第1話 終わりと始まり
透き通るような青い空の下。それなのに俺たちの空気はどんよりと重い。
俺は空に向かって呟いた。
「終わったな……」
これが最後だと覚悟して望んだオーデション。
でも……
結局、今回もダメだった。
俺、桂馬涼と飛車蓮で漫才コンビを組んで――もう、6年。
ずっと漫才のステージに立ちたくて、必死で頑張ってきた。動画も配信して、テレビやラジオのオーデションは可能な限り受けた。
それでもなかなか芽が出なくて、必死だった。
それが先日、相方の蓮の一言で世界が変わった。
――悪い、涼……ひなきちゃんが妊娠した。ひなきちゃん、産みたいって……俺、就職しようと思う。
子供好きな蓮とこんなに売れない俺たちをずっと支えてくれたひなきちゃん。絶対、いいお父さんとお母さんになるに決まっている。
その時の俺は、『そんなめでたいことであやまるなるなよ』と言った。いや、その言葉しか選べなかった。6年必死でやったが結果がでなかったんだ。そして最後の足掻きでこの言葉を口にした。
――次のオーデションで最後にしよう。
そして望んだ最後のオーデションだが、結果は惨敗。
「悪い、涼」
肩を丸めて謝罪する蓮の肩をバシバシと叩いた。
「そんなこと言うなって!! お前、親父になるんだろ?」
「すなまい、涼……お前と……もっと……ステージに立ちたかったけど……」
泣き出す蓮を見て、ずっと封印していた感情が暴れ出す。
(そんなに泣くなら、コンビ解散するとか……言うなよ……もう決めてるくせに)
芸人の中には『コンビ辞めたい』っと結構気軽に口に出す連中もいる。そいうヤツラは結局周りに『もう少し頑張れよ』と励まして貰いだけだ。
だが、本当に解散するつもりの時、もうすでに辞めると言った方の決心は固まっている。
そして、俺の相方の飛車蓮は、かなり悩んで、覚悟してこの言葉を口にしたことが付き合いの長さでよく……わかる。
だから、絶対に心変わりをしないであろう、蓮の謝罪は心が痛いだけだ。
「そんなこと……言うなよ……決心が鈍るだろうが……バカ野郎!!」
「すまない、涼、すまない……」
俺は、蓮を見て大きな声を上げた。
「もうあやまるな!! は~~これにて、『ハード・スナイパー』解散します!!」
泣かないつもりだったのに、涙が溢れて止まらなかった。
蓮も俺と同じように……泣いていた。
そして俺は、6年間コンビを組んだ相方、蓮といつも漫才の後にやっていたグータッチをしてそのまま別れた。
何度も振り向きたいと思ったが、振り向かなかった。
空は青いはずなのに、涙でかすむ。
人の笑う顔が好きだ。
それはもう心底好きだ。
一生人の笑う顔を見られるお笑いは俺が信じるこの世で最高の仕事だ。
でも現実は厳しかった。
「あ~~目を閉じて1、2、3っで俺が誰かを笑わせてる世界に変わってたりしねぇかな……」
そう思って、空を見上げて目を――閉じた。
◇
「起きて下さいませ、お坊ちゃま」
目を閉じた瞬間、聞き覚えのない声が聞こえた。
(お坊ちゃまって……どういう敬称だよ、いや……ある意味ディスってる?)
そんな風にツッコミを入れて、目を開けると、ふくよかな外国人女性に覗かれていた。
「おわっ!! ここどこ? どういう状況!? あ~~ここは、どこですか? 日本語通じる?? こんな時、咄嗟に英語が出てこねぇ!! せっかく税金で学校通ったのに!!」
思わず飛び起きると、女性が「え? ここは、お屋敷ですが……それよりも、おはようございます。お坊ちゃま。朝ですので起きて下さい」と言った。
「朝? 朝になったら、起きるよね、うん、それは大体わかるけど、とりあえずあなたは誰? フーアーユー? うわ、発音壊滅的……」
「は? お坊ちゃま、どうされたのですか?」
そういえば、さっきから日本語で話をしているし、よく見ると部屋の中も豪華絢爛。
「いやいや、そもそもお坊ちゃまって……どういうこと?? しかもこんな無駄に広い暖房効率無視した部屋そっちこそ何事? ……俺、どっきり企画されるほど人気ないんだけど~~、うわ、言ってて凹む。今のマジ自害級の自虐だったわ」
自分で自分にツッコミを入れると女性が青い顔で声を上げて部屋を飛び出した。
「自害!? た、た、大変!! 誰か~~お坊ちゃまがぁ~~~!!」
「あ、ちょっと、今のは比喩っていうか……」
俺が女性に向かって手を伸ばしたが、すでに彼女は部屋から出て言った。
女性の去って行った後に俺は一人呟いた。
「OH……NO……」
――割といい発音だったと思う。
その後、長身の執事服姿の男性と数人のメイド服姿の女性が来て「お坊ちゃま死なないで下さい!!」と叫んだ。不可解なことに周りは明らかに外国国籍と言った雰囲気だが、なぜか日本語が十分に通じる。
「いや、死なないって。ただここがどこなのか、あなたたちが誰なのか、全くわからない」
