私が愛して差し上げましょう
お久しぶりです、軽いお話
この国では有名な、女系貴族家の跡継ぎであるレイチェル・アルバーはうっとりとした顔をして、目の前の男を見つめていた。
貴族街にある歴史のあるカフェで、二人は所謂婚約者同士の顔合わせ、の最中である。品のある客層であるはずの店内からすら、ちらちらと彼女たちを伺う視線が送られる。
「君は、何も思うことはないのか?」
見つめながら何も言葉を発さないレイチェルにしびれを切らし、ゲイリー・シェファーが婚約者である彼女に問いつめる。
周囲からも、ですよね、という同意の言葉が聞こえてきそうだ。
「はい、相変わらずおきれいなお顔で」
だが、そんなことは意に介さない、とばかりにレイチェルはうっとりと彼の「顔」をほめる。
「そういうところが嫌いなんだよ」
「左様でございますか」
ほんとうに何も響かない、とばかりにすっかり冷めてしまったであろう茶に口をつける。
「俺は、婚約を破棄する、と言ってるんだ」
「なぜ?」
首を傾げながら、ほんとうにわからない、といった顔をする。レイチェルは見た目だけは儚げな美少女だ。その彼女が心底わからない、と疑問を口にする。
「おまえは、俺の顔だけが好きなんだろう」
「ええ、そうですが」
自分で問いかけておいて、なんのためらいもなく同意され、一瞬言葉に詰まる。
だが、ひと呼吸置いて、ゲイリーがさらに畳み掛ける。
「この、彼女は俺の中身もすべて愛してくれているんだ!」
「左様でございますか」
全く興味がない、と言った風に再び茶に口を付け、茶菓子に手を伸ばす。そんな中でも立ち上がったゲイリーをうっとりと見上げることを忘れていない。
恥ずかしい言葉の装飾で紹介されたような、されていないようなゲイリーの隣に座っていた少女は、思わずうつむく。
ゲイリーと仲良くしている低位貴族の娘であるメイは、やや強引につれてこられたこの場が、まさか婚約者であるレイチェルとの顔合わせの場だとはさすがに知らなかった。優雅にゲイリーを待っていたレイチェルの姿を視認したとたん、思わず引き返そうと思う、ぐらいの常識は持ち合わせていた。
ひたと、レイチェルの視線がメイに向けられる。値踏みするでも軽蔑するでもない視線に、ぞくり、と冷たい何かが這い上がってくるような感覚を覚える。
「恋人にでもなさればよろしいのでは?」
ゲイリーは入り婿予定、の婚約関係である。
レイチェルが継ぐ予定のアルバー家は、代々女性がその主の座を継ぐ珍しい形で存続している貴族家だ。どちらかというと男性が継ぐことが多いこの国においては、奇異にも映る。
そんな立場で結婚前から恋人をつくり、あまつさえ継続させていく、などと宣えばどう考えてもその婚約は破棄や解消されるだろう。そう考えたゲイリーが突きつければ、レイチェルはあっさりとその不貞を承諾する。それもそんな瑣末なことはどうでもいい、とばかりに。
「君は、君は本当に僕のことに興味がないんだな」
「いいえ、まさか。とても興味がありましてよ?」
「顔だけだろう」
「ええ、もちろん」
取り繕うそぶりも見せずにおっとりと肯定する。
「そういうところが、嫌いなんだよ」
「左様でございますか」
いつのまにか力なく座り込んだゲイリーをなおも見つめ、レイチェルが鷹揚に返事をする。
「ところでお嬢さん、お母様のお加減はよろしくて?」
唐突に話をふられ、あからさまにメイがうろたえる。
そもそも、かなり高位貴族であるレイチェルが自分のことを認識しているとは思っていなかったのだ。婚約者であるゲイリーと仲良くしていたとしても。
そして、おそらく家だけではなく内情まできちんと把握されていることに戦く。
メイの母親は、今病に臥せっている。即座に死ぬほどではないが、それでも徐々に体力は削られ、そう長くはないことを薄々感じ取っている。ゲイリーとこうやって会っているのもある種の思惑があってのものだ。
よく効く薬、というものは確かに存在する。けれども、それは価格はともかく特殊な伝手がなければ手に入らないものだ。医者や教会、さらには寄親などにも父親が話を持ちかけてはいるが、芳しい答えは返ってくることはない。
「薬を融通いたしましょう」
レイチェルが口角を上げ、メイに強い視線を寄越す。思いもかけない言葉に、メイは瞬時に首肯した。
「そのつもりでしたのでしょう?」
さらに大きく頷いて、深く頭を下げる。
何もわからないゲイリーは、二人の少女の様子をぽかんとした顔をしたまま見守っていた。
「すぐにお届けしますわね」
そう言いながら、右手を軽く上げる。
どこからか足音もなく男がレイチェルの右後ろに現れる。
「彼女をお送りして、例のものも一緒に」
