第3話
◇
城に着くなりアルバートはさっそく治癒魔術をかけてくれた。首にくっきりと残っていた痣が嘘のように消えている。やはり彼の魔術は一流だ。
「ありがとう、アルバート。嘘みたいに首が軽くなったわ」
痣だけでなく、痛みも手指の痺れもなくなっていた。これならばいつもと変わらない動きができそうだ。
「よかった。……怖い思いをしただろう、レア」
アルバートは眉尻を下げながら、乱れていたわたしの髪を指で梳き、肩に流してくれた。まるで慰めるような仕草が、なんだかむず痒い。こんな扱い、今まで誰にだってされたことはなかった。
そのせいか「平気だ」と答えて会話を切り上げれば済むところなのに、ついつい口が緩んでしまう。自分でもよくわからないが、わたしはアルバートに、このやりきれない思いを知ってほしいのかも知れない。
「……王妃さまの執着はわかっているつもりでいたのに、油断していたわ」
一度目の人生では、ここまであからさまな執着を見せつけられたことはなかった。王妃の死の間際まで、わたしが彼女のそばを離れなかったからだろう。
「エヴェリーナさまにはお会いしたことはないけれど、王妃が錯乱するくらいにきみときみの母君は似ているんだね」
「そうね……母のほうがいくらか美人だったと思うけれど、髪の色と瞳の色はうりふたつだわ」
侯爵家のわたしの部屋に今も飾られている家族の肖像画を思い出す。カミラとアデルが来る前の、三人だけだったころのヴェルローズ侯爵家の姿だ。あのときはの父も厳格ではあったけれど今ほどわたしに冷たくはなかった。夫婦仲だってそうだ。おしどり夫婦とは言わずとも、互いを思いやる最低限の心の交流はあったはずなのに。
三人きりの幸せを壊したのは間違いなくわたしが出来損ないであったせいだ。そしてわたしが母の心を病ませ、しまいには殺してしまったせいで、王妃のことまでも壊してしまった。
「とんだ疫病神ね、わたしは」
「そうか。美しい疫病神もあったものだね」
「あなたもそんな冗談を言えるのね」
くすりと笑うと、同じように表情を和らげる彼と目があった。思いのほか真剣な瞳で、なんとなくわたしのほうから視線を逸らしてしまう。
「そういえば、王妃さまは大公領の独立がどうとか言っていたけれど、そんな計画があったの? 全然知らなかったわ」
一度目の人生でも、そんな話が出たことはない。実際、大公領に独立されたら、ラティア王国は大混乱に陥るだろう。主要な魔術研究の施設や魔術具の工房などはほとんど大公領にあるし、施設の魔術学校も大公領にはいくつか存在していると聞く。魔術の発展は、大公領なくしては進まないのだ。そのほかにも水源や鉱山など資源の面でも王国は大打撃を喰らうことになる。
「ああ、あれはあんまり王家がきみと王太子の婚約破棄を受け入れないから、ちょっと脅してみただけだよ」
「ちょっと脅してみただけ、って……」
……たかが、わたしの婚約破棄のためだけに?
