八月。
それから一週間。サリー様の献身的な看護のおかげで、どんどんジャックことディックは回復したらしい。
らしい、と言うのは私は近づかなくて良いと言われたからだ。
「ロージイ、君が彼を苦手?嫌いなのは知ってるけども。怪我人なんだからね、放っておいてちょうだいね。」
ダン様が眉尻を下げて申し訳無さそうに言った。
「ちょっとあの言い方も何かと思いやすがね。」
ガリーがダン様が立ち去る後姿を見てポツリと言った。
「結局、ロージイ姐さんのおかげでここに潜伏できた。兄君達の尽力で店も開けたんでがしょ。」
「それなのに、ジャックのアニキが貴族と分かった途端、サリー様のムコにしたくて、姐さんを締め出してるでやんす。」
ヤッキーも腕を組む。
あの後、記憶が戻ってジャックはディック・ルーデンベルクという伯爵家の三男だとわかった。
家督を継げないから護衛騎士になった、と。
毒姫に言い寄られたが、断ったら切り付けられて馬車から捨てられたらしい。
「まだ、思い出さないことがあるのです。こちらでお世話になってからのことも。記憶が上手くまとまらないと言うか。」
頭を抱えながら、ポツンと語ったと言う。
「しかもねえ。あの神獣様のお力は凄いものだ。顔の傷もどんどん治っていきやしたからねエ。」
「そうでがす。流石に潰れた目はダメでやしたけども、引き攣れた皮膚も、怪我での部分ハゲも綺麗になっちまってさあ。
金髪もツヤツヤになって。」
「あんなにアニキが美丈夫とは思わなかったでやんす。サリー様もうっとりさね。」
ヤッキーとガリーの軽口を聞いてられなくて、部屋に戻ろうとした。
「あら、紅の魔女様。おかんむりで?」
廊下の奥からすっと出たきたのはジンジャーではなく、セピアだった。
「びっくりした。」
「もう八月ですからね、一度あちらに戻ることにしてね。
ちょっとダン様にご挨拶をと。」
「貴方、ずっといたの?」
「ひどいなあ。ロイドさんやジークさんとも連携してお店を見張ってたんですよ。」
その声を聞きつけてダン様が小走りでやってきた。
「ああ、そうなんですか。もうブルーウォーターにお帰りで。
あちらはお祭りをするので忙しいと聞いておりました。」
「エエ、アキ姫さまも大活躍なさる予定ですよ。アアシュラ様もお忍びでお出ましになるとか。」
「アキ姫さまが?お祭りに?」
「そう。あのお方は歌が上手い。歌姫と呼ばれています。
それから、マナカ国には前世持ちが百年程前にいたんですって?
去年のコンサートで歌と踊りを披露されて、ルララ王妃様が狂喜なさって。
タンコウブシとかなんとか?それをお祭りでやるんですって。
今あちらは夜店の準備とかで忙しいのですよ。警備もあるし。」
「そうなのか!いやあ、ひとつ噛みたかったなあ!商売のチャンスだったろうに。」
ダン様は心底悔しそうだ。
「アラン様も王妃様のご希望を叶える為に全面協力をなさってます。」
「では、ここの警備が手薄になってしまうのね?」
不安気な声がするから振り返って見ると、サリー様だった。
ああ、髪をバッサリ切られている。初めて会った時の様だ。
「おお!サリー様。髪をお切りになったんですね!
安心しましたよ。」
セピアは破顔した。
「うん、大丈夫ですよ、ここはジークさんやロンドさんが見回ってますよ。それに多分時々、王家の影も来るんじゃないかな。何しろ毒姫の手先がウロウロしていて厄介ですから。」
「先日ウチの前に、見知らぬ若い男の子の三人組がいたの。私を見たら軽く会釈して消えたけど、彼らも?」
「ああ。王妃様お気に入りの「少年忍者」達ですね。
ま、オレもまたちょくちょく顔を出しますよ。アンディ様に言われてるもんでね。」
「……そうなんだ、いや、そうなんですか。王家の影殿。色々と突っかかってすまなかった。」
その声は。
「おやあ、ディックの旦那。もう歩けるんですかい。かなり高熱出したんでしょ。」
「ああ、御神体のおかげだ。」
そこには、久しぶりに見るジャックことディックがいた。
廊下の壁に持たれかかりながら、ゆっくりと歩いてくる。
目を見張った。
本当にあの、ジャックなの?
顔の傷は薄くなり、ハチミツを溶かしたような金髪はサラサラと豊かに流れている。
いつも土気色だった顔色は良くなり、頬もふっくらとして肌もツヤツヤだ。
そして水色の目は青く澄んでいる。…右目だけだが。
「ふふん、随分と色男になったではないですか。」
「…アキ姫さまはどうなさってる?お元気なのか?」
「ええ、お祭りで歌を披露なさいますよ。
今はそれの準備でアキ姫さまがお忙しいから、アアシュラ様も積極的ではないけれど、お祭りが終わったら、レプトンさんとの婚約をリード様に打診するそうです。
これはね、私がマナカ国に潜って集めて来た話ですが。
まだ王妃様も、アアシュラ様が誰に白羽の矢を建てたか、ご存知ないんですよ。」
「…アキ姫さまに縁談、そうか。以前もそうだったよな。」
何よ、ディック。あんたショックを受けてるの?
「それでね、それをまた毒姫が聞きつけてね。破談にしなければと息巻いているようですよ。」
「それでやはり、ロージイに接触しようとするのか。」
ケイジ兄がいつのまにか来ていて、眉をひそめていた。
「……でもね、あの国も一枚岩じゃない。そろそろおいたが過ぎる毒姫を、締め上げるつもりになっている様なんです。」
「誰が?」
「ディックさん、貴方もご存知でしょ。長女のマキ姫様ですよ。彼女が毒姫と仲が悪い事を。」
セピアはニヤリと笑った。
「ああ。マキ様が動くのか。それならば。」
ディックはホッとした顔をした。
「それはそれとしてね、どうだい?貴方も一度、アキ姫さまに会いたいでしょう?
今度連れて行ってあげましょうか。」
「……ああ、頼む。」
ディックは深々と頭を下げた。
「じゃア、身体を治さなくっちゃ行けませんねえ。」
セピアは朗らかに笑った。
その表情には一点の曇りもなく。