黙礼をして男がメイをエスコートするかのように、さりげなく店から連れ出す。
その様子すら、ゲイリーは理解ができない、と行った風に黙って見送ったままだ。
「彼女、別にあなたのことを愛していた訳じゃなかったようですわね」
「そ、れは」
何が起こったかはわからないけれども、メイにさらっと捨てられたことだけは感じ取ったゲイリーが口ごもる。
学校の成績は悪くはないが、そういう人間関係や人の機微には鈍感なゲイリーは全く理解が追いついていない。
「そもそも、あのお嬢さんが婚約者のいるような相手を選ぶわけありません。とてもしっかりものの、よくできたお嬢さんだと評判でしてよ?」
だからこそ、唐突にゲイリーに近寄り、恋人のようなまねをする彼女に周囲は驚いた。そしてその先にいるはずのレイチェルのことを思い浮かべ、なんとなく正解を導きだしたものもいる。
とうのゲイリーは降って湧いたような恋愛ごとに浮かれ、こんなとこまでメイを連れてくるありさまだ。もっとも、そのおかげでメイにとっては短時間で成果を手に入れることができたのだから、大正解だろう。
「うちが製薬を生業としている領だ、ということはさすがにご存知でして?」
「それは、もちろん」
少し萎れた様子で、それでも素直に返事をする。
「彼女のご母堂様は特殊な薬を必要とするご病気だということは?」
おとなしく首を振る。
「どうしても、それが欲しかったのでしょうねぇ。私には近づけなくてもあなた様なら容易ですもの」
レイチェルは高位貴族であり、さらにはゲイリーやメイとは異なる学校に通っている。それは領主経営やそういう者を学ぶところではなく、薬やそれに付随する学問を学ぶべき専門の学校である。選ばれたものしか入れないそれは、代々のアルバー家の当主や連なる者たちが通っていることで有名だ。
アルバー家は珍しいものから一般的なものまで広く薬を生産する特殊な領だ。同じ薬草から作られても、他の領で作ったものとは薬効が段違いで強い。そして特殊な薬ともなれば、他の追随を許さないほど種類が多く効き目もよい。
それはまるで女神に愛された土地のようだ、と誰かが言い、なかば実感をともなってこの国の中では定着している。
そのような有名な領の、有名な跡継ぎであるレイチェルの婚約者。ゲイリーはそういう立ち位置で見られており、扱われている。
それはもう一つの「言い伝え」のせいなのだけれど、ゲイリーは生憎とそこには詳しくはないようだ。
「メイは、彼女は僕のことなどどうでもよかった、ということか」
ようやく腑に落ちた、といった顔をする。
レイチェルは美しい、とうっとりとするが、ゲイリーは別に美男子ではない。どこにでもいる平凡な顔立ちで、目の色も髪色も特段珍しいということはない。そこは自覚しているからこそ、アルバー家からの申し込みと、レイチェルの自分に対する扱いが信じきれていないのだ。だから、こういったやり取りも実は初めてではない。
真実の愛を見つけた、などといいながらレイチェルの前に知らない少女を連れてきたことが何回かある。
その度におっとりとレイチェルが受け止め、そしていつのまにかその少女たちはどこかへ消え去っていった。
ゲイリーはレイチェルが家の力を使って彼女たちをどうにかした、と思ってはいたが、確かに家の力を使ってはいるが、思っていたのとどうも違ったのかもしれない。
「君は、僕に愛想がつきないのかい?」
萎れたままそう呟くように問いかける。
「あら、なぜ?そんな些末なこと、大勢に影響いたしませんもの」
はっきりと、レイチェルが言いきる。
いつでもどこでも、レイチェルはこの調子だ。ゲイリーのことをやんわりとたしなめることも、詰ることも、そのどちらもしたことがない。やることといえば、どういうわけかうっとりとゲイリーの顔を見つめることだけ。
こんな執着の仕方をされる意味がわからない。
ゲイリーの中にある疑問は生まれたままずっと燻っている。
「この顔が焼けてただれたら、どうせ君は捨てるんだろう?」
結局のところレイチェルが愛しているのは顔だけだ、と思っているゲイリーが吐き捨てる。
「なぜ?」
だが、レイチェルはおっとりと、ほんとうにわけがわからない、と首を傾ける。
「いや、だから。気に入ったものが壊れたら、嫌になるだろう?普通」
「どうして?」
本当にわからない、というレイチェルはいつのまにか新たな茶を供してもらっていたらしい。少しそれを見つめ、慎重に口をつけている。
「お顔はもちろん気に入ってましてよ。それが壊されたからといって、なくなってしまうわけでもなし、どうして捨てなければなりませんの?」
「醜くなってもか?」
「醜く、というのがよくわかりませんが、まあ、そうですね、どのような状態でもあなた様でしたらいいのではなくて?」
