九月。
九月になった。アキ姫さまとレプトンさんの婚約は少しずつ進められているらしい。
私は毒姫様から身を隠すためにホテルにこもっている。
そして、ケイジ兄貴と事務所で書類仕事をやっていたのだが。
「へえ、大したもんだ。あのグランディの王立学園でトップクラスにいただけのことある。」
書類をヒョイと一枚取り、舐める様に見て薄く笑ったのは。
「ジンジャー?あ、いえ。セピア様。」
いけない、この人はアンディ様の部下だ。
――あの恐ろしいアンディ様の。
汗が背中を伝う。
「セピアでいいっすよ。紅の魔女様。最近、毒姫大人しいでしょう。」
「ええ、ここ一週間不審者をぱたりと見かけなくなったとか。」
ケイジ兄貴が頷く。
「レプトンさんには別の婚約者が出来たからね。」
「え?」
「魔女様が何もしなくても、ちゃあんと破談になったのさ。ただね、アキ姫さまは割とレプトンさんが好きだったようでしょげていなさる。
お気の毒だ。」
「わ、私は何もしていないのに。」
恐ろしい、何かわからないけれど流れに巻き込まれて流されて行くようだ。
「レプトンさんが断ったのか?マナカ国の姫を?大国の姫を?リード様の側近なのにか?」
ケイジ兄貴が目を丸くして尋ねる。
「ええ、レプトンさんが選んだ相手はあのカレーヌ様。もと王子妃の候補で。微笑みの姫と呼ばれた。ご存知ですか?
レプトンさんはね、ずっと彼女が好きだったんだ。初恋だね。
うん、実って良かったですよ。」
「えっ!あのカレーヌ様ですか!」
四つ歳上のケイジ兄は、自分より二つ歳下のカレーヌ様のことは良く覚えていた。
少しだけ学園にいた時期も被っていたはずだ。
「……ご不幸な結婚を強いられて、離縁なさったとは、聞いておりましたが。」
「ずっとブルーウォーターにいらしたのですよ。お菓子の工房を立ち上げて成功なさっておいででした。」
「ええ、噂は聞いておりましたが。
レプトンさんと婚約……。」
兄は放心している。
「ははあ。ケイジさんも彼女のファンでしたか?
あの方初恋泥棒というかモテてましたからね。
一度目の罰の様な結婚をする前にも、求婚者が五十人はいたとか。」
「……彼女があのローレンだか、ローエン家に粗末にされたと聞いて、憤っていたのは私だけじゃありませんよ。」
ケイジ兄が苦虫を噛み潰したような顔をする。
「そうですねえ。レプトンさんの兄のサードさんも彼女が離縁したと聞いて求婚なさいましたならね。
もっともバッサリ振られましたが。」
なんですって?
グローリー兄弟二人とも?
彼女こそ男性を手玉にとる悪女では?あんな清純そうな顔をしてるけど。
「え!サードさんも?
…だってあの人と結婚してたら公爵夫人だったはずでしょうに。」
「レプトンさんの方が良かったみたいですよ。レプトンさんはそれでリード様の怒りを買いました。
例え職を失っても、彼女の方を取ったんです。」
「そうか……凄いな。アキ姫さまを袖にしたのか。あのレプトンさんは。
グローリー兄妹には複雑な気持ちがあるが、あの人は一本筋が通っているな。」
「横で見ていても彼女達の恋物語は素晴らしかった。
私はね、あんな風に思いを素直にぶつけられる人が好きなんです。」
そこでセピアは私をじっと見て、
「意地を張ったり、色々考えて過ぎてさ。
――後悔することが無い様にね。」
と言った。
「何のこと?」
顔が強張る。
「明日も生きている保証はさ、誰にも無いって事だよ。
神龍様や白狐様みたいに特別な存在じゃ無い限りね。」
セピアは好き勝手言って出ていった。
何か酷い事を言われたような気がして、胸がモヤモヤした。
そして、その何日後にはレプトンさん達が入籍したと聞いた。
「リード様のお怒りを買ったから、職を捨てて駆け落ちしたって。
サードさんのグローリー家やメリイさんのドラゴンハート家、レプトンさんの母君が嫁いだミッドランド家からも縁を切られたそうだ。
そこまでしてもアキ姫さまと結婚したくなかったんだな、と毒姫様は喜んでいるよ。」
ダン様は事務所に書類を持ってきて、ついでにニュースも持ってきたのだ。
「そんなにみんなに反対されて。カレーヌ様はお幸せにになれるのでしょうか。」
ケイジ兄はとことん人が良い。貴方が心配してもどうにもならないでしょうに。
「とにかくしばらくは、アアシュラ様もアキ姫さまへの縁談を持ち込まないだろう、というのがマナカ国で流れている噂でね。」
「これでしばらくあの毒姫も油断するでしょうねえ。
どうだい?そろそろ移動に耐えられそうか?
ブルーウォーターまで。ね、ディックさん。」
「ああ。」
いつのまにか来ていたセピアの視線の先をたどると、そこにはディックが立っていた。
すっかり健康体になって。
「ブルーウォーター公国物語」に追いつくまで毎日更新します。(予定)