驚きのあまり、声も出ない。そんな脅迫まがいの打診をすれば、王家から謀反を警戒されて、監視の目が強くなるだろう。わたしの望みを叶える代償にアルバートやセシリア、彼らの領民たちに何かがあったら申し訳が立たないどころの騒ぎではない。
「あなたの目を治したことをよほど恩義に感じているのかも知れないけれど……やりすぎよ。もうじゅうぶんにわたしはよくしてもらってる。あまり危ない橋は渡らないで」
「心配してくれてありがとう。でも、独立は独立で楽しそうだと思わない? ぼくときみとセシリアで、新しい国家の礎をつくるんだ」
国花は一番綺麗な花を咲かせる薬草にしよう、とアルバートは楽しそうに笑った。もちろん、冗談で言っているのだろうが、当然のようにわたしも仲間に入れてくれていることが嬉しくてならなかった。
「……わたし、あなたに会えてよかった。こんな温かな気持ちを知ったのは、生まれて初めてよ」
あのとき、ジゼルを見殺しにしなかったおかげで、マダム・レアを無視しなかったおかげで――もっと根本的なきっかけを辿れば、魔術が使えず、魔術薬の才能に恵まれていたおかげで、わたしはアルバートに出会えたのだ。アルバートに出会えたおかげで、セシリアにも会えた。ふたりと出会えたことは、一度目の人生をひっくるめても、間違いなく最も価値のあるできごとだ。
……友だちって、すごい力を持っているのね。
ふたりがくれた温かな気持ちを噛み締めると、自然と頬が緩む。アルバートの綺麗な双眸が、はっとしたようにこちらを見つめていた。夕焼けの影になって、薄紫がいつもより濃く見える。
「そんなの……ぼくのほうこそ――」
何かを言いかけた彼はふい、と視線を背けてしまった。夕焼けに耳の端が赤く染まっている。
手当てを受けているうちに、ずいぶん時間が経ってしまったようだ。頃合いを見計らったように置き時計の鐘が鳴る。いつもならそろそろ帰宅する時間だ。
「さて、そろそろわたしはお暇するわ。長居してしまってごめんなさい」
アルバートははっとしたように置き時計を確認して、ぎこちなく頷いた。
「あ、ああ、そうだね……」
何かを言いかけてからというもの、アルバートはちょっと変だ。じっと様子を観察していると、彼は慌てたようにぎこちない笑みを取り繕った。
「送っていくよ。侯爵邸でいいよね?」
「あ……」
そういえばわたしは先ほど絶縁宣言をされたばかりだった。言葉通りに受け取るならば、帰る家はもうないことになる。
……どうしようかしら。
ここはひとつ、わたしを友だちだと言ってくれる彼に甘えてみようか。わずかに逡巡したのちに、意を決してアルバートに提案する。
「あの……もしあなたが知っている宿があれば、そこへ送ってくれない? 婚約破棄を機に、父には帰ってくるなと言われたから、侯爵家には戻れないのよ」
アルバートが知っている宿なんて高そうだが、他にあてもないのでやむを得ない。一時的に身を寄せる場所だと割り切ろう。明日にでも、店の老夫婦にもっとお手軽な宿を聞いてみればいいのだ。
「……ちょっと待って、ヴェルローズ侯爵はきみにそんなことを言ったのか」
「ええ、こんなに早く解放してくれるなんて思ってもみなかったけれど」
王太子との婚約は無事に破棄されたわけだから、無理にこの国を出る必要がなくなったのは幸いだった。やはり魔術の商売においては、この国がもっとも発展しているぶん、売り上げも見込める。
「だから、取り急ぎ宿に身を寄せようと思って。そのうち、家でも借りてみる。あなたからもらった薬代があるからしばらくは大丈夫だと思うの」
幸い、手もとには薬代と魔術薬の本が入った鞄がある。これさえあれば生きていけるはずだ。
自分を勇気づけるように鞄を抱きしめていると、ふいに、アルバートは片手でわたしの両頬を挟むように掴んだ。どことなく不機嫌そうな顔だ。
「レア、この城に空き部屋がいくつあると思っているんだ。宿になんか泊まらなくても、いくらでもこの城にいればいい」
「え? でも……」
頬を挟まれた状態のまま、唇を動かそうとするもうまくいかない。なんだかとんでもなく変な顔をアルバートに晒しているような気がする。
「――ぼくらは友だちだろう? こういうときは助けあうものだ」
頬を挟んでいたアルバートの手の力が緩められ、今度はすり、と頬を撫でられた。マダム・レアやジゼルにするのと同じ手つきだ。アルバートの手はわたしよりも温かくて心地よかった。
「でも……それでは居候になってしまうわ。ここに住まわせてもらうなら、何かしないと気が済まない」
