<第九話> 親友よ、再びさよなら。
<<登場人物>>
【倉井戻】:骨を全て殺すことを目的としている青年。しかし、本人はまだその意味や生じた訳を理解していない。主な能力は、回復。
【エンリ】:旧首都東京で戻と出会った少女。オオカミのような風貌だが、骸骨によるためかも? 主な能力は、牙、爪である。
【谷川香凛】:戻の同僚で三つ上のお姉さん的存在。実は育ちが良かったり。主な能力は、火である。
【晴山氷】:戻の同僚で六つ上。普段は忙しそうにしており、あまり付き合いがいいとは言えない。鋭い目つきをしてしまいがちだが、本人はそこまで睨んでいるつもりはない、主な能力は、氷、雪である。
【虫明鳴牙】:戻の同僚で五つ上。氷とは同じ大学の先輩後輩であり、そのころからの知り合い。気さくで馴れ馴れしい感じだが、服装はどちらかと言えば電波。主な能力は、雷、電気である。
【宍戸尽】:戻の同僚。戦闘には参加しないが、後方部隊として物資の補給や装備類の買い揃えをやっている。日村の右腕として、日々頑張っている。主な能力は特にないが、強いて言えば相手の話を聞くことが得意だ。
【雨宮弘和】:戻の同僚。実は昔に一度、今のこの団体に所属しそしてやめている。日村とは長い付き合いである。能力は、雨、水である。
【日村憲和】:戻の所属する団体のトップであり、三十年近く前に設立し、今尚現役で続けている。昔は随分と乱暴だったそうだが、今は大分落ち着いたらしい(本人談)。日本刀を用いた戦闘スタイルで、能力は、身体能力向上などである。
【草壁一矢】:戻の親友で、今はもう亡くなっている。昔に戻を救って以来、ずっと行動を共にしてきた。ゲームが好きでよく一人でやっていた(戻はあまり興味がなかった)。妹もいたが亡くしている。それきり少し暗くそして何かに焦っているようになったそうだ(戻による見解)。故郷は東京の西の方だったらしい。主な能力は???。
僕は飛び上がってすぐに血が出ていないか体を触る。夢なのか現実なのか区別がつかない程に鮮明な感触だった。背中がすごく冷たくなっていた。が、特に何ともなかったのがわかり、安心する。
見渡す限りオンボロの小屋の中だった。床にシーツが敷かれていてその上に座っている。懐かしい感覚だった。服装も雪山の重たい服装でも、防寒着でもなく、薄いシャツに半ズボンで、そのせいか心なしに肩や体が軽く感じる。目線も少し低かった。
外へ出てみると草原が広がっていた。春先のやや肌寒い緩やかな風が吹き、のどかな陽が差している。
さっきまでいた雪山や民家はどこへ行った? 気持ち悪い空間を落下していた気もする。えっと、確か誰かと一緒に落ちていたような……。思い出せない。
小屋の近くにある禿げた大きな木を触る。手を当てて、撫でてやる。いつもこうしていた。こうやって木に感謝して、相棒のように思っていた。……どうしてだろ?
辺りには人一人として見当たらない。木々や草花ばかりが生き生きと揺れているだけだ。遠くには残雪積もる山。ここには僕しかいない。僕……。僕は誰だっけ? 名前は……。名前?
