ」
ほとんど八つ当たりのような言葉を残して、王太子はアデルと側近たちを連れてどこかへ行ってしまった。彼らと遭遇して、無傷で済んだのは初めてだ。
「レアはやっかいな人間にばかり好かれる才能がありそうですね。お怪我はありませんか?」
セシリアの神秘的な紫の瞳が、柔らかく細められる。城でよく見る表情だ。
「ええ……おかげで助かったわ、ありがとう」
「このくらいは力にならせてください」
セシリアは組んだわたしの腕を、ぎゅ、と抱きしめた。同じ城で暮らして同じ石鹸を使っているはずなのに、セシリアからはわたしにはないいい匂いがする。
「驚いた、あなたはそんな顔で笑うんですね、セシリア嬢」
セシリアと同じように涼やかな空気を纏わせて、オスカーはセシリアに微笑みかけた。とたんにセシリアは冷ややかな眼差しで、つん、とオスカーから顔を背けてしまう。
「わたくしがどのような顔で笑おうがあなたには関係ありません。あなたに笑いかけることなどありませんから」
「そうですか、手厳しいな」
言葉とは裏腹に、まるで堪えていないような表情でオスカーは笑った。むしろこの状況を楽しんでいるようにすら見える。
「ヴェルローズ侯爵令嬢、これからは顔を合わせることも増えるでしょう。改めてよろしくお願いします」
「こちらこそ……先ほども、ありがとうございました」
明らかに王太子との対立を宣言していたようなものだ。一度目の人生では表舞台に出ることなく神殿に身を寄せていたことが考えられないほど、挑戦的な態度だ。
「またあのようなことがあればいつでもお知らせください。僕はヴェルローズ侯爵令嬢の味方ですから」
「レア、惑わされないでください。この方は、兄さまが大切にしているあなたに気に入られることで、兄さまの歓心を買おうとしているだけです」
「酷い言いようですね。どちらかといえばあなたの歓心を買おうとしていたのですが」
セシリアの瞳がいっそう冷ややかになる。こんな表情は初めて見た。その視線の先にいるのがわたしだったら、しばらく立ち直れなさそうだ。
「冗談ですよ、そんな目で見ないでください。王家の人間として、これ以上ヴェルローズ侯爵令嬢に迷惑をかけたくないだけです」
オスカーは静かに微笑みながら王太子が去っていった方向を眺めていた。その言葉には、おそらくこの間の王妃の錯乱に対する罪悪感も含まれているのだろう。オスカーにとっては実の母というわけでもないのに、律儀なひとだ。
「ありがとうございます。……ふたりがいてくれて心強いわ」
心からの本音だった。ひとりぼっちではないと思うだけで、ずいぶん学園が親しみやすく感じる。わたし以外の生徒たちがあんなにも晴れやかな笑顔で学園生活を謳歌している理由がようやくわかるような気がした。
ふと、わたしの腕を抱きしめるセシリアの力がわずかに強くなった気がした。そのまま、白銀の髪をさらりと揺らして彼女はわたしの顔を覗きこんでくる。
「レア、昼食はまだでしょう。一緒に食べませんか」
「ええ。わたしも、誘おうと思っていたのよ。中庭で食べるのがいいかしら……」
学園には大食堂があるが、立ち寄ったことはなかった。毒魔女が行けば嫌がられるのはわかっている。
そもそも学園で昼食を取る習慣がないので詳しくはないが、食堂で頼めばサンドウィッチを用意してくれて、中庭で食べることもできるらしい。天気がいい日はそのようにして昼食の時間を過ごす生徒も多いそうだ。中庭の隅でなら、セシリアもわたしと一緒にいるところを見られずに済むだろう。
「わたくし、まずは食堂で食べてみたいです。行ってみましょう」
セシリアははっきりと意思表示をすると、わたしと腕を組んだまま食堂のほうへ歩き出そうとした。慌てて足に力を込めて、彼女を引き留める。
「待って、セシリア。食堂はその……目立つから。わたしと一緒にいるところを見られたら、友だちができなくなっちゃうわ」
「わたくしがあなたと一緒にいることでわたくしから離れていくような友人なら、初めから必要ありません」
セシリアはばっさりと言い切ると、わたしの腕を抱きしめたまま再び歩き出した。若干の歩きづらさを感じながら、引きずられるようにして彼女についていく。
「学園の食堂か。ぼくも気になっていたんです」
オスカーが当然のようにわたしたちについてくる。セシリアは半身で振り返り、やはり凍えるような冷たいまなざしを見せた。
「あなたをお誘いしたつもりはありません」
「そうつれないことを言わないで、仲間に入れてください。ぼくも友人なんていないんです」
今まで引きこもっていたのだからそれもそうだろう。おそらく王太子のようにオスカーの権威に群がる取り巻きたちは出てくるだろうが、オスカーの性格上そういう類の人間を歓迎しそうにもなかった。
セシリアは不憫なものを見るような目でオスカーを一瞥したあと、興味をなくしたようにまっすぐに前を向いた。誰であっても、セシリアを口説き落とすのは難しそうだ。