アルバートの目をじっと見上げると、彼は面白がるようにわずかに頬を緩めた。
「レアは真面目だね。……じゃあ、こうしよう」
頬に触れていた手が離れて、目の前に差し出される。まるで握手を求めるような手つきだ。
「きみは魔術薬作りの天才だ。是非とも薬師として大公家に薬を作ってもらいたい。分家の人間のなかにも、治癒魔術が効かなくて困っている連中はいるからね」
たしかに、その点ではわたしは力になれるかもしれない。分家の中には敵もいるようだから、場合によっては相手を害するものだって生み出せる。わたしの最高傑作は、城中の人間を殺したあの甘い毒の香なのだから。
「それから、セシリアも学園に編入するから、友人としてついていってもらおうかな。――これできみは居候じゃない、そうだろう?」
魔術薬づくりも、セシリアの付き添いも、どちらもわたしにとっては仕事と思えないような楽しい役目だ。
……そんな破格の条件で住まわせてもらってもいいのかしら。
迷いはあったが、これ以上はアルバートも譲らないような気がして、そっと彼の手を取った。すぐに痛くはない程度の力で、ぎゅう、と握り返される。
「じゃあ……お言葉に甘えさせてもらおうかしら。ありがとう、こんなによくしてくれて」
「きみがぼくに与えてくれたものに比べれば、こんなのは恩を返したうちにも入らないよ」
やはり彼は、左目のことをいまだに恩義に感じているようだ。そもそもあれは、彼は知る由はないけれど一度目の人生の彼の誠実さに対する恩返しであるわけだし、そのあとわたしは二度も危機から救ってもらっているのだから、こちらの借りが増えていくばかりな気がしている。
「じゃあ、今日からここがきみの部屋だ。取り急ぎ身の回りのものを揃えないと……。明日にでも仕立て屋を呼ぼうか。食事は一緒に摂るので構わないか?」
どこか上機嫌に彼はこれからの予定を語った。銀の髪が夕焼けに染まってきらきらしている。
「ふふ、アルバート、なんだかはしゃいでいるみたい」
「はしゃいでいるんだよ。レアと暮らせるなんて、こんなに嬉しいことはない」
薬草作りの部屋も用意しないとね、とアルバートは笑った。本当に、心から喜んでいるように見える。厄介者のわたしがいて嬉しいだなんて、アルバートは変なひとだ。
でも、すこしも嫌な気分ではなかった。王妃にあれこれと気持ちを押し付けられたときはあれだけ不気味だったのに、アルバート相手なら嬉しい。
「――レア、兄さまは優しそうに見えて策士です。さっそく外堀を埋められ始めていることにお気づきになって」
「セシリア……?」
続き部屋へつながる扉の前には、いつのまにかセシリアが立っていた。足もとにはマダム・レアとジゼルもつれている。
「セシリア、ノックもなしに入ってくるなんて行儀がなっていないな。家庭教師にもっと基礎的なレッスンをお願いしなければならないようだ」
「レアを心配してきたのです、兄さま。友だちなんて聞こえのいい言葉をつかって、何をするかわかったものじゃありませんもの」
「どこから聞いていたんだ、悪趣味だな」
「兄さまに似たのかもしれませんね」
セシリアが元気になってからのふたりは、ずっとこんな調子だ。聞けば昔もこんな具合に会話をしていたのだと言う。仲が悪いわけではないらしい。
「人のことに構っている場合なのか? 第二王子がお前に求婚しようとしていたぞ」
「……はい? 断ってくれたのですよね」
「まずはセシリアを口説くように伝えておいた」
セシリアの美しい顔が、不快そうに歪む。言い返したい言葉が山ほどあるような表情だ。受け取りようによっては遠回しな断りの返事をしたと捉えられなくもないが、なんとなくあの王子なら本当にセシリアを説得しようと動き始める気がしてならない。
「セシリア、本当に嫌だったらわたしも力になるわ。せっかく病気が治ったのに嫌な思いをすることはないもの」
「レア……」
セシリアははっとしたようにわたしを見つめると、寝台に近づいてきて、ぎゅ、とわたしの手を握った。
「わたくしも、あなたの力になります。兄さまから逃げたくなったら、いつでも教えてください」
「ありがとう、面白いことを言うのね」
アルバートから逃げたくなるなんてことはないだろう。何せ彼はわたしの友だちなのだから。
「本当に、セシリアは冗談がうまいな」
「わたくしは本気で言っておりますのよ、兄さま」
アルバートとセシリアの軽口の叩き合いを眺めながら、ベッドに飛び乗ってきたマダム・レアとジゼルを撫でる。やはりこの城は、わたしにとって楽園のように安らげる特別な場所だった。