木に寄りかかって考えを巡らせる。いつもはどうやって過ごそうかすら考えないのに。さっき見ていた夢のせいだろうか。
そのままぼんやりと空を眺めていたら、ぶらりと人の下半身が吊るされていることに気づく。
あぁ、そうだ。骸骨を仕留めたばかりだったな。この木は吊るすのに適しているからな。骸骨なんてこの世にいらない。
首を吊るしてやるとそのまま自重で喉仏が砕ける。こうやって一匹ずつ殺していこう。
僕は手に盛った縄を肩にかけて、勘頼りに骸骨を探す。探索の最中に子供と大人の二人組を見つけた。茂みに隠れて、手製の縄を構える。
大人は背を向けた。子供はこちらへ向かってくる。僕は息を潜めた。
子供の方が目の前を通った時にすぐさま縄を投げて、首にかける。喉を潰す勢いで引っ張った。縄が空を捉えたように引っかかった感触が無いまま、後ろへと転げた。即座に縄を見ると、綺麗な断面があった。子供の方を見ると、首に縄が掛かっている。おかしい。そう思ったと同時に肩をポンと叩かれる。
「随分と物騒な子だねぇ。殺し慣れている動きだ。金銭を奪って生活していたのかな?」
「日村さん。首の縄を切ってくださいよ。固くて解けません」
僕は咄嗟に「一矢?」と訳の分からない言葉を口にしていた。
「え? なんで俺の名前知ってんの? 初めましてだよね?」
「知らない。なんでか分かんないけど、口が勝手に」
「ところで君、ここで何をしていたのかな? 私たちはこの付近で自然の調査をしていてね」
肩をぎゅっと掴んでくる。逃げるつもりはなかったが、逃げられないな。
「……。骸骨を殺してただけ。近くの木にぶら下げて」
僕は来た方向を指した。二人は僕を連れて、小屋の前の木まで案内させる。
「ふーむ。確かに骸骨だね。あの縄技術からして殺せるのも納得だ」
「お前、ずっとこれやってたのか? すげぇーな」
「別に」
大人が骸骨を下ろして、頸を絶った。骸骨は塵となって消えた。
「一矢君、その子としばらく遊んでなさい。私は引き続き調査を続ける」
はーい、と一矢?が言う。小屋の中へ勝手に入り、適当なところで腰を下ろしていた。
「何才なの? 俺は十四才」
「知らない」
「自己紹介しよっか。俺は草壁一矢。好きな食べ物はカレー。妹が一人いる。日村さんと暮らしてる。お前の名前は?」
「分からない」
「暗いやつだなぁ。幽霊みたい。……じゃ、暗い幽霊ってことで『倉井戻』って名前にしよ。いつか人間に戻ってね」
「暗い霊?」
「そう倉井戻。倉庫の倉に井戸の井、戻るって書いて『レイ』って読む漢字ね。いいかんじじゃない?」
「漢字? 読めない」
一矢は石を使って、床に字を書いた。倉井戻。
記憶が戻る感覚がした。そうだ。僕は倉井戻だ。そう確信したときに離人感が襲った。口や手をまともに動かせなくなって、まるで映画のカメラのような視点となった。僕と一矢を映す記憶のカメラのような。
「変な字」
「字っていうのは知っているんだな。言葉も。誰から教わったんだ?」
「知らない。気付いた時からしゃべってた」
「じゃあ、家族とか今はいないんだな」
「ずっとここで暮らしていたから、そういうのは分からない」
「そっか。あ、そうだ。これでも食べる?」
一矢はそういってポケットから袋を取り出して、投げてきた。
「お菓子。食べたことないだろ。うまいぞ?」
僕は袋ごと噛んでいた。その様子を見て、一矢は大笑いした。
「なんだよ。笑って。食べられないじゃん」
「あはははーーー。……袋を千切って中にあるものを食べるんだよ。あーおもしろ」
言われた通りにして、中にあるものを食べる。口の中の水分が取られたのか、驚いてはいたが、それでもバターなのかバニラなのか風味が良かったようで笑みが零れている。
「どうだ? クッキーは上手いか?」