男性は俺に近づきながら言った。
「え? まさか……記憶喪失? お坊ちゃま、お名前はわかりますか?」
「……桂馬涼?」
男性が眉間に深いシワが寄るほどに眉を寄せた後に口を開いた。
「……お坊ちゃまは、テオドール様です!! そして私はこちらで執事長を任せられておりますガイでございます。お坊ちゃまが生まれた時よりお側におります! 忘れてしまわれたのですか?」
「……うん……ごめん……」
俺があまりの剣幕に謝罪を呟くと、執事長という役職のイケオジ、ガイ氏が神妙な顔で言った。
「いえ……ゴホン、取り乱して申し訳ございません。つまり、お坊ちゃまは、テオドール様の記憶がないと?」
「うん。その"テオドール様”って人の記憶は無いね。一切ね。だって俺、さっきまで桂馬涼っていう人間だったし……」
「そんな!!」
「あとさ……お願いがあるんだけど」
「はい、お伺いいたします」
「そのお坊ちゃまって止めて。シリアスな雰囲気なのに笑いそうになる……」
「……かしこまりました。つまり……あなた様は、テオドール様ではない別人ということですか?」
優秀な執事長ガイ氏は即座に呼び方を修正してくれた。
出来る男に違いない。俺は、正直に現状を伝えることにした。
「さすが!! そうそう、俺、そのテオドール様って人じゃない、桂馬涼!! って、どんだけ言うんだよってくらい自己アピールするけど、俺は正真正銘の桂馬涼でございます!」
「……」
ガイ氏が無言のままふらついたので、俺は慌てて彼を支えた。
「うわ、そんなに衝撃の事実だった? ホントのこと言わない方がいい? 嘘つこうか? たぶんできるよ。上手くないかもしれないけど」
「いえ!! 嘘など!! 取り乱して申し訳ございません。もう大丈夫です」
ずっと戸惑っていて対応に困っていたガイ氏の目に力が入った。
(お、さすが、仕事出来そうな男。頭、切り替わったっぽい!! 助かる!!)
俺は、頭が切り替わってでろうガイ氏に疑問をぶつけることにした。
「そんじゃあ、質問ターイム!! 俺って、いくつ?」
「15歳でございます」
「うわ、若っ……じゃあ、俺の名前は?」
「テオドール・リンハール様です」
「うん、OK、質問タイム終了!」
「もう、よろしいのですか!?」
「うん。一度に聞いてもたぶん覚えられないから、まず名前と歳を覚える。なんか夢じゃないみたいだし、15歳なら仕事してるってわけでも無さそうだし、テオドール様がいなくて食べるのに困るって人もいなさそう。あ、それともこっちでは15歳も労働してるの??」
本当に不可解だが、俺は今桂馬涼ではないらしいと言うのは理解できる。
身長などは変わらないようだが、身体が軽いし、手足が長い。それに視界から見える自分の髪も灰色だ。明らかに黒髪だった自分とは違う。
それなら次に心配するのは、生計だ。
「15歳で職を持つ者は多いですが、貴族のテオドール様はリンハール公爵家の人間として、また王太子殿下の御学友として日々学業に励まれております」
「今!! とんでもなく無視できない単語が飛び出したよね!?」
ガイ氏は意味がわからないという雰囲気で尋ねた。
「……と申しますと?」
「【貴族】【公爵家】【王太子殿下の御学友】」
「それのどのあたりが気になりますか?」
ガイ氏は俺の質問の意図が全く伝わっていなかった。
まぁ、なんとなくこんな大きな部屋で、豪華な家具や絵画も飾ってあり、メイドや執事までいるのだ。資産家なのは想像できたが、貴族だとは思わなかった。というより、今まで貴族という単語を聞いたこともないほど無縁な世界で生きていたので、その単語を頭に思い浮かべることさえなかったと言った方が正しい。
俺は、ガイ氏を見ながら真剣な顔で言った。
「あのさ、悪いけど……俺の知識についてはもう幼児だと思って接して! たぶんそのくらい何もわかんないから!!」
「テオドール様を幼児扱い……」
「いやいや、扱いは幼児じゃなくていいよ。ただ知識レベルが幼児ってだけ。だから貴族って言葉はぼんやりと知っているけど、どんなことをして生計を立てている人々なのかは知らないし、公爵っていうのが何なのか、王太子殿下の御学友ってつまりどういう立ち位置なのかもわかんないから!!」
「えええ!? か、か、かしこまりました」
「そんなに動揺しないでよ……そうだな、簡単に言うと見た目は大人、中身は子供だと思って!! 自分で言っててアレだけど……すごくカッコ悪い気がするのは……気のせい??」
「なるほど!! 見た目は大人、中身は子供!! それは大変わかりやすいですね!!」
「そう!! ということで!!」
「早速、お勉強を!!」
「……と、その前に……お腹空いたからご飯ってもらえる?」
「すぐにご用意いたします!!」
こうして俺の異世界ライフが華々しく(?)幕を開けた。