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【第2章:第6節】 「日本は“希望の国”じゃなかった?」


いつからだろうか。

私たちが「夢を信じる力」を手放すようになったのは。


Piをマイニングしている日本のユーザーは確かに存在する。

だが、その多くは“なんとなく”アプリを開き、毎日ポチッとすることを習慣にしているだけだ。

本気でPiを信じているわけでも、明確なユースケースを理解しているわけでもない。

かといって、完全に見限っているわけでもない。


「もしかしたら、いつか使えるようになるかもしれない」

そんな曖昧な希望にすがって、通知が届けば反射的にアプリを開く。

それはまるで、当たるはずのない宝くじを、擦り減った手で毎日撫でるような行為にも見える。



Piに関するSNSやオープンチャットでは、日々さまざまな言葉が飛び交っている。


「上場したのに、どこで使えるの?」

「Piでラーメン食べれるようになった?」

「また詐欺か。もう期待して損した」


そのような皮肉や嘆きの言葉の裏には、まだ小さな期待が残っていると、私は感じている。

本当に何も期待していない人は、文句すら言わない。

否定的な声の中にある“未練”こそが、Piに対する未だ消えない希望の証なのではないか。



一方で、世界は静かに、そして確実に動いている。


ナイジェリアでは、Piを使ったP2P送金で食料や生活用品を購入する人がいる。

フィリピンでは、数百の実店舗が「Pi決済対応」の看板を掲げはじめた。

ベトナムでは、街のバイク整備工がPiでオイル交換を受け付けているという。


こうした国々では、インフレや銀行の信頼性の低さから、法定通貨以外の選択肢が歓迎される。

Piのような仮想通貨は、“信用できる価値の代替手段”として、日常の中に入り込みつつあるのだ。



それに比べて、日本はどうか。

現金文化は依然として根強く、仮想通貨という言葉に対しては警戒心が先に立つ。

確かに、PayPayやSuicaといったデジタル決済は普及した。

だが、それらはあくまで“従来の金融の延長線上”にあるものだ。


「ブロックチェーン」や「Web3」といった言葉はまだまだ一般化しておらず、

多くの人にとって、Piは遠い世界の話のように感じられている。

実際、仮想通貨という言葉自体が、詐欺や投機のイメージと強く結びついてしまっているのが現状だ。



それでも、私は信じたい。


この国には、火がつけば世界を驚かせるほどの「集中力」と「創造性」がある。

アニメ、ゲーム、漫画、テクノロジー。

どれも、最初は“理解されなかった文化”だった。

だが、それを愛した人々が「面白い」と感じ、「作りたい」と願い、「伝えたい」と行動したことで、世界的ムーブメントになった。


Piにも、その可能性があると私は思う。

それは、価格の話ではない。

“使って便利だ”“あってよかった”と思える経済圏を、ユーザー自身が作ることができるかどうかだ。



読者のあなたが今、スマホの中に保有しているPi。

それは、**“信じた誰かが使い方を定義できる通貨”**だ。


日本は、まだ本格的に動いていない。

けれども、「今、ここから」始めることはできる。


この章が、その小さな火種になればと願っている。


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