「うん。甘くておいしい。初めて食べる味だ」
僕はしばらくクッキーを頬張っていた。
一矢はゲームの話や食べ物の話、妹の話、日村さんとの話、この頃の僕には理解できない話をそれはもう楽しそうにしゃべっていた。
「アンティリーネってゲームがあるんだけど、それがもう面白くて。国を統治していくゲームなんだけど、オンラインで中々正面からはできないんだよね。だから色々と裏工作をするんだけど、それも時間がかかるんだよ」
「魚料理も大分、減ってきたんだよね。川魚がメインになっててさ。昔おじいちゃんと食べた魚、すげーうまかったんだよ。名前はわかんないんけど、食わせてみたいな」
「妹は茜って名前なんだけど、昔はすげー生意気だったんだ。でも、最近は聞き訳が良くなってさ、なんか違うなーって思う。兄弟もいないんだもんな」
「さっきのおじさんは日村さんだよ。あの人、めっちゃ強いでしょ? 戻も日村さんに色々と戦い方、教えてもらいな。剣とか組手とかいろいろできるらしいよ」
一矢との時間はあっという間に過ぎて、日村さんが帰ってきた。陽は傾き、橙色の光が小屋の中に差し込んでいる。
「一旦帰ろうか。一矢君。この子をこのまま連れて帰ってもいいが、準備ができていない。明後日、もう一度来ようか」
「この子じゃないです。戻って名前を付けました! 今日連れて帰りましょうよ。明後日まで生きている保証なんてないじゃないですか!」
「だから、さっきまで近くを回って骸骨を駆除していたんだ。それに、尽君にはまだ工作は無理だ」
「じゃあ、俺だけでもここに――」
「ダメだ。妹が待っているだろ。帰るぞ」
不満そうな顔をしながら一矢は日村さんの後を歩く。
騒がしい日だった。嵐の後の静けさが心に残っている。寂しい。また会いに来てくれるんだよね、と思って眠ったのを思い出す。
明け方になると一矢が扉を叩いて入ってきた。
「よぉ、元気ぃ? 会いに来たぜ」
「なんだ、お前。何しに来た」
「つれないなぁ。明日になったら一緒に俺の家にきてもらうんだよ」
「なんで?」
「一人身だろ? 寂しいじゃんか。俺も友達がいなくて暇だから、友達のお前が近くにいてくれた方がいい」
なんだか嬉しかった。カメラの僕も嬉しいんだから、当人の僕はもっと嬉しかったんだろうな。
「友達? 僕が?」
「そりゃ、昨日いっぱい話したからな。もう友達だろ?」
照れながら、まぁそうだなと小さい声で僕は言った。
一矢はお菓子をいっぱい持ってきた。二人で、というよりも一矢が一方的にしゃべり続けて、あっという間に昼過ぎになった。
僕はいつもの習慣で縄を持って外へ出かけようとするも、一矢に止められる。
「日村さんが骨を駆除してくれたんだから今日は一緒にいよ?」
甘えた、まるで父親を仕事へ行かせまいとする娘のような声と表情をして、僕の服の袖を引っ張っる。僕はというと眉を顰めていた。
「出る。これが俺の役目だ」
意外とそっけなく僕は外へ出た。一矢は「はあ」と大きくため息をついて僕の後ろをついていく。
二人は道なき獣道を歩いていく。骸骨は見当たらない。僕はずっと無表情だったが、一矢がこんなに怯えた表情をしていたのは驚きだった。
僕がピタッと足を止める。そっと一矢の方を向いた。
「つけられてる。武器は?」
「えっ。そんなん持ってないけど」
ナメクジを見るような眼で一矢を見ていた。といっても今の僕ではそんな気配すら感じなかった。が、二人を照らす太陽が大きな影に隠れる。僕が一矢を抱え、草むらに飛び込んだ。
土煙が上がり、二人の元居た場所にはぶっとりと太った半裸の巨漢が立っていた。一矢は腰を抜かしたのか、立てないでいた。僕は縄を構えて、その骸骨なのか人間なのか分からない敵を見つめていた。