けろりと言ってのけるレイチェルは、至極普通の表情をしている。普通の、ごくごく平常の調子でまるで愛をささやくかのような言葉をしれっと吐き出す。
「君は……」
そう言ったきり、ゲイリーは黙り込んでしまった。
またその様子をレイチェルは満足そうに眺めていた。
「……」
「……」
差し向かいにゲイリーの義父予定であるアランを迎え、お互い押し黙る。
珍しいガラスの酒器にアルバー家特産のワインが注がれ、王都邸のアランの書室にて向かい合う。ゲイリーにとっては妙に恥ずかしいあれこれがあったのち、義父予定に呼び出されたのは当然叱責だと思っていた。しかし、妙ににこにことして出迎えてくれたアランには、そういう思惑がどこを探しても見当たらない。
「娘に悪気はないんだ」
数刻あったかのような気まずい沈黙は、アランの言葉で終わる。
「あれは、レイチェルのああいう挙動はアルバー家特有のものだと思ってもらっていい」
「特有?」
「ああ、ひどく何かに執着するんだ。レイチェルの場合は君だし、レイチェルの母親にとっては僕だね」
疲れたように、アランが微笑む。
顔立ちはレイチェルには似ていないが、華やかな美貌をもった優男だ。どこか草臥れた印象を与えてはいるが。
「それ以外はいらないし、それがどういう状態になっても決してあきらめたりはしないんだ。もうそれは嫌になるほど」
遠い目をしたアランは何かを思い出したかのように、そしてそれを振り払うかのようにして首をふる。
「義祖父は実際戦争で手足が不自由になったけど、それはそれはかいがいしく世話をしていた、らしい」
ゲイリーも、自分に降り掛かってもそうなりそうな未来を簡単に予想して義父のように首を小さく振る。
「僕も、色々やったんだよ、もう本当に色々と」
ため息をついて、一気にワインをあおる。
「だけど、無理だった」
もうそこに、ゲイリーの未来がはっきりと脳裏に浮かぶ。
「まあ、慣れれば居心地はいいよ?仕事のやりがいもあるし」
アルバー家の婿は、別に種馬として存在するだけではない。それぞれ事務方として優秀で、いわゆる内助の功とも言えるたたえられ方をされてもいる。
優男で、それ以外取り柄がなさそうなアランは、祖父母の代から始めたワインの質を高め、一気に国内へと流通させた立役者として有名だ。薬やそれに付随する産業で裕福な所領ではあるが、そこにもう一つの柱を建てた。そして、先ほどの話にあった大舅は文官などに特化した家にも関わらず、先の戦争でかなりの武功をあげ、アルバー家を軟弱者だと、ただそれしかない欠点を誹っていた連中を黙らせることに成功した。レイチェルの兄は、彼に似て、女系でも男子が継ぐものだ、と焚き付ける連中を文字通りなぎ払い、現在は嬉々として戦士として働いている、ことはさすがにゲイリーでも知っている。
「思う通りにならなくて結局男が継いだ年もあるみたいなんだけどねぇ」
その結果は、すべての薬草の成分が「普通」の薬草のそれとなり、アルバー家が優位に働いていたすべての役職をよそへと奪われる始末だった、そうだ。それからは、女主人となる跡継ぎの女性の言う通りにすべてを運ばせることにこの家門は力を注いでいる。
舅であるアランもそれで絡めとられ、そして結局はゲイリーもそうなる、のだろう。
「仕事はやりがいはあるし、まあ、そこそこ自由だし。それに絶対に言えることは、彼女たちは絶対に裏切らないよ」
空になった瓶がごろりと転がる。
もう何本目になったかもわからないぐらいあけられた高級なワインをあおる。
アランはすでに泥酔している。
この王都にある邸には配偶者であるレイチェルの母親はいない、彼女はいつでも自領で薬の研究をして、めったなことではこの王都には訪れない。それは、将来的にはゲイリーもそうなるであろうことを示している。
確かに、自由ではあるのだろう。そこそこ。
彼女たちは愛しているからといって束縛はしない、彼らがやりたいことをやらせることに心血を注いでいる、と言っても過言ではない。
彼女たちの手の届く範囲内にいさえすれば、だが。
その日、初めて浴びるほど飲んだゲイリーは、頭痛を伴うひどい二日酔いで次の日に見知らぬ部屋で起きることになった。
ひどい匂いと、おそらくろくでもない顔色。
それをうっとりと見下ろすレイチェル。
ああ、もう自分は逃げられないのだな、と、頭の片隅でにじみ出てきた言葉をかみしめる。
レイチェルの婿のゲイリーは流通経路の改革,をもってアルバー家に欠かせない婿の一人となった。
その功績は、後々にも語り継がれることとなるだろう。
どこかあきらめにも似た表情の婿と、彼の隣でいつも輝かしいばかりの笑顔でいた女主人の功績とともに。