「な、なんだよ。あいつ。でけぇ。戻、逃げよ? 日村さんならなんとかしてくれるって」
「骸骨だ。首を折れば死ぬ。逃げてもやることは変わらない。死んでも殺す。死ぬまで殺す」
既視感、というよりもこちらが先なのだろうな。エンリと似たことを言っていたのか。道理で親近感が湧くわけだ。僕の本質がこれなのかもしれない。が、今の僕はこれほどまでに心の底から言えてはいないな。
「そんなこと言ったって、死んだら意味ないじゃんか! 生き延びるのも一つの方法だよ!」
一矢は手を僕の手を引く。小鹿みたいにプルプルと足を奮わせているにも関わらず。僕は不服そうな顔をして、一矢を背負い走って逃げた。勿論、追ってくる巨漢だったが身軽な僕たちには追い付けそうにもなかった。僕はある程度離れた場所に一矢を置いて、もう一度巨漢の方へと走っていった。
「待てって! 戻! お前に死んでほしくないんだ! もうすぐしたら日村さんが来るから!」
僕はもうそこにはいなかった。ただ僕の幻影なのか僕の意識体なのかは一矢の悲痛な叫び声が空しく響くのを聞いていた。その場を後に僕は僕を追いかける。
縄を持って対峙していた。巨漢の方は何もしゃべらない。そのところを見るに骸骨だと言える。
拳の一振りは地面を大きく抉るほどだった。僕は難なく躱し縄を首にかける。そして思いっきり締めた。が、体重差のためかそれとも脂肪のためか上手く締まらなかった。巨漢は僕の縄を掴み、逆に僕を投げ飛ばした。
僕は勢いよく地面に叩きつけられ、背中を強く打った。息が吸えず、ジーンと背中から頭にかけて痛みが広がるのを見ていても感じ取れた。巨漢は僕の腕を掴み、もう一度地面に叩きつけた。
「かはっ」
そう小さく小さく息を吸うも、僕は動けなかった。そんな満身創痍な僕を見て、巨漢はようやく表情を変えたかと思えば、それはもう憎たらしいほどに満面の笑みを浮かべていた。それを遠目から見て記憶が甦るのを感じる。ああ、そうだ。僕はこいつを絶対殺すって、骸骨をぶち殺してやるって、そんな目で、そんな明確な思いで、対面していたんだ。なんで忘れてたんだろ。何も難しく考えなくても、生きてちゃいけないのが骸骨なんだ。そうか、それで……いいんだ。
巨漢の顔に石がぶつかる。僕と寝ている僕は石が来た方を見る。そこには足を震わせながらも懸命に巨漢と対峙する覚悟を持った一矢の姿があった。
「な、に、してる」
僕が言う。一矢は頑張って笑みを作った。
「友達を助けるのに、理由なんか要らないだろ? 友達の決断に俺だけ逃げるわけにもいかない」
巨漢がドシドシと一矢に近づく。相変わらず無言で大きく両腕を振りかぶった。僕はその腕に縄をかけて、全力で抑える。
力比べ。勿論、少年と巨漢では比べるまでもない。が、火事場のバカ力なのか、拮抗していた。全体重をかけて、拳がつぶれるほど縄を握って、歯が砕けるほど喰いしばって、僕は縄を引いていた。じんじんとまだ背中が痛んでいる。
一矢は石を投げ続ける。顔面へ必死に。そうして巨漢もいい加減鬱陶しくなったのか、蹴りを入れようとしたその時を狙って、僕が縄の力を緩めた。巨漢の体は勢いよく地面へと突っ込んだ。一矢は何とか避ける。
腕が地面に埋まったのを見るや、僕はすぐさま巨漢の首に縄をかけて、締め上げる。骸骨とはいえ、肉体の構造は人間と同じだった。稀に呼吸をしなくてもいい個体もいるが、大抵は締めあげればそれで気絶する。僕と一矢はなんとか、巨漢を倒すことができた。
「はぁ、はぁ、こいつはこれで死んだのか? 首を絞め落とすだけで? やっぱ、すげぇーな。戻」
「別に、大したことじゃない。……一矢」
「おっ、初めて名前で呼んでくれたじゃん。ありがと。ふー。疲れた。死にかけたわ。ははっ。でも、戻と俺ならなんとかなるな!」
嬉しいかったのか、僕はそっぽを向いていた。それから意識が曖昧になって、おそらく日村さんが来て説教を受けていたと思う。僕は一矢についていって、まず最初に妹の茜を紹介された。大人しい性格に見えたが、一矢が言うにはおじいさんが亡くなる前はもっとわがままでうるさかったらしい。それでもしばらく遊んでいる内に心を開いて、というより僕の方が心を開いていった。よく三人で日村さんへ悪戯をしたり、街中を走ったり、対戦ゲームで煽り合ったり、ファミレスに行ったりして、何ともない日常だったけど、すごく楽しかったことは覚えている。そう、楽しかった。
目の前で一矢が泣き崩れている。この時から一矢は変わったんだ。妹の茜が骨に殺された。一瞬だった。目を離した隙に、死角からグサッとナイフを刺されて。当時の僕はまだ治す能力がなかったから、どうにもできなかった。肝臓からの大量出血。街中での出来事。そうだ、一矢がその前の日に、骸骨の喉仏を食べて能力を得たんだっけ。相手が認識する以上に早く動ける能力。間合いとか飛び道具とかを防げる上に、本来なら急襲にも強いはずの能力なはずだ。それでも、浮かれていたのかはわからないが、骸骨の存在には気づけなかった。
一矢は血まみれの茜を抱えながら、小さく呟いていた。
「家に帰りたい……八王子のおじいちゃんの家に……。茜とおじいちゃんと一緒に、居たかった……それだけでよかったのに」
僕は何も言えなかった。そして僕はこの時から、頭の中に靄がかかるようになった。それを見ている僕は何となく感じた。
それから僕は一矢のサポートに回るようになった。回復の能力、手斧、特殊な銃、この三つを主体とする戦術を考えるようになった。縄の存在など、この頃の僕は忘れ去ってしまったのだろう。そしてただ一矢の思うこと、考えることにだけ、同意し、思考を止めてしまった。ただのイエスマンに。でもあくまでこれは今の僕から見て、思うことである。未来の僕も今の僕を見れば同じことを思うのだろうか。
下を向いて、目を閉じ、再び開けるとそこは忘れられない光景があった。都庁。そして一階。錆びれたエスカレーターに僕は引き寄せられるように、駆け上がり一矢の元へと行ってしまう。一矢はもう死んでいるのに。
「死んでほしくなかった。死ぬと分かってるなら」
僕が走りながら口走った。しゃがみ込む一矢とその後ろにいるあの大男の骸骨。あの骸骨だけは許さない、と心の底からは何故か思えずにいた。どうしてだろ。
僕は立ち止まってしまう。が、僕の体は一矢を助けた。飛びついて、何とか攻撃を躱した。あの時、僕がしたかったことを僕は難なくやる。そうして気のせいだと思うけど、僕の方を見てニッと笑ったように見えた。
「一矢! 大丈夫か!」
「ああ、危なかったよ。資料に目がいってて気づかなかった。さて、と」
一矢は速攻で大男の首を握りつぶした。ばたりと倒れて、うめき声を上げながら、そのまま塵となった。
「戻、もっと周囲の警戒を頼む。骨は俺が何とかするから」
「了解」
なんだよ僕。なんでそんなに嬉しそうなんだ。二人はそのまま外へ出て、ガリ骨と遭遇するも、一矢は瞬殺した。そして予定通りに任務を続けて、期待した通りの成果を持ち帰った。ただエンリには会えなかった。
地下鉄の東高円寺駅に入り、補給物資を得る二人。そこへあの老人がやってくる。
「私を殺してくれ……」
自分の地位に固執するじいさんを象徴するような老人。二人は警戒していたが、僕がどうやら銃弾を撃ったことで、未知の攻撃を受けた老人は動揺し、そこを一矢は狩り獲った。僕とエンリが頑張って喰ったっていうのに、な。……喰う? そういえば、あの二体の骨もこの老人の骨も食べていない。エンリは喰うことを目的としていたけど、なんでだろ。砕いても同じじゃないのか?
その疑問を持ちながら、あの事件まで進んだ。街中を歩いている僕と一矢。隣を通り過ぎる夫婦と子供。ああ、やっぱり気づかないよな。そして事件が起きる。
二人は北区へ向かい、浦部と出会う。自由と平等を求めたその裏側には一矢と同じような境遇に対する反抗心と、それこそ真の平和を求める意志がある男、それが浦部の本質だった。であるならば、必然と一矢とフィーリングが合致する。僕では不十分だったのが、一矢ならできてしまう。
「お前らも暴力を否定するのか? お前ら自身は暴力を使えるのに。洗脳極まれりだな。今の体制も暴力で作られたってのにさ。それで暴力をもって制圧してくる。……骨を殺すって言ってたな。だったら、その前に人を殺してくれ。胡坐をかいている無能をさ! 一人でも多く殺してくれよ! なんで黙って支配されているんだ!」
「俺らはむしろ息を潜めてるだけだ。まだその時じゃない。必ずあいつらを俺は殺す。……お前も妹を失ったんだろ? 俺もだ。絶対に忘れられない。奴らの体に刻み込んだとしても。だから、お前に頼む。今はまだ抑えていてくれ」
一矢は手を差し出す。浦部は詰まる思いで下を向いた。そうして兵を退いて、どこかへと消えてしまった。僕はそっと鉄格子を見る。そこには誰の影もないのに。
そうして狂骨との対決だったが、一矢は狂骨を殺してしまう。呆気なく、首相官邸前で、そして浦部も生きている。狂骨が戯言を吐く前に殺してしまった。どうやら浦部の心臓には喉仏を入れていなかったようで、塵となって消えた。でも、この狂骨は何かが違うような気がした。人間であろうとしたというか、人間になりたかったようなというか、未練があるだけの骸骨に思えた。あの破壊衝動を凝縮させたようなイカれた狂骨ではなかった。
「なっ、一矢がいれば上手くいく。一矢が全部やってくれる。だから浦部、お前も俺らの仲間になれよ」
僕が倒れる浦部に手を差し伸べて言った。浦部も、ああ、とだけ言って強く握った。
何かが違う。僕の理想なのか? これが。そういえば浦部は夢の世界へ行くことを拒否してたな。こういうのが嫌だったのか……。
――喰え、喰え!
エンリの声が脳内に響く。喰うって誰を? 骸骨はここにはいないじゃないか。何を喰うんだよ。
――親友を喰えないお前はなんだ?
確かに喰わなかったよ。でも、思いを引き継ぐことはしようとした。けど、やっぱり僕には東京を元に戻そうなんて分からないんだ。分かろうとはしたけど、やっぱりどこか違うような感じがある。そもそも一矢は骸骨じゃない。
――骸骨に同情でもしたのか? 初めから間違ってる。害だから骸骨になる。
一矢が僕にとっての害だっていいたいのか? エンリ。でも、ただ喉仏を壊して、その骸骨のことを知ろうとしないまま、殺すのは確かに今の僕にはできないことだな。それが喰うってことなのか?
――お前ら骸骨は私が全部喰い殺してやる! 骸骨なんてこの世から全部消し去ってやる! だから、安心して私に喰われろ!
ふふ、確かにそう言ってたな。エンリ。安心して、か。普通は嫌がりそうだけど、何故かこの時は、体が動いたあの時は、無機質な、そうさっきの一矢のような無情な感じじゃなくて、もっとこう優しいっていうか、ちゃんと見てくれてる感じがあって、勇気づけられたんだよな。喰うって言うのは、文字通りなのかもな。今度エンリに聞いてみるか。
――人間の抜け殻が骸骨だ。腐った果実。いつまでも木に引っかかり続ける果実。それが骸骨だ。
悪い奴、大男の骸骨とかガリ骨とか老人の骨とか狂骨とか、そう思ってたけど、エンリ、違うよな。そうだ。本当に喰わなきゃいけないのは。
――喰え! 喰え!
僕自身だな。僕の中にあるこの一矢を喰わなきゃ。僕を救った一矢への信仰心も、力になりたいと思ったことも、一矢から教えてもらったスプーンの使い方とか箸の持ち方、カレーライスって名前とか、風呂の入り方、歯の磨き方、掃除の仕方、……色々あったよな。変顔の仕方とか、口笛の吹き方とか、くだらないこともいっぱい。なんで妹が死んだあの時に、帰りたい、なんて言ったんだよ。僕にもちゃんと言えよな。お爺さんの話とか、八王子でのちっぽけな話とか。そしたらお前の願いも引き継げたかもしれないのによ。
でも思い出せてよかった。あの小屋が全てだった僕を救い出してくれた一矢との思い出。ありがとう。
僕は僕を食べた。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
久々の投稿です。過去編ですね。次は氷さんの過